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第八話

「この前は、ここでも襲撃を受けたのですよねぇ」

「エレインを護衛してくれた時か」

「そうですね。守っただなんておこがましいですが」


 隊列は深い森の中を進んでいた。木漏れ日が僅かに射すそこは昼なお薄暗く、下生えと苔のじめじめとした匂いがした。

 初夏も近いとはいえ、この森の中は涼やかだ。とはいえ、山の上にあるリュング城ほどではないが。

 いや、あの城の冬は本当に酷かった。高い標高ゆえの低い気温に、石造りで冷気を阻むような絨毯もない空間。

 作りとしては広々としているだけに、隙間風も相まって、寒々しいという表現が実によく似合った。

 ルリーナは毛布にくるまり、布団に籠ったまま通そうとしたものだが、その度にニナナナに放り出されていたものである。


「あれが、深き森の街ですか」

「ゲルダさんは初めてです?」

「ええ。父の領地から王都に参るにしても、通らない道ですので」


 そうなのか。そういえば、ノルンという土地についてルリーナは知らない。

 ゲルダに尋ねてみれば、どう言ったものか悩むように首を傾げ中空に目を泳がせた。


「何の変哲もない、田舎ですね。農村が幾つかあるだけの」

「ほほう……」


 それはまた、聞いておいて何だが言葉を返しづらい。ゲルダは反応を読んでいたかのように、困ったような笑みを浮かべた。


「いや、私も生まれ育った土地以外をそれほど見たことがないのもので、特徴という特徴が思い浮かばないのです」


 そういうものか。まぁ、確かに、自分で普通だと思っていることを説明するのは意外と難しいものである。

 どうしてお姉さまが好きなのか、と言われたら……いや、小一時間でも足りない。一日は話し続けられるられる自身が有る例えば――。


「ルリーナ卿、ルリーナ卿!」

「はっ」


 どうやらまた意識を飛ばしていたようだ。いつの間にか城門が随分と近づいていた。

 結局、放し飼いにされている豚が隊列に突っ込んできて数人が怪我をした以外は何事もなく街に辿りついた。


「豚の代金は払わないといけないでしょうねー」

「まさか、あそこまで危険なものだとは思っていませんでした」


 深き森の街は、その名のとおり街を囲む森を利用して栄えている。

 材木はもちろんのこと、森に放たれた豚、そしてきのこといった山で採れるものがこれを支えている。

 半ば野生の豚はもはや猪とさして区別もつかず、腹を空かせていれば何をするか分かったものではない。

 豚はおおよそ何でも食べるものだったが、森の恵みのお陰でこの土地の豚はよく肥えているものだった。


「食事くらいはする時間ありますかねぇ」


 城門の前で、兵らが足を止めていく。呼ばわるまでもなく、門衛は王女――女王の姿を認めると大慌てで門を開いた。

 街の目抜き通りには既にそこの名主を筆頭に住人らが集まっていた。


「陛下、ようこそいらっしゃいました!」


 にこにこと人のよさそうな丸い顔に満面の笑みを浮かべた名主の後ろには、手に手に何かしらを持った店主たちが続く。

 それらを取り囲むように街の住人たちが興味深げに様子を窺っており、何というか、すさまじい歓待ぶりだった。


「下がって、下がりたまえ!」

「道を開けろ! 危ないぞ!」


 従士達が隊列の脇を追い抜いていくと、群衆を抑え始めた。その中を遅々とした歩みで兵は行く。

 物珍し気に、というより楽しそうにといった様子で、街の住人らは隊列を眺めている。お祭り気分だろう。

 ルリーナは掛けられる歓声に対して左右を見渡して、小さく手を振って返した。


「いやぁ、慣れませんねぇ。こういうのは」

「気にすることもないだろう。騎士殿」


 堂々とした様子で人々の声を聞き流していたエセルフリーダが、皮肉気な笑みをルリーナに向けた。

 斯く言う彼女もあまり、見世物になるのを快いとは思っていないようだった。


「そういえば、ここの領主さんは……」

「王子派、ですね」


 言葉少なに返したのはゲルダだった。その表情は群衆からの声援を浴びても硬い。

 つまるところ現在は敵中ど真ん中、ということになる。


「その割には、皆さん歓迎的ですが」

「領主と領民が同じ考え、という訳ではないだろうからな」


 エセルフリーダがそう言うと説得力がある。前リュング伯の件でも、領民たちはその領主を良しとはしていなかった。


「まぁ、誰が王になったところで、彼らの反応は変わりはしませんか」 


 という言葉を、ルリーナは何とか半ばで飲み込んだ。ここで言う事ではないだろう。

 こうしてアイラやルリーナ達を笑顔で迎えた住人達のうち、どれだけかは次の戦で敵に回るのだ。

 思わず、奥歯を噛みしめていた。戦場では敵だとはいえ、彼らに非が有る訳ではない。

 

「今更な話ですが、ね」


 こうして生活している彼らの姿を見てしまうと、ゲルダの、平民を戦に巻き込みたくないという言葉にうっかり乗ってしまいそうになる。

 だが結局、平民の生活にしても戦に、諸侯の、国の行方に左右されるものだ。

 これから王都は包囲されるだろう。そうなれば、王都に住む人々はどうなるか。

 それを脅かすのは誰なのかを考えると、意図せずとも、誰もが加害者で被害者、そして当事者と成り得る。

 ならば、自らの意思で――。


「お姉ちゃん、これ!」

「おっとっと、危ないですよ……でも、ありがとうございます」


 駆け寄ってきた童女がルリーナに花を差し出してきたのを、馬の脚をとめて受け取る。

 彼女一人ではなくその女の子たちはエセルフリーダとゲルダにも花を手渡していた。

 鞍下のヘイゼルに顔を擦り寄せられてきゃっきゃと声を上げる無邪気な様子には頬も緩むというものだ。


「ルリーナは、子供は好きか?」

「そう……ですね。嫌いではないと思います」


 彼女らを親元に帰らせて、それを見送っていると、エセルフリーダがふと思いついたかのように尋ねた。


「そうか。となるとエレインには頑張ってもらわないといけないかな」

「それはどういう……って、いえいえいえ違います。そういうことではなく!」


 割と真面目に考えている様子の彼女に、どういうことかと思えば、二人の間に子は出来ないという話を考えているようだった。

 エレインの子であればリュング伯の跡取りとなるわけで、それはエセルフリーダやルリーナにとっても当然、無関係ではいられない。


「自分の子が欲しい、という訳ではなくてですね……」


 自らの子、というものについて全く考えたことがないものだから、どうにも口にする言葉もまとまらない。

 いやしかし、エレインの子、エセルフリーダと同じ血を分けた子供との生活について思いを馳せれば、それは実に楽しそうだと思えた。


「どうなのでしょうね。あるいは、私にできなかったことを重ねているのかも」

「……そうか」


 親の胸に飛び込んだ子供たちの嬉しそうな様子。それを見ていれば思わず口から零れた言葉にもすんなりと納得がいった。

 エセルフリーダもあるいは同じ気持ちだったのかも知れない。彼女は杳として自らの心情を明かそうとはしなかった。

 ルリーナにしても、エセルフリーダにしても、家族というものに関しては早くにそれをなくしていた。

 エセルフリーダにはエレインという妹が居て、ニナナナ達も居たものだが、それにしても、平穏とは程遠い生活だっただろう。

 手にした紫色の野花が風に揺れる。ルリーナはそれを髪に差した。


「どうでしょう。似合いますかね」

「ふっ、そうだな。鎧兜よりはよっぽど似合っている」

「それは田舎娘みたいだ、ってことです?」


 エセルフリーダと目を見合わせて、思わず互いに笑いあった。

 視線を前に戻せば、隊列は大通りを抜けて街の反対側にあたる門を抜けるところだ。

 街の中では隊が十分に展開するだけの場所がないということで、このまま一度通り抜けて城壁の外で休憩をとるものらしい。

 これだけ取り囲まれていれば、街の中では身動きすらも自由にいかない。


「いやしかし、ようやく大休止ですか」

「とはいえ、すぐに出発することになるだろうがな」


 馬上で凝り固まった体を伸ばしながら、ついついあくび混じりに変な声がでる。

 城門を抜けた先で、隊は休憩のために荷を下ろし始める。

 どうやら、街の人々が食事を振舞ってくれるようで炊事の用意に煙がそこここに上がっていた。


「どうやらまともな食事にありつけそうですねー」

「ありがたいことです」


 ゲルダと共に軽く乗馬に櫛を当てつつ、言葉を交わす。

 ここまでずっと歩いてきたヘイゼルの背は汗に濡れ、そこを掻いてやればうれしそうに首を振った。

 肉を焼き、あるいは山菜と共に煮る良い香りが、仮の屯所に広がってゆく。


「もしかして、これも平民の処世術というものでしょうかねぇ……」


 いや、疑い深くていけない。善意は善意として受け止めないと失礼というものだろう。

 しかし、これから起きる戦でどちらが勝とうと、彼らは同じように祝うのではないか。

 そう考えれば複雑な気分になる。彼らには敵も味方もなく、自らの生活の苦楽が全てなのだ。

 あるいはそれが正しい姿なのかもしれない。何のために戦に出るかと問われれば、ルリーナも自らの願いのために、という自分勝手なものだ。


「考え事ばかりしていると」

「ご飯が不味くなりますよぅ」


 エセルフリーダの葦毛馬の世話をしていたナナとニナに言われて、考え事が顔に出ていたか、と頭を振って気分を切り替えた。


「ルルっちはぁ、最近」

「難しい顔、してる」

「そうですかねぇ。このところ落ち着いているものだから……」


 剣だけ振るっていれば良い。という訳にはいかないのが昨今の次第だ。

 元より、ルリーナには隊を指揮すること以外に出来ることはないのだが、そうも言っていられない。

 軍師の真似事をさせられるのは正直、荷が重い。自身の助言が影響を与えるのを見れば、悩みばかり募っていくものだ。


「何を悩んでいるのかはわからないけれど」

「偶には気を抜かないと駄目ですよぅ?」

「ふふっ、そうですね」


 急に笑ったルリーナに首を傾げる双子だったが、彼女らの言葉は自身がゲルダに向かって言ったことと変わりがなかった。

 どうやら、彼女の事を笑ってもいられないらしい。気を張って、悩んでいても仕方がない。

 これからこの国がどうなるか、それを決めるのは女王となるアイラであるし、そのためには彼女に勝利を与えなければならない。

 畢竟、ルリーナは駒に過ぎないのだ。出来ることを出来るだけ。使い方は打ち手次第。それを思い出せば、随分と気が楽になった。


「よっし、そうと決まれば早くご飯取りにいかないと!」

「何がどう」

「決まったんだかぁ」


 呆れた、という顔をした双子に見送られながら、ヘイゼルを留めて駆けだす。


「ルリーナ卿、食事は逃げませんよ!」

「それは大間違いです。良い所は先に取られちゃいますよー!」


 ゲルダの小言もどこ吹く風。寧ろ、尻に帆をかけるようではあった。

 騎士たちの奇異なものを見る視線を浴びつつ、丸焼きにされる豚の下に辿り着いた。


「随分と豪快なものですねぇ」

「お貴族様に出すようなものじゃねぇかもしれませんが」


 袖で滴る汗を吹きながら、革の前掛けを着けた男は笑って言った。


「いえいえ、やっぱり新鮮な肉はこういうのが一番ですよ」

「そうですかい? そう言ってもらえると嬉しいですな」


 貴族的な料理というと、異様に手が加わったものが出てくるのがお約束だった。

 それは何やら伝統があるようなのだが、食べるのが専門のルリーナはよく知らない。


「料理人たちは、兎角いじくりまわすのが好きですからねぇ」


 やれすりつぶした方が体に良いだとか何とか。見目を楽しませようとして奇抜なものも多い。

 貴重な砂糖を惜しげもなく使った甘味というのも良いものだが、それは偶に食べるからだ。

 ルリーナの舌にはやはり豪快で素朴な料理が合う。大体、元の正体も知れない料理の何が良いのやら。

 切り落としてもらった豚のもも肉は脂もしたたる様で、塩だけの味付けにも実に美味そうに見えた。

 きのこのスープに堅くないパンも揃い、久方ぶりの食事らしい食事となる。


「次にまともな食事ができるのはいつになるものやら」


 自分で思っていた以上に温かく、味のある食事に飢えていたようで、楽しむ暇もあらばと掻き込んでしまう。

 胃が満たされると体も重く、動くのが億劫になってきた。一時の休息のあとには半分ほどの道が残っている。


「狭いようで、広いですねぇ」


 ウェスタンブリア、ひいては大ウェスタンブリア島は大陸と比べれば如何にも小さい島だが、歩いてみれば遥か広大に思えた。

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