生きた標的
日陰の斜面をくだり切ると、山と山の間。つまり谷になる。
山というのは巨大なスポンジのようなもので、雨水を吸ってたっぷりと蓄えてくれる。そこからにじみ出たものがわき水となり、流れを作って川となる。
何が言いたいかというと、俺たちは川に差し掛かった、ということだ。とりあえず岩に腰掛け小休止。ブーツを脱いで素足になり、水筒の水で足を洗う。
空になった水筒には、新鮮な湧き水を補充する。濡れた足をタオルで拭い、すぐに出発。川を渡り日の当たる斜面を登り始める。
この山にも林道がある。というか、採集者たちの本命だし木こりたちもこちらの山以降で切り出しをするから、林道があるのは当然と言えば当然。
より慎重により静かに、林道を登ってゆく。
すると棚のように平たい場所へ出る。いきなり、唐突にだ。
「マミ、この棚の向こう端まで、どれくらいある?」
またもやピリピリとした感覚。
「……四三メートルです、親分」
「右から左の幅なんてわかるか?」
「二七メートルです」
やるな、マミ。想像以上に使える娘だ。
それはさておき。鉄砲の有効射程は五〇メートル。つまりこの棚に姿を現したものは、すべて射獲できるということだ。
ケースから鉄砲を抜き出す。くの字に折って弾を込めた。まだ獲物の姿は見ていない。しかし撃鉄を起こさなければ、弾は出ない。ということで、遠慮なくくの字の鉄砲を、元に戻しロックした。
しばらく様子をうかがい、熊やオオカミの気配が無いことを確かめる。低い姿勢のまま、棚に出てゆく。
三つ葉など、極めて丈の低い植物が地面を覆っていた。そしてその植物を踏みつけ押し退けした跡がある。
鹿の足跡があった。そして、割りとフレッシュな糞も転がっている。ゴブリンの形跡は無い。
そろそろと、辺りを刺激しないように後退。マミと合流した。
「……あそこに鹿の糞が転がっていた。見てきて覚えておくといい」
マミはうなずき、身を屈めたまま棚に入る。俺は鉄砲を待機姿勢にかまえ、後に続く。
辺りを警戒しながらマミに説明した。
「鹿は山に棲んでいると思われがちだけど、本当はこういう平たい場所を好むものだ。だから牧草地帯や田畑に姿を現す」
「丸薬みたいな糞を想像してたんですけど、全然形が違うんですねぇ」
「俵型だろ? これは大型の鹿だ。マミの考える糞は、もっと小柄な鹿のものさ」
足跡を指差す。
「形をよく覚えておけ。山で見たものは、すべて猟師の財産だ」
棚をあとにする。
当然弾は抜き、鉄砲はケースにしまう。
次の棚も空振り。そこにも鹿の形跡はあったが、古いものだった。
第三の棚。ここに子供サイズの足跡があった。足骨の形状からして、人間のものではない。
ゴブリンだ。
マミを手招きする。
指を差してゴブリンの足跡だと教えてやった。
「これからは、俺のそばを離れるな」
「コクコク」
ものすごく緊張した顔だ。まあ、人間の娘とみれば手込めにするモンスターだ。それに人を一人殺害している。そんなのを素人の娘さんが相手にするのだ。怖いに決まっている。
茂みをかきわけて、足跡を追ってみた。方向からすると、第四の棚に向かっているようだ。
というかゴブリンがこんなところまで、足を伸ばしていることに驚く。明確に里山、ほとんど人里である。本来この辺りは人間が、ちょっと失礼しますよと、野生動物の縄張りにお邪魔する程度の場所である。
林道まで戻った。
「……足跡は次の棚に向かっている。フレッシュな足跡だけど、今朝方か……それ以前のものだ。おそらく寝床に帰るとこなんだろうな」
「つ、次の棚がやつらの寝床なんですか?」
「いや、ゴブリンは明るい場所や時間を嫌うからね」
「そうでしたそうでした。……となると?」
マミの視線が山の上に向けられる。
俺の考えも同じだ。
「……この山の……向こう側、ですか?」
「おそらくそうなるね。まあ、まだやつらも眠っているか動きが鈍っているかしてるだろう。この新式鉄砲があれば、問題は無いはずだ」
繰り返すが、すべて小声の会話だ。
「そうとなれば、早速襲撃するぞ。距離の測定を頼むからな」
おそらくゴブリンたちの寝床は、日陰斜面の棚にある。自然と「撃ちおろし」の体勢になる。
以前も言ったが、斜面での距離感覚はベテラン猟師でも狂う。そして鉄砲猟師にとって、距離感は命綱だ。
マミの責任は重大である。
「そこはもちろん、このマミにおおおおまかせください」
「声がふるえてるぞ、おねえちゃん」
思わず笑ってしまった。マミもつられて笑う。それで肩の力が抜けたようだ。
腰の小物入れから、噛み煙草をひと摘まみ。口の中で噛み、歯茎の外側に貼りつける。
「よし、行くか」
「はい」
忍び足の行軍を再開した。
次の棚では、より多くの足跡が見つかった。中身の抜けた木の実の殼や、かじってみた葉っぱなど、痕跡も格段に増えている。
「どうしてこんな人里近く、ゴブリンが現れたんでしょうね?」
休憩の合間、マミが訊いてきた。
「わからんね。ゴブリンならもっと大きな集団を作るはずだし。……一番ありそうなのは、ボス争いで負けたやつらの集まりだろうか?」
「ボス争いですか?」
ゴブリンのみならず、集団のボスには権利が集中する。当然力に自信のある者は、ボスの座にチャレンジする。
ボスが負けたかチャレンジャーが負けたか、それはわからない。だが敗者は群れや縄張りを追い出されることになる。
別な縄張りを作ったり、よその集団のボスにチャレンジしたり。それまで放浪の旅をすることになる。
「……大変ですねぇ、ゴブリンの社会も」
「いや、今のは当てずっぽうだ」
「は?」
「野生動物にはそういうことがある、って話。俺はモンスターの研究者じゃないから、本当のことはわからないさ」
「あ〜お〜ぅ」
あからさまに肩を落とすなよ、俺がつらくなるじゃねーか。
「だけどまんざらハズレでもないはずだ。野生動物、低級モンスターに関わらず、人間だって似たようなものだからね」
「ん〜〜……私もやっぱり、その原始的な枠組みに入るんでしょうか?」
「食料が不足したり飢えや貧困が蔓延したらと想定したら、わかりやすいと思うよ」
「あぁ……やっぱりお腹が空くのは、ダメですねぇ〜〜」
そして尾根の頂きへ。
時刻を考えると、あまりもたもたともしていられない。
日没後は夜目の効かない人間に、圧倒的不利な状況となってしまう。まして、モンスターの類は夜こそ活動的になるのだ。
この近場の里山なら、俺も地理を把握している。可能なかぎりさっさと仕事を終わらせたいところだ。
まずは棚に近い場所へアプローチ。そこでゴブリンたちの痕跡を探る。
三度の空振り。
四ヶ所目近辺で当たりを引いた。ゴブリンたちの足跡だ。個体の数は、おそらく五体。
静かに静かに、棚へ近づく。マミも極力足元の土を崩さないように、林道から斜面をおりた。
さて、どうするか?
棚を見下ろす位置。藪と茂みの向こうで、寝返りを打ったりイビキをかいたり。ゴブリンたちの気配はするが、茂みの向こうだから姿が見えない。
「親分、魔法を使ってみましょうか?」
「反応があるかもしれんな、やってくれ」
鉄砲をケースから抜き出して、弾を二発込める。薬室を密閉するためのロックの音で、ゴブリンの一体が目を覚ましたようだった。
マミが魔法を使う。ピリピリとした波が、背後から降りかかった。
これでゴブリンたちは、すべて目を覚ました。藪の向こうが騒がしくなる。
「今の距離は六二メートルです。親分、そこの木の幹がちょうど良い距離になりますね」
マミの指さす立木まで、ゆっくりと近づいてゆく。
耳栓を入れた。マミには指で耳をふさがせる。
撃鉄を起こした金属音で、茂みの向こうのゴブリンたちは大騒ぎだ。サルのように興奮している。
「距離、五三メートル。……熱烈歓迎ですねぇ、親分」
「まさにフィーバー……熱狂状態だな。……来るぞ」
茂みが揺れてかき分けられて、醜いゴブリンの顔が現れた。小枝にあちこち引っ掛かっているみたいだ。身動きが取れないらしい。
しかも後続のゴブリンが、早く行けよ! 何もたもたしてる! と後ろから押しているらしい。
「……親分?」
「何かな?」
「あんな藪、よけて通ればいいんじゃないんですかね?」
「そこがゴブリンのゴブリンたる由縁よ」
鉄砲の尻を肩に当てて、木製のストックに頬を乗せる。もう少し待ちたい。すべてのゴブリンが姿を現すまで。
わっせわっせと藪を揺するゴブリンたち。
ようやく小枝の塊がわれて、先頭の一匹が転がり出た。しばらく辺りをキョロキョロと見回している。
「……なんですぐに襲ってこないんでしょうか?」
「あくまで俺の見解なんだが、藪漕ぎに夢中になりすぎて、何のために藪漕ぎしてたのか忘れたんじゃないんだろうか?」
「さすがゴブリン。頭の悪さはピカイチですねぇ」
「容赦ないね、君……」
二匹目も苦労に苦労を重ねて、ようやく藪を抜けてきた。三匹目が通るころには、藪もかなり開いている。四、五匹目は苦もなく藪を越えて来る。
が。
やっぱり藪の周りをウロウロのたのた。藪に挑んだことでエネルギーを消費したのか、すでに落ち着いた様子である。
とにかく、敵はすべて姿をさらした。
まずは真ん中の一匹にむけて……一発!
肩に密着させた鉄砲を、身体ごと振って左端の奴にもう一発!
初矢を放った時点で、銃口から黒色火薬特有の真っ白い煙が、大量に噴出された。それはもう、一匹目のゴブリンが見えなくなるくらいだ。
左端のゴブリンを二の矢の標的にしたのは、他がまったく見えなかったからだ。