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ウルフィラ 1

 旧副王領の都ロマックにグリゼリウス家が本土代官として入城して二年。その広大過ぎる領地はロッシュローの手による領土経営と本職の奴隷商売の両立を困難にさせていた。ロマック攻防戦によって半壊した城壁と市街の復旧工事にかかった費用の他、泣き所になるのは金であった。しかし、最大の悩みは歳出ではなく歳入にある。

 教圏の経済は異教帝国エステに影響を受ける半島北部、真珠島しんじゅとう、沿岸諸都市を除く内陸地方の殆どは未だ物々交換を主とした現物経済以上の段階を必要としていない。穀物や野菜、木材、樹皮、獣皮、乳製品、蜂蜜、蜜蝋、鶏や豚の農畜産物。車輪や蝋燭、靴や櫃といった工芸品だけでなく、人糞といった排泄物さえ土壌回復に欠かせない重要な税として価値がある。これらを査定し評価金額に直したとして、都市では壷一杯分の人糞の買い手などないし、地方領主に貨幣収入はほぼ無いかあったとしても悪貨なので場が立たない。結局、足元を見られて僅かな烏麦からすむぎと交換して地方領主を大喜びさせるなど、彼らの経済観で照らせば大損を蒙った挙句、致命的なことだが侮られた。

 また東西南北で同種の問題が発生したとしても、これひとつで万事解決というような万能膏の如き方法など政治に存在しない。多士済々のグリゼリウス家所有物といえども、これほどの大領を運営した経験者はいなかった。頼りは大王ルイジェセンが留め置いた副王領の官僚たちだけであるが、彼らも王家に使える家臣であり、上下の差はあっても代官のロッシュローとは同格にあたる。故に、家臣間にある空気というか不自然・理不尽な慣習が存在し、顔役、裏の実力者もいる。

 問題は山積していた。ウニヴェロッサという実際はどこの馬の骨とも知れない好餌が新種貴族グリゼリウス家を保証する役割を果たしたと思っていたロッシュローの心中には疑念が渦巻いていた。

――我が家の存続は許された。だが、同時に新たな脅威を呼び込んでいたのではないか。

 当初、ロッシュローは広大な任地よりも、赤子一人の投資であの油断ならない王を躍らせ、更にはまだ密約の手付けに過ぎない見返りさえこれほどとは、と得意の絶頂にあったが、この困難に満ちた現実の原因まで見透かしてみると、王の血族こそ王にとって最大の脅威という理に行き着いた。そんな競争対手に肩入れしているのは、その理を体現していたベルデナンの内乱を鎮定する糸口を担ったグリゼリウス家。そしてその脅威には<万能なる者>という名が付けられている。王位と血統に執着するルイジェセンには、王の後継者を養育する密約が別に転じないような保険が必要だったのではないか。

 ウニヴェロッサを使って大王ルイジェセンを唆したロッシュローの目には、アストンとペトボルを喪った王は失意の只中にあった。だが、ロッシュローが直面している政治と経済の世界で王の威厳を糧に練り上げられたルイジェセンの立ち直りの早さなど知る由もなかった。その才質は祝福の如き先天性にして後天的鍛錬によって築かれる不断の成果であり、万人に共通であっても、王には王の、領主には領主、騎士には騎士、百姓には百姓に許された範囲でしか得られない経験が完成させる。商人に王の経験などを、たとえ一片にしろ有することはできない。できたとしてもそれは同質ではあっても小型のそれで、立ち向かう覚悟と手段の多寡、結果の重大にまつわる苦悩もまた異質である。その蓄積された経験値の差こそ、王と平民を分け隔たす決定的な差である。

 グリゼリウス家の位格を副王領の規模に応じて引き上げて封じるのではなく、敢えて本土代官としたのは、あくまでも王の廷臣という事実を内外に印象付けるためであったし、ロマックの復旧費用の半分を出した理由は協同という見せ掛けで金勘定の観点から世を見渡す商人が本質のロッシュローの警戒を煽らないため、旧副王領の官僚たちを残したのも大領運営を任された本土代官を補佐する名目で本土におけるグリゼリウス家台頭を防ぐためである。もしも諸侯の一人として封じていれば、罰令権や収税権など他の諸侯と同じ強力な自治を認めなければならなかった。ゆくゆくはジェソンを旗印にルーリック辺境伯へんきょうはくのような強敵が誕生したかもしれない。聖公座せいこうざ勢力の玄関口ルーリックも今や王領となり代官が置かれてい、本土諸侯の忠誠を集める実力を有するのは時局から言っても王であり、王の臣に過ぎないグリゼリウス家などではない。

 グリゼリウス家を包囲するこの緻密な網は、王に代わって本土を治めるという意味の“代官”という言葉一つでほぼ編み上げられた。代官という言葉に宿る意味と感触が、一つの素体を王にまで活性したいロッシュローの野心との親和性を奮って、今日に至るまで目を塞いできたのであった。サーニー帝国のことわざにもある“人は利益の見込まれる事実を自分の都合のいいように解釈する。破滅の恐怖がそれを覚ますまで”

 だが、グリゼリウス家包囲網の幾つかはルイジェセンの企図きとしない所から生まれ、ロッシュローが過敏に反応したものであった。この壮大な包囲網もルイジェセンの政治能力ならば構築しうるだろう。しかしそれは若さと正気を保ちえた全盛期の頃ならば。この時代の平均寿命は三十代。ルイジェセンは既に五十も近い高齢者である。加えて王の強烈にして偉大な個性であった好奇心は既にたがが外れて狂気の様相を帯びている。老いと毒ににじり寄られた王が創出しようとした情勢は上記の包囲網の内、本土代官の任命に代えてロッシュローの提案に明言を避けつつも一定の返答を下し、グリゼリウス家の台頭を防ぐための旧副王領官僚の残留、ロマック復旧に関する費用を出すだけの、密約といつでも手を切れる程良い距離だけであったと思われる。ルーリック王領化は聖公座せいこうざを対手とした別の方向性を持った政治・外交政策であるし、本土諸侯の事情などルイジェセンはとっくに閑却している。現物経済と貨幣経済が混ざった本土の特異な経済環境も外来者には意味不明な本土官僚の慣習などは輪をかけて王の知る所ではない。若きルイジェセンならば偶発したこの包囲網を予想し敢えて立たせない工作にも手を打ったかもしれないが、必要な若さと怜悧な頭脳は最早、無かったのである。そして不幸にも、この衰えと行き違いが王の威厳と破滅の恐怖に負けて矛を下ろすかと覚えたロッシュロー・グリゼリウスとの対立構造の端緒となった。

 二人の実力者の仲を辛うじて繋ぎとめていたウニヴェロッサ・グリゼリウスはまだ五歳に過ぎない。ルイジェセンは養育費として年三十枚もの金貨を贈った。交換される手紙も多く、かつてウェルシャ・ムーサを陥れた文才の妙だけは衰えを知らず、もしもルイジェセンの筆力にまで衰えが寄せていればロッシュローとの亀裂は、あの神的な引き金を待たずに訪れていたと歴史家は言を揃える。

 尚、今に伝わるルイジェセン二世の実像については、残された手紙と王との歓談を記したロッシュローら近臣の手記に拠るところが大きい。

 そのうちのひとつ。ルイジェセンがまだ苦難に満ちた幼い頃の話。家庭教師は数字こそサーニー語よりも古く、シニウス語よりも数多に通ずる万世共通の言語と教えた。早速、小麦島こむぎとうの稲穂は何粒あるのかを数えようとした。この試みは昼食という形で中絶されてしまったが、次の日も数えた。多少の誤差はあったが、先日とは多く違わない内にまた昼食。次の日もそうだった。時間の存在を捉えたルイジェセンの姿は小麦畑から消え、教会の水時計の前にあった。貯水池に垂れる水滴を一滴漏らさず数えた結果、一日はおよそ八五〇〇〇前後の水滴なのであると解明した。計測できる時間こそ、我が幼年期において最大の発見だったと語る。教圏に限らず殆どの地域で、時とは神の持ち物に他ならず、その行使は神を執行する機関にしか許されていない。ルイジェセンが感知したような時間の捉え方は非常に乏しく、生活の上下に流れているのは死と終末までの猶予時間だけであった。これは永遠と言い換えてよく、時間というものは存在していないという実際に弁護をもたらす。だが、時間の有用性を確信するルイジェセンはまずこの力を軍事に傾けた。

 王領三島の一つ軍艦島ぐんかんとうは四つの船団を預かる。結成された順に、スクード、ゲート、トッレ、コルティーレという。直近に防御を連想させる盾、壁、塔の船団名の中で、庭だけが異彩を放つ。コルティーレこそ、ルイジェセンの肝いりで設立された海洋調査船団ともいうべき同時代他に類を見ない特殊船団だった。異教徒で構成されていたと考えられている。何故ならば、コルティーレの成果である<我らの海>は現在まで連なる海洋研究の始祖であり、当時の自然科学の程度を考えればエステ帝国を置いて他に蓄積できるはずがなかったからである。教圏では神学を除けば学問を発表できる場はなく、論説を収めた書は教会の書棚にしまわれて陽の目を浴びない。観測と実験に必要な機材を作る技術もなく、臨床の機会さえ乏しい。だからこんな芸当は邸宅の中庭を学術発表の場とする風習を受け継ぐエステ人にしかできない。コルティーレは二十年をかけて真珠島しんじゅとう周辺のアレモ海を調べまわった。潮汐、潮流、深度、季節風、嵐の季節、水質、生命、歴史など諸々、とかくこの海と関わるのなら何でも調べた。ミナッツ王家に献呈された<我らの海>を読んだルイジェセンは、

――息子の次に大事なものだ。

 と感激したという。献呈の後、新たな海域の調査に血道をあげる団員を乗せた船団は嵐の直撃を受けて沈没している。彼らとて血の海の側面を持つ歴史を知らぬわけではなかったが。

 ミナッツ王国としても防衛上最高機密に属する<我らの海>は王、軍艦島ぐんかんとう長官、スクード、トッレ、ゲート、コルティーレの船団長と、その五人が推薦し王が認可する優秀な航海士にしか閲覧の許されない門外不出の書になったが、この時代の白眉でさえ全盛期のルイジェセンには手段の一つでしかなかった。海洋調査と平行して進められた全団員の洗脳じみた意識改革と<我らの海>を二本柱に、小麦島こむぎとう直衛のスクードを除いた一団が真珠島しんじゅとうを中心点にして丸一日をかけ、円を描くように一周できる技量を保持できるよう厳命された。

 今こそ我々はそれが時計代わりであることが容易に想像できる。しかし、ルイジェセンの前代未聞の試みは教会の持つ“時”に関わる権益と真っ向から衝突する。教会の鐘楼しょうろうは、朝課、讃課、一時課、三時課、六時課、九時課、晩祷、終課の八度、およそ三時間間隔で打ち鳴らされていたが、根拠となったのは太陽や星座の位置であり、曇り空では手も足も出なくなる。終課の直後に朝課が鳴るので鐘の通りに過ごすと祈る暇も無い、という記録は不埒者の手による誇張だがやはり正確ではなかった。世界中の商人も集まって為替、小切手を用いた経済取引が肥大し続ける真珠島しんじゅとうでは具体的な時間への欲求が沸点に達していた。日時計は上記の理由で問題外、故障しやすく断片的な時間しか測れない砂時計や水時計とはまったく異る信頼できて計測可能な科学的時間の導入は、かつての度量衡どりょうこう統一と同じほどの価値があり急務であった。膨張する王権に屈し、小麦島こむぎとうの一端に追いやられた正統教義の教会は、この不敵な挑戦を見て見ぬふりをするしか出来なかった。

――真珠島しんじゅとうの人々は、船団が東にある間に起き、船団が南西にある間に支払いを済ませ、船団が北北西にある間に寝る。取引においては時告げ船の旗が赤から青、青から白に切り替わる間に済まされること、と記される。

 旅人はこう謳い、軍艦島ぐんかんとう船団の新生は完成した。少なくとも<我らの海>が記した範囲内ならば無敵。未完成であったベルデナンの乱の頃でさえ、嵐の到来を予測し、早々に軍艦島ぐんかんとうに引き上げ、辛うじて嵐を脱け出した副王海軍を徹底的に叩きのめし、本土の傭兵隊との陸海協同作戦は一糸の乱れもなかった。唯一の対抗馬として、神を軽んずる真珠島しんじゅとうに鉄槌を下すと期待されていた都市国家ドロスとの海洋の覇権を決するジェルダンの海戦さえミナッツ王国の完勝に終る。

 それはともかく、ロッシュローはウニヴェロッサが万能者活性技術を施せるほど成長するまでは旧副王領の運営に腰を入れていた。しかし、前記の理由で倦み、王に睨まれるという心胆寒々しい現実を直視するようになるとグリゼリウス家本拠の都市ナルマーに一族郎党を引き連れて引きこもってしまった。ロマックは旧副王領官僚陣、真珠島しんじゅとうにいる本土長官に明け渡され、季節の変わり目ごとに代官署名が必要な書類の往来が行なわれるだけになっている。そのうち署名も面倒になるとすぐに判子に代えて、捺印も奴隷にやらせている。その書類にロッシュローは目もくれていない。水と布地だけあれば容易く書き換えられる羊皮紙に書かれた政策が判子を押された後に、どのように改竄かいざんされて彼らを富ませるか、領民の行く末を占う政策の許諾が何も知らない奴隷の掌に握られている実際は正しくミナッツ国を映している。

 ウニヴェロッサ・グリゼリウスは五歳になった。幸いにも敏かった。既にシニウス語の読み書きは完璧に近く、拙いながらもイブラ語も扱える。算術も巧い。ルイジェセンが語った王の少年時代の逸話の数々はそのままウニヴェロッサの活性方針に繋がる。グリゼリウス家生え抜きの活性係が総出になって有望の素体を教え込む。“時間”についてはどの活性係もこれを上手に教えられなかったが、ウニヴェロッサは幼いルイジェセンを見習って、同じように数を数え続けた。但し、四日目にして打っ倒れてしまうと半日以上目を覚まさなかったので、ロッシュローは神に祈るような真似をして、顔色を蒼白まで追い詰めたが、目を覚ました一番で、

「時間というものは難しゅうございますねえ」

 とのたまうのだから、身を潰すような心配が一気に抜けて出ていって、呆れるだけしかできなくなってしまった。

 それが気に喰わない点なのであった。特に野心と保身の道具という切羽詰った色眼鏡で見ると、なんでもないような短所がどうも指先を虫にかまれたように気にかかる。話している相手の一点を、じいーっと見つめ続けるいつもの癖は、その眼も口もまったくの無言だからなおさらいけなかった。質問はする方だったが、詭弁のような明瞭でない答えでも、その石像のような凝視する瞳を向けて納得してしまうので、冷たく受身に徹した覇気の感じられないところがある。世界中のあらゆる才を見、活かしてきたロッシュローはこの反応を剣闘士仕事からも逃げ出そうとしない性根からの奴隷、と告げている。

 グリゼリウス家所有物でも一番の古株で先々代に活性されて以来ずっと仕えているゾルムという補佐役の男が気付いて、

「毎日お一人で活性係か来賓学者の相手ばかりです。遊ぶ暇のない口を学問の弄びで晴らす文弱の気味も見えますし、このまま益々気を小さくしてしまっては大事。そこで同年かやや年長の者を対手役か教導役としてつけてはいかがでしょう」といった。ゾルム自身、昔はロッシュローの教導役であった。

「あれの覇気のなさは矯正せねばならん。せねばならんが、そんな素養を活かせる素体は切らしているな」

「粗暴ではないほどに覇気あって学もある者を探すならば一つ所でございましょう」

 後にナルマーはロマックを差し置いて大司教区に格上げされる。教圏各国の都に匹敵するほどの隆盛を誇る理由は、グリゼリウス家を盟主にして教圏半島沿岸諸都市を糾合した都市同盟を結成したところにある。特にミナッツ王国各都市は内乱以来、船舶を喪失したままにあり、造船に要る本土代官の許可証を見返りにして都市同盟に参加させた。通称ナルマコックと呼ばれる商船は、中小型の海船と川舟を兼ねる画期的なもので、川舟から海船に荷替えをする必要がなく最大二日半の短縮を実現した例もあった。加盟都市間交易は年二回ナルマーで開催される同盟都市会議で審議が整えられ、統制された日程で行なわれた。この統制交易とナルマコックに付随する航路、接舷、取引における様々な優先権は内乱後の衰亡する都市の経済を再び活況させ、盟主グリゼリウス家の名声を高めた。本拠ナルマーでなくともグリゼリウス家のお声がかりというのは大したもので、

「そういう五歳くらいの子供を貰いたいのだが」

 と談じ込まれたら、それはもう否も応もないのだ。グリゼリウス家に貰えってもらえるならいい縁だ、と思って奴隷商人が相手だというのに持参金の心配をしなければいけない。たとえ俗世と隔たる教会だってそうさせてしまうような底知れない実力をロッシュローは手にしている。肩書きの本土代官はそのままで、何といっても “七度の贖い主”は聖界の階層を数えて司教よりも二つ上の枢機卿に相当する権威。またミナッツ王国を二つに分かっていた国王派と聖公派の内実が教義の解釈と無縁でいられた訳がなく、内陸地方を占める聖公派の後押しを受けていたルーリック辺境伯へんきょうはくら正統教義派と、堕落の謗りを受ける戒律の緩いアドゥース派が広まる沿岸都市部を保護する姿勢を見せるミナッツ王との争いをより力強い根源としてい、王の信任を得つつ都市同盟を拡張するグリゼリウス家の動向はアドゥース派とも大きな関わりがある。

 ナルマー司教スティールは修道院長カーンと相談の上、修道士の中から選りすぐった子供を引き合わせた。これがロッシュローをして一目で「ホッ」と言わしめる才幹の持ち主だった。決してその外見ではない。

 解釈がどうであれ教義に基づく生活規範を示し、人々の尊敬を集める修道院ではアドゥース派であっても禁欲的な性格をそのまま引き継いでいた。黒亜麻で作られた肌着がやはり同じ色の式服の合間から覗いている。古参の修道士のお下がりと分かるほど着古された装束に身を包んでいる子供の目と髪の色でエステ人とは瞭然であったが、それよりもこの子供の大きな目に宿る澄んだ力強い光はどうだ。グリゼリウス家の奴隷商売で重要なのは素体奴隷の天性を見抜く目利き。幼少から大分な無茶をし続けて眼力を養い多彩な才を見分けてきたロッシュローに、

――この素体を存分に活かしてみたい。

 という意欲を抱かせる。その興味はウニヴェロッサよりも強い。

「ウルフィラと申します」子供ながら張りのある良い声であった。

「もう我が家もうかうか出来ませんな。これほどの才子を気前よく下さるとは」

「――兄弟を奴隷としない我々こそ神のお導き先となるのだろう」

「成る程。我らが神は全能であらせられる。隷従の手段にしても然様でありましょうかな」

 両者のどちらかが権威者なら恭しい挨拶と端々に敬意を込めた雑談などして牽制の応酬もないが、二人は聖界と俗界の中心に置いたナルマーを挟んで綱を引き合う間柄。教義の上では教圏少数の異端アドゥース派のカーンでも信条となると絶対多数の保守派に属する。その信条においても篤信のカーンは、自分の膝元で無法な手段に頼って聖界権威を手にした重々怪しからんロッシュローを、聖職者・貴族・農民という連綿と続いてきた古き三身分制を崩壊させようとする過激な新興勢力の首魁とも認識していた。というのに、カーンに自覚できる心中の作用は嫌悪よりも悲嘆だった。敵手と見なしてもいいロッシュローに、

――あなたを好きではありません。

 と聞かせるような言外の言で線を引くしかできない。しかし、これは自らの意志の薄弱を情けなく思うのではなく、あくまで教義に関わっていた。嫌っているのに嫌っていないように見せかけなくてはいけない。こうやって自らを偽る行為は人間の心性の単一性に悖るのではないか、こう考えるとカーンは罪を犯している気持になる。

「それはどちらも違うでしょう」と毒の霧を撒いたような空気をものともせずにウルフィラが口を開いた。眼光のようによく通った。「教会の御法は同教の兄弟を奴隷にしてはならないと定めておりますが、グリゼリウス家へ集う人々の多くは伝手つてを頼った解放奴隷の子孫か貴族騎士の二子三子。彼らはその活性技術によって、異教徒であっても生まれつきではありえない身分と立場を手に入れることが出来ます。これを奴隷というのは短絡な中傷に過ぎません。そもそも我らが聖公座せいこうざもこの人材が不可欠となっていて、ヴォレヌスでは彼らを神の奉公人と呼んで大いに活用していると聞きます。ですがロッシュロー様、神が隷従の手段にも優れているというのは聞き捨てなりません。確かに神は全能であらせられますが、院長先生も、そうした決め付けは神の御心と恩寵を損ないます」

 うぅむ、とロッシュローは唸った。その弁論に真新しい意見はない。意に留まったのは、気の弱い者なら生きた心地もしない大人同士の牽制を割って幼少の子供が意見を述べえた覇気である。ウニヴェロッサならばこうはゆかない。

――あれは質問さえせず、どちらが正しいのか手遅れになってから知るだろう。

 ロッシュローはウルフィラのこの覇気を美点と惚れ込んだが、カーンを含め修道院の人々は皆これを嫌った。修道士と一言でも長以下の格の違いというのがあってウルフィラは無品級の下男でしかなく、ロッシュローの前に立たせた粗末な格好も精々科を揃えさせた程であった。普段は畑仕事を主として古参修道士の仕事を手伝う身であったが、写本が肌に合ったのでこれを続ける許可を貰った。ところが度が過ぎて、祈祷の時課に度々遅れ、会則に反する程に書を手放さないなどの問題を起こした。とうとう、これまでの違反者の手で記されてきた不名誉な反省録を持たされて改悛席に座らされた。古参修道士が改心しているかどうかを見定める機の他、誰も違反者には接触してはならないのだから、この時代の恐るべき追放刑と同意である。にもかかわらずウルフィラときたら反省録を誰の邪魔もされずじっくり読んでいる様子がとうとう院長カーンの怒りに触れて両手を縛られて潮風吹き晒す反省房に叩き込まれた。さぞ堪えただろうと頃合いで覗いてみると足を使って反省録を読んでいたのだった。祈祷さえ欠かさなければ構わんとカーンの方が根負けして今に至るが、知を得るにつれて益々手に余ってきた。彼らは修道院の書棚の数多ある財産を僅か五歳の子供ほどにも把握していなかったのである。識字率の低いこの時代の本というものは、娯楽であったり新たな知識を獲得しようとするための道具なのではなく、様々に装飾された字体と均衡整った美しい並べ方を楽しむための美術品として重宝される。その文章の意味を読解している者は多くなく、写本という行為も学問ではなく模写、または生産とでも言うべきであった。

 だから、元は異教徒の手で成った書の中に教圏の正統教義と似通った経文を発見したウルフィラが、

――我々の神と北の異教徒の神々とは同じ神なのですね。

 言った矢先に、顔を真っ赤にしてぶるぶる奮えながら、控えろ! と怒鳴りつけた彼らの反応の方が自然なのだ。

 知の欲求を覚えたウルフィラは不満足の日々を過ごしていた。そこに、多種多様の人材に活性する糧として収集を続けた結果、修道院をも凌ぐほどの膨大な蔵書を誇るグリゼリウス家からのお呼びはカーンとウルフィラどちらも都合が合った。

「ウルフィラは――その書庫に立ち入れる許可がなければ行かないと言っているがどうかね」

 交渉の焦点が当てられたグリゼリウス家の書庫には異教異端とされる書物も山とある。かつてはその所有を攻撃の手がかりにしてやろうと、ナルマー司教スティールがカーンとの共謀を相談した事実からいって、美術品以外の書物が責任を伴う一種の財産として幅広く認定されていたと物語る。修道院の長という立場では、そのような俗世の権力闘争に関われないのが本当で、まして異教異端の知識が蔓延する邪悪の巣窟に修道士を送り込むような真似もしたくないが、

――ウルフィラの才は所詮、悪果に過ぎぬ。相応しい所に播いてくれるわ。

 と考えていたのだった。

 ロッシュローも密告の心配はしていなかった。ミナッツ王国と聖公座せいこうざとの争いの巻き添えを食う形で正統教義との軋轢あつれきが増す一方のアドゥース派がそうした挑発行為を企てて孤立を求める意味などないし、ウルフィラの気質の見抜きは済んでいる。密告という形をとって貴重な知を切り売りする蛮行は絶対にしない。これは強烈な好奇心に従っているだけだ。

「では、支度をしてまいります」

 聖別せいべつを示す奥の扉に引っ込んだウルフィラを見て、ロッシュローとカーンは年甲斐もなく重たい息を吐き出していた。互いの利害が一致した取引が結ばれたにしてはどちらも驚くほどの消耗を覚えていた。カーンは少々の罪悪感から、ロッシュローはその秘めたる才幹の活性を想像して。

「あれは一体どこの子だ?」

「さて、あの内乱の大嵐の日に王の手勢に追われて来た母子よ。元は隣の施療院で面倒を見ていた口の利けない女、いつだったかお前の手の者に買われて行ったな」

――アティルム実験の生き残りかッ!

 流石のロッシュローも唖然とするほど驚いた。アティルムの丘から逃げ得、今も行方が知れないのはウニヴェロッサを含めて三組。その二人目をこんな巡り合わせで引き当ててしまうとは。

「この罰当たり奴」

 ロッシュローの顔色を読んで、詳らかは知らないが聖界から伺えば邪推するのも恐ろしいろくでもない関わりに決まっていると看取したカーンは吐き気を催したように聖別せいべつの扉の向こうへ引っ込んでいった。

――これよりは聖別せいべつ。いかな王の兵といえども無闇な出入りはさせませんぞ。その母子がいたとして、既に俗世との交わりを断った者たちに今更何の御用がございます。あなた方も一歩でも聖別せいべつの先に踏み入れれば、容易な事では俗世に戻しませぬ。酒色を絶ち、諸罪を贖い、神の御心に触れる道は大変厳しいでしょうな。

 カーンは大都市ナルマーで修道院長を務めるほどに太い筋が入った豪僧だ。顔見知りの乳母とウルフィラを聖別せいべつの向こうに匿って、追跡してきた王の兵隊を向こうぶちにたった一人、剣の腹で顔を叩かれても屈せず仁王立ちの眼光一つで引き上げさせた。ロッシュローに組み拉がれた力関係も個人のものではなく、育ち行く都市権力に教会権力が及ばなくなってきた時代の趨勢すうせいという別の由来から発する。司教スティールは歯がゆく悔しい心の内を隠さないが、聖別せいべつの扉はカーンには今や昔日をただ偲ばせ、恩寵が教義の一致を叶える日の到来をただひたすら願っていた。

 ウルフィラとても聖別せいべつの向こうに匿われた時点で将来歩む道は他になかった。修道院に女の気は御法度であるから、乳母とも引き離されたままだ。赤ん坊ながらに分かるのか、別れの日、葉のように小さいウルフィラの手は乳母の服をぐっと掴んで離さなかった。若い修道士が三人がかりで引き離して、泣き声は命の限り続くと思われた。ウルフィラがグリゼリウス家の奴隷商売を擁護したのは、窮屈な枠に閉じ込められた自ら望まぬ境遇を叩き壊せる僅かな機会をより手元に手繰り寄せようとする決意でもあった。ウルフィラには、それができた。決意。

「ウルフィラよ、本来出れぬはずの聖別せいべつから出ることの意味分かるな?」

「これもお導きの故でございます」

「だが、本当は信じていまい」

「いいえ、信じてはいます」

「不信心者奴」

 事実上の破門宣告を受けたウルフィラの珍妙な姿は様々な姿かたちをした人間が出入りするグリゼリウス家でもちょっと見ないものだった。活性中のエステ人奴隷は、同じ出でありながら教圏の聖職者装束のウルフィラを心よろしくない目つきで見てい、他方、改宗教徒が教圏の人々に認められるにも何世代かをかける。

「お前が対手役のウルフィラか」

「はい、ウニヴェロッサさま」

 しかし、幼い二人の仲は初見えの先から良好そのもので、寝所を一緒にするなど、ロッシュローの野望を知らされている兄二人の態度よりも遥かに親愛であった。この親愛さの中で、ウルフィラが自らの境遇から脱け出る決意を手本の一つとしてウニヴェロッサに示せていたのなら……だが、諦念とは無縁のウルフィラであってもグリゼリウス家所有物と遜色ない対手役の待遇は満足できるものであった。

 後年、ウルフィラは自らの信仰生活を振り返った晩年の告白の中で、ウニヴェロッサとの出会いについて触れている。

――書を読んでいると、読むべきに読んでいると多々感じ入る。しかし人と出会うにおいて、出会うべきに出会ったと感じられることは気の毒ながら稀である。これも神の御心に他ならないと知るのに、私も時間を要した。神がその血肉を文字に代え、書に植えて我らに下されたように、自らの兄弟となる者もあらかじめ定められておられる。

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