日常と非日常の逆転2
その夜、わたしは百合ちゃんの家にお泊りすると言って家を出た。向日葵ちゃんも同じ理由で家を出ているはずで、百合ちゃんは、向日葵ちゃんの家にお泊りという事にしているはず。
わたし達は懐中電灯を持って三人で近くの公園に集まって、暗くなるのを待ってから学校に向かった。
わたしたちは夜の学校についた。夜の学校ってすごく不気味だ、遠くから見てるだけでも何か出そうな感じ。でもわたしは全然怖くなかった、いざとなったら魔法があるもの。向日葵ちゃんも凄く元気だった。
「校門はカギがかかってるからな、こっちだ!」
わたしたちは向日葵ちゃんに続いて、学校の横のほうに回った。そっちの方に金網が少し破れているところがあって、そこから簡単に学校の中に入れるの。それは学校の生徒の間で秘密の通路として使われている。
「向日葵ちゃん、どうやって学校の中に入るのです? 入り口も窓も鍵がかかっていると思いますわ……」
そう言う百合ちゃんは本当にこわがりで、ずっとわたしの服を掴んでいる。
「帰りにトイレの窓の鍵を開けておいたからさ」
わたし達は暗い中をこそこそとトイレの方に向かって歩いてる。なんだかとっても怪しい三人組だ。わたしは見回りの先生が鍵をまたかけているんじゃないかと思ったけれど、トイレの窓は簡単に開いた。向こう側は暗くて何も見えない。
「よし、行くぞ!」と向日葵ちゃんが勢いよく真っ黒な窓の向こうに入っていく。
「わたくし、やっぱり行くのやめようかしら……」百合ちゃんが迷っていると、向日葵ちゃんの手が窓の向こうから伸びてきて、百合ちゃんの手を掴んだ。
「今更、何言ってんだ! 早く来いよ!」
百合ちゃんは向日葵ちゃんに引っ張られて、仕方なくという感じで中に入った。最後にわたしがトイレの窓に飛び込む。中はまっくらで何にも見えなかった。向日葵ちゃんが懐中電灯を点けて、わたしも同じように懐中電灯で中を照らした。なんだか探検隊みたいでわくわくしてくる。百合ちゃんだけは懐中電灯を点けないで、わたしの腕に抱きついていた。
「百合ちゃん、そんなにくっついたら歩きづらいよぉ」
「夜の学校は怖いですが、こうしているととっても幸せな気持ちになりますわ~」そう言う百合ちゃんの温かい息がわたしの耳にかかる。
「うわぁ、何か百合ちゃんが危険なモードになってる!?」
百合ちゃんの危ない癖は、相手が可愛ければだれかれかまわずに発動するのを忘れてた。
「ちょっ、ちょっと、百合ちゃん少し離れてよ」
「まあ、りこちゃんたらつれないですわね。わたくしと貴方の仲ではありませんか」
知らない人が見ていたら、変な妄想されそうだ。
「おい、何やってんだよ! 早く行くぞ!」
向日葵ちゃんがトイレの入り口で、わたしたちを懐中電灯で照らしてとっても眩しかった。それから廊下に出ると、向日葵ちゃんが言った。
「りこは先頭で、怖がりな百合は真ん中、わたしは後ろから来る敵に備えてしんがりを守る! 前は頼んだぞ、りこ!」
「そんなのいるわけないよぉ」わたしが言うと、向日葵ちゃんがわたしの顔を照らしてきた。
「夜の学校だぞ、何があるかわかんないだろう!」
「うう、止めて下さい。何かがいるなんて思うと、怖くて震えてしまいますわ……」
向日葵ちゃんは百合ちゃんを怖がらせようとしているだけだった。
「安心しろ百合、わたしが必ずお前を守ってやる!」それから向日葵ちゃんは拳を上げて言った。「目標地点は図工室だ、進めーっ!」
向日葵ちゃんの号令で、わたしは前にむかって歩き始めた。夜の学校の探検、何だかとっても楽しくなって来た。
暗い学校の中を進むわたしたち、百合ちゃんは相変わらずわたしの服を掴んでいる。わたしはずんずん前に進んだ。あの立ち入り禁止の看板の先には何があるんだろう? もうすぐそれが分かる。
「ぐぅ……」
わたしの後ろから変な音がした。百合ちゃんとわたしは、同時に振り向いていた。わたしは向日葵ちゃんの姿を照らして言った。
「向日葵ちゃん、何か言った?」
「いやあ、腹が減ってさ、お腹が鳴ったんだよ」
わたしたちはまだご飯を食べていない。お腹が鳴ったって仕方がない。
「この探検が終わったら、わたくしの家でディナーを頂きましょう」百合ちゃんが言った。それは凄く楽しみだ。
「おお! そいつは楽しみだな!」向日葵ちゃんも大喜びしていた。
探検の後にはご馳走が待っている、後は立ち入り禁止の正体が分かれば言うことはないね。
立ち入り禁止の看板はさっきと同じように立っていた。白いプラスチックの板の上にある大きな赤い文字、暗い中で見ると気味が悪い。
「じゃあ行くよ」
「こ、怖いですわ……」
百合ちゃんがわたしにくっついて来た。わたしもさすがに緊張してくる。わたしが歩き出すと、後ろから足音が続いてくる。一番奥まで来ると、そこは行き止まりだった。わたしが懐中電灯でその辺りを照らしてみると、後ろからもう一つの光が奥を照らした。二つの光で見えたものは、壁と床だけで、それ以外には何もなかった。
「あれぇ、何もないじゃん」
わたしが拍子抜けして振り返ると、百合ちゃんが懐中電灯を持って震えていた。今までとは違う、本当に何かに怯えているみたいで、青い顔をしている。
「りこちゃん、何ですの、この染みみたいなもの……」
「え? 染みって?」
わたしはもう一度を前を向いて、目の前の床と壁を照らしてよく見てみた。そうしてようやく分かった。床と壁に何かが飛び散ったような後が残っていた。白い壁に残っている跡は、うっすらと赤い。ここに何があったのか、わたしは想像して百合ちゃんと同じように青い顔になって震えだした。信じたくはなかったけれど、でもわたしには、それしか考えられなかった。とっても怖いけれど、きっとっここで殺された誰かが残した染みから目が離せない。そして次の瞬間、わたしの目に信じられないくらい恐ろしいものが飛び込んできた。染みだけだったはずなのに、白い壁に真っ赤な血がべっとりとくっ付いて、床には血の海の中にわたしたちと同じくらいの女の子が仰向けに寝ていた。ぱっちりと開いている目は濁っていて、口から血が一杯溢れている。右腕と左足がなくて、おなかの中がぽっかり開いていて、内臓みたいなものが回りにバラバラになって転がっていた。
「い、いやあーーーーーーーーっ!!?」
わたしはものすごい悲鳴をあげながら、目の前にあるものを見ないように、両手で目を押えてその場に座り込んだ。その時に懐中電灯を落としていた。何が何だかわけが分からないよ。何もない怖い風景の中に、いきなり死体が現れた。何がどうなっているの? 何で女の子がこんなところで殺されたの?
「りこちゃん! りこちゃん! どうしたのですか!?」
びっくりした百合ちゃんが、わたしの隣で心配そうにしながら、わたしの体を揺らしていた。わたしはそっと手をどけて、恐る恐る目の前を見てみた。足元に落ちている懐中電灯の光が、床の染みを映してる。そこにあるのは死体じゃなくて、死体が残した染みだけだった。さっきのは何だったんだろう? とにかく、ここにはもう居たくない。
「百合ちゃん、向日葵ちゃん、六年生はここで殺されたんだよ」
「どうしてそんな事がわかりますの?」
「わたし見たのっ!!」
「りこちゃん?」百合ちゃんは、怖そうな顔をしながら首を傾げている。わたしは自分で何を言っているのか訳が分からなくなっていた。
「もう帰ろうよ、ここにいるのは危ないよ」
「そうですわね、一刻も早く立ち去りましょう。ねぇ、向日葵ちゃん」
向日葵ちゃんは何も言わなかった。わたしたちが後ろを見ると、しんがりだったはずの向日葵ちゃんがいなくなっている。わたし達は物凄く怖くなった。
「向日葵ちゃん、どこに行ったの!? ふざけてないで出てきてよ! もう帰るんだから!」
そう言えば、向日葵ちゃんが物陰からおどけた顔で出てくると思ってた。向日葵ちゃんはいつもそうやって、わたしたちを驚かせるから。でも、向日葵ちゃんはどこからも出てこなかった。
「途中で迷子になったのでしょうか?」わたしにぴったりくっ付いている百合ちゃんが震えるているのが伝わってくる。何かあったらわたしが百合ちゃんを守らなくちゃいけない、わたしは魔法少女なんだから。
「向日葵ちゃん、その辺にいると思うから、戻りながら探そうね」
「そうですわね。本当に向日葵ちゃん、どこへ行ってしまったのかしら……」
わたし達は真っ暗な廊下を懐中電灯で照らしながら、来た道を戻っていく。
「向日葵ちゃーん、どこー!」
わたしは先に広がる暗闇に向かって何度も叫んだけれど、向日葵ちゃんは出てこなかった。わたしと百合ちゃんの足音だけが夜の校舎に響いてとても怖い。
「あっ!?」
わたしの真後ろで百合ちゃんの声が聞こえた。それと一緒に、わたしにぴったりくっ付いていた百合ちゃんの温もりが消えて、わたしの足元に百合ちゃんが持っていた懐中電灯が落ちた。
「どうしたの!?」
振り向くと百合ちゃんの姿はなかった。さっきまでわたしにくっついていたのに、急に消えてしまった。
「百合ちゃん!? ねえ、百合ちゃん、どこ!?」
わたしの声は、すぐ横にある二回へ続く階段のほうに吸い込まれていく。一人になってしまったわたしは、怖くて怖くて震えだす。「なにこれ、向日葵ちゃんも、百合ちゃんも、消えちゃった……」
もう帰りたいけれど、百合ちゃんと向日葵ちゃんを探さないわけにはいかない。わたしのすぐ横には階段がある。百合ちゃんは、そこから二階へ行ったとしか思えない。わたしは懐中電灯で前を照らしながら一歩ずつ、ゆっくりと階段を上がっていく。体が凄く重い、前に行くことを拒絶しているみたい。
「いやぁーーーっ!!! やめてぇーーーーーっ!!!」
わたしはびっくりして体が震えた。二階からものすごい声が聞こえてきた。それは間違いなく、百合ちゃんの声だった。続けて、二階の遠くの教室の方で、何かが壊れて倒れるみたいなもの凄い音が聞こえてきた。
「百合ちゃん!!」
わたしは走り出した。怖いなんていう気持ちは消えていた。何が起こっているのか分からないけれど、わたしには魔法がある、百合ちゃんを助ける力があるんだ。
わたしが階段を駆け上がって二階の廊下に出てるまでの間も、百合ちゃんの悲鳴が聞こえ続けていた。何か普通の悲鳴じゃない。ものすごく苦しんでいるようにも聞こえる。人間のこんな恐ろしい悲鳴を、わたしは聞いたことがない。
「百合ちゃん、今助けるからね!!」
わたしは暗闇の中を百合ちゃんの悲鳴の聞こえるほうに向かって走った。手に持っている懐中電灯がちらちらと前を照らし、一瞬だけ一番奥の教室の四年三組という表札が見えた。悲鳴はそこから聞こえていた。
わたしが四年三組の教室の前に着く寸前に、百合ちゃんの悲鳴が消えた。まるでステレオの音量をいきなりゼロにしたみたいだった。
「百合ちゃん?」
わたしは教室の入り口に近づいて、恐怖のあまり息が止まった。スライド式のドアが教室の内側に向かって倒れている。しかもそれは凄い力を受けたみたいで、折れ曲がっていた。
「どうなってるの……」教室の中は暗くてよく見えないけど、このまま中に入るのは危険な気がする。そうだ、とわたしは閃いた。「電気を点けよう」
見回りの先生に見つかったら怒られるけれど、今はそんな事は言っていられない、百合ちゃんを早く助けないと。
教室の電気のスイッチは出入り口のすぐ近くにある、これはどこの教室も同じだ。わたしがスイッチを押すと、教室はすぐに明るくなった。それだけで心がすごく軽くなった。
「百合ちゃん、どこ?」
教室の中を見ると、真ん中辺の机や椅子が倒れて乱れている。そして、机の陰から靴を履いた足が見えていた。間違いない、それは百合ちゃんの靴だった。
「百合ちゃん!」わたしは教室の中に入って百合ちゃんに駆け寄った、そして「きゃあーーーっ!!?」
わたしは懐中電灯を落として悲鳴をあげた。四年三組の教室の真ん中に、変わり果てた百合ちゃんが横たわっていた。
「百合……ちゃん……」
わたしは悲鳴をあげた後に呆然とした。百合ちゃんは、わたしがさっき見た女の子と殆ど同じ状態になっていた。全身血塗れで、お腹がやぶれていて、右腕がなくて、首の肉も半分くらいなくなって白い骨みたいなものが見えている。少しだけ開いた目からは涙が溢れていた。わたしはそんな風になってしまった百合ちゃんを怖いとは思わなかった。ただ、百合ちゃんはもう死んでしまった。あの、女の子が大好きな困った癖を持った百合ちゃん、でも素直でおしとやかで可愛い百合ちゃん、もうそんな百合ちゃんはこの世界から消えてしまったんだ。わたしは悲しくなって、百合ちゃんの血と肉片の中に飛び込んでいった。そして、自分が血だらけになるのもかまわずに、百合ちゃんを抱いて泣いていた。
「百合ちゃん、百合ちゃん、どうしてこんな……誰がこんな事……」わたしは百合ちゃんの頬と自分の頬を重ねた、とっても冷たかった。さっきまで、わたしにずっとくっ付いていたのに、その時は温かかったのに、今の百合ちゃんは氷みたいに冷たい。
その時、教室の隅の方で何かが動いた。わたしが百合ちゃんを抱いたままそっちのほうを見ると、それは立ち上がった。
「向日葵……ちゃん……」
わたしはまた呆然としてしまった。それは確かに向日葵ちゃんだった。けれど、服が血だらけで、何か変なものを口にくわえていた。
「百合はあまり美味くなかったな」向日葵ちゃんはそう言って、変なものから肉を引き千切って食べた。まるで骨付きの唐揚げでも食べてるみたいだったけど、肉を千切ったときに血が飛び散って、向日葵ちゃんの顔にかかっていた。向日葵ちゃんは嫌な音をたてて肉を食べながら、変なものをこっちに向かって投げた。それはわたしと百合ちゃんがいる血溜りの中に落ちた。
「ひっ!!?」わたしは思わず声を上げた。近くで見て、それは百合ちゃんの右腕だということが分かったから。もう何が何だか分からない。けれど、一つだけ確信したことがある。「……向日葵ちゃんが、百合ちゃんを殺したんだね」
わたしが言うと、向日葵ちゃんは気味の悪い笑い方をした。向日葵ちゃんの顔が何かおかしい。目の白いところが真っ黄色になっていて、黒いところが赤くなっている。口も口裂け女みたいに大きいし、口の中から見える歯が全部凄く尖っている。
「腹が減ったからさ、食べたんだよ。まだ食いたりねぇ」向日葵ちゃんは、奇妙な目でわたしをじっと見つめていた。「りこ、お前はすげぇ美味そうな匂いがするんだよなぁ。昼休み我慢するの大変だったんだよ」
「ひ、昼休みって、あれはお弁当じゃなくて、わたしのことを美味しそうって言ってたの……」
あの何気ない一言に、そんな恐ろしいものが隠されていたなんて、わたしは背筋がぞっとした。
「りこ、親友だろ? 食わせてくれよ、お前の肉をさぁ!」
わたしは百合ちゃんを置いて立ち上がった。このままじゃ、わたしも百合ちゃんと同じになる。
「向日葵ちゃん、どうしちゃったの!? 何がどうなってるの!?」わたしは頭がどうにかなりそうだった。これが現実なんてとても思えない。
「りこーっ!! にくにくにくにくにぐーーーーっ!!!」
向日葵ちゃんは、変な声を出しながら物凄い勢いで向かってきた。目の前にある机なんて避けようとせずに、全部吹き飛ばしながら迫ってくる。
「ああ……」わたしは動けなかった。怖いというよりも、これが現実とは思えなくて、夢が覚めたら、いつも通りの百合ちゃんと向日葵ちゃんに会えるんだって思った。
向日葵ちゃんは、わたしに襲いかかる寸前に転んだ。
「くそ! 足が言うこときかねぇよ!」そう言う向日葵ちゃんの足を見て、わたしはさらに血の気が引いた。向日葵ちゃんの足が変な風に動いていた。肉が盛り上がったり凹んだりしながら、どんどん大きくなっているように見える。
「あがぁ!! あぐぅ!! ぐあああぁぁっ!!!」
向日葵ちゃんが苦しいような声を出すと、今度は向日葵ちゃんの全身の肉が動き始めた。
「あ、あああ、何これ、向日葵ちゃんどうなっちゃうの……」
その時、外から誰かが走ってきて教室に入ってきた。
「おい、お前たち、こんな時間になにやってる!!」
見回りに来た男の先生だった。先生はわたしのところまで来ると、百合ちゃんの死体を見て目を大きくした。
「何だこれは!!? 君、ここで何があったんだ!!」
「先生、向日葵ちゃんが、向日葵ちゃんが!!!」
わたしは向日葵ちゃんを指差して必死に訴えた。ようやくそれに気づいた先生は、向日葵ちゃんを見て変な顔をしていた。
「何だ、こいつは……」
立ち上がった向日葵ちゃんは、前の体よりも二周りくらい大きくなっている。全身が青黒く変色していて、髪の毛は半分くらい抜け落ちて、前よりも大きく裂けた口から見える歯は、前よりもさらに尖っていた。服は殆ど破けてなくなっている。腕と足は筋肉の塊みたいでゴツゴツしていて、手の爪が凄く長く伸びていた。それはもう向日葵ちゃんじゃない、ただの化け物だ。
「しゃがーーーっ!!」
先生はわたしの目の前で、化け物の平手打ちを受けた。その瞬間に、先生の首が変な方向に曲がるのを見てしまった。そして瞬きする間もなく、先生は頭から黒板に叩きつけられて、それと一緒に黒板一面に血が飛び散って広がった。黒板からずり落ちた先生の頭は変な形になっていた。
「い、いやあーーーーーっ!!!」わたしは教室から逃げ出していた。もう自分は魔法少女だからなんていう強気はどこかへ消えていた。とにかく必死になって逃げた。あんなのに食べられて死ぬなんて絶対に嫌だ。
「りこーっ、にぐーーーーっ!!」
わたしの後ろからしわがれた声と、ひたひたという足音が聞こえる。追いかけてくる、どうにかして逃げないと。
わたしは一階に下りると、階段の後ろに隠れた。素足ですごい速さで階段を駆け下りてくる音が聞こえる。足音はわたしの背後を通って階段を下りた。そのまますぐどこかへ行って欲しかったけれど、それは蛇が威嚇するみたいな声をだしながら、階段を下りた辺りをうろうろしていた。さっきまで走っていたわたしは、荒くなっている息を手で押えて無理やり殺す。苦しいけれど、あの向日葵ちゃんだった化け物に見つかったら、百合ちゃんみたいに食い殺される。足音は遠のいたり近づいたりしている。そして、ついに足音が階段の横に近づいてきた。わたしは出来るだけ小さくなって、階段下の隙間にもぐりこんだ。横を見ると、化け物の足が見えていた。
――お願いお願い! どうかわたしを見つけないで、早くどこかに行って!
わたしは神様に祈るような思いで念じた。それが通じたみたいで、化け物は階段から離れて、その足音は遠くに離れていって消えてなくなった。
「はぁーっ、良かった……」
わたしがひとまず安心して階段の後ろから出ると、足に何か当たった。それは、さっき百合ちゃんが落とした懐中電灯だった。わたしはそれを拾って歩き出した。早く学校から逃げ出さないと、化け物に殺される。けれど、ここからわたしが入ってきたトイレまでは結構遠い。そう思ったんだけれども、良く考えたら昇降口から出られる。昇降口の鍵は摘みを回すだけだから、内側からなら簡単に開けられる。だからわたしは、トイレよりも近い昇降口に向かった。懐中電灯は使わない、あいつに見つかりそうだから。暗いけれど、学校の中は歩きなれているから、昇降口にたどり着くのはそんなに難しくなかった。
昇降口まで来ると、前面ガラス張りのドアの向こう側に校庭が見えた。わたしは急いで入り口のドアの鍵を開けて外に出ようとした。けれど開かない。どんなにドアを揺らしても開かなかった。
「何で、何で開かないの!?」
わたしは凄く焦りながら、上とか下とかを見た。そうすると、下の方にもう一つ鍵があった。わたしがその鍵を開けたとき、何かが足音をたてながら昇降口に入ってきた。わたしが懐中電灯を点けて前を照らすと、両側に下駄箱が並んだ通路の先に、あの化け物がいた。ドアを開けようとして音を出してしまったから見つかったんだ。
「ウシャーーーッ!!」
懐中電灯の光で浮き出た化け物の顔が、大きな口をあけて尖った歯を見せながら、物凄い勢いでわたしに迫ってくる。
「うあぁーーーーーっ!!?」
わたしが横に逃げると、真後ろでガラスが割れる音がした。化け物が昇降口のドアに突っ込んだんだろうけれど、わたしは振り向かずに逃げた。
わたしは全力で走っていた。もう逃げるのに必死で、自分がどこを走っているのか分からなかった。階段をかけ上がって、わたしは出口からどんどん離れていく。そうして気づいたら、自分のクラスの五年三組の教室の前に来ていた。三組は三階の一番奥の教室で、その先は行き止まり。化け物は、きっとわたしを追ってくる。あんなのに食べられるくらいなら、戦ってやる! わたしには魔法がある!
わたしは覚悟を決めて、奥の行き止まりになっている所の壁の前で、懐中電灯を構えた。すると、近くの階段の方から、黒い影が飛び出してきた。照らして見ると、当たり前みたいに化け物が闇の中に立っていた。かつて向日葵ちゃんだった化け物は、変な叫び声をあげながらこっちに走ってくる、凄く速い。わたしは手のひらを前に出して化け物に狙いをつけて、魔法を使った。手のひらの前に魔法円が現れて、そこから白い光線が出てまっすぐ化け物にむかっていく。それは化け物には当たらなかったけれど、光線で化け物は怯んでいるみたいだった。
「このぉーーーっ!! あんたなんかに殺されてたまるか!! あっちいけーーーっ!!」
わたしは必死になって魔法を打ちまくった。白い光線が床や壁にも当たって爆発し、そのうちの一発が、化け物の右腕に当たった。その腕は物凄く太くて丈夫そうなのに、わたしの魔法が当たったら、簡単に千切れていた。化け物は痛がって、人間とも獣とも言えないもの凄い声を出していた。わたしは襲ってくると思って身構えたけれど、化け物はわたしに背を向けて逃げ出した。暗闇の中で千切れた化け物の腕はいつまでも動いていた。それからわたしは、とても寂しい静けさの中に取り残された。わたしが魔法の光で壊した窓から、とても冷たい風が入ってきていた。
それからわたしは、百合ちゃんの事も、何もかも放り出して学校から逃げ出した。