極寒に有り
森の中を歩くと言えば、木々の間を縫って歩くことを想像するだろう。実際にはそんなことは無い。低木の枝をへし折り、雪から伸びる草をかき分け、とにかく忙しく歩くのだ。
ここは人が足を踏み入れぬ世界。人間のための整備など、まったくされていない場所。歩きにくいのは当然だ。
さらに凹凸、地面の高低。こいつが歩きにくさを倍増させてくれる。おとぎ話で子供が二人、森に迷い込んでしまいました。……ある訳ねーだろ。どれだけ馬鹿なんだ、その子供? ってくらいには歩きにくい。
窪んだ場所に降りるのに仲間を手助けし、盛り上がった場所へ登るのに仲間を助ける。そうしなければ、間違いなく遭難者が出る。そして一人の遭難はパーティーの全滅を呼ぶ。そのことを理屈や経験ではなく、生々しく予感させてくれる。それが雪山猟なのだ。……俺もこんなに森の奥深くまで、冬に入ることは無いけどね。
さて、そんなことを言ってたら、ポイントが近づいてきた。
「よし、まずはデコ。ここに残れ」
「わかったわ。巻きを開始したらどっちに歩けばいいの?」
「この方角に一本、針葉樹が立っている。……わかるか?」
「えぇ、馬鹿みたいに首をグリッとひねられて視線を向けさせられれば、誰にだってわかるわ」
「あの針葉樹を目指して歩け。足元には気をつけるんだぞ?」
「わかったわ。スタートは三人一緒よね?」
「もちろんだ」
次のポイントで、サンペイを残す。
そして最後に俺のポイント。三人横並びとなったのを確認して、ポケットから噛み煙草をひと摘まみ。口の中に入れて何度か噛む。ニコチンが染み出してきたところで噛み煙草の塊を舌で移動させ、歯茎の外側に貼りつけた。
まだ待て。
夜明けにはまだ時間がある。夜行性のポイズンラビットたちは、餌場に近い寝床にまだ帰って来ていない。鉄砲を背負ったまま、俺は身動きしない。
足元から冷えが襲ってくる。最初にポイントについたデコなどは、相当寒いだろう。可哀想だが、ここは我慢してもらわなければならない。
防寒着越しに冷気が染み込んでくるようだ。今すぐにでも動き出したい衝動に駆られる。しかし忍耐。大物猟には忍耐が付き物だ。モンスター猟もまた同じ。耐えて耐えて耐え抜いて、それでもボウズなことはある。その事実にも耐えなければならない。
そうだ。この程度の苦痛に、俺は馴れていたはずだ。それに辛いのは俺だけじゃない。デコもサンペイも、待ち場に入ったライゾウもマミも、みんな同じ苦痛に耐えて、同じ目的を果たそうとしている。
横目で、空が白んできたのを確認した。
「よし! 始めるぞ!」
サンペイとデコに声をかける。背中から鉄砲をおろし、よく動かない指で空砲を詰める。木々の頂きに向けて、引き金を引いた。
「そーーれーーっ!」
「ほーーいよーーっ!」
俺が声を出すと、サンペイが応えた。デコは笛を吹き、空砲を鳴らした。
空砲は時々、一発ずつ。もしも自分たちがラビットを見つけたら、すぐに撃てるようにだ。サンペイなどはボルトアクションの単発鉄砲なので、その頻度は俺たちよりも低い。
「さーーあ! 撃つわよーーっ!」
長く宣言して、デコがかまえた。長く宣言したのは、待ち場のライゾウとマミに、頭を下げろと警告しているのだ。
銃声、二発。……そして舌打ち。デコは外したようだ。
俺の守備範囲の中でも、青いウサギが跳ねた。
「そーーら! 俺も撃つぞーーっ!」
実弾を飲ませて、鉄砲をかまえる。雪の中を歩いたので、呼吸が荒い。心臓も早鐘を撃っている。それでも撃った。もちろんハズレだ。雪の柱を立てただけ。
だが、これでいい。ラビットたちは順調に、待ち二人の持ち場へと追い込んでいる。
前方から、笛の音が聞こえた。ラビットも立ち尽くす。
「伏せろーーっ!」
マミに聞こえるように叫ぶ。
「伏せ方、よーーし!」
これはサンペイ。三人が伏せたのを確認して、デコが笛を吹く。
しばらくして、かんしゃく玉が弾けたような音がした。
もう一度、マミから笛が。俺たちは起き上がっていない。撃ち方ヨシ! デコが笛で知らせた。またしばらくして銃声。
笛と鉄砲の音が止み、森は静寂を取り戻した。
と思ったら。ピッピッピッという短声連呼。狩りの終了を知らせる、マミの合図だ。
顔を上げる。
「デコ! こっちからも終了の合図だ!」
デコが笛を吹く。
「脱包ーーっ!」
ここが大事。暴発事故を防ぐため、合流する前に必ず鉄砲から弾を抜く。
「脱包ヨシ!」
デコやサンペイだけではない。俺も声に出して、仲間に宣言する。その上で、俺とデコは鉄砲を折ったまま背中に。サンペイは薬室を解放したまま、鉄砲を背負った。
かなり遠い場所で、マミとライゾウが立ち上がる。目測で二〇〇メートルというところか。
「よし、前進! 獲物を回収するぞ! 毒を持ってるから、扱いは注意な!」
メンバー全員、互いに合流するまで足を進める。毒消し袋は俺とライゾウ、それぞれのボブスレーに分けて積んである。
「あったわよ!」
ほどなくデコが声をあげた。そこまでボブスレーを曳いてゆく。アンチポイズンの魔法がかけられた手袋をはめて、毒消し魔法がかけられた袋にラビットを入れる。
そして自分の持ち場に戻り、再び前進。
またもやデコから声がかかる。またデコのところまでボブスレーを曳いてゆく。
「なんでお前ばかり獲物を発見するんだよ? いちいち歩いてくる、こっちの身にもなってくれ」
「あら、あたしが毒にやられて可憐に倒れてもいいっていうの?」
「可憐に倒れなきゃならんのか、そこは?」
とにかくライゾウたち、待ち二人と合流。
「いやぁ、二羽ともマミ姉に獲られたよ」
「すみません、ライゾウ君」
「いや、いいってことさ」
ライゾウの言う通りだ。共同の狩猟は誰の手柄でもない。チーム全体の手柄だ。特に我々チームしおからは、その傾向が強い。誰か一人が抜けても、巻き狩りが成立しなくなる。言うまでも無いが、勢子がいなければ獲物が出て来ない。待ちがいなければ獲物は逃げてしまう。実に簡単な理屈だ。
とにかく、まずポイズンラビットは二羽。労力に見合っているのかいないのか、そんなことは猟師に関係ない。ひたすら汗を流して歩き回り、寒さをこらえながら獲物を待つ。
それが猟師というものである。
みんなで林道まで戻る。一度踏んだ跡を歩くので、比較的楽ができた。
雪に埋まった林道へ戻る間に、枯れて乾燥した小枝を折って集める。当然、一服のコーヒーのためだ。
冬の猟は厳しい。人生で最悪の体験とも言える。だがしかし、だからこそ、猟場での一服は人生でも最高のひとときと言えるのだ。
「荷物になると思ってましたが、やっぱりコーヒーのセットは必要ですねぇ〜〜……」
焚き火を眺めながら、マミが呟く。
「マミが言うと、心底そう思えるな」
「まったくで御座る。猟の緊張をほぐすものを、マミどのはお持ちのようだ」
「そうですかぁ? 私にはわかりませんけど」
そりゃそうだ。もし解ってやっているなら、それはあざといだけだ。




