第一顆――僕も飛びたい
第一顆――僕も飛びたい
「君はどうして飛べるの?」
ふわふわと宙に浮き、居眠りしている小さな鮫に話しかける十歳くらいの少年。鮫の立派な鼻提灯が盛大に割れ、何が起こったのかとあたふたする。
「ねえ、アビー。聞いてる?」
やっと自分が話しかけられた事を知る小鮫のアビー。小さな羽がゆっくりと上下に揺れる。「どうしたの?」とでも言いたげな表情で少年を見つめた。
少年は椅子に座ったまま、ちょっと古臭い木のテーブルに顎を置いた。肩につかない程度の柔らかいクリーム色の髪の毛。視力低下で左目には眼帯をしているが、透き通った水色の瞳が印象的だ。まだまだ幼い。だが、他人が立ち入る事を許さない影も同時に持ち合わせていた。
「アビー、僕も飛びたいんだ。どうしてかわかる?」
質問を投げかけられたアビーは、興味津々で首を傾げた。
「君はいつも飛んでて、僕だけ歩く。ずるいよ。僕だって歩きたくないのに」
少年の言葉に困惑するアビーは、何故か真剣に飛べる方法を考え始めた。少年も頭を悩ませる。
五歳の頃、誰かがペットショップで買ってきたアビー。誰だかは忘れたが、小さくて天使のようなその羽でいつも浮いているのが羨ましかった。最初のうちは使い慣れていないようだったが、成長するにつれて制御できるようになり、今では自由自在。どこへでも行けるし、宙返りなどアクロバティックな技もいつの間にか習得していた。
そういえば以前、アビーに頼んで持ち上げてくれ、なんてお願いした事があった少年。アビーは軽々と少年の身体を持ち上げたが……足が地面から離れた事によって不安と恐怖が襲い、パニックで暴れて落下した話がある。
怪我はなく、あれで懲りたかと思えばまたこれだ。少年の好奇心は無限大なのか、はたまた過去の話を忘れているのか……知るのは本人だけである。
しばらくして、少年が何か閃いたように立ち上がった。
「そうだ! 羽だよ、羽! アビーみたいに動かせばいいんだ!」
そう言って少年は、テーブルの上に靴を履いたまま上がった。アビーには結末が見えていたようで、長い胸ビレをブンブンと横に振り、「やめた方がいい」と訴える。しかし、少年は全く気にせず両腕を上下に勢いよく動かす。
「ちゃんと見ててね? 行くよおー……」
そしてまさに今、世紀の大ジャンプが披露されようとした次の瞬間。
「おーい、ルロイ!」
突然、部屋に入って来た黒髪の男に驚き、飛ぶ寸前で足を滑らせた少年。そのまま顔面をテーブルに強打し、ぴくりとも動かなくなった。大慌てでアビーが近寄って右ビレで肩を叩くが全く反応しない。一瞬でアビーの顔が青ざめた。
「何やってんだ?」
この状況を理解できない男は、唖然としてそこに立ち尽くしていた。
「いってえ……」
涙目になりつつ、打ち付けた顔をさすりながら起き上がる、ルロイと呼ばれた少年。ムスッとした表情で男を睨み付け、テーブルからゆっくりと降りる。
「いきなり入って来ないでよ! 飛べなかったじゃん!」
「はあ? 飛べなかった?」
「アビーみたいに飛ぼうと思ったんだよ!」
あまりにも馬鹿げた事を真面目に言い切るので、男はつい吹き出して笑わずにはいられなかった。高らかに笑い声を上げ、ヒーヒー言いながら腹を抱える。ルロイには学習能力というものがないのだろうか。
「おいおい、寝言は寝て言えよ。生まれつき羽がなきゃ飛べねーよ」
「むー……」
「それに、前にやって駄目だっただろ? 身体が離れるのが怖いのに飛んだら大変だ」
口を尖らせたルロイはアビーに視線を向ける。まるでそれは、どうして止めてくれなかったのかという目だった。「止めたのに!」と内心で叫びつつ、寒気が走ったアビーはすぐにそっぽを向いて知らんぷりを決める。
「そうだ、こんな話をしてる場合じゃない。早く行くぞ」
「どこに?」
そう問うと、男は背負っていた大きなリュックを親指で示した。
「商品の採掘」
「えー……やだ」
「何で?」
「ジムのせいで顔が痛いから」
「それは自業自得だ。ほら、早く支度しろ」