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冬の一日

 季節は冬。場所はリュング城。竪琴王国との戦乱がひと段落して、獅子王国に短い小康状態が訪れた頃のある一日。


 リュング城伯エセルフリーダの朝は早い。


 未だ陽は上り始めたばかりで、空は深い紺碧の色を湛え、星もまだ空を離れることを渋っているような頃合い。

 長いまつ毛に縁どられた、冷やかさを感じさせる切れ長の瞳を薄く開いたエセルフリーダの目の前には、まだどこか幼さを残す少女の姿があった。

 一つの寝台の上に寝ていた二人だったが、その姿はどこか対照的ですらある。

 エセルフリーダの髪が白にも近い金色でさらさらと流れるようであれば、未だ丸まるように寝ている少女のそれは栗色でふわふわとしている。

 すらりと伸び、筋肉の付いたどこか鋭さを感じさせるエセルフリーダの身なりに対して、少女は円さを残した柔らかさを感じさせるものだ。

 エセルフリーダは思わず、といった様子でその少女の頬に指を伸ばした。

 大した抵抗もなくその指は深く沈み込んだ。


「うん……? おねえさま?」

「起きたか、ルリーナ」


 起こしてしまったか、というエセルフリーダの心配は杞憂で、ルリーナはむにゃむにゃと言いながらさらに体を丸めて眠ってしまった。

 自らの髪に埋もれるような仕草で、その姿はまるで小動物のようでもある。

 エセルフリーダは微笑むと、そっと寝台から体を起こして離れると、上掛けを羽織った。

 時を同じくして、計ったように戸が叩かれた。


「エセルフリーダさま、お着替えをお持ちしました」

「うん。入ってくれ」


 戸を薄く開けて、体を滑り込ませてきたのは、肩口に揃えた赤毛の髪に薄くそばかすの浮いた健康的な肌色をした少女。

 この城で小間使いをしているニナである。エセルフリーダの家に代々仕えている出で、付き合いはそれこそ、彼女が生まれた頃からだった。

 エセルフリーダはニナの持ってきた水盆に張られた湯を使い、体を拭っていく。冬の冷気はしんしんと身に沁みるようで、思わず体を震わせた。

 寝覚めの一杯に持ってこられた葡萄酒を飲み干すと、歯磨きの練り物を擦りつけ、布で歯を磨いていく。


 静かに脇へ控え、主が要するものを都度差し出しながらも、ニナは横目でチラチラとルリーナの方を窺っていた。

 ルリーナは寝相が良いとはとても言えず、あられもない姿、というのがぴったりな有り様である。

 それにつけても、これだけ音を立てても起きないのだから打つ手もない。


 口をゆすいだエセルフリーダはニナの手を借りながら、生成り色をした男物の鎧下を着こんでいく。

 綿の詰め物が入ったそれは、鎧下と言うだけあって、金属の鎧を着込んだ時に肌との間で擦れを防いだり、緩衝になるものだ。

 最低限それだけでも防具になる事もあり、常在戦場という騎士にはふさわしいものではあるが、如何にも無骨である。


 貴族女性の正装であるドレスや、戦場でまとう金属鎧と比べれば着るのにそう人手が必要というものではないが、ニナの手を借りるということにエセルフリーダは疑問はなかった。

 彼女に対して、肌を晒すということも、とくに抵抗はなかった。

 ニナにしても同様である。貴族とその使用人というのは、近しい家族のような間柄であり、されど、横に並ぶようなものでもない。

 それこそ生まれた時から続けられていることだから、如何にも自然なことだった。


「お食事の準備もできておりますので」

「ああ、行こうか」


 ルリーナが起きるには、まだ軽く一時間はかかるだろう。

 彼女は滅法朝に弱く、冬の間は更にその傾向が強い。

 旗印は熊だが、栗色の髪に包まって寝る姿は、栗鼠が尻尾を巻いて冬眠するようでもあった。

 彼女が起きてくるまでに食事を終わらせて、文を読んでおくというのが常の流れになっていた。


「本日のご予定ですが」

「ああ、何か変わったことは?」

「特にないようです」

「そうか」


 エセルフリーダがこの地を治めてから一年。未だ領内は安定しているとは言えない。

 領地からの要望や陳情、あるいは生産量の把握から各種取り決めの制定などなど、やらなくてはならないことは山積みだった。

 しかしながら今は冬。おおよそ冬というものは、どんな活動をするにも向いていない季節だ。

 獅子王国の冬は、北部にある竪琴王国や竜王国などと比べれば厳しいものではないが、それでも他の季節と違い地の恵みなど得られないし、雨や雪が降れば物流も滞る。

 冬は兎角、家に閉じこもって春を待つものであり、一年のほとんどはこの冬を耐えるための準備にあると言っても良い。


「今日も冷えるな」


 エセルフリーダがそう呟いたのに、脇に侍るニナは静かに顎を引いた。

 獅子王国の冬はそれほど厳しくはないが、それは平地の話だ。

 ここリュング城は、獅子王国と竪琴王国、この二国を隔てる山脈の上に立っている。

 冬ともなれば雪も積もり、刺すような冷気は石の分厚い壁を抜けて部屋の中までしんしんと迫っていた。


「集まれ! お前ら、寒みいからってのろのろすんなよ!」

「応!」


 廊下を歩いていれば、城の中庭からは、そんな声が聞こえてくる。

 窓から外を見れば、数十人の兵が隊列を組み、点呼を行っている様子が見えた。

 彼らはこの場所に屯している、ルリーナの連れてきた傭兵達だ。

 それを横目に見つつ、エセルフリーダは食堂へと足を進める。


「おはようございます。お館様」


 エセルフリーダが食堂へ入るとともに挨拶の声をかけてきたのは、ルリーナの隊に居た傭兵の一人だ。

 今ではすっかりこの城に馴染み、ここにいるすべての人員に食事を供している。

 元より、村から多少の人数を雇って適当な食事を作らせていたものだが、彼が厨房に立ってからは格段に食事事情が改善されたのは事実だ。

 エセルフリーダ自身は特に食事に拘ることもなかったが、それでも質が上がることに悪い気はしない。


「おはよう、ございます」


 その料理長に続いて、消え入りそうな声を上げたのは、料理手伝いをしているまだ年端も行かない少女だ。

 おどおどと、恐れるような上目遣いをされると、少々傷つく。

 そんなに恐い顔をしているだろうか、と、ニナに思わず漏らしてみれば、今更何を言っているのか、という顔で見られたのは忘れられそうになかった。


「ああ。おはよう……」


 と、挨拶を返したころには、少女は厨房へ駆けていくところだった。

 宙に浮いた言葉を飲み込むように、エセルフリーダはしばらく立ち止まっていたが、意識を取り直して卓へと着いた。


「すみません、大したものは作れませんが」

「冬ですから仕方ないですよね」


 傭兵……ルリーナはリョーと呼んでいたか。彼とニナがそんな言葉を交わし合う。

 領主の城と言っても、リュング城伯領の台所事情は決して良くはない。

 冬ともなれば、山の上にあることを置いておいても、わざわざ足を運ぶ者はそうなく、領民と同様に貯えを切り崩して生活することになる。

 となれば、食事も相応に保存食の類が中心になる。薪に困ることがなければ、清水が大量に使えるのが良い所か。


「陛下の御容態は変わらず、か」


 久しく訪れていなかった文が届いたとのことで、その中でも特に立派な封印を押された書簡を開く。

 王都から届いたそれは、王族の印の押されたもので、前の戦で負傷した王の近況を知らせるために特に送られてきたものだった。

 端に書かれた日付を確かめれば、既に数週間が過ぎているものだが、冬ともなると好き好んでリュング城のあるこの山に登る者も居ないのだから仕方がない。

 獅子王国と竪琴王国を結ぶ最短距離の道であっても、雪の降る険しい山を越えるよりは平原を選ぶのも当然と言えた。


「あら、お姉様は今日も早起きですね」

「お姉様はやめてくれ」


 そう言って食堂へと入ってきたのは、エセルフリーダの妹、エレインである。

 その脇には、彼女の騎士であり伴侶でもあるヨアンの姿もあった。

 エレインはふわりと笑うと、卓に着いた。ヨアンもまた、控えめに端の席へと着く。

 彼はエレインの伴侶であり城伯家の一員には違いないのだが、言わば貰い婿というような形で、席次はエセルフリーダ、エレインに次ぐものになる。 

 騎士として自らの小領地を持つが、あくまでも城伯を継ぐことのない彼は、貴族の位階としてもエレインの下にある訳だった。


「村の方は何とかやっているみたい。この冬は大丈夫そうね」


 エレインは机の上に置かれた文を隅に片付けつつ、目を通していく。

 戦が連続したこともあり、冬前の貯えは多いとは多いとも言えなかったが、どうにかやりくりしているようだった。


「お食事、お持ちしました」

「頂こう」


 ニナの給仕を受けながら、食事を口にする。

 葉物と塩漬けにした肉を共に茹でたものと、城に飼われた鶏の産んだ卵を湯がいたものだけの簡素な食卓だったが、エセルフリーダにはそもそも朝食を食べるという習慣が薄いものだ。

 教会は昼と夜の食事以外を推奨はしていないし、薪も安いものではない。全体から見れば少ない出費だろうが、わざわざ作らせようという気にもならなかった。

 城、そして幾ばくかの領地を取り戻して一年。リュング城伯家としても多少、余裕が出来てきたところだ。

 食後に出された、温められた香辛料の効いた葡萄酒は、どのような調合をしたものか中々の出来栄えだった。

 これはエセルフリーダが毎日のように口にするものだった。あるいは朝はこれと二度焼きにしたパンだけで終わらせることも少なくない。

 砂糖も加えたそれはちょっとした贅沢というやつだった。


「ふぁ……おあようございまふ……」


 その一杯がたっぷりと温くなるだけの時間を置いて、寝ぼけ眼のルリーナが部屋に入ってきた。

 寝癖も残り、靴も適当につっかけただけのような姿にニナナナの二人が微妙に顔をゆがめた。

 小間使いである二人は、エセルフリーダとエレインが揃っている以上、この二人についている。

 ルリーナにも従者が居ないことはないが、彼は身の周りの世話をするような役割は与えられていない。

 まだ年若い、しかも少年なので当たり前といえば当たり前の話ではあったが。


「眠いならまだ寝ていても良いのではないか?」

「いえ、一度癖がついちゃうと起きれなさそうで……」


 ルリーナは体を震わせて、服の襟を掻きよせた。どうやら、寒さに目も覚めてきたようである。


「あ、ルルさんにも書簡が届いてますよ」

「え? 何かありましたっけ?」

「ほら、ルルさんの村から」

「あー、あーあー。そういえば」


 食事を持ってきた料理手伝いの少女にご苦労。と声を掛けつつ彼女の頭をわしゃわしゃと撫でながら、匙を口にくわえて書物を広げて中身に目を通す。

 脇に控えたニナとナナが身じろぎするのを感じる。あまりにも無作法な様子を見て、じっとしていられなくなったのだろう。

 別に彼女らが口を開いたところでエセルフリーダは気にしないのだが、そうもいかないものらしい。


「それで、何と書かれているんだい?」

「んー、何とか冬は越せそうだ。ってことみたいですねぇ」


 ヨアンに尋ねられたルリーナはそう返すと、読み終わった手紙をそのまま彼に手渡す。

 その後に匙を取り直し、猛然と食事を平らげていく。


「さって、御馳走さまでした。今日は何しましょうかね」


 エセルフリーダにすることもなければ、ルリーナには当然やることもない。

 食事を終え、書簡にも目を通し終えたエレインは、既に編み針を手に縫い物をしている。

 暖炉からは時折、薪の弾ける音が聞こえ、食堂には気だるい空気が流れていた。


「二人も下がっていい。楽にしてくれ」

「はい」

「失礼、します」


 と、言葉を受けたニナとナナは、まっすぐ部屋を出るかと思いきや、ルリーナの方へと向き直った。


「へ? 何です?」


 そのまま、二人揃ってがっしりと彼女の肩を掴むと、今度こそ扉へと向かっていった。

 困惑した顔のルリーナが助けを求めるように視線を向けてきたが、エセルフリーダは目をつむって一つ頷いて見せるだけに留める。

 やんややんやと騒ぐ声が閉められた扉の向こうから聞こえてくる。どうやら、説教のようだった。

 それを聞きながらエセルフリーダは苦笑を漏らし、角の磨り減った本を手に取る。

 これまでもこれからも、休みなど取っている暇はないだろう。偶にはやることがないというのも良いことだ。


「お姉様、またその本ですか?」

「ああ。他にある訳でもないからな」


 本というのは実に値が張るものだ。安くもない紙に一文字一文字書き写して作っているのだから当然と言えば当然と言えるが。

 エセルフリーダが今、開いているものは、少し前に流行した騎士道物語だった。

 絵図も多く、凝った装丁をされているそれは、決してエセルフリーダのような大人向けのものではなかったが、子供の頃からそれこそ磨り切れるまで読んできたものである。


「懐かしいですね、読み書きの練習」

「ああ。あの頃はまだ母様も居て、な」


 エレインが愛おしそうに指を滑らせる机は、かつてエセルフリーダとエレインがこの城に住んでいた頃から残っている家具の一つだ。

 天板に刻まれた傷は幼いころにエレインが彫刻用の小刀でつけたものだし、縁に残ったへこみは木剣をぶつけた跡である。

 今、エセルフリーダが持っている本は読み書きの練習に使っていたもので、ところどころに爪で印をつけた跡が残っている。


「昔はエレインも随分と元気なものだったが」


 エセルフリーダは人の悪そうな笑みを浮かべた。

 一方で、エレインは頬を赤く染めて、目を逸らす。


「昔の事を持ち出すのはやめて下さい」

「いや、私は騎士に向いているのはエレインではないかと思っていたものだが」

「もう!」


 エセルフリーダがリュング城伯家の継嗣として教育を受け始めたのは、エレインが生まれてからだ。

 とはいえ、エレインとの歳の差は二つだけなので、エセルフリーダも物心つく前に決まったことである。


「よく私の後ろについてきては……」


 喜んで木剣を振り回し、馬の手綱を取り、山道を駆け回っていたのはエレインの方だった。

 エセルフリーダの方がむしろ、書を嗜み、花を好んだものだが、それが変わったのはいつからだったか。


「お姉様は、強くなられましたよね」


 少し寂しそうにエレインは言った。

 貴族の嗜み、というよりも必要からエセルフリーダと共に武技戦術の類を学んだエレインだったが、今となっては剣を交えることもないだろう。


「あの頃は私も必死だったからな」


 エセルフリーダの技が磨かれたのは、目の前に負ける訳にいかない好敵手が居たから、という所も大きい。

 いつしか、ふとした切っ掛けからエレインに一本を取られることもなくなったものだ。

 それでも、油断ならない相手であるのは確かである。


「今度、また手合わせしてみようか」

「全く、そんな冗談を言って」


 二人は顔を見合わせて笑った。一通り笑った後、エセルフリーダはおもむろに口を開いた。


「エレインは、これで良かったのか?」


 領地を追われた時も、エレインは粛々とエセルフリーダに従った。

 エセルフリーダにしてもエレインにしても、与えられた役柄というのは望んだものではなかった。

 幼いころのエレインの姿を思い出すに、こうして押し込められたような暮らしを強いてしまっているのではないかという疑念を持つことがあった。


「私は幸せですよ」


 はっとするほど穏やかな笑みを浮かべて、エレインは窓から外を見た。

 そこには、ルリーナの従士と、それの相手をさせられているヨアンの姿がある。


「お姉様こそ、良かったのですか?」


 問い返されてみればどうなのだろうか。


「これでも随分、好き勝手してきたつもりだがな」

「またそんなこと言って」


 微笑を交わし、またそれぞれに本と編み針を手に取った。


「……で、何をしているのかな」

「えへ?」


 暫くの時間が経った後、エセルフリーダは本から視線を上げる。

 そこには机に張り付くようにしたルリーナの顔があった。


「従士君の方は良いのか」

「まあ、まだ私が剣を教えるより、ヨアンさんの方が向いているでしょうし」


 その言葉に納得をしてしまった。

 なお、エセルフリーダが剣を教えようかと言ってみれば、ヨアンの猛烈な反対を受けた。

 彼に剣を教えたのはエセルフリーダなのだが。


「で、そうして見られていると本を読みにくいのだが」

「いやいや、お気になさらず~」


 にへら、と笑ったルリーナを相手に溜息を吐いて、エセルフリーダは本を閉じた。

 こうもじっと見られるとどうにも集中できそうにない。


「少し散歩にでも行くか」

「はい!」


 椅子を蹴って立ち上がる彼女の姿に、ぶんぶんと音を立てて振られる尻尾を幻視する。

 エレインもまた、くすくすと笑っていた。


「まったく、ルリーナと居ると退屈しなくていいな」

「どういう意味です?」


 少し口を尖らせ、近づいたルリーナの額を指で押して遠ざけ、エセルフリーダも立ち上がる。


「そのままの意味だよ」


 とても大事な、とても平穏な、とてもありふれた、とても貴重な。

 平和な一日はそうやって過ぎてゆく。

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