変わってゆく世界2
夜になる前に、わたしは靴を自分の部屋に隠しておいて、家族が寝静まった頃に靴をはいて、わたしは窓から飛んで学校に向かった。飛んでいる時に、大切な親友が二人も奪われたあの日を思い出したけれど、わたしは出来るだけ何も考えないようにした。
飛んでいると、春の初めの冷たい空気が、とても体に染みる。もう少し厚着にしてくるんだったと少しだけ後悔する。
飛びながら何となく下を見ると、いつも登校で使っている学校に続く道路に、パトカーが沢山止まっていた。通行止めにしているみたいだった。お母さんは明日から殺人犯の捜索が始まるって言っていたけれど、何だかもっともっと大変な事になっているように見える。パトカーで道を塞ぐなんて、どう考えても普通じゃない。あの化け物は、わたしが聞いているよりももっと多く人を殺しているのかも。
わたしはパトカーのずっと上の方を通り過ぎて、学校の校庭に向かって急降下する。そして無事に着地、さて、これからどうやって化け物を探そう?
わたしが真っ暗な校庭の真ん中で考えていると、遠くの方から変な声が聞こえてきた。耳にすごく心地よくないその声は、人の声と猫が威嚇する声が合わさったみたいで気持ちがわるい。忘れようとしても忘れられない、あの化け物の声だ。あいつの方からわたしを見つけてくれた。校庭にある街灯の下にあいつが来ると、そのおぞましい姿がはっきりと見えた。わたしが魔砲で落とした右腕はない。
わたしは化け物に手に平を向けて、いつでも魔法が撃てるように身構えた。
「シャギャーーーーっ!!!」
化け物が恐ろしい叫び声をあげた後に、わたしに向かって前屈みになって走ってくる。獣みたいに速い。わたしは化け物を狙って、手に平から魔法の光線を撃った。それは化物の足に当たって、腿の辺りを少し削り取った。その途端に、あいつはすごい勢いで転んだ。その時に頭の後ろが見えて、そこに向日葵ちゃんの片方のお下げの髪がそのまま残っているのが見えた。それを見たわたしは、化物が倒れている今がチャンスなのに、次の攻撃がなかなかできなかった。
「違う! あいつは向日葵ちゃんじゃない! わたしから向日葵ちゃんを奪った化物なんだっ!!」
わたしが迷いを振りきって攻撃した時、化物はジャンプして魔法の光線を避けた。
「え?」
信じられなかった。ものすごいジャンプ力で、あいつは倒れていた場所から一気にわたしのすぐ近くに下りてきた。
「うあああぁっ!?」わたしは恐怖を感じながら、魔法を撃ちまくったけれど、それがまったく当たらない。「嫌だ、こっちこないで!!」
わたしはもう何の為に化物を倒しに来たのか分からなくなっていた。ただ怖くて怖くて、必死になって魔法の光線を撃った。でも当たらない。化物は、ものすごい速さでわたしの目の前まで来て、長い爪が付いた左手を叩きつけてくる。わたしはもう確実に殺されると思った。わたしは化物の攻撃を防ぎたいという一心で、無意識に手を前に出していた。すると手のひらから出た魔法陣が大きくなって壁になった。間一髪で、魔法のバリアが化物の攻撃を防いでくれたけれど、衝撃は凄かった。
「きゃあぁーーーーーっ!!?」
化物の攻撃で吹き飛ばされて高く舞い上がったわたしは、飛ぶことも出来ずに背中から地面に叩きつけられてしまった。体を潰されるような衝撃で、わたしは息ができなくなって吐き気がした。
「げふ、かはっ、うえぇぇっ!?」
わたしは涙を流して、蛙みたいに鳴いた。苦しくて苦しくて仕方がなかった。でも、死にたくないから、頑張って立ち上がる。化物はすぐそこにいるんだ。
夜空に響くくらいに化物が物凄い声で叫んだ。わたしは思わず耳を塞いだ。怖くて体の震えと涙が止まらない。わたしは自分がどんなに馬鹿だったか思い知らされた。ちょこっと魔法が使えるだけの小学生の女の子が、あんな化物に勝てるわけない。化物退治なんて、気取ってこんな所まで来た自分がすごく恨めしい。
「ギャシャーーーッ!!!」
化物がこっちに向かって走ってくる、わたしを食べにやってくる。わたしにはもう戦う気力なんてなかった。わたしは化物に背を向けて、夜空に向かって舞い上がった。宙に飛んでわたしは化物から逃げ出した。
それからわたしは学校から少し離れた所で止まって、空中で心を落ち着けた。凄く怖かったけれど、ここなら安心だ。
わたしはほっとしていると、後ろの方から変な音が聞こえてきた。アニメなんかでありそうな、鳥か何かが羽ばたいているみたいな音がする。それがどんどん近づいていた。わたしの全身に寒気が走った。まさかと思って後ろに振り向くと、嘘であってほしいと願ったものが、本当にすぐ近くまできていた。聞いているだけでも震えが止まらなくなるすごい雄叫びを上げながら、すっかり安心して油断していたわたしに向かって、背中に翼を生やした化物が手を伸ばしてきた。
「いやぁーーーーーっ!!?」わたしは物凄い勢いで前に向かって飛び出した。その瞬間に、化物の長い爪の先が、わたしの足にほんの少しだけ触った。もう少しで捕まるところだった。「そんな、そんな、こんなのってないよ!? 酷すぎるよ!?」
わたしは化物が空を飛んで来てまで追いかけてきて、わけが分からなくなった。どうやったら逃げられるのか全然分からない。頭の中はもう滅茶苦茶だったけれど、隠れる所がない空中にいたら、どこまでもあいつが追いかけて来る事だけは分かった。だからわたしは、学校の裏山に向かって急降下した。下は暗くてよく見えないけれど、化物から逃げたい一心でわたしは降りて行った。すると、いきなり木の枝とか葉っぱが襲ってきた。
「きゃっ!?」林に突っ込んでしまったわたしは、木の枝に体中を引っ掻かれた後に、結構凄い勢いで地面に落ちて積もった枯葉の上を何度も転がってしまった。
「いった……痛いよぅ……」わたしは全身が痛くて泣いたけれど、それでもすぐに立ち上がった。それと一緒に、わたしのずっと後ろの方で何かが墜落してきて物凄い音がして、わたしの足にもその振動が伝わってきた。
「いやだ!! もう嫌だ!! 誰か助けてっ!!」わたしは心が折れそうになりながら逃げた。後ろの方に落ちてきたのが化物なのは確実だ。今のわたしに出来るのは、捕まらないように逃げることだけ。
わたしは真っ暗な裏山の中を枯葉を踏みながら必死に走り続けた。わたしの後ろの方から、枯葉を踏みつける別の足音が近づいている。あいつが追いかけてくる。わたしの頭の中に、化物に食べられて死んでしまった百合ちゃんの姿がはっきりと現れた。
「いやだ、食べられたくない!! あんな死に方はいやっ!! 助けて、助けてお母さんっ!!!」こんな所で誰かが助けてくれるはずなんてない。でもわたしは、叫ばずにはいられない。「助けて、誰か助けてよーーーっ!!!」
後ろから来る足音が、どんどん近づいてくる。
「シャーーーーッ!」
足音だけじゃなくて、化物の声も近づいてくる。わたしは真っ暗な林の中を走る。学校の裏山は、よく向日葵ちゃんと一緒に遊んでいた場所だから、どこに何があるのか何となく分かる。だから、道になっているところをうまく選んで走り続ける事ができる。もう胸が破けそうなくらいに苦しいけれど、止まるわけにはいかない。止まったら食い殺される。足音はもうすぐ後ろまで迫っている。わたしはもう駄目だと思ったけれど、先の方に白い光が見えた。わたしは最後の力を振り絞って、無我夢中で走った。わたしは林を抜けて凄く眩しい光の中に飛び出していた。
「誰だ!?」
光の中から男の人の声がして、わたしは立ち止まってしまった。
「女の子だぞ!」
大人の男の人が三人、わたしのところに走ってきた。みんなお巡りさんだった。向こうの方でパトカーの赤いランプがちらちら光っている。わたしを照らしている眩しい光は、車のライトだ。
「君、どうしたんだい?」
「あ、あう、ああぁ……」
わたしは息が苦しいのと体が震えてうまく声が出ない。
「怯えているみたいだぞ」
「お嬢さん、この辺に凶悪犯が潜んでいるかもしれないんだ。こんな夜中に出歩くのは危険だよ。家まで送ってあげよう」
「ああ、だめ、逃げて、早く逃げて! 来る、あいつが来るっ!!」わたしは必死に訴えようとした。あれは普通の人間じゃ倒せない。だから逃げてって何度も言った。けれど、お巡りさん達は首をかしげていた。
「何があったんだい? ちゃんと話してごらん」
「ウシャーーーッ!!」
化物がいきなりすぐ近くの林から飛び出してきて、わたしに優しく語り掛けていたお巡りさんのお兄さんにとびついて、首に噛み付いた。何本もある長くて鋭い牙が、お巡りさんの首にどんどん埋まっていく。
「うがああぁーーーーーーーーっ!!?」
人がそんな物凄い声を出すのを、わたしは初めて聞いた。お巡りさんは白目になって血を吐きながら叫んでいた。そして、化物はお巡りさんの首の肉を半分くらい噛み千切った。肉が引き剥がされたところから白い首の骨が見えて、お巡りさんは物凄い量の血を吐いた。
「うあぁーーーーっ!!?」わたしはその恐ろしい光景から目を背けて、また逃げ出した。
「何だこの化物は!?」
「う、撃て撃てっ!!」
わたしの後ろから何回も銃を撃つ音が聞こえたけれど、それがすぐに人の悲鳴に変わった。わたしはお巡りさんが襲われている間に、化物から逃げることができた。
わたしは夜の公園まで逃げてきた。そこはわたしの家から歩いて二十分くらいのところにある公園で、小さい頃によく百合ちゃんと向日葵ちゃんとわたしの三人で遊んでいた場所だ。すぐ近くに川があって、川の周りには桜の木がたくさん植えてある。毎年春になると、向日葵ちゃんと百合ちゃんと一緒に満開の桜を見て感動していた思い出の場所。わたしはそこで力尽きた。
「もう、動けない……」わたしは公園の真ん中に立っている大きな木の横に座った。足がとっても痛いし、息も苦しい。もうこれ以上は逃げられない。顔を上げると、公園の片隅にある滑り台とブランコが、電灯に照らされて薄く光っていた。わたしはそこに、ずっと小さい頃のわたし達の姿を見ていた。小学校一年生くらいのわたしと向日葵ちゃんと百合ちゃんが滑り台やブランコで楽しそうに遊んでいる。きっとそれは幻覚なんだけれど、本当に目の前で向日葵ちゃんと百合ちゃんが遊んでいて、声もはっきり聞こえる。わたしの目から涙が溢れて零れた。
「百合ちゃん、向日葵ちゃん」
わたしは思い出に向かって手を伸ばした。この手が大切な大切な友達に届いてほしいって本気で願ってた。そうしたら、滑り台の横に出てきた変な人影に思い出が壊された。気持ちの悪い息遣いと声がわたしの耳に触る。それはこっちに向かって歩いてきて、電灯の光の下に出てきて姿がはっきり見えた。あの化物だった。
「う、うあぁぁ…………」
わたしにはもう逃げる力が残ってない。だから、後は泣きながら殺されるのを待つしかなかった。化物は手に丸っこいものを持っていて、それにまるでリンゴでも食べるみたいにかぶりついた。化物が何かを噛み砕いて食べる気持ちの悪い音で、わたしはもっともっと怖くなった。化物が少しずつ近づいてくると、手に持っているものが何かはっきり見えた。人の生首の濁った目がわたしを見ていて、化物が食いちぎった頭の上の部分から赤くてどろっとした物が流れ出ている。
「いやーーーーっ!!? もう嫌だ、怖いよう、死にたくないよう………」
わたしは化物に来ないでほしくて、手を前に出していた。化け物は、手に持っていた生首を捨てて、叫び声をあげながらわたしに向かって走ってくる。わたしはもう駄目だと思って目を閉じた。その時、わたしの目蓋の後ろ側に白い羽みたいなものが舞っているのがちらりと見えた。目を開けると、わたしは信じられないくらい冷静になって、どんどん近づいてくる化物を見ていた。何がどうなっているのかわ分からないけれど、わたしの目は化物の首の部分だけを見ていた。まるで、望遠鏡で拡大しているみたいに、化物の首の付け根の辺りが見えている。わたしはそこに向かって魔法を放った。白い魔法の光線が、化物の首に当たるのと一緒に、首から上が真上に吹き飛んだ。走っていた化け物は凄い勢いで転んで、首のなくなった部分から水道の水を流すように凄い量の血を流していた。上に飛んでいた頭の部分が、その近くに落ちて転がった。わたしは何が起こったのか分からなくて、しばらく木の横に座ったままでいた。どうして化物が倒せたのか、全然分からなかった。そして、化物の死体から目を背けることが出来なかった。わたしはとても怖い事を考えていた。
「もしかして、わたしが魔法を使えるようになったのって、この化物と戦う為なの……?」
こんな化物が他にも沢山いて、わたしはそれと戦わなければいけないのかもしれない。もしそうだとしたら、魔法少女になんてなりなくなかった。神様は本当に残酷だ。