かつての英雄譚
大気が凍りつくほどの絶対零度まで下がった猛烈な魔力波を受け、身体が芯から軋みをあげる。本能が今すぐこの場から逃げろと命令をしてくる。だが、その生きるためにとらなければいけない行動は、今の状況では何が起ころうと決して実行できることではない。それはいったいどんな理由から来ていることなのだろうと、事情を知らないものたちは皆不思議に思うだろう。
一生涯を懸けて愛することを誓った者が、今まさにこの世からいなくなりそうになっている、たったそれだけの理由なのだ。
「よくぞ此処まで辿り着いたものだ。名も知らぬ勇ましき者よ。試練たる九つの門扉を潜り抜け、五体満足で生きて我が前に現れたことに、まずは賛辞を送ってやろう」
多種多様の宝石類を使い、精巧な装飾を随所に盛り込み作られた玉座に鎮座する一人の老人。綿のようなきめ細かい豊かな白髭を蓄え、金塊のような眩さを持つ髪を垂らし、玉座に肘をつきこちらを悠然と見つめるその姿からは、数多く存在し人間の力が遠く及ばない、忌々しい支配者である神々の王たる者の荘厳な威厳が嫌と言うほどに感じられる。
全知全能にして唯一神。
世界の創造者であり、監視者であり、破壊者。
全ての生あるもの達の父。
理を創りし最上の者。
光明神。
その名を表す言葉は無限にあるが、こう呼ぼう。
アモールと。
「アモールよ。此処までの辛く長い試練の旅路の中で、貴様の考えは分かっている。語り合うだけの言葉を用意していないし、用意する気もなかった。剣を抜け。我が身に流れる熱き血と我が身に宿る燃え上がる魂は、貴様が床に倒れ付し許しを乞う様を見たがっている」
暗黒で作られた虚無の鞘から神々の魂を用いて鍛え上げた神殺しの剣を引き抜きその切っ先をアモールに向ける。
アモールから感じる威圧感が急激に膨らんでいく。常人であれば魂までが押し潰されてしまい小さな小さなかすになりそうな程だが、外なる神より賜った冒涜的な障気で作られた混沌の鎧が、それを防いでくれている。
玉座から立ち上がったアモールは、傍に立っていた青銅の少女から槍を受け取り構えた。世界樹の枝から切り出され小人族の秘宝である水晶を刃に持つその槍は、青白い光を放ち黄色の稲妻を纏っている。さらに、太陽の輝きと熱を持つ鎧が現れアモールの体を包み込む。青銅の少女はその熱を受けたちまち溶けていく。その悲劇をアモールは全く気にかけない。自ずと剣を握る手に力が入る。
「雌雄を決する刻が来た。アモールよ。私は貴様を倒し彼女を取り戻す」
「名も知らぬ勇ましき者よ。理を創りし者として永劫の闇を与えてやろう」
これは、遠い遠い遥か昔の物語。まだ神と人が混じっていた時代の英雄譚。
その結末は、語られていない。