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六話 甲板で

(かしら)


 静かな友人の声が自分を責めている様に聞えた。海賊たちの中にも気になるのだろう、王女の出て行った扉を不安そうに何度も見ている者がいる。


 頭は友人―――サミュエルに向き直って、舌打ちした。


「……どこにいくの?」

「興醒めした。酒でも飲んでくる」

 

 歩き出した頭にサミュエルが聞いたが、返ってきたのはそっけない言葉だけ。

 硬い声で言った彼に、近づこうとする者はいなかった。





 部屋に戻る気は起きなかった。そうかと言って、船に乗ったばかりの、それも人質が行くことの出来る場所は限られている。私はなんとなく足の向いた甲板にいた。

 夜の海は昼間より黒々としていて、それはそれで綺麗だった。果てのないその水平線が私を誘っているように感じた。


「このまま飛び込んだら、楽になれる?」


 黒い水面は私一人くらい包みこんで、楽にしてくれそうだ。

 駄目だ。静かな水面を見ていると、どうしても感傷的になってしまう。悲しむのではなく、喜べ。これで陸に帰れる。そう思ってみても、別に返りたいと思っていなかったのでそう思えない。


「分かっていたのに……」


 声に出してみると、ますます空しさがこみ上げてくる。

 考えてみると、王宮の生活もそうだった。上辺だけの社交辞令。誰とも分かり合うことの許されない生活。侍女たちは隠すことに上手くなり、貴族たちはお世辞を言い慣れ、二人の兄たちは私の結婚を薦める。それも自分にとって都合のよい相手と、だ。


いったい何だっていうの?

王は私をいたく気に入っていた。出来の悪い兄たちより、普通の私の方がまだ可愛げのあっただけの話だ。私は大きくため息をついた。また勝手に期待して、勝手に裏切られたような気がしている。普段と全く違う環境にくれば、通常とは違うものが手に入るとでも思っていたのだろうか。


 口から漏れたのは自分に対する失笑で、頬を流れたのは透明な液体だった。

 私は彼らとほんの少しでも違う関係が築けたらいいなと思っていた。人質や王女とではなく、私一人を見てほしかった。結局、それは甘い幻想でしかなかったけれど。

 

 誰かか甲板に上がってきた気配がして、私は慌てて流れた涙を引っ込めようとする。振り返った時、泣いていた事がバレませんように。そう祈って振り返る。

 甲板に上がって来ていたのは、(かしら)だった。誰が来ても頭だけはないと思っていたのに、その頭がいた。彼はなぜかワインボトルとごついグラスを二つ持っている。

 頭の目がいつもより少しだけ大きくなった。もしかして泣いていたことがバレたのかもしれない。


「飲むか?」


 けれどきっとこの人は、泣いていたことにも先刻の人質のことにも一切触れない。

 その事にほっと心臓の辺りが暖かくなった。さっき自分で笑い飛ばした甘い幻想をもう一度思い出すくらいだった。もうそれに縋ることはしないが、思い出してしまったことだけで十分だった。


「飲むか?」


 再度訊かれた私は、小さく頷く。受け取ったグラスに海よりも少し赤みがかかった液体が注ぎこまれた。そして私は、黒い海を眺めながら頭とグラスを傾けることになっていた。

 涙と人質の話がなければ、いい雰囲気だったのかもしれないが、実際は殺伐とした空気が二人の間を漂っていた。頭は何も話そうとせず、私に重い沈黙がのしかかっていた。ついに私は沈黙に耐え切れなくなり、重い口をやっとの事で開いた。


「私と引き換えにどれくらい貰えることになったんですか」


 どれくらいとは無論、お金の事だ。

頭は躊躇した様子もなく、私が目を剥くような金額をさらりと言った。王女の私が驚くくらいの巨額だ。並大抵の貴族では出せない。それも嘘かもしれない情報にここまでの金額を出せる好事家。と言ったらあの家くらいのものだ。こういう時、嫌なものほど覚えがあるものだ。


「もしかして、侯爵家だったりしますか?」

「なんだ。知り合いか?」

「いいえ」


 知ってはいるが、断じて知り合いではない。

 ベルリラン侯爵家。当代のベルリラン侯爵は他国との貿易で財を築いた人物だ。位こそ侯爵だが、国のトップクラスの財産を所有している。商才はあるのだろう。だがそれまでのやり方が不味かったようで、 あちらこちらに恨みを持つ者をつくったのだと聞く。

 

 侯爵本人より問題なのは、その息子だ。甘ったれで、何も分かっていないくせに何かと口を突っ込みたがる。口は出すが何もやらない。親の七光りで生きているに過ぎない。典型的な貴族のご子息。

 

 私にとっては運の悪いことに、その愚息と歳が近かった。兄たちは早速、自分の利益のために私に秘密で婚約させた。すぐに取り消させたものの、侯爵の愚息には王女の元婚約者という商標を与えてしまった。当時はよくその事でため息をついたものだ。

 一連のことを掻い摘んで話すと、頭は微妙な顔になる。


「それは知り合いじゃないのか?」

「……そっちですか」


 私は知り合いと思っていないし、思いたくない。

 私はこっそり頭に気づかれないように、安堵の息を漏らす。


 この話は、私が初めて兄たちの政略に使われかけた時のことだ。もう過去の話だが、他人に話すのは怖かった。話終えた直後の頭の反応に気を取られて、実際は恐怖を感じる暇がなかったが。


「……本当に私でお金が取れると思っているんですか?」


 頭は海を眺めたまま、私の方に向こうとしなかった。じっと何かを考え込むように水面を見ている。


「先方が金を出すと言っている。断る理由がどこにある」


 そう呟いて、頭は顔を上げた。その顔は静か過ぎる気がした。

 私はお金の方が大事だ(当たり前だが)と言外に言われて、悔しいのか、悲しいのかわけが分からなくなった。

 

 ワイングラスの底に残った液体が、海と混ざったような錯覚に陥る。私の目の前で、それら二つが混ざり合って揺れている。それは私が持つ少しの後悔と、頭が持つたくさんの何かのようだった。黙った二人の髪を風が優しく揺らしていった。


 どれくらいそうしていただろう。

 頭が不意に顔を上げた。隣に立つ王女を見るわけでもなく、ただ彼女の持つワイングラスと海を見ていた。そうしていると、急に王女の体が傾き、ワイングラスから残っていたワインが空中に投げ出された。


 慌てて頭が手を差し伸べるのと、ワイングラスが甲板に叩きつけられるのがほぼ同時だった。割れたグラスは放って置き、王女の顔を覗き込んだ頭は眉をしかめた。

 王女は眠ってしまっていた。度数の低いものを選んだつもりだったが、彼女にはいささか強過ぎたらしい。度数云々の前にどう見ても量の問題だったが、頭にそんなことわからない。

 腕の中で完全に意識を失った王女に、頭は途方に暮れた。


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