かげふみあそび
私の足には魔法がかかっているので、踏みつけた相手は大抵のことは言うことを聞かせることができる。
相手は高学歴な男子大学生だったこともあるし、会社の経営者だったこともある。女子高生や子供のいる人妻だったこともある。どんな相手にでも、魔法をかけることができる。この脚で身体を踏みさえすれば、だれだって、なんだってやらせる自信がある。とはいえ『ちょっと全裸でコンビニいってきて、コーヒー買ってきて』とかはやっぱり難しく、二人だけで完結した空間においては、という制約はある。
この間の相手は、幼稚園の女の先生だった。床の上にコンビニのチキンを置いて、それを手を使わずに口だけで食べさせた。私はそれを頭からぐりぐりと踏みつけた。踏まれるたびに、壊れたみたいに「愛しています」と繰り返していた。私のことを愛したそうにしていたから、私がそのように仕込んであげたのだ。普段は園児の先生をやっているんだと思うと、私も愛しく思えた。
みたいな感じで、歪んだ遊びをしている。でも、そういったことが終わったあとはたいてい、喫茶店で和やかにお茶を飲んで解散している。『愛しています』なんて変なことは言わせないし、そういうノリは持ち込まない。
ただただ、その人の日常の話を聞くのが好きだ。どんな勉強や仕事をしていて、どんな家族がいて、どんなときに楽しくて、どんなときに悲しいのか。私はそういう話を聞くのが本当に好きだ。そして、その人のそういう話を理解した上で踏んであげるからこそ、私の脚に魔法がかかるのかもしれないとも思う。
というような話を、喫茶店でハルキさんにした。ハルキさんは、さっきまで私に豚と呼ばれて大喜びしていた男の子だ。豚と呼んであげていたものの、実際は細身で生真面目なメガネをしている。化学科専攻の大学院生なので、実際に白衣は着ているらしい。
「それはつまり、かげふみに似ているのかもしれないね」
彼は耳障りの良い落ち着いた声でそういうと、コーヒーに角砂糖をふたつ放り込む。とても優雅な手つきで。
「かげふみ?」
「うん。サキちゃんが踏んでいるものって、いってみれば人の影の部分でしょ」
「うーん。まあ、そういえばそうだね」
「それは実質的には頭やら身体を踏んでいたとしても、概念的には影を踏んでいる。そういう見方もできるよね」
「うん、できる」
「でも、かげふみって、いつでもできるわけじゃない。ある条件が整わないと、絶対にできない遊びだよね?」
「何だろう。ある条件って? 相手がいること?」
「もちろん、それもあるね。でも、次に大切なことは、日が出ていることだね。日が落ちていると、かげふみは絶対にできない。何が影か分からないからね。つまり、サキちゃんがその人の日常の話を聞いたり理解したりするのは、その人に日を当てて、影の色を濃くしているのかもしれないね」
「はー、なるほど。それが私の魔法の理由なのか」
「まあ、かげふみに例えるなら、踏まれた人が鬼にならないとだめだから、言葉遊びの範疇はこえないけどね」
「私に踏まれた人は鬼じゃなくて、豚になる」
「どんどん踏んでいこう。豚が増える。豚が安くなる。とんかつ屋が捗る」
「とんかつ屋の株買っとこう」
そんな冗談を言い合っているうちに、夜の10時になる。
ハルキさんは修論で忙しめなので、今日はもうあまり付き合わせては良くないと思った。喫茶店の店員がラストオーダーの確認にきたので、それをきっかけにお店を出ることにする。
手を繋いだり離したりしながら、駅まで送っていく。
「修論がんばってね」
「ありがとう。論文終わったら、またゆっくり遊んでね」
「うん。今日は楽しかった。ありがとう」
手を放してそれをバイバイとふった瞬間、手のひらに12月の夜の寒さを感じる。私はコートに深めに身をつつみ、自分のマンションに向かって歩いて帰っていく。ハルキさんとの会話のことを思い出しながら。
私が人を踏むことを、かげふみあそびに例えたのは、少し面白かった。相手に日を当てて話してみることも、確かにかげふみのためという側面もあるのかもしれない。
でもここで、新たな疑問も生まれる。私がわざわざそんなことをするのは、何故なのだろう。そうまでして踏みたいのか。そうまでして、踏みのクオリティを高めたいのか、何が私をそこまでそうさせているのだろうか、と。
そんなことをぼんやりと考えながら歩いていると、大学の友達の女の子から連絡があった。
『今からお酒飲みながら映画見るんだけど、一緒に見ない?』
私は考えるのを一旦やめる。彼女のお誘いにのっかることにした。
それから朝になり、友人と別れて、自宅のワンルームマンションへと戻った。部屋がひんやりとしていて、ものすごく寒かった。暖房をつけるが、エアコンの調子が悪く、部屋はなかなか暖まらなかった。
酔っ払った頭を押さえながら部屋の中をうろついていると、窓から光の差し込む日だまりが暖かいことに気がつく。その床は太陽に照らされていて暖かくなっていて、踏むと足の裏にやわらかい暖かさを感じる。
──暖かい。
私は目を閉じて、そのぬくもりを左の足の裏で踏みつけながら、
「ほら、愛していますって、言ってみなさいよ。考えることなんてやめちゃって、私に踏まれたら馬鹿みたいに愛してますって言えばいいの。私も愛してあげるから、早く愛してるっていってみて」
と、口の中でちいさく呟いた。
それから再び目を開く。私の足の裏は、自分の足の裏の影を踏んでいることに気がついた。
──そうか。光であれ影であれ、何かを踏むときには、自分の影を踏んでいるのか。
やがて、エアコンが効いてきて、部屋が暖かくなってきた。私は眠くなって、そのままベッドに倒れ込んだ。
気がつくと私は、夢のなかにいた。
真っ白で、四角い部屋の中にいた。
私は何かを踏みつけようとしていた。
真っ黒な身体をしていたが、女の身体をしていた。
それは私の姿にそっくりであった。
私は直感的に理解する。これは私の影だ。
影はみじめったらしく、私から逃れようとしている。
でも、私には分かる。
この子は逃げているようで、自ら移動しているのだ。
決して逃れることの出来ない場所に。
私は部屋の角に、彼女を追い込む。
そしてゆっくりと魔法の脚をあげる。
彼女の顔にそれを下ろす。
足の裏を顔の上で遊ばせる。
足の指を、口の中にねじ込む。
よだれにまみれた足の指に、吐息がかかる。
言葉を交わす必要はなかった。
私は彼女のして欲しいことが手に取るように分かった。
彼女もまた、そのことを理解していた。
私は彼女から脚をのけて、台所から包丁を持ってくる。
彼女に一歩一歩近づく。
表情は分からなかった。
でも、嬉しそうにしているのは分かった。
私は包丁を右手にしっかりと持つ。
テーブルの上にある林檎を手に取る。
私はその赤い皮をむき、それを彼女の顔に近づける。
「ほら、林檎食べなさいよ。これは命令よ」
彼女は一瞬だけ躊躇して、それをかじる。
サクリ、と軽い音がする。
彼女はめそめそと泣いているようにみえた。
私はそれを抱きしめる。
気がつけば二人とも、抱き合ってわあわあ泣いていた。
──そんな夢を見た。
電話の音で目が覚める。
ハルキさんからの着信だった。
「ハルキさんだ。おはよう」
「え、ごめん。寝てた? え、泣いてるの?」
「うん。変な夢みちゃって」
私は簡潔に夢の内容を話し、ハルキさんに聞いてみる。
「ハルキさん。これって、どういう意味の夢なんだろ」
「簡単だよ。つまり君は今、林檎を食べたいということなんだよ」
「そんなんでいいの?」
「いいんじゃないかな。自分の欲望をこまかく分解して眺めてみても、別に何も生まれないと思うよ。今から林檎持っていこうか?」
「だめだよ。ハルキさん、論文で忙しい」
「論文はいま、教授に見てもらっていて、そのチェック待ちなんだよ。一時間くらいなら時間あるから。迷惑でなければ」
「いいの? じゃあ、持ってきて」
「分かった。ねえ」
「ん?」
「大好きです」
「はー。踏まれてるときでもないくせに、そういうこと言うの、珍しいね。でも知ってる。私もだよ。私も私が好きだよ」
「ちょっと待って。今ひどい振られ方をした」
「あはは、じゃあ、待ってるね」
電話を切って、洗面所に向かう。
足元には、きちんと影がついてきている。私と同じ形をしていて、私と同じように動く。
「ハルキさん、林檎持ってきてくれるってさ。良かったね。一緒に食べようね」
洗面所の光に、静かに影が揺れる。
顔を洗い、さっぱりしたところで、改めて自分の影を眺めてみる。力が抜けて、ふっと気がつく。彼女は私とお話がしたかったのかもしれない。
この弱くて林檎の好きな影のことを、少しだけ愛しいと思うようになった。




