エルダさん、ふたたび
翌朝、というか未明。
目を覚ますとライゾウの姿はなかった。
昨夜は散々肉を食らい酒を食らいして、ベロンベロンになっていたので、俺の部屋に泊まらせたのだ。
窓から外を見る。湯屋の早朝営業が始まっていた。そこから湯上がりのライゾウが出てきた。昨日の酒を抜いてきたらしい。なるほど、単独カモ猟の自覚はしっかりしていたようだ。
マッチをすって煙草に火を着ける。酒臭い息とともに、煙を吐き出した。
階段をのぼる音が、遠慮がちに。そしてドアが静かに開いた。
「オス」
「あ、カムイのダンナ。もう起きてたのかい?」
ライゾウは少し驚いた顔をする。
「猟師だからな、眠たくても目が覚めちまう。お前こそよく起きられたな、あれだけ酔っぱらっていて」
ライゾウは真っ白い歯を見せた。
「それこそ寝てなんかいられないよ。今日はオイラの初陣なんだからね」
「すまんな、一緒に行けなくて」
「心配いらないさ、オイラも親父の後を散々ついて回ったんだから」
煙草を消して、二人で一階に降りる。工房にはすでに灯りがともっていた。マスターきららが朝の儀式をこなしているようだ。歌が聞こえてくる。そしてキッチンにも火が入っているようだ。煙突から煙があがっている。
工房裏口から屋内へ。
「おはよう、マミちゃんがコーヒー淹れてくれるそうよ」
マスターきららが言った。キッチンの方から鼻歌が聞こえてくる。上機嫌な鼻歌だ。
キッチンに入ると、猟服のマミの後ろ姿。まったくの無防備である。しかし、背筋の伸びた後ろ姿からマミのスタイルの良さが、猟服越しにも伝わってくる。
「あ、おはようございます」
俺たちの気配に気づいたか、マミが振り返る。
「おう、おはよう」
俺は返事をしたが、ライゾウはポカンと口を開けている。
「どうしました、ライゾウさん?」
「あ、いや……なんでもねぇ。……おはよ」
テーブルに着くと、三片のビスケットが出された。軽く済ませる、猟師の朝食だ。本格的な朝食は、朝イチを終えてから摂る場合もある。
それから、マミの淹れてくれたコーヒー。ライゾウはミルクと砂糖をたっぷり、俺はブラックのまま。
ライゾウの砂糖とミルクを、まだまだ子供と笑うなかれ。寒い早朝に出かける者の体を暖めて、動き回る際に胃袋の負担にならない栄養補給なのだ。
そしてビスケットも、負担にならない少量に抑えられている。
「オイラがカモから帰る頃に、二人は出かけるんだよね?」
ライゾウはビスケットを口に運ぶ。
「そうなるな……。そしてライゾウが夕方猟に出るくらいに、俺たちが帰ってくることになるかな?」
「一日別行動か……」
「いや、後れ馳せながら夕方猟には付き合いたいな。やっぱり一日一回は、弾を抜いておきたい」
俺くらいになれば一日二日猟に出なくとも、カンが鈍ることはない。しかし、マミには場数を踏ませてやりたい。
朝はマヌエル氏に集中するため出猟を断念したが、肩の荷がおりた夕方ならば是非とも出かけたいところだ。
「それじゃ予定に過ぎないけど、北の岬辺りにデコイを仕掛けておくよ」
「変更になっても、俺たちが探して追いつくようにする。移動のときは脱包を忘れずにな」
ライゾウは出て行った。なかなか立派な後ろ姿である。山や森を知り尽くした、ベテランの風格が漂っていると言うべきか。
「さて、親分。私たちはどうしましょう?」
「コーヒーのおかげで、眠気も吹き飛んだな。このまま起きてるか」
ということで、猟服の洗濯やら準備やら。ついでに朝風呂で酒を抜いて、約束の時間に備える。
早目に店出て、ギルドに向かう。ガイドの仕事とはいえ、鉄砲持参だ。安全な場所での試験とはいえ、用心にこしたことはない。
約束の時間より早く、ギルドに到着。受付の係員に聞くと、マヌエル氏はまだ来ていないらしい。当然といえば当然の話だ。
しかしそれほど待つこともなく、マヌエル氏は荷馬車で現れた。お嬢さんであるエルダさんも一緒だ。
それに、荷馬車にはちょっとした釜戸とワインが用意されている。ポーター……つまり現地でキジを料理する使用人も同伴だ。
俺たちがその料理に授かることはないが、なかなか豪華なキジ猟になりそうだ。
それと……。
なにやら見覚えのある姿が。
ツバの広い帽子にエプロンドレス。前髪で顔の半分が隠れた、小柄な娘っ子。
「……マスターきららそっくりな人がいますねぇ」
「この世にあんなのが、二人も三人もいるのかい」
「きらら本人ですよ、私は」
おぉう、なんてこった。本人登場かよ? つーか「あんなの」とか言っちゃったよ、俺。
「マヌエル氏もエルダさんも、マズルロード(先込め式)の鉄砲なのよ。ゲストを火薬だらけにする訳にいかないじゃない」
ということで、弾込め係兼いざというときの修理屋として、マスターきららが呼ばれたそうだ。
さらには犬係。やはりキジには犬だ。よく仕込まれているのか、無駄吠えはまったくしない。
「はじめまして、カムイさん。油問屋のマヌエルです」
金持ち特有の、人を見下したようなところは無い。マヌエル氏はなかなかの好人物と言えた。
「こちらこそはじめまして、鉄砲猟師のカムイです。今日はよろしくお願いします」
こちらも頭を下げる。そして助手のマミを紹介。マヌエル氏もエルダさんを紹介してくれた。
当たり前のことだが、先日のワンピース姿ではない。鳥撃ち帽子にジャケット、乗馬ズボン。いずれも茶系で迷彩とも言えるカラーリングだが、新品なのだろう。着こなし感がまるでなく、ぶかぶかに見えるところが可愛らしい。
くるぶし丈の革ブーツも茶色だが、ズボンの裾を隠すように伸ばしたソックスは深紅である。紅葉盛る山間ではこれもまた迷彩となるが、農村部のボサをメインにしたキジ撃ちでは誤射防止の目印になる。
ジャケットの下のブラウスは真っ白で、スカーフも赤を選んでいた。これら猟服とはいえ正装に近い姿は、狩猟……生き物の命を奪うこと、あるいは獲物となる生命に対する敬意の現れである、と推察された。
猟服のコーディネートはマヌエル氏なんだろうな。
漠然とそう考える。なぜならマヌエル氏もまた、正装に近い猟服だからだ。
彼らは狩猟に対して真摯である。
その判断が、彼をより一層好人物に見せてくれた。
「今日はどちらへ案内してくださるのかな、カムイさん?」
「南の農村部へ。先日下見をしたところ、鳥影が濃厚でしたのでね」
ほう、と感心したように眉を上げる。鳥影が濃厚という部分に感心したのではない。下見をしたことに感心したようだ。
マヌエル氏に対する好印象が、さらに得点を重ねる。今や俺の中でマヌエル氏は、赤丸急上昇だ。
「序盤はコジュケイにチャレンジしていただきます。それから林道に入りハトにアタック。最後は畑から離れますが、人里から距離のあるボサにこそ、キジはひそんでいます。こいつをいただいて農道に戻りましょう」
俺の説明の最中で、マヌエル氏は気分が盛り上がってきたようだ。鼻息荒く頬に赤みが差す。
おっさん、試験だってこと忘れてんじゃねーのか?
好意をもって気安い感想を持った。
ポーターが御者を兼任する。荷馬車はゆっくり動き始めた。俺とマミが先頭を歩く。続いて犬係。マスターきららはその称号に敬意を払ってか、荷馬車の人であった。
秋晴れの空が清々しい。風も穏やかで、今日は鉄砲の吹き上げる白煙が、よく伸びるに違いない。
自分で獲物を追いかけるのも好きだが、他人の射撃を拝見するのも好きだ。特にこんな秋晴れの日は格別なのだ。黒色火薬の出す煙がよく映える。
「さて親分、私たちは今日の試験、合格できるでしょうか?」
「さあねぇ、合格できれば大きな収入につながるけど、不合格でも地道にカモ撃ちしてればちゃんと稼げるさ」
「いいんですか、そんなことで?」
「もちろん猟果があがるに越したことは無い。だけど一羽のカモ、一羽のキジに必死になって危険な真似をしてはいけない」
それこそ取り返しのつかないことになる。
「俺たちは猟師だ。命のやり取りは日常のこと。だからこそ、奪った生命は二度と戻らないと肝に命じておかなければならない」
他人を危険な目に逢わせてはいけない。
自分を危険な目に逢わせてもいけない。
一回の猟がボウズでも、あせるな腐るな慌てるな。
山は逃げたりしない。
獲物を見つけることを俺たちは、「出会い」という。このことは話しただろうか?
これはベテラン猟師でも初心者でも同じこと。
獲物とは「出会う」ものであって、「自分たちが探し出した」ものではないのだ。山に対して謙虚であれという教えが、この言葉の中に秘められている。
すべては山の神さま、森の神さまの思し召し。
だから猟師は、あせって引き金を引いてはならないのだ。




