第十話
獅子王国軍が順調な歩みを続けていたのは、国境と接する、フォーク公の以前の領土へ踏み入るまでだった。
「転進! 前の隊に続け!」
幾度目かとも解らない指示が、あるいは伝令によって、あるいは吹き鳴らされる喇叭によって各隊へ知らしめられる。
元より、前の隊に続くしかないもので、現在の軍は長い縦列となって、今は森の中を歩いていた。
「もう言わなくても良いんじゃないですかね」
「まぁ、隊列が崩れれば、隊形変換の可能性もあるからな」
この場合の隊形変換というのはつまり、横隊、会戦時の一般的な隊形へと軍を広げることだ。
横隊を組んだ時には接敵が近い、あるいは敵を発見したということであり、衝突も近い。
街道を離れて蛇行するように動く軍は、霧の中を手探りで歩むようなものだった。
立ち寄る村々、あるいは斥候に出た騎兵の情報を頼りに、敵が居ると思われる方向へと向かっているのだ。
攻勢、防勢と言う意味では、当然、領土に踏み入られている獅子王国の側が防衛側にはなるのだが、敵の目的が読めない以上は戦場を選ぶ自由はなかった。
今のところ、敵の目的として最もあり得るものとして、王都への強襲だと仮定しても、そこから出張っている以上は敵を捕捉するしかない。
獅子王国側も多くの戦力をこちらに抽出している以上、ここで見逃してしまえば、王都は一転、危機に陥るだろう。
「うちの元帥が裏切っているなんてことはありませんよね」
うろうろと歩き回って、遅々として進まない軍勢の歩みに辟易としながら、ルリーナはぼやいた。
獅子王国に打撃を与えるのなら、ただ竪琴王国の軍勢を通すだけで良い。見失ったと言えば、疑われこそすれ、立場を失う決定打にはならないだろう。
「そのための監視役が居るから、そうはならないだろうがな」
「ああ、それもそうですね」
王子派だった元帥の監視役として、ルリーナらの直属上司であるご老体が、幕僚という形でついている。
そもそも、今更、裏切りということは考えにくいことで、ルリーナとしても本気で言ったわけではなかった。
「それに、どうにも諸侯も状況を把握しているとは言えないようだ」
「そうみたいですね」
薄々と感じていた事だ。竪琴王国に独自でパイプを持っている諸侯らも、どうにも足並みが揃っていない。
今回の戦は、竪琴王国も本気に見える。というのは、そこからも見て取れた。
以前の、リュング一帯を争う会戦では、竪琴側から事前に会戦の申し入れが行われていた。
それが通例のものであり、互いの領地を巡っての一進一退の小競り合い――と言うには規模が大きいのだが――が、このところは続いていた。
互いに納得ずくの会戦なのだから、目的は明らかにされているもので、勝利と敗北によってもたらされる結果も解っていることだ。
当然のことながら、そのような会戦であれば互いに兵力を動員し、差し向ける余裕があるもので、敵に準備の時間を与えるということになる。
しかしながら、今回の戦は宣戦の布告もおざなりに侵攻を始めているものであり、半ば奇襲、もちろん、完全に秘匿することは不可能に近いから強襲というのが正しい。
「こんな戦が以前にあったのはいつ頃になるのですかね」
「父様……父の代まで戻るだろうな。大会戦があったらしい」
「大会戦ですか」
「ああ。竪琴だけではなく、諸小国連合まで参加した大規模なもので、ここ数十年では最大だったとか」
「そういえば、この領地の先の国境って……」
「その時に緩衝地帯として定められた場所だな。幾つかの小国が潰れた跡だ」
その大会戦の結果、両国の戦は一時的に小康状態へと入ったとのことだ。
いくら戦続きとはいえ、年がら年中、休みなしにそれにかかずらっている訳にはいかない。
国力を貯めては戦をし、戦をしては国力を貯め、両国の在り方は、戦を根本にして作られている。
戦がなければ回らないというのも、一つの真実ではあった。
ウェスタンブリアはある程度の資源に恵まれているとはいえ、その富は増えすぎた人民、そのすべてに行き渡るほどではない。
領土を広げることで農地を手に入れる。それが多くの口に食物を運ぶ手段であり、そして、増えすぎた口を減らすのが目的にもなった。
誰もが口にはしなかったが、実感として、どこかで理解していることである。
「この戦争の終わりに、一体何が待っているのでしょう」
エセルフリーダは顔を前に向けたまま、ルリーナに目だけを向け、一言、そうだな。とだけ言った。
ルリーナのそれは意味のない言葉だった。ウェスタンブリアに燻る火の種は、未だ数多く残っている。
よしんば、この地が平定されたところで、続くは大陸、そして異教徒の地、更には大陸の国々は海の向こうに新天地を探している。
戦は、いつまでも終わらないだろう。それこそ、この地に人がいる限り。少なくとも、ルリーナが生きている限り、その役目がなくなることはないだろう。
「……ちょっと気分を変えてきますね」
戦を前にして、気もそぞろというのは良くない。思考を打ち切るように、ルリーナは愛馬の馬首を巡らすと銃兵達の列に向かった。
愛馬、ヘイゼルはルリーナの指示を受けて足取りも軽やかに蹄を鳴らした。迷いなどそこにはない。
「どうですか、皆さん。疲れたりはしていませんか?」
「応!」
「今すぐにでもやれますぜ!」
「早く戦にありつきたいってもんで」
「そうですか、そうですか。ま、そんなに遠くないうちに戦になりますよ」
軽く声音を作って兵らに呼びかければ、頼もしくも雄々しい声を上げて見せた。
彼らの表情には、笑みさえ浮かんで見える。意気軒高といった様子は、悩みの一つもないようだった。
ルリーナが満足気に頷いて見せると、兵らの様子を窺っていた下士達が音頭を取って、節をつけた作業歌を歌い始めた。
それに合わせて、行進の足並みが揃っていく。呼応するように、他の隊からも同様に歌が聞こえ始めた。
兵らの濁声に、韻も踏んでいない素朴な歌詞、一種単調な旋律で農作業を歌ったそれは、戦場には如何にも不似合いなはずだが、不思議としっくりと来た。
それは貴族連中や、もちろんルリーナも知らない歌であったが、農民や街の人々にとっては一般的なものらしい。
「いやぁ、お散歩気分でやすなぁ」
「気が晴れるならそれで良いですけれど」
ウェスタンブリアに来て日の浅いカメは、顔をしわしわにしながら笑って言った。ルリーナ同様、彼もこの地の歌は知らない。
大声を出せば気も晴れるだろう。黙々と歩くというのは如何せん気が滅入るものだ。目的地が解らないとなればなおさら。
目立つ行動ではあるが、そもそも、数千の軍が隠れることなど出来ようもないのだから、そこは問題にはならない。
むしろ、互いに探しあっているような状態なのだから、見つけて貰った方が良いという事まである。
「しかし、こうも見通しの効かないところを歩いていると、昔のことを思い出しやすねぇ」
しみじみと言ったカメに、何の事かとしばし考える。思い至るのにさほどの時間も要しはしなかった。
「昔、と言っても去年の事じゃないですか。そんなお年寄りみたいに」
「そうでやしたか? まぁ、細かいこたぁ置いておきやして」
「細かい事……?」
「森の中ってのはどうにも落ち着かなくていけねぇ」
「……平原の街を離れて来ましたからねぇ」
一瞬、自分の常識を疑ったが、それは忘れることにした。
平原の街、つまり王都を越えた先には、リュング城のある山脈と、丘陵地帯、そして点々と深い森があるだけだ。
街と言えるものも一つあるのだが、そこは他の街などと比べれば関所、あるいは砦と言うに相応しい場所のようである。
その名もそのままフォーク城と呼ばれているものであり、街というよりは要塞という扱いだった。
獅子王国の領土は、エセルフリーダの治めるリュング城のある山を含むリュングの山脈と旧フォーク公領、すなわちフォークと呼ばれる地域が境界線になっている。
リュングは地理的に竪琴王国との国境線として成り立っているのだが、フォークという地は、旧帝国時代初期に前線の砦として用いられた場所だ。
山脈という天然の要害から延長線上にあるこの地を防衛線にするのは理にかなった事であり、フォーク城の要塞化は自然なことだった。
ならばそこを守り、防衛に努めれば良いというのが当然の事ではあるのだが、実際はそうはいかなかった訳だ。
常であれば、そこを守るフォーク公が居る訳で、攻勢側はここを迂回しようものなら後背を突かれる危険を抱えることになる。
そのフォーク公が幽閉され統治者の決まらない、その空隙を突かれた形だった。
あるいはこの城を奪うのが順当な攻め筋なのだろうが、竪琴王国はそれよりも短期決戦を狙ったように思える。
城と言うのはいくら領主不在とはいえ、代官や近隣の諸侯、血族が居るものだから、籠城戦はできる。
そうでなければ、諸侯は遠征もできないものだし、諸侯の配偶者とはおおよそ、籠城戦の陣頭指揮をするのも仕事の一つだ。
家を守るとはそういうことだった。それこそリュング城においては、エレインが采配を握っている。
「道を外れてしまうと、どうしても視野は狭くなるものですから」
「いつぞやみたいな奇襲は受けたくないものでやすな」
そう。カメが指していたのは、以前、深い森の街で盗賊団に襲われたことだ。
往々にして悪い予感というのは当たるものだが、今回に限って言えばそれはあり得ないことだろう。
「まさか軍団相手に喧嘩を売る盗賊もいないでしょう」
「敵さんも軍団でやすからなぁ」
嫌がらせの別動隊を放とうにも、互いに位置を正確に把握できている訳ではない。
それに現状では、遅滞させたところでそれほど意味があるものではなかった。
「敵さんはこっちのこと気づいてるんでやすかね?」
「そう思った方が良いでしょうね」
竪琴王国側の軍勢は移動中であるために、報せを受けるのは遅れるものとは思われるが、初めから何の抵抗もないとは考えていないだろう。
こちらが敵の動向を知っているということは、相手も知っていると考えて然るべきだ。
「そろそろ、何処で出くわしてもおかしくはないころなのですが……」
「こんだけ派手な軍隊でも見つからないもんでやすな」
数千人というのは目前に集まれば随分な数なのだが、広い国土から見れば、大洋に浮かべた一艘の小舟を探すようなものだ。
島国であるウェスタンブリアであろうと、それは変わらない。ある程度の進軍路は推測できるとはいえ、正直にそこを進むとは限らない。
「大将、耳に入れたいことが」
「ああ、コウさん。ご苦労様です。何か動きがありましたか」
毎度のように何処からともなく、といった様子で木立の間から出てきたコウは、数人を率いて、ルリーナ直下の斥候として使われている。
勿論、徒歩の彼らは、偵察という面において、脚の速い騎兵とは比べるべくもなく、今も友軍前衛につけている状態だった。
「お仲間の目付というのも、難儀なもんだな」
「そう言わねぇでくれや。ま、お貴族様方も忙しそうだからよ」
等とカメと軽口を交わし合うコウだったが、往々にして情報というのは下まで回ってこないものだ。
現在の彼ら、コウの役回りは、獅子王国軍、友軍の動きを適時ルリーナに報告するというものだった。
「で、報告なんでやすが、どうやら敵さん、本格的に近くにいるみたいでやす」
「みたい、という事は、はっきりとは解らない。と?」
「へい。どうやら騎士の旦那が敵を見かけたようなんでやすが、数が解らないと」
ルリーナはしばし、顎に手を当てて考え込む。
今も無事に進軍を続けているということは、敵に見つかる愚は犯していないということだろうが、数が解らないと来た。
敵が分散して動いているか、あるいは、軍勢の一部だけを捉えたか。
「そいつぁ、随分と確かな話だな」
「うるせぇ、俺が見てきた訳じゃねえんだ」
そう。見てきた訳ではないのである。実際のところはいくら考えたところで解るものではない。
しばし悩んだルリーナだったが、方針を決めた。
「苦労を掛けますが、コウさん達は、またしばらく前についてください。カメさんはこれまで通り、兵の統率を」
「へい」
「応。しかし良いんでやすかい、敵さんが近いんなら戦支度でも」
「それには及ばないでしょう。近くとは言っても、今日中ってことはなさそうです」
ほら、とルリーナが指し示したのは、前を行く隊だ。
どうやら前方から徐々に足を止めているらしい。森の中、野営には向いていない場所ではあったが、ここで一旦、止まるつもりのようだ。
元より木々に遮られて仄暗いものではあったが、陽も傾き始めたところだった。
「ちょっと早いですけれど、今日はここまでですかね」
こうなると、夜のうちに動きが見られるかもしれない。
足を止めた隊のざわめきを背に、ルリーナはコウの報告をエセルフリーダに伝えるため、再度、ヘイゼルを走らせた。




