第十三話
獅子王国が首都、広大な平原を擁するそこは今、静寂に包まれていた。
常ならば人通りも盛んで、活気にあふれている中央通りにも人通りは少ない。
市民たちは自らの家に引きこもり、時々、怯えた目を窓から覗かせるだけで外に出ることもなかった。
今、通りを行くのは巡回に出ている衛兵たちと、家もない者が僅かに。
「おい、じいちゃん。ここに居るとあぶねぇぞ」
「おお、おお。兵隊さんよ、そう言われてもわしにゃ行く当てもなくてな」
襤褸を身にまとい、道の端でうずくまった老人を見かねて衛兵の一人が声をかければ、老人は白く濁った目を上げた。
その焦点の有っていない瞳を向けられた衛兵は、若干の同情の色を顔に浮かべて言葉を重ねた。
「そうだな。確か、教会が場所を貸し出してるって言ってたと思うんだが」
その衛兵が傍らの同僚に尋ねるように顔を向ければ、彼はそうだ、と首を縦に振った。
「どうだ、じいちゃん。立てるか?」
「おお、すまない。手を貸してはもらえないかな」
杖を突いてふらふらと、ようやく立ち上がった老人は歩くのにも自由ではないようだった。
「おい! 気を付けろ!」
と、ふとそれまで口を出していなかった傍らの衛兵が鋭く警戒の声を上げた。
その声に思わず老人とその手を取った衛兵が首をすくめるのとほぼ同時に、何か大きいものが空を切る音が聞こえた。
すぐ後に、建物が崩れるような大きな音が続く。瞑っていた目を開いてそちらを見やれば、黒い煙が上がっているのが見えた。
先ほどまで音一つしていなかった街道に、狂騒と言っても良い声が遠く聞こえた。
「ああ、くそ! 早く消さねぇとまずいぞ!」
「けどここにじいさんを置いてく訳にもいかねぇ」
どうしたものかと衛兵の男は老人と遠くの煙の間に目を何度も行き交わせた。
「くそ、俺は先に行ってるぞ!」
「あっ、おい!」
痺れを切らせた同僚の衛兵が、火元に向かって走っていく。
「なぁ衛兵さんよ、何かあったんじゃろ? わしはええから早く行ってくれや」
「お、おう。でもよ……いや、すまねぇ! ここで待っててくれよ、後でまた来るからな!」
「老い先短い身じゃ。構わんよ、気にせず行っとくれ」
老人の言葉を受けて、暫く躊躇した衛兵だったが、何とか見切りをつけて同僚の背中を追った。
何度も後ろを振り向いて老人を気にした様子を見せていたが、何とか踏ん切りをつけて火災の現場に辿り着いた。
「……こいつは酷いな」
そこで見たのは、衝撃で上部が崩れかけ今も炎上を続ける一軒の民家。
今、王都は反乱軍とも言うべき勢力に包囲されており、彼らは思い出したように時折こうして投石機などで攻撃を仕掛けてきていた。
「衛兵さん! 何とかしてくれよ!」
「助けてくれ! 早く消さねぇと!」
近くの家から出てきた市民たちが口々に叫んでいる。
「解った! とりあえず離れてくれ! 水は、水はどっかにないか!?」
右往左往するばかりの彼らは、有体に言って邪魔になる。
あるいは彼らが手伝ってくれれば、と思うものだが、それを求めるのは酷というものだろう。
衛兵である彼ですら、火事が起きた時にどうすれば良いのかなど、知っている訳ではないのだ。
水樽を叩き割って消火の準備を整えつつ、早く増援が来ないものかと彼は焦れる気持ちを抑えきれずにいた。
※※※
「割と派手にやりますねぇ……」
街娘の変装をして王都を見て回っていたルリーナは、街の一角に上がる黒煙を眺めながら呟いた。
王子閥の軍に包囲されてから一週間と少し。初めから降伏勧告をしてきた彼らを突っぱねてからは、緩やかな包囲が敷かれている。
その間に本格的な攻撃はなかったものの、散発的に投石機で放り込まれる火球などは何処に落ちるかもわからず、対抗策を練るのも難しい。
耳元を飛び回る蠅か蚊か、その程度のいやらしさではあったが、その効果は無視できない。
市民らはすっかり委縮して家々に籠ってしまっているし、こうした火災が広まれば、街の被害は計り知れない。
そうして街が動かなくなれば外からの攻勢を待つまでもなく、内側から崩壊していくだろう。それを狙った攻撃であると思われた。
「危ない! 崩れるぞ!」
「おい、衛兵さんが一人まだ残って」
どう、と大きな音を立てて、梁や柱が燃え尽きたか家屋が潰れる。
消火を続けていた衛兵の一人が慌てて外に出ようとしていたのが見えたが、その姿は瓦礫の向こうに消えてしまった。
「痛いですね」
衛兵は王都の治安を守る役目を与えられた、獅子王国の精鋭だ。
専業の兵というのは貴重な存在で、そのような隊としては数が多いが、無駄に出来るほどではない。
一人一人の損害が重く、王が軍を出し渋り温存したがるのも理解ができる。
何年、何十年と熟練を重ねてきた兵を手に入れるには、同じだけの時間が必要なのだ。
「おい! おい! なんで、何でお前が!」
同僚だったらしい男が何事か叫びながら崩れた家に向かおうとして、ようやくたどり着いた援軍の兵に羽交い絞めにされている。
不幸中の幸いと言うべきか、早い段階で家が崩れたおかげで延焼することは避けられたようだった。
「神は居ないのか! あいつはさっきだって! 畜生!」
言葉にもならない叫びをあげている衛兵は、縛めを抜けて瓦礫に近づくと、糸が切れた人形のようにその前で頽れた。
野次馬のような市民たちはそれに声をかける事も出来ず、ばつの悪そうな顔をして離れて行く。
未だ煙のくすぶる瓦礫の山に水をかけている数人の兵だけが黙々とその作業を続けていた。
ルリーナは一人の男の嘆声に背を向けて、また街路に戻った。
「まだ、まだ早い」
低く、口の中に呟くのはそんな言葉だ。
目の前で多少の悲劇を見たからと言って、大勢には関係がない。
戦で隣の兵が倒れたからと言って、あるいは自身の隊が敗走したところで戦場がどちらに傾いているかはわからないのと同じだ。
王都は確かに包囲されていて、外との交流が断たれ、住民たちは漠然とした不安を感じているところだろう。
だがしかし、それではまだ立つには理由が薄い。
今、決起を呼び掛けたところで、彼らの消極的な態度を見るに、疑いの目を向けられるだけだ。あるいは冷笑もされるかもしれない。
「食糧は、どれだけもちますかね」
ルリーナらは、民草も食うに困れば立つだろうと睨んでいる。
その矛先が向けられるのかは、不安なところではあるが。
街を見て回っても、今のところはこれ以上に得られるものはありそうになかった。
まるで人だけが全て消えてしまったかのような音の絶えた街角に烏が止まり、こちらを見ている。
教会の言い分では、忌み嫌われるべき鳥だったか。柄にもなくそんな教義を思い出し、人知れず苦笑する。
城へと向かう石畳の街道にはルリーナの足音だけが木霊していた。
「お疲れ様です、卿」
「衛兵さんたちも、ご苦労様です」
門の前に立った兵は、すっかりルリーナの姿を見覚えたらしく、最近はもう顔を見ただけで通してくれるようになっていた。
「余り出歩かれますと、危険もあるかと思いますが」
「あら、ご心配ありがとうございます」
ルリーナは思いもしなかった言葉に目をしばたたかせて礼を言う。
とはいえ、ルリーナも騎士である。戦場に出るのが仕事であり、多少の危険は今更の話だ。
「いえ、出過ぎた言葉でした」
恥じ入るように、彼は言った。おそらく、深く考えずに口に出たものだろう。
「その、自分には卿と同じくらいの齢の娘がおりまして」
「あー、そういうことですか」
「失礼しました。騎士の方にこんなことを」
獅子王国では名目上、女性の騎士であっても男扱いという事になっている。
もちろん、実際的にはそう単純な話ではなかったが、さておき騎士を女、それも子供のように扱うのは失礼極まりない。
王の衛兵隊の者であればその場で切って捨てる、などということはないだろうが、解任されても文句は言えないことではあった。
「お許しください」
「いえいえ、気にしていませんよ。小娘なのは確かですから……」
いかに騎士だ、傭兵隊長だなどと言っても、ルリーナがまだ十代半ばの娘だということは変わらない。
そういえば今年で十七だったか、と今更のように思い出した。誕生日はもう過ぎている。
そろそろ小娘ともいえなくなってくる頃か。そういえば、エセルフリーダは幾つなのだろう。
三十は行ってないと思うのだけれど。大人びているようで、実は茶目っ気もある彼女はもしかしたら思っているより若いのかも――。
「……はっ、ま、まぁお気になさらず」
「そう言って頂けると助かります」
考え込むように黙ってしまったルリーナを前に、どんな沙汰を言い渡されるかと息を呑んでいた兵はようやく一つ安堵の溜息を吐いた。
少なくとも、まだ少女のように思われる程度には見えているというのはうれしいような小恥ずかしいようなそんな気持ちではあった。
「では、お勤め頑張ってください」
「はい。ありがとうございます」
衛兵に別れを告げて城中を歩く。
そこもまた、街の雰囲気に侵されたように静寂が支配する場所だった。
王城というのは元より静かな場所ではあったが、それでも人の気配に溢れ、穏やかな喧騒とも言うべき雰囲気に満たされている場所だった。
それが今では全く活気もなく、広い空間は寂しさばかりを助長するようだった。
僅かに聞こえるのは練兵場にも使われている中庭からの掛け声で、何とはなしにルリーナもそちらへと歩を進めていた。
「槍兵前へ!」
「ほらほら、早く後ろに下がれ!」
今、中庭で隊形の移行訓練をしているのはカメの指揮する隊である。
銃を持った兵が後方へ、槍を持った兵が前に立って隙間なく槍を構える。
それは騎兵、騎士からの攻撃を防ぐための一般的な隊形だ。銃を持つ兵と槍を持つ兵の共同。これが騎士に対抗するための、歩兵の一般的な戦術である。
銃は鎧を容易く貫くものであり、槍よりは遠距離から一方的に撃つことができる。
そして馬は尖ったものが嫌いなものだから、槍を構えていれば近づくのは難しくなる。
それに、接近戦となれば当然、装填にも時間がかかり、かさばる銃はただの荷物であり、槍兵の存在は不可欠で、互いの弱点を支えるようにしてこの二つは成り立っている。
とはいえそれは机上の話であって、騎士の持つ長大な騎上槍と、騎馬と騎士の質量による襲撃は隊列を容易く食い破るものである。
それでもその戦術が有効なのは、騎士とそれ以外の兵の価値の違いからくるものだった。
歩兵が十人倒れたところで、刺し違えて騎士の一人も倒せれば十分に過ぎる。騎士を育てるには十倍では効かない時間とそれ以上のコスト、取り換えの効かないものが失われるのだ。
「やってますねー。ご苦労様です」
「おう、隊長。お疲れ様でやす」
その後も右に左にと隊形転換を繰り返す彼らの動きは、以前と比べれば見違えるようだった。
「随分こなれてきたみたいで感心感心」
「他にやることもないでやすからなぁ」
「前もそんなこと言ってませんでしたっけ?」
「そうでやしたか? まぁ、体動かしている方が落ち着くってもんで」
彼ら傭兵隊の様子を見ると、特に不安を持っているという様子もない。
何かしらやることがあるというのは、士気を保つのに重要なことだ。
いっそ早く戦にならないものか、と思うのも同じようなものである。
「まだしばらく時間はありそうですけれど、程々にしておいてくださいね」
「応。ま、体を温めておく程度にしときますぜ」
籠城中の城内なので食糧などにも限りは有る。下手に動くと腹が減りそうなものだが、何をしていなくても腹は減るものだ。
それが倒れんばかりの運動ならさておき、軽い運動ならばただ腐っているよりましなものである。
何より、実際の損害よりも士気の崩れる方が先なのだから、それを保っているのは何にも増して有り難いものだ。
「皆さんには後で色々頑張ってもらう事になるので」
「楽しみにしときまさぁ」
軽い調子で返すカメだったが、多分、彼の思うような仕事にはならないだろう。
そうして暫く、彼らの訓練風景を眺めていると、後ろから声を掛けられた。
「ルリーナ卿! こちらにいらっしゃいましたか」
「はい?」
そこに居たのは商人然とした、裕福ながらどこか野暮ったい服装をした、恰幅の良い男だった。
「帝都のギルド長からの話ですが、王都の方で準備が大方終わりまして」
「あー! そうですか! すみませんね。理由も言えなくて」
そうだ。この男は王都の商人ギルドの取りまとめ役だった。
指に幾つも金銀の指輪をつけて、金糸銀糸や宝石をあしらった上衣が目に痛い。
「いやいや、お金さえ頂ければ我々は……もちろん、王国の為ですからね」
取ってつけたような後半は本意でもないだろう。寧ろ純粋に利益を求める姿に信用は出来た。
「あなたは王都から出なくてよかったんですか?」
「いやいやいや、私めが都から逃げるなぞ、出来る訳がありません」
どうせ、どっちに転んでも金にはなるのだから逃げる理由もないということだろうけれど。
どっちが勝っても商人には関係のない事だ。とはいえ、包囲が長引くと商売にもならない。
その中で事前に持ち込まれた大仕事は、内容はさておいて有り難いものではあった。
「でも、アレはさておき、黒に染め直した布なんて何に使うんです? いや、詮索するわけではありませんが」
「ま、時が来れば解りますよ」
納得のいかない顔をしている商人を置いておいて、ルリーナは踵を返した。
「それじゃ、引き続きよろしくお願いしますね」
「はぁ。ま、私ぁ構いませんが」
準備は着々と進んでいる。反撃の時は、そう遠くないものと思われた。




