ウニヴェロッサ・グリゼリウス 1
いかづちは神の識らせであるという。
こういった古い言い伝えは、それが文明構築までの通過儀礼であるかのように古今東西、散在する。雷を司る神は概ね高い地位に居、数多の神々を従えた。ある一神教はあらゆる多神教を駆逐し、史上最大の教圏を築き上げ、この世の規則を定義づけた。といって雷は姿を消さない。樫の木にはよく雷が落ちるので雷神の利益があると世俗の迷信に姿を変えて存続し、戦場に突撃を敢行する直前のいくさ人がこの灰を口にして戦意をより高めた。
雷は地史を反映する鑑という迷信もある。人倫乱れ、地史に暗雲が見えるとき、天がそれを伝えようとする疎通が雷というのである。
奴隷商人ロッシュロー・グリゼリウスは疾駆する馬車の天蓋を震わせ始めた激しい雨音と雷鳴を聞き、ふと考える。今、ミナッツ王国は王領三島にこもる国王ルイジェセン二世と本土副王ベルデナンを押し上げる諸侯らの間で内乱が始まったばかり。人事を反映して神々が兆しを下しているという考えからいち早く脱け出ているロッシュローは、その先んじた頭脳を乗せた首を東、アレモ海の方角に向けた。湧いた胸中には、
――出撃した船団は、酷かろう。山猿貴族奴が、海も山と同じに雲を変えやすいと聞かねえのか。
この大嵐によって、王領の軍艦島と小麦島へ出撃した船団の多くが海の藻屑になっただろうという現実的な予測、加えて、想像力を欠かした男への軽蔑しかなかった。その男とは、副王ベルデナンの背に立って内乱を実質指導する本土諸侯随一の実力者ルーリック辺境伯バスタールである。奴隷商人グリゼリウス家にとって重要顧客の一人ではあったが、今しがたその関係を白紙にしたところ。
金づくで権利を手にしたとはいえ、卑しくも私領を持つ身分のグリゼリウス家。有事となれば動かなくてはならない。土地の下賜、領有の保証と見返りの封建領主の務めとは縁がなかった。多くの忠誠契約主の中から最も豊かな見返りを提示する主につくのは貴族や騎士の選択肢で、彼らは見返りに奮起して勝利を手繰り寄せる。一方、商人という前身を持つロッシュローには別の思惑がある。勝者なら分かりきっている。ただ、王権の拡大に腐心し王領では大王の尊称を号し始めたルイジェセンの志向は、どこの誰にも帰属しないグリゼリウス家という新種の貴族を許容しないだろう。内乱鎮定の余勢で何を仕掛けてくるか分からない。まずもって副王側には付けない。今までも相互信義を約そうとする招きはあったが巧みにかわし続けていた。個人的な友誼や商売上の付き合いはあっても、伝統的な貴族や騎士のような義理はない。ところが、“七度の贖い主”という宗教的権威を授与された者の義理に気付いたのは山猿貴族にしては上出来であった。ミナッツ国内に於いてはルイジェセンとバスタールと並んでその聖号を持つロッシュローに内乱の仲裁話が舞い込んだのであるが、副王を操るバスタールのもう一枚後にいるのがその聖公座。
ルーリック辺境伯と聖公座の連合とミナッツ王家の積年の争いは根深く、半島の北と南で戦機熟した今、話し合いで収まるとは思えない。しかし、この調停依頼を無視して国王側に付きたくとも、窮鳥の如く飛び込めば“長い手” の大王ルイジェセンに煮て食われるか焼いて食われるか分かったものじゃない。この時、グリゼリウス家は始まって以来の危機に挟まれていた。身に及ぶ危険を十分に察してはいたが、留まることは許されない。通常そんな目にあっては、よほどの幸運の持ち主でなければ進退は窮まっている。聖公座との会談の席上、副王軍代表から出された要求に意味はない。重要なのは、王の軍船がひしめく軍艦島と真珠島の胃袋を満たす小麦島に奇襲をかける大船団は本土港湾都市オスカーに集って、出航目前という余りにも短い猶予期間である。
慎重に言葉を選び、支援の詳細を記した手紙を書くと偽って別室まで引き上げたロッシュローと側近の所有物たちの元を訪れたのは、ある奴隷。踵まで隠す衣装から教会関係者と分かる。奴隷はロッシュローから手紙を預かろうというのではなく、逆に密やかな手つきで手紙を差し出したのであった。四面楚歌の会談の地で北方のエステ帝国公用語イブラ語を解するだけでなく、こんな情報を流そうという人物は何者だろうか。
――雲の運行を見、大気の状態を感じましたところ、船団は嵐の中を進まなければならないでしょう。多くの船乗りたちも嵐の前触れをよく感じ取っておりました。大半は海底に没し、とても二島の占領などできるはずもありません。主人は返答次第で旦那様に危害を加えるでしょう。脱出の準備は整えてございます。
立場上、被った頭巾を脱いで素顔を晒すことは出来ない奴隷の素性はすぐに察しがついた。かつて聖公座がどういった興味を引かれてか発注した異教国の自然科学に通じた奴隷に違いない。かなり出来の良い奴隷で所有物にしたい程だったが、能力に合った地位を与えられているとは思えない粗末な服装である。
ロッシュローはその手引きによって虎口から逃れた。
「足止めはお任せ下さい」奴隷は残った。
不覚に気付いた副王側が放った追手と衛兵は激しい戦いを繰り広げ、死者四名、怪我人も七名。奴隷たちの命がけの奮戦によってロッシュローは当面の死地を脱した。“七度の贖い主”の聖号だけでは命を張ってでも主人を守ろうとする殊勝な奴隷には恵まれない。グリゼリウス家を他の奴隷商人と決定的に分ける特色に端を発する。古きサーニー帝国の帝臣にも名があるグリゼリウス家は中興以来、奴隷を素体のままでは売らず、顧客の望む能力を身に付けさせる人材活性に力を注いできた。代筆代読できる奴隷、算術に通じた奴隷、武具の扱いに慣れた奴隷は昔から変わらぬ定番商品であり、上層の支配階級を多く顧客に持っていた。その顧客と交わすある同意には特筆の価値がある。
――自らを買い直すほどに労務を果たすか二十年仕えた奴隷は解放の上、当地領主に特許状を申請し保護民とする。
この規約は四百年も前に作られた。当初はよく踏み倒されて幾多の奴隷に涙を流させたが、隆盛を迎える聖界権力と結んで契約形式を教会内での神前契約にしてから微増に転じ、ロッシュローが“七度の贖い主”の権威を得た頃になると、解放契約を履行しなければ今後の取引を行なわない強硬態度をとれる迄になり、その成果はギナのような辺境部族が教圏共同体に参加する手段のひとつにまで発達しようとしていた。ロッシュローの身を命がけで護り通した奴隷たちは、買われた頃には己の肉体と野蛮と謗られる風習の他に何も持たなかった。他の奴隷商人の手にかかればまず間違いなく鉱山行きのところを、教圏内での会話に不自由ないほどの教育を授かり、ある者は読み書き、ある者は算術、ある者は自然科学に触れ、実力と運が伴えば破格の待遇を得る者もいた。どれもこれも“七度の贖い主”のロッシュローの命あってのこと。奴隷上がりの衛兵全員に決死の防戦を覚悟せしめたのも不思議ではなかった。
追手の側にも事情があった。聖公座がロッシュローに調停を依頼したのも陰謀一色に染められた謀ではない。大別すれば俗悪に堕落したという聖公座主流派とかつて聖界権力拡大の原動力になった修道生活をより先鋭化させる黒蟻修道会を筆頭とする革新派閥、双方を納得させるだけの実力がグリゼリウス家に備わっていたからである。猫の額ほどしかないグリゼリウス領が養える兵力は十名の軽兵を四日間が精一杯。既存の争いの枠組みでなら恐れるに足らない。しかし、まず初めに数えられる “七度の贖い主”という権威と商人でありながらそれを可能にした財力、教圏内外に築いた無数の人脈などを総合した評価はミナッツ王とルーリック辺境伯の間に立って口が利けると期待できるほどに大したものなのだった。その為、追手には生け捕りの厳命が下されていた。ロッシュローを殺してグリゼリウス家独自の奴隷活性技術を敵には回せなかった。グリゼリウス家を敵に回せば人材供給が絶たれる。西部ブレンダン地方の強力な諸族は恨みに思い、西部出身の傭兵たちは決して副王側につかず、グリゼリウス家を慕う奴隷たちは必ずや不穏分子と化すだろう。
自身の命を護ってくれたこの絶妙な力の均衡を解し、戦死傷者と遺族を奴隷から解放すると約束したロッシュローを乗せた馬車はひたすら南へと疾駆する。追手ももしやと思えば気がかりであったし、さっきまでの戦いのせいで馬が猛っている。女子供ならば怯えてすくむ様な凄まじい雷雨は道を悪くする。雷雨に加えぬかるんだ道で馬という神経質な動物を、御者も前を走る騎兵も実に巧みに操った。彼らはグリゼリウス家に選り抜かれた所有物であり、ただの奴隷ではない。
「旦那様、向こうに灯りが」
――待ち伏せか。ならば灯りをつけるものか。
「こちらも合図せよ」
御者は笛を強く吹き、前方を走る騎兵に指示を渡した。手にしていた松明がぐるぐると回る。これは敵意のない意思を示し、続けて松明を左から右に動かし進路を告げる。馬車は道の右側に寄せつつ徐々に速度を落とし、ついには停車した。全速力で走り通しだった馬たちは荒い呼吸を繰り返す。騎兵たちは僅かでも馬を休めようと下馬したのだが、やって来た兵士三人は、不意の遭遇に際しても下馬を達した一行に対して恐れ入る様子であった。それでも隠しきれない焦燥の相と体中に付いた泥や枝葉は只事でない雰囲気が漂う。所有物たちは下馬を早まったと悔やんだ。国王側と副王側の陸戦がどこかで起こり、こ奴らは落人なのではないか。
「我々はアティルムの丘にて王に仕える者である。下車願いたい」
兵士たちは習慣になっている手振りで馬車に刻まれているはずの紋章を確認しようと松明を近付けながら言った。共有物を示す都市紋であればより強く下車を促さなければならない。馬車の側面に描かれていたのは、円の中を均等に青・白・青の順に塗った単純な意匠で家柄の古さと専用の馬車を所有できる格を感じさせる。家紋の上部には七つの星が煌めいていた。これぞ “七度の贖い主”を表す格別の聖誉であり、一介の兵ごときの手で行く手を遮ること到底叶わぬ相手である。
「アティルムの丘じゃあ実験が行なわれているはず?」
もう身元確認もない。ロッシュローは兵士たちの要求を無視し、姿も見せずに話す。兵士たちは非礼を詫びる機会を逸したまま神の威光にも等しい権威に堪えねばならなかった。
「――実は閣下、実験に使っていた乳母と赤子が逃亡し、我々は追跡の最中なのであります」
隠す必要のない相手でもあるし正直に白状した。ルイジェセンの探求心から発したこの実験に必要な聾唖女と赤ん坊をかき集めたのは、教圏の内外に幅広い繋がりを持つグリゼリウス家であった。
「左様か。だが、それは我らに与り知らぬこと。急がねばならぬため、通らせていただく。諸君らの幸運を祈る」
騎兵と馬車は開いた道を行った。十分離れたところで御者を任されるほど信頼厚い者が不審そうに、
「旦那様」と口を開くと、
「一切他言ならぬぞ」と久しぶりに耳にする主人の凄んだ声。あの兵士たちは知るまい、彼らが血眼になって探し回っている赤ん坊の一人は、既にこの馬車の中にある。ちょうど、これまでになく大きな雷鳴が響いた。光源のない真っ暗な馬車の中にいるロッシュローの顔は、かつて“七度の贖い主”を得るための工作を実行に移した際に使い果たされた野心が再び目を覚ましたかのようであった。
――先々代が活かした奴隷は宰相まで昇った。だが、王を活かした者がかつてあったか?
「ホッ!」
御者は確かにロッシュローの口癖を聞いた。大きな感興を得たときには決まってこうだった。身体の中に溜めた息を一斉に放出するような大きさで、頓狂な声を挙げる。貴族の行儀作法の手習いをしていた頃にも諫められたが、生涯これだけは直らなかった。
本拠としているナルマーに戻ったロッシュローはこの内乱まで逡巡を重ねて曖昧に過ごしてきた今日までの日々を大王ルイジェセンに侘び、協力を申し出た。軍艦島と小麦島に向けて出撃した船団はあの奴隷の予言が中って海の藻屑となり、副王軍は海軍戦力を喪失した。戦況有利の今、並大抵の協力では新種貴族グリゼリウス家を保証する程の感興も頂戴できまいが、ロッシュローの仲介でブレンダン地方の勇猛な傭兵を大量に雇い入れると、古今東西の戦術に通じて経験も豊富のグリゼリウス家所有物を指揮官として提供し、破竹の勢いで勝ち進んだ。
趨勢の定まったこの内乱に異様な話がひとつある。副王領の都ロマック攻めの終盤、副王ベルデナンの弟で、優れた防衛手腕で国王軍を釘付けにして見せたアストン王子は、最早これまでと看た。大王ルイジェセンはバスタールの処刑とベルデナンの幽閉の処置までは考えていたが、他の息子たちには寛大に接しようとしていた心中が彼らに宛てた手紙の中から読み解ける。有名無実で人質紛いの副王の地位に鬱屈した心を同情するに見せかけた辺境伯にあっさり唆されたベルデナンと違って、アストンは骨が太かったし、ミナッツ王族の中では例外と明言していい篤信者だった。聖公座を軽視し、ウェルシャ・ムーサを平然と裏切り、あろうことか人体実験にさえ手を染める父王の悪行が、信心深く誠実な王子に反抗心を募らせていた。先だって帰した使者は降伏を勧めた。ロマックに籠もる全員の命を保証するという。
――親に刃向かった子がどの面下げて降れるか。
頑ななアストンは死を決めていた。
使者を帰した正門から突撃して華々しく命を散らそうとしていたアストンを慕って死路を共にしようと残る者も五十人いた。何しろ当人ら、よしここで死のうと定めているんだから手に負えない。突撃を直に受けた王直下軍艦島陸戦隊も精鋭揃いであったが、前衛が中陣にまで押し込まれる凄まじい被害を出した。親の情はあっても息子の死に花に満足する心根など持ち合わせていない現実家ルイジェセンである、決死隊を包囲せず巧みに進路を操って逃がしたのは、ロマック陥落を見届けた上での損害を極力抑えた判断であり、生け捕りは次の機会にと言い聞かせていた。
異様な話はここからだ。ロマックから副王軍本拠ルーリックまで追手と落人狩りを振り切ってようやく辿りついたアストンは、そこで死ぬ。ロマックから九死に一生で生還した奇跡が裏切りの疑いを生んだのである。
「とぼけるかっ。お前の奴隷が貴様らの内談全て聞いたというぞ。更に見よ、この奴隷が持ち帰ったお前宛ての手紙! わしには役立たずの船貴族に預けと言って、お前は赦免! 真珠島召還! ロマックの奮戦を聞けば末は王位であろうぞ!」
「兄上! 私はっ……」
敗戦に次ぐ敗戦、離反に次ぐ離反は、長い人質生活で捻じ曲げられきっていた副王ベルデナンから肉親の情まで奪い去ってしまっていた。アストンはベルデナンの傍に控える奴隷を睨みつけると潔白を証そうと自死した。ところが、敗走中に嵩んだ疲労で手元が狂ってしまったのか、あれほどの武芸者ともあろう男が即死できなかった。死因は恐らく大量の失血によるものだろう。
――ロッシュロー奴、商人風情が王族を謀殺し何を企むというか。
アストンを告発した奴隷はかつてグリゼリウス家に発注した “決して裏切らない忠実な奴隷”であった。
“長い手”の二つ名で恐れられる策謀家のルイジェセンが、手強いアストンを非情な手段で除く気だったのならばともかく、手紙の通りの処遇を検討していたのだから、これは何かの行き違いか事故があったと考えられる。アストンを生け捕った者には王が四倍の報奨金を与えると伝えられた傭兵隊が追跡に出たが、不思議なことにもう一息というところで、崖崩れや猛獣との遭遇、地図や装備品の紛失、はたまた返り討ちなどで取り逃がした。アストンには雷神がついているという噂まで立てられた。
すべてグリゼリウス家所有物の暗躍であった。ロッシュローは王権に対抗する手段を考え付いたのだ。
ルイジェセンにはベルデナンとアストンともう一人息子がいた。初の息子は死産、次の息子も幼少時に急死。無事に成長したベルデナンは副王に、アストンは軍人に、とくれば末の息子は聖職者。異教徒の帝王を捕らえた戦功で獲た枢機卿の席の内、一つが僧籍に入ってペトボルの名跡を継いだその息子の尻の下にある。王権の強大化がより進めば聖公の位も視野に入れられる者が還俗もないとは思われるが、
――王ルイジェセンは油断がならない。
と某人の思いひとつで毒殺されている。アストンの死に様を聞いて衝撃を受けたルイジェセンは末息子の急死をバスタールの悪足掻き見て取った。後ろ盾の聖公座に敵の実子がいるのは確かな脅威であった。これが内乱勃発当初の地均しの意味を持つ事件だったなら、この戦はここまでやるような戦か、と凍てついて誰であっても疑いの眼を向けなかっただろう。だからやらなかったのに大王と渡りを付けられるペトボルを敗北が濃厚になった今になって殺す必要があるだろうか。むしろペトボル卿暗殺で最後の所から突き落とされたのは他ならない副王側だ。王家の古い傍系として扱われてきたルーリックの末路は無残であった。ルイジェセンの政略によって副王軍は完全に瓦解してい、あとは指先ひとつで転がすだけの最終段階に入っていた。
アストンとペトボルを喪ったルイジェセンにとって敵城に掲げられた降伏旗の存在は、これから房事に励もうとする男女の衣ほどにもなかった。
――風が弱いな。旗の色さえよく判らぬ。
大王の言葉を近臣も将軍もロッシュローも直ちに理解した。
灰だけが残った。ミナッツ内乱と同じ時期に異教帝国エステに遠征した教圏連合軍が果たせなかった戦禍の全てが、このルーリック凝縮して起こった。殺戮、虐殺、強奪。さして珍しくもないが。
――ルーリック辺境伯は、まず暴徒の罪で手と耳を切られた。次にペトボル卿暗殺を否認したので涜神者・偽証者として舌を抜かれた。戦の際に回覧した檄文が中傷と審判され体中に焼印を押された。バスタールが子オリュクスは軍資金調達のため贋金を作っていたので釜茹、妻アレクシオスは不貞を働き生き埋めとなった。この始終を見せた上で眼球をくり貫いたのは家長の責を問われたからである。また人殺しの罪で両腕を車裂き、両足は皮剥ぎ。反逆者の罪は四つ裂、心臓が飛び出、これにて死んだ。以上は全て聖公座が求めた法に則った処置であり、神の名において定められた規律である。
<戦記>に続いて著した<内乱記>は、自国の内乱を第三者の視点で描く離れ業で展開された。それにしても、聖公座のバスタール免責の介入がいかに不当で依怙贔屓だったにしても、当てつけるように残酷な刑に処した描写は不必要な記述である上に、筆者の心中がどうしても滲み出ている。アストンとペトボルを喪ったことは、今や絶対の王をしても痛手であった。
「ご尊顔、麗しくございませぬな。遂に国内の脅威無く、教圏の国々も大敗を立ち直るのに多年をかけましょう。今こそ王の御世であらせられますに」
「後継のことよ。こればかりは如何にグリゼリウスの技術を尽くしてもできまい」
「いかにも。王の血ばかりは、当家の秘術をもってしても」
「ベルデナン奴、白々しくも小麦島での謹慎を願い出ておる」
「え」
「王の位は王の血のもの。あ奴しか、あ奴しか」
ロッシュローの顔が蛸のようになった。自らの野望の新芽が陽光を浴び始めてくるのを感じ、例の癖を押さえつけている。
「いいえ陛下、アティルムのジェソン様がおられます」
「あ奴も他の赤子同様死んだではないか。王の血ならば生き残ると思うたが」
「――生きていておいでなのです」
「なに」
「あれほどの才気を捨ててしまわれるのは惜しく、ジェソン様は当家でお預りしておりまする」
「何をッ!」
大喝には、王位と血統に執着するルイジェセンの執念が吹き込められていた。商人と顧客の良好な関係を越えて進歩人を自負する者同士の共感を交わしたことは度々あったが、やはりそんな私情は王の威厳を前に何の保証にもならない。肉体が滅しても継承され続ける王の威厳とは、私情を犠牲に捧げ、孤独に身を窶してこそ己の物にできるからである。
王にひれ伏す貴族たちは王個人の機嫌よりもこの威厳の気配に敏い。威厳に叶って初めて幾ばくか心を許され、不穏な動向であってもどの程度なら許容されるかを推察して身の処し方の参考とする。
血統に執着する王の威厳はこの時、かつて何度となくあったように呪縛となった。ロッシュローは暗黙の承認が与えられたことを察した。
――だが、あれだけは言えぬ。アストン様とペトボル様のことだけは。あれだけは知られてはならぬ。
もしやルイジェセンは両王子の死の真相と黒幕をも知っていたかもしれない。それでも威厳が求めるグリゼリウス家との密約を選んだ。
「名はウニヴェロッサ。名目上は当家三男でございますが、当家の秘術を注ぎ込みきっと相応しい者に育て上げてご覧に入れます」
「ウニヴェロッサ<万能なる者>か」
後日の論功行賞で、グリゼリウス家は内乱鎮定に格別の功績ありと賞されて、旧副王領ほぼ全域の統治を委任される本土代官のお役を頂く。代官。もはや栄華絶頂に達した王の家中、真珠島の住人として迎えられた意義の方が爵位を手切れに頂戴するよりもずっと大きい。
反乱の旗頭ベルデナンは小麦島での謹慎を許されたが、乗船が海難事故に遭って沈没。怪死する。ミナッツ王家は王権のかつてない拡大とは裏腹に、後継者を全て喪う繊細かつ重大な事態に直面する。