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「誰だ。お前らは」
「……」
答えはない。
扉から離れた場所に、幾つもの面が浮かんでいた。まるで明かりに近づくことを避けて暗闇に溶け込もうとしているかのようである。一瞬面だけかと驚いたがよくよく見れば、手足があり武器のようなものも見える。黒装束で武器を黒く染めていたからはっきりと見えなかったのだ。
明らかな不穏な空気を感じとり、扉のすぐ傍に立て掛けておいてある、愛用の斧を横目で確認する。
「女を、見なかった、か?」
ひどく耳障りな声に眉間にシワが寄る。まるで金属で金属を削っているような音だ。年齢がわからない。喋ったのはどの面かもわからない。
女と言えばサヤしか居ないが、教えてやるつもりは毛頭ない。
「今日は来訪者は居なかった。他を辺りな」
投げ遣りにそう答えると、何体かの面がほんの少しだけ動いた。同時に生まれる殺気。森の中で遭遇した熊などと一緒だ。明確な殺意がありながら、相手を観察するような潜んだ殺気。右手の指をそうとは感じさせないように気を付けながら、伸ばしたり縮めたりする。
「や、め、ろ」
最初の声が場の空気を壊すように響いた。一瞬で殺気が消える。相当に訓練されているようだ。
「この、辺りで、民家は、ある、か?」
「ここだけだ」
事実を言い、もう一つ伝えてやる。せいぜい時間稼ぎにでもなればいい。
「だが、この辺りには天然の洞穴が多い。山賊が時々ねぐらにするぐらいにな。もしかしたらそこにいるかもしれねぇぞ」
「……なぜ、教えた?」
一瞬の間の後、当然とも言うべき質問が帰ってくる。勿論答えは用意していた。肩をすくめて答える。
「今丁度晩酌中でな。また来てもらっちゃたまんないんだよ」
面の一つがふっと消える。それに続いて他の面も消えた。これで奴らは今晩一杯はこの辺りを動き回るはずだ。なにせ洞穴はいくつもいくつもあるのだから。
扉を閉め椅子に戻る。
確信があった。間違いない。奴らは魔族だ。それも、人間でありながら魔族の魅力に取りつかれた質の悪い者たち。どうやら相当に厄介な問題をサヤは持ってきたようである。普通であれば今すぐサヤに事情を話し、逃げるように言うべきなのだろうが、今は夜である。とても慣れないものがこの辺りを歩けるわけがない。明るくなり次第旅に出た方がいいだろう。……逃げ切れるかどうかはわからないが。
今夜はゆっくりと眠れそうにない。明日に起こるであろう戦いに向け、斧を手に取り汚れを取る作業を始める。
そこで気が付く。サヤがしばらく風呂に入っていないと言っていたことに。今彼女が風呂に入ったとして、家から湯気が立ち上っていても奴らは疑問に思うだろうか?可能性は捨てきれない。今日の入浴は控えてもらった方がいいだろう。
風呂場は居間に続く階段とは別の階段を降りて向かう。だから居間にいては降りたかどうかわからない。取り敢えずお風呂場に向かうとしよう。
お風呂場についた。脱衣室の置くに浴室があるのだが、その脱衣室には人の気配はない。ガラリと扉を開くと、
「……?」
一糸まとわない姿の幼い少女がいた。床にぺたりと座り込んでいて、銀色に近い輝きをもつ白い髪が、床に扇状に広がっている。たっぷり十数秒、お互いに見つめあった後、少女は体を手で隠した。
「きゃー」
少女の顔に感情の起伏は見受けられず、悲鳴もまたなんとものんびりしたもので、粗相をしてしまったのに謝る気も失せてしまった。
取り敢えず捕まえようと脱衣室に入ると、少女は立ち上がって浴室の方へと駆け寄っていった。
「おい」
それを追いかける。少女がガラリと浴室の扉を開いた。
「あれ?どうした……の」
「……あ」
しまったと後悔し謝罪の言葉を言うよりも早く、サヤが持っていた桶を投げる方が早かった。桶は顎に勢い良く当たり脳を激しく揺さぶってきて、為す術なく倒れてしまう。そのまま意識は暗闇へと落ちていった。
「ん……?」
頭の後ろに何やら柔らかい感触を感じる。頭を起こそうとすると、上から額を華奢な手で優しく押さえられた。
「もう少し休んでいてください。勢い良く倒れていらっしゃったので」
サヤの声。仕方なしに抵抗をやめる。
「申し訳なかった」
脳裏に一瞬だけ見たサヤの裸体が浮かぶ。
「気になさらないでください。モルゲインさんを気絶させてしまったのは私ですので」
これ以上は謝り合戦になってしまうと考えて黙りこむ。その内気まずくなってきたので、大丈夫だと繰り返しながら体を起こす。
サヤはきっちりと衣服を纏っていた。
「さっき君を探していると言う集団が訪ねてきた」
「……そうですか」
サヤの様子に衝撃はない。始めからわかっていたようだ。
「夜明けまであと数時間ほどだ。早めに発つ方がいいだろう」
「わかりました」