① 不思議な声
窓辺に本を置いておくと、風が吹いてページがペラペラってめくれるだろ?
あれって、実は風が読書してるんだ。
え? オレの頭がおかしいって?
そうだよな。オレも最初は信じられなかった。
風がマジで、本、読んでるなんてさ。
①不思議な声
十一月の最後の週のことだ。
木曜日六時間目、ホームルームの時間。
五年二組は、図書委員を一人、だれにするかで話し合いをしていた。
司会者は現在図書委員の三ヶ尻月子と広田美里ちゃん。
口八丁手八丁の恐るべき三ヶ尻月子のことを、クラスの男子はみんな、陰でこっそり{お尻ゲッ子}と呼んでいる。
そのゲッ子がさっきから口角にあわをため、机をバシバシたたきながら、ヒステリックにわめいているのだ。
「ちょっとお、だれか協力してくれてもいいでしょ!」
図書委員はクラスに三名ずつと決まっている。五年生と六年生の二クラスずつ、合わせて十二名の図書委員が、全校の図書委員会を運営することになるのだ。
クラスの図書委員になるということは、図書委員会に入るということになり、そうなると、結構忙しい。昼休みや放課後は、当番制で図書カードに貸し出しスタンプを押したり、戻ってきた本を整理したり。その他にも仕事はわんさかあるらしいのだ。だから、たいてい図書委員には、本の好きな連中が立候補したり、推薦されたりしている。
一学期に図書委員を決めた時は、立候補の手がジャスト三本上がって、すんなり決まり万々歳だった。
ゲッ子に美里ちゃん、それと青柳恵太という、色白の本の虫が、図書委員をかって出たのだ。
けれど今月になって青柳が、父親の転勤で急に転校してしまった。
「一人足りなくても図書委員会は大変なの。いいわね。絶対一人補充するわよ」
ゲッ子に鼻息荒く、いきまかれては、だれも何にも言い出せない。
みんな聞いているふりをしながら、ひたすら時間が過ぎてくれるのを待っているだけなのだ。
せめてゲッ子がいなくて、美里ちゃんだけっていうんならなあ………。
オレの視線は、ゲッ子の横で困ったように立っている美里ちゃんに注がれる。
ああ、でも図書委員なんてことば、聞いただけでも、尻がむずがゆくなる。
オレに本なんて取り合わせは{ネコに小判}{豚に真珠}ってことわざを越えるくらいに似合ってないと、自分でも思うんだ。
そもそもオレにはじっと座って読書する行為自体が体質的に合ってない。それに比べて広い広い運動場で、思いきりボールをキックしたり、走ったりする気持ちのよさ………。
ああ、早くサッカーやりてえ………。
この会さえ終わってしまえば、お楽しみの放課後サッカーが待っているのだ。
窓の外に目をやると、運動場は木枯しがうなり、落ち葉たちが、早くおいでよといわんばかりに、しゃらしゃらかけっこを始めている。
「ねえ、本当にだれかいないのっ!」
ゲッ子がバンと教卓をたたいた。これで五回目のバン。
あまりに教室の空気がどよんとしているので、一番窓ぎわのオレは少しだけ、そうっと窓を開けてみた。
ピューという音とともに、北風が入りこんで、頭のてっぺんから足の先までゾクッときた。
その時だ。オレの耳元でだれかがささやいた。
―おい、言っちゃえよ。オレが図書委員しますって。
「はあ? オレが図書委員します?」
ささやき声につられ、オレは思わずすっとんきょうな大声をあげてしまった。
はっと気がついてまわりを見回すと、担任の岡田先生はじめクラス中のだれもが、信じられないといった顔つきで、口をぽかんと開けたまま、オレのことをじいっと見つめている。
やばいっ!
何とか誤解を解こうと口をもごもごさせたが、時はすでにおそかった。
静まりかえっていた教室内は、次の瞬間割れるような拍手に包まれた。
「すっげえ、ヒカル、おまえ生き方変えたんだな」
「がんばってくれよ。協力すっから」
ホームルームが終わり次第、帰ってもいいことになっていたから、みんなオレの肩をポンポンたたきながら、そそくさと教室を出ていった。
岡田先生とお尻ゲッ子が、すかさずそばにやって来た。
「えらいわ。松原くん、みんなが嫌がる仕事を進んで受けるなんて、なかなかできるものじゃないのよ」
「ヒカル、じゃない、松原くん、感謝する。三月までだけどよろしくね」
ゲッ子がうやうやしく右手をさしのべて来た。
うわ! やめろ! おまえに感謝されるすじあいはない!
これってなにかのまちがいなんだから。オレ、図書委員なんてやらないもんね!
知らん顔しようとしたその時、もう一本の手がすっと目の前に伸びてきた。
「これからよろしくね。ヒカルくん」
美里ちゃんだ。
ふっくらしたほっぺの下に、トレードマークのえくぼが二つ。
ああ、このほほえみ!
オレだけに向けられるこのほほえみは、完全にオレの敗北を意味する。
「よ、よろしく」
オレは、ぎこちなくほほえみながら、あこがれの人の手をそうっとにぎり返した。




