オークの存在
三番目の山に入ると、急に大物の気配が濃厚になった。南側斜面だ。獣道、足跡、餌を摂った痕跡。糞もあれば寝床もある。なかなか有望な山だった。
デコは嬉々としてそれらの痕跡を読んで、この時間帯はさらに奥へと獲物が逃げ込んでいる、と結論を出していた。
俺とライゾウはゴブリンの痕跡を探し、マミはあちこち目標となりそうなポイントを選んでは、距離を測っていた。
「……ダンナ」
低い声で呼ばれた。
トチの木の下だ。ライゾウが地面を指差している。近づいて目を落とすと、足跡がある。小さな、子供のような足跡で、指の先には爪の跡が残っていた。
「……ゴブリンだな」
それも、一匹や二匹ではない。五〜六匹の集団だ。トチの実を採取したのだろう。地面に落ちた実は、ほとんどなくなっている。
ゴブリンなどは小型のモンスターだ。大食の必要は無い。冬に向かって備蓄をするような習性も無い。冬は冬で獣を襲って食料としているはずだ。
それが根こそぎトチの実かっさらって行くとは……。
「大所帯なのかな?」
「見てよ」
ライゾウが枝を見上げた。
実のない枝だ。そして先端が折られていたりする。
「枝についてた実も、全部持って行ったか」
ゴブリンはゴブリンであり、ゴブリンでしかない。つまり、あまり頭が良くなくて勤勉さも無い。枝についた実を木登りしてまで摂ることは無い。
しかし樹皮に残された爪跡は、間違いなくゴブリンのものだ。
「大所帯で食糧が必要なのはわかるが、これはちょっとおかしいな」
「何かあったのかねぇ?」
「カムイ!」
デコに呼ばれた。棚の辺りだ。
「どうした?」
行ってみると、古い血の跡があった。やはりゴブリンの足跡が着いている。わずかだが、獣の毛が落ちていた。どうやらイタチがやられたらしい。
「まだ秋がはじまったばかりだぞ。もう獣狩りかよ?」
「明らかにおかしいね」
「そういうものなの?」
山読み初心者のデコに、ゴブリンの習性から現状までを説明する。デコはちんぷんかんぷん、という顔をした。俺の説明を理解できない、というのではない。ゴブリンの行動が理解できないのだ。
「と、とにかく、ゴブリンの様子がおかしいってことよね?」
「それだけ理解できてれば、よろしい」
「もう少し奥に行ってみようか、ダンナ」
尾根まで登る。棚になっているところには、かなりの痕跡があった。シカにイノシシ、ウサギにアナグマ。食べることのできる獣の跡が、やはり先に目に入る。あとはキツネやタヌキのもの。逆に鳥の気配は薄くなっている。
やはりここにも、ゴブリンたちの痕跡が。それも、より色濃く残っていた。
「これだけの痕跡がありながら、その姿は一切見かけない」
「どういうことよ?」
「まあ、奴らは夜行性だから、というのが理由のひとつ」
「夜行性でもこれだけ数がいれば、かなり強気に出ていいんじゃない?」
「だったら強気に出られない理由があんじゃねーのか?」
そうだ、デコの意見はもっともだし、ライゾウの言うことも話が通っている。
「ゴブリンたちが身を寄せ合っているってことかしら……」
「可能性は高いな」
「親分!」
マミの声だ。
「ちょっといいですか?」
「どうした?」
行ってみると、マミは北の空を指差している。夕暮れの空だ。
いつの間にそんな時間になった?
いぶかしんでいると、今度は南の空を指差す。こちらは日が高い。もうすぐ昼になるところか。
「おかしな空模様ね」
「ライゾウ、何か感じないか?」
「あぁ、感じるね。……こいつは人間の気配なんかじゃないよ」
「そういえばさっきまでいた虫が、いなくなっちゃいましたねぇ」
マミ、お前はそんなとこ見てたのか? と思ったが本当に羽虫一匹飛んでない。まるで山全体が、死に包まれたようだ。
鉄砲に、そっと弾を込める。ライゾウもそうした。フランカも、遅れて戦闘態勢に入る。
三人ともマミに背中をむけて、彼女を守るように円陣を組んだ。
『……何をしに来た……人間よ』
地を這うような、低く重苦しい声だ。
人語を解する高等なモンスターをイメージしたが、はて? いくら山の異変とはいえ、こんな場所に高等モンスターがいる訳が無い。
これは、狐狸の類いが化かしに来たか? 山ではよく聞く話だ。
「あんまり震えるんじゃねーよ、デコ」
「茶色こそ、声が震えてるわよ」
なるほど、経験の浅い二人は雰囲気に呑まれているか……。
「二人とも、俺もこんな経験ははじめてだが、山ではよくあることだ。案外こういうのは、タヌキやキツネが正体だってのがオチになってる」
「へぇ……そりゃ面白い」
「キツネやタヌキ相手なら、怖くはないわね」
たった一言だったが、二人は落ち着きを取り戻したようだ。
しかし……。
怪異を発見した張本人、マミはどうか?
「……………………」
ふらふらっと円陣から出てしまった。夢見がちな眼差しか、いつもの糸目か判別がつかない。
「あ、こら出るな!」
と言った途端。
「えいっ」
トンボでもとるみたいに、帽子を茂みにかぶせた。
「きゃーーっ! なによこれっ! 暗いじゃない、狭いじゃない、怖いじゃないっ! 助けてーーっ!」
マミが押さえた帽子の中から声がする。ジャリ、あるいはガキ。良く言って小娘の声だ。なるほど、あれが怪異の正体か?
その証拠に空模様は通常に戻り、辺りには羽虫が飛び交った。
マミは帽子の下から手を差し入れて、声の主を人差し指と親指でつまみ出す。ほんの手のひらサイズ、ワンピースの背中から透き通った羽根を伸ばした、髪の短い生き物。
「……マミ姉、それは?」
「妖精さんですねぇ」
「妖精っ? あたし初めて見たわっ!」
実は俺も初めて見た。
……というか。
「よく見つけたな、マミ」
「えへへ、小さい頃から妖精を捕まえるのは得意だったんですよ」
だったんですよ、ってお前。お前の周りにゃそんなに頻繁に妖精がいたのか?
「何も無いところで転んだり、慣れた道で迷子になったり。そんな時は距離測定の魔法を飛ばすんですよ。すると何も無いはずの場所から、小さな反応があって。気付かれないように近づくと、こんな感じで」
いや、待てマミ。お前が何も無いところで転んだり、道に迷ったりってのは、お前個人のスキル……ボケが発動してるからじゃないのか?
ちょっと待っててくださいねと言うと、マミは眉を逆立てた。……タレ目のくせに。
「さて妖精さん」
「リンダよ!」
「ではリンダさん、いくつか質問しますよ?」
「妖精が素直に答えるなんて思わないことね!」
胸部を横からつままれて動けないクセに、妖精リンダはやたらと強気だった。
マミはニッコリ微笑みを返す。
そして妖精をつまんだ手を、上下にシェイク、シェイク、シェイク!
上下に振った手を止めると、妖精は目を回していた。
「リンダさん、これからいくつか質問しますが、素直に返答してくださいね?」
「……だ、誰がアンタなんかに……」
「勝ったのは私、負けたのはリンダ。どちらが偉いですか?」
マミはニコニコ、妖精リンダはしぶしぶ。
っていうかマミ、お前結構スパルタンなのな。
「……わかったわよ、素直になる」
「そうですよね、言うことをきいてくれたら、御褒美に金平糖を御馳走しますから」
「ホントっ?」
しおれていたリンダだが、金平糖と聞いて瞳が輝く。いわゆる「目がシイタケ」という奴だ。
「本当ですよ。素直に答えてくださいね?」
「わかったわ!」
マミは質問する。
「いたずらは良いことですか、悪いことですか?」
「……わ、悪いことよ」
「ではリンダさんが私たちにしたことは、いたずらですか? そうじゃないですか?」
「……い、いたずらよ」
「じゃあ、こんな時にはなんて言いますか?」
「……ごめんなさい」
本当の笑みを、マミは浮かべた。
「はい、よく出来ました! 親分、リンダさんを許してあげますよね?」
「お? おう!」
突然ふるなや、心の準備ができてねーだろ。
「じゃあリンダさん、何故あなたはこんないたずらをしたのですか?」
「仕方ないじゃない! アタシたちの縄張りを守るためだもん!」
「縄張りを守るって、あなたたちの縄張りを荒らす者が、いたのですか?」
「ブタの化け物よ! あいつら大勢で群れを作って、ゴブリンや妖精の縄張りを荒らしまくってんのよ!」
ブタの化け物? それでいてゴブリンや妖精の縄張りを脅かす存在……。オーク、豚面人躯のモンスターか?
人の体躯と言ったが、体格は人類の戦士や力士を凌駕する。もちろん全身の力、パワーもはるかに上だ。そんなもんが群れを作ってるなら、ゴブリンの比ではない脅威だ。
「リンダさん、そのブタの化け物はどのくらいの数が集まっているんですか?」
妖精は手の指を折った。そして、器用に足の指も折った。そして……。
「これより多かったよ!」
つまり、二〇頭以上の群れを作っている、ということだ。




