第十八話
夜の内に片付けられた戦場も、一刻の内にはまた雑然とした様相を呈していた。
そこいらに転がるのは武具や人馬に限らず、それこそ何もかもが散らばっている。
ところどころから上がる火や、あるいは軍勢が立てる砂埃で、空が煙っているようにさえ思えた。
剣戟や喚声、戦場に付き物のごった煮のような音声に太鼓や喇叭の音が埋もれ、その混乱の全貌を見渡すことはかなわない。
「堪えてください! ここが踏ん張りどころですよ!」
銃兵隊が巻き込まれた戦場もまた狂乱といったもので、それは既に指揮を執るような段階ではなかった。
波のように押し寄せる敵を前にして、それを押し止めるのに精一杯である。
互いに槍を交えながら、隙を見ては銃を撃つ。各自の判断で動いていると言えば聞こえが良いが、その実は酔っぱらいの殴り合いとそう変わりはない。
このような状況でも迷うことなく動けるようにと、単純な訓練を続けた成果は確かに出ていた。
部隊は何とか持ちこたえられている。この状況では迂回など考えるべくもなく、膠着した状態は寧ろ、安全とも言えた。
槍の打ち合いこそ互いの歩みを止めていたが、この距離では外しようもなく、銃声の一つごとに敵が倒れるのすら見える。
「その調子です。敵さんは腰が引けてますよ!」
賑やかしのようではあったが、兵を鼓舞するというのが今、ルリーナにできる事の全てだ。
隊列を組んだ兵達は前列の者が倒れれば後ろの者が詰め、その繰り返しはいつ終わるとも知れない。
だからと言って、飽きるということとは無縁だ。敵もされるがままとはいかず、銃声には弩弓から放たれた矢が応じる。
隊列に綻びができれば、そこから一気に総崩れとなることは火を見るよりも明らかで、下手な攻め気を起こす訳にもいかない。
「そいつを引っ張ってけ! おい、お前、前に出ろ!」
隊列の中ではカメもまた声を上げている。負傷した一人を引きずりながら、隊列を埋めるのに指示を出しているようだった。
前線は大なり小なり誰もが傷を受けているような状況だ。背を見せればどうなるかは言うに及ばず、退くに退けない形である。
「一体全体、余所はどんな具合ですかね」
後詰めにはご老体の傭兵隊を引き連れて、この戦線にはまだ余裕がある。
騎馬の多い彼らを機動的に使えないというのは宝の持ち腐れではあったが、かといって余所に回すだけの余裕もない。
後方に座すエセルフリーダを仰ぎ見れば、泰然とした姿勢を崩すことなくそこにあった。
手を伸ばせば届きそうなところを太矢が通り過ぎるのを感じながら、ルリーナは再度、正面に向かう。
じりじりとした消耗戦ではあるが、大勢は悪くない。しかし、いつ覆ってもおかしくない戦況ではあった。
「いい加減、下がりやがれ!」
「この腐れ野郎どもが」
双方に口汚く罵りながらも、槍の応酬は続く。
時折、それを潜るようにして切り込む者もいたが、その試みは上手くはいかなかった。
耐え忍ぶという一点に限れば、銃兵隊はよく働く。あるいは、それを目的に編成された隊ではあった。
こうした応酬を延々と続けていれば、時間と言うものがわからなくなってくる。
声を嗄らしながら呼びかけていたルリーナが空を見上げれば、太陽は中天に差し掛かるところだった。
敵方の動きに変化が見えたのはその時だった。仕切り直しのためにか、僅かに引く様子が見える。
「銃兵隊、待て! 待て!」
それに引きずられて前身しようとする隊を、馬を前線に躍らせて止める。
敵は隊列を整えたまま下がっており、これに釣られてばらばらに前進をすれば、一人ずつ各個に潰される。
攻めに逸る兵の鼻面を抑えて、敵を見る。まず間違いなく、再攻撃に備えるための後退だろう。
いつまでも打ち合うという事は無理な話で、膠着した戦況を打破するためにも寄せては返し、寄せては返しとなるのが常だった。
ゆさぶりをかけて突破しようという事もあり、また、初めの一撃が最も効果を発揮するのは、歩兵も騎兵も同じだ。
「銃兵、撃ち方やめ、再装填急げ!」
だが、これはルリーナの待っていた状況でもあった。銃兵の隊列は慌ただしく動く。
槍の折れた者は後方に、次々と前線を立て直しながら、その援護の下で銃兵は何度目かの斉射のために銃を構えた。
こちらと同様に態勢を立て直す敵を前に、僅か、ルリーナは口端を持ち上げる。
「斉射用意!」
敵の指揮官の顔すら見える距離。こちらの動きに気づいたか、慌てた様子でなにか声を上げるがもう遅い。
振り上げた手をそのまま下ろす。狙うは敵のど真ん中。
「撃て!」
軽やかな炸裂音が続き、耳から開いた口までを衝撃が走り抜けるような感覚を覚える。
緊張からか体の左右を飛んで行った鉛弾さえ見えるのではないか、というほどに引き延ばされた時間。
実際にはそんなことはなかっただろう。しかし、その結果は目にも明らかだった。
「突撃ぃ!」
効果のほどを確かめる暇もあらば、あるいは馬鹿になった耳には聞こえるかも怪しいが、後ろを省みる事もなくルリーナは騎馬に拍車を当てた。
それを最後の一押しに、敵の隊は面白いくらいに瓦解した。視界の端には武器を放り捨てて背を向ける者まで見え、こうなればもう、立て直すことは不可能だ。
槍を半ば投げ捨てるようにして一人の背中に突き立てると、勢いをそのままに馬を乗り入れる。
蹄に巻き込まれた数人はそのまま、あるいは馬体に押されて倒れる者も居た。
鞘から剣を抜き放つのももどかしく、当たるを幸いに振り回す。混戦となれば長い馬上槍も取り回しが悪い。
追いついてきた銃兵達が、更に敵を追い立てれば、もはや組織だった戦闘ではなく、狩りの様相となっている。
何かに取りつかれたように、というのは逃げ回る敵だけにあらず、熱に浮かされた兵達は足を止めることなくその背中を追いかけた。
こうなればもう、止めることは出来ない。いや、止める理由もない。
その流れに水を差すどころか、さらに勢いを煽るように、ルリーナは前に立ち続ける。
また一人、振り下ろした剣が頭蓋を断った。
突撃、というのは正に戦場の華だ。一心不乱に前へ前へと進み続ける隊は、それまでの膠着から解き放たれ、正に矢のような勢いで進む。
それに引きずられて、左右の戦線も押し上げが始まったようだった。
――そうでなくては。
口中の呟きで押しとどめ、奥歯を噛みしめながら暴れる馬の背から切りつけ続ける。
一部が戦線を突破すれば、他の隊は横と後背を晒すことになるため、下がるしかない。
一方で、突破した側の隊も、友軍が戦線を押し上げなければ、そこで孤立することになる。
極一部の戦局が優勢でも、それだけでは無意味になってしまうのだから、友軍が協働するというのは良い傾向だ。
このまま戦果を拡大することが出来るとなれば、心が躍るというのが偽らざる気持ちである。
既に何人を切ったかも解らないが、刃こぼれした刀身は尚、肉に食い込むようだった。
剣を打ったのは王家お抱えの鍛冶屋と言っていたが、いい仕事をしたものだ。
正に入れ食い、とでも言った状態で、逃げる背中に追いすがり切りつけるのは愉快なもので、誰も止めなければずっと続けていたかもしれない。
「っ! 前に出過ぎ、ですか」
聞こえて来た喇叭の音。危うく聞き逃しそうなそれだったが、確かに後退を指示するものだった。
エセルフリーダの命令だろう。見れば、旗手は遥か後方に見える。
手綱を引いてヘイゼルを止めれば、彼女は荒い息を吐いていた。
いや、彼女だけではない。ルリーナ自身も気付けば息を切らしていた。
無心といった境地からもどってみれば、戦場の喧噪が耳に戻ってくる。
あるいは、負傷者、敗走する兵の苦鳴や悲鳴、怨嗟の声も。
柄を濡らすまでに血塗れとなった剣を振る。力任せに切り続けたために、刃こぼれが目立った。
馬のたてがみで拭うのも気が引けるところで、鞘に戻す訳にもいかずにもて余す。
「姉ちゃん!」
と、駆け寄ってくる従士を手で止める。敵は敗走しているとはいえ、未だに時々、矢を放つ気概を持っている者もいる。
混戦から抜けて棒立ちしていては良い的であり、逃げ惑う背中を目で追いながら、ルリーナも後退を始めた。
「撤収、撤収! よくやってくれました!」
突撃の陶酔に呑まれたままの兵達に声をかけながら、ルリーナが引き下がれば、つられて兵達も引きさがる。
率先垂範、前線の指揮を執るならば、これが一つの仕事だった。
「我々の勝利です! 女王陛下万歳! 獅子王国万歳!」
「万歳!」
敵の背に向けて投げかけるように、勝鬨を上げる。
別に叫ぶ言葉などどうでも良いものだったが、国や主、神を挙げるのがお約束のようなものだった。
突撃の際に叫ぶ、女王陛下万歳といったものも同じく、要は乾杯の声かけと同じである。
「よしよし、こんなところですかね」
万歳の声が諸方から上がる中、兵らの顔を見る。
互いに肩を抱き合うような様子であり、全体に指揮は高い。
戦というのは、詰まるところ殺し合いであり、それが兵にもたらす効果というのは、肉体的には勿論、精神的な摩耗である。
だからこそ、行いは正しかった。祝うべきことだ、と思わせる必要がある。実際、その通りではあるのだが。
殺し、殺される、というのは、多くの者にとって非常に重大なものなのだ。
「前回の件がありますから」
と、独り言ちたルリーナに、手渡された剣を藁で拭う従士が首をかしげる。
ルリーナがそのことを理解したのは、前回の内乱の時だ。多くの死傷者を出したあの戦は、ゲルダや、あるいはルリーナ自身の心中にしこりとして残っている。
その結果が彼女と演じた一騎打ちの騒動である。ゲルダとの決別に惜しむ気持ちがないとは言えない。
――自分が間違えていた。
そうは口が裂けても言えない。各々が戦勝に沸くなか、足元を見ればうずたかく骸が折り重なる。
どこかで見たような顔。そして見知った顔。それぞれに生きていた証は地に流れ、力を失った目に見つめられているような心地になり、強く目をつぶった。
彼らの死は無意味でなく、正しかった。そう、自らの行いは正しかったのである。
「よくやってくれたな、ルリーナ」
「お姉様……はい。どうでしょう。ここまでやれば、十二分ですか」
「ああ、十分だ。これ以上ない大勝だな」
それを認めてもらえるだけで構わない。エセルフリーダの声にルリーナは深い笑みを浮かべた。
震えていた指先も、どうやら落ち着いてきたようだ。
「いけませんね、感傷的になるのは」
一兵士として戦場に立っていた時には考えもしなかったことが、このところは脳裏に過る。
目の前の事に必死になれている間、生きるか死ぬかだけしか考えられないような立場であれば、こんなことを考えはしなかっただろう。
あるいは、思いの外、ゲルダとの一件が尾を引いているのか。そう考えると、自身にそのような情というようなものがあったというのは驚きだ。
「さて、いつまでもこうしてはいられませんね」
「そうだな。差しあたっては隊を再編しよう」
見れば、突撃の後で隊列も何もあったものではない。
流石に先ほどの敵が戻ってくるというようなことはないだろうが、会戦が終わったわけでもない。
今でも周辺では戦闘が続いているもので、前方に開いた穴を埋めようと敵が動いているのが遠くに見えた。
またにらみ合いに戻る訳だったが、かといって先ほどの一戦が無意味だった訳ではない。
それが証拠に、再編を終え、被害を確認するのにたっぷりと時間をかけた後にも、敵はこちらを遠巻きに見ているだけだ。
穴を埋めるために、敵がどこから戦力を絞り出したかは知れないが、確かに戦力を削ぐことには成功した。
周囲の景色も開戦当初とは違ったもので、常の行軍と比べれば微々たるものだが、前進しているのは確かだった。
「よーっし、今のうちに軽く何か口にでも入れておいてください」
意気軒高といった銃兵隊ではあったが、無傷とは言えない。当初の充足率からすれば、一割半が脱落している計算になる。
これを多いと見るか、少ないと見るかは微妙なところだったが、それだけの被害を受けているということは、無事な戦力、というのも消耗しているということだ。
突撃のどさくさに装具を落とした者もあれば、火薬や弾丸も無限に用意されている訳ではない。体力の面でも心配が残る。
敵が仕掛けてこないのならば、この間に小休止を取りたい。
革袋から比喩ではなく浴びるように水を飲みながら、ルリーナは敵方を見る。
もしも、損耗や、疲労を無視して動ける軍団が居れば、それは不死の軍勢とでもいうべきものだろう。
「ここを保持する。周囲の出方を見よう」
とはエセルフリーダの言葉で、ルリーナとしても異はなかった。口元を拭って、一つ頷く。
「そうですね。流石に、これ以上は無理があります」
全体の戦局がどうなっているものかはわからないが、ひとまずはこの戦線の維持には成功したとみて良いだろう。
突破こそできなかったものの、十分な働きはしたはずだ。後は友軍と敵の動き方次第。
ルリーナらにとっては、運任せとほとんど変わりもしない話だった。




