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第九話

 かくして、隊列は王都の目前まで辿り着いたのである。


「やーっと到着です!」

「随分と嬉しそうですね、ルリーナ卿」

「当然です! 湯浴み、食事、ちゃんとしたベッド!」


 そのすべてが、ここ二週間近く我慢していたことだった。

 王都に着けば、アイラはもちろん、ルリーナらは王城に待機することになっている。

 そこは旧帝国の様式で作られているものだから風呂も設えられており、いくら戦乱の地とは言え王城である以上、環境は獅子王国のどこよりも良いだろう。


「けれど、王様ならもっと贅沢にすれば良いのに……」


 どうにも代々の獅子王は武骨なのが好みだったようで、王城自体の作りを除けば、そこは実に簡素なものだった。

 調度品なども趣味は悪くないが最低限といった様子で、美術品の美の字もない。


「そもそもお金がない、なんてことはありませんよね」

「うーん、殆ど戦費に消えるけれど、結構、余裕はあるのだけれどねー」


 ルリーナの独り言に応えたのはアイラだった。眩いばかりに輝く毛並みの白馬の上で白いドレスがひらひらと風に揺られ、人差し指に引っかけた金の王冠をくるくると玩んでいる。


「陛下、王冠で遊ばれませんよう」

「はぁい」


 脇に控えた摂政のデレクに注意されて、アイラはむくれた顔をしながらも王冠を頭の上に載せた。

 相変わらず、ゲルダは気ままに振舞うアイラにどう対応してよいものか迷うようにわたわたとしている。


「この国ってどうやって稼いでいるんです?」

「んー、一番の収入源は王都周りの羊かなぁ。ほら、綿って高いでしょ?」

「まぁ、服なり鎧下なり布団なりと使い道も多いですからね」

「そうそう。で、帝都の商人を通して大陸の方に売りつけているわけ」


 確かにこの辺りの平原は広く、羊の数も大陸で見た事のないほどだ。

 一面、木の一本もない草原は人の手が入っていることを示すようで、そうだとすればかなり大規模で期間を要する事業だったことだろう。


「で、おねーちゃんの方は準備終わったの?」

「おっとこれは失礼を」


 今、王都を前にして女王の軍中はどたばたと右往左往をしていた。

 これまでの村や街では粛々と歩を進めていたものだが、流石に女王が直接治める王都ではそうもいかない。

 そういうわけで、アイラも盛装をして、騎士らも鎧を身に着けていた。従士たちは騎士の馬に櫛を当てたてがみを結び、兵らは装具磨きに余念がない様子。

 ルリーナは比較的軽装であるため、準備もそう必要ではなかった。


「まだ槍にはいまいち慣れないのですけれど」

「近いうちに槍試合でも開きたいねー」

「……せめて、お姉さまには当たりたくないものです」


 エセルフリーダ相手に本気を出せない。という事ではない。単純に、自分の身が可愛いのである。

 彼女と矛を交らわせて、無事に済むとは思えない。前回の槍試合を見ただけでも、そう思わせるものがあった。


「何か呼んだか?」

「いえ、やっぱり鎧もお似合いですね! お姉さま!」


 磨き抜かれた白銀の鎧に身を包んだエセルフリーダが、顔を見せる。

 完全武装といった様子だが、流石に兜までは身に着けていなかった。

 こうして馬格も良い騎士馬に跨り、実戦用の鎧に身を包んだエセルフリーダは、騎士というものを体現する一幅の絵のようだ。

 というのはルリーナの評価で、ほかの者から見れば、それが特に敵であれば威圧感を覚えただろう。

 甲冑を身に着けた彼女と綿鎧をまとった騎馬の姿は、常より一回りも二回りも大きく見えた。

 鋭く天を衝く長大な馬上槍の先には、リュング伯の紋章である鷲の姿が染め抜かれた旗がなびいている。


「ほら、ルルっちもぉ」

「鎧、着ける」

「あわわわ、そんな急がなくてもまだ皆さんも」


 抵抗する暇もあれば、双子の手であれよあれよという間に装具が身に着けられていく。

 手の届かない背中のベルトが強く締め付けられ、思わずうめき声が漏れた。


「ぬー、やっぱり窮屈ですよ、これ」

「弱音をぉ」

「吐かない」

「うぐ……」


 おまけ、とばかりに兜を頭に乗せられる。

 面当てまでついたそれを身に着けたルリーナの姿を傍から見れば、頭の天辺から足先まで肌ひとつ見えず、要所要所を鉄で覆われた寸胴に見えただろう。

 もはや鎧を着ているのか、鎧に着られているのかも解らないような状態だ。


「やっぱり、ちゃんとそろえた方がぁ」

「良かったんじゃ、ない?」

「……いえ、もったいないですし、一応、この胸甲にも愛着があるので」


 そう、しかも、色こそ似せているものの、鎧のそれぞれの部分がチグハグに寄せ集めたようになっていた。

 板金鎧というのは、基本的にすべての部位を装着者に合わせてオーダーメイドで作るからこそ意味があるものだ。

 防御面を確保したまま無駄を省くことによって軽量化し、また、動作を妨げることなくスムーズに動くことができるように設えられている。

 一方で、ルリーナが身に着けているのはその間に合わせとでも言うべき汎用品だった。

 傭兵隊時代に用いていた胸甲をそのままに、籠手、肩当て、草摺り、脛当て、といったパーツを着けているに過ぎない。

 ところどころで守りがなく、徒歩でこそ動きやすいものだが、少々不安になるし、重いものだ。

 この手の汎用品の利点は、それこそ安い。ということくらいしかないものだろう。


「騎士らしく、ない」


 というのが一般的な話であり、


「でもそこがルルっちぽいかなぁ」


 というのが知り合いの見方だった。


「つまり、私は騎士らしくないと」

「うん」

「そう、言っている」


 はっきりと言われるとクるものがあるのだが、さておき。

 ルリーナ自身、らしくないというのは重々承知の上である。


「どうせ、何処の馬の骨とも知れない木っ端貴族の娘ですよーだ」


 随分と説明的な物言いだが、ルリーナが古参諸侯に揶揄されてそう言われているのである。

 まぁ、わざわざウェスタンブリアに渡ったうえで傭兵なんてやっているのだから、何か事情があるとは思うだろう。


「拗ねない拗ねない」


 ニナに兜を返す。戦に出る訳ではないのだから、重いそれを被る必要もなかった。

 軽く体を動かして、装備の具合を確かめる。ぴったり、という訳にもいかなかったが、動作に不都合はないようだ。


「姉ちゃ……ルリーナ卿、馬の用意ができた……です?」

「できました。ですね」

「で、できました」


 女王が真横に居るとなるとこの従士、バリーも動きがぎこちなくなろうというものだ。

 そういえば、アイラとバリーは年齢的にそう変わらないのではないか。記憶をさらってみれば寧ろアイラの方が年下のはずで、その割に随分な違いである。

 環境の一言で済ませるのは、難しいものに思えた。自身が子供の頃はどうだっただろう。


「ご苦労。戻って良いですよ」

「あ、ああ。失礼、します」


 ギクシャクと右手と右足、左手と左足を一緒に出す彼の姿は中々に見ものだったが、笑うのは流石にかわいそうだ。


「さって、ヘイゼル。行きましょうか」


 槍を支えに鐙に足を掛けて、何とか馬の背に乗る。どちらかと言えば這い上がる、と言った方が正しいだろうか。

 いつもより重い荷物にヘイゼルが数歩、確かめるように脚を踏み鳴らす。

 ぐっと後ろ脚を伸ばすと、いつでも走り出せると示すように一つ飛び上がった。


「おわっ、と。あなた、自分の大きさ忘れていません?」


 とても人間には出せない力に跳ね上げられ、思わず、乙女……乙女? にあるまじき声が出てしまった。

 どうしたの? と聞くようにわずかに顔を横に向けたヘイゼルは、本当に騎手が体勢を崩した理由がわからない様子。

 思わず漏れた苦笑をそのままに、不器用に編まれたその鬣を手慰みに撫でた。


「皆の準備も終わったかな?」

「どうやら、八割方は」


 アイラとエセルフリーダ、そしてルリーナが馬を並ばせる。

 女王とその騎士そろい踏み、という形だ。その後ろには鎧ではなく文官の衣装を身にまとった摂政のデレクと、その他のお付きが従う。

 ゲルダは直卒を指揮しに行っており場を離れているが、その隊は王の隊に次いで配置され、建制は高い。

 ここには居ないノルン卿の代理として、あるいは継嗣としてゲルダは軍中にあるのだが、そのノルン卿は有力とも中流ともつかず、表立っては勢力争いにも参加していないものらしい。

 良くて穏健派、悪く言えば蝙蝠のような人物であるとルリーナは読んだ。


「八割方、ねぇ」


 アイラはあくびを噛み殺し、馬上で伸びをして見せた。


「やっぱり、この人数になると時間もかかるものだね」

「どうしてもこればかりは、ですねぇ」


 装具を身に着け出発する準備を終えた者が集まり、隊列はようやくまとまりを見せ始めていた。

 これからが長いものだ。指揮を執るために改めてまとめなおし、それぞれが上位者に上位者にと指示を乞う。

 指揮官、司令官といった者に報告が上がってくるまでには二重三重の指揮系統があり、更に下命するにはまたそれを通すことになる。

 大人数での伝言ゲームのようなものだ。もちろん、実際に口から口へと伝えていれば非効率極まりなく、戦場での諸侯や騎士たちは上位者の意思を汲んだうえで独断専行を旨とする。


「もう動き始めちゃおうか」

「陛下、それは無理がありましょう」

「えー。指揮官先頭でしょう」


 どうせほとんどの準備が終わっているのだったら、報告を待たずして動いてしまえば、否が応にもついてくるしかないだろう。

 アイラはそのようなことを言っていたが、もちろん、本気ではない。ただの愚痴だ。


「ほら、姿勢を崩しませんよう。皺になってしまいます」

「暑いし、動きにくいし、鎧の方がまだましだわ」

「交換します?」

「おねーちゃんじゃ影武者には無理があるね……」

「それは残念」

 

 そうこう話しているうちに、従士隊長が歩み寄ってくるのが見えた。

 どうやらお姫様の気を紛らわせる役目は果たせたようだ。


「陛下、全隊揃いました」

「ご苦労。それでは入城と行きましょう」

「はっ」


 喇叭手が高らかに前進の合図を告げた。それと同時に、波打つように長い隊列が動き出す。

 さながら、巨大な蛇が地面をのたうつような、そんな動きだった。日光を照り返す武具の輝きは、その鱗だろうか。


「開門! かいもーん!」


 城門の前に立ったアイラが声を張り上げると、王都の門は重々しい音を立てて開かれた。

 鼓笛隊の演奏の下に、街に残っていた衛兵隊が礼を示す。


「さぁ、私の城に戻りましょうか」


 アイラは不敵に笑って見せた。そう、彼女こそがこの街の主、そして王国の統治者なのだ。


「流石に、この前の街とは大違いですね」

「本拠地だからな」


 深き森の街での歓待ぶりも見事なものだったが、王都でのそれとは比べるべくもない様子だった。

 お祭り騒ぎというのがぴったりな有り様で、中央通りに並ぶ家々の二階からは花びらなどが投げかけられる様子。

 アイラは薄く笑顔を浮かべたまま、群衆を睥睨していた。脇に控えるルリーナとエセルフリーダの役目は彼女の護衛ということだが、どれほど意味があるものか。

 彼女を支持する声に囲まれ、また、兵がこれだけ集まっている中で、下手人が飛び出てくればどうなるか。

 とはいえ、無防備に馬上で体を晒しているのだから、狙い撃ちにされれば今度は対処する暇もない。


「ここで射られたら射られたで、計画が少し変わるだけだから」


 と、アイラは言っていたものだが、まるで自身が死なないとでも思っているようだった。

 あるいは、死んでも良い、と思っているようでもある。


「馬車の中、じゃ駄目だったのですかね」

「王が自らの街に居るのに、隠れて動いていたらどう思われるものか、だな」


 正当性を印象付けたい。というのが一つ。

 堂々とした姿を見せることで、やましいことはないと見せつけるものだ。

 それこそ、こそこそと夜逃げ同然に離れて行った前王妃とは対照的に、である。


「それではせめて、鎧でも」

「この際、少しでもイメージを良くしておきたい。というのはルリーナの案だったと思うが」

「うぐ……」


 そう。それはルリーナの発案である。

 この後に待っている戦では、王都においての籠城戦となるのが目に見えている。

 そのうえで、少しでも王都の民の支持を得ておきたい。それは何も、統治者としてでなくても良い。

 アイラ本人を知っているルリーナから見ればさておき、彼女の外面は年端もいかない少女……いや、幼女か?


「おねーちゃん、何か失礼なこと考えてない?」

「めっそうもない」


 笑みを浮かべたまま、口も殆ど動かさずに此方を睨みつけている。なんとも器用なものだ。

 さておき、傍からみればまさにお飾りの女王である。子供が背伸びして健気にふるまっているように見えるかもしれない。


「見た目は可憐ですよねー」


 羨ましいくらいに白く、きめ細かなアラバスターの肌。そして艶めく長い髪は日を浴びて実った麦穂を思わせる。

 白いドレスを身にまとった彼女は人形のようでもあり、しかしどのような名工でも再現はできないように思えた。

 その中身は――。


「やっと帰ってこれたね」


 視線を持ち上げれば、城の堀を渡す吊り上げ橋が目に入った。

 王城から出る正門につけられたそれは幅も広く、重量もあるからか常には落としっぱなしになっているものだ。


「ようやく、始まりに立ったところですけれど」

「……そうだね」


 兵が整列し、城の外には群衆が集まるなか、開け放たれた城の広間の前でアイラは馬上から降りた。

 そのまま、敷かれた絨毯の上を歩いていく。ルリーナも、エセルフリーダもその横に立つことはない。

 彼女は階段を一段ずつ登っていく。その遥か奥に見えるのは、玉座だ。


「さあ、私の国を始めましょう」


 くすり、と笑ったアイラは、木製の玉座に深々と腰かけて、世界を表す宝珠に手を掛けた。


「獅子王国の民よ聞け。我こそは女王アイラである」


 空位の時を暫く置いて、玉座に王が戻った瞬間。アイラという個が王の器についたとき。

 それは王国の、止まっていた時間を進めるものだった。あるいはウェスタンブリアの時を止める堰を打ち崩す、一つの流れの奔りだったか。

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