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フェリクス・フローディック 7

 戦というにまさかり団の戦術には節々に遠慮が見られる。周辺地帯の百姓の避難が完了するまで手を出さなかったし、ガレー家の若衆を逸って殺してしまった傭兵たちとは即座に契約を打ち切った。やっぱり痛恨事で、信仰心を純粋に残す中原でそんな悪道を犯せば、正義の有りどころがこれほどあからさまになる戦もない。いくらガレー家が助力無用と言い張ったって蓋も仕切れないほどだ。たった一人の丸腰を殺した為に自らで退路を閉じたほどの不利に陥った。

 やっぱり対手が悪い。ガレー家を単なる游侠ゆうきょうの徒の寄合と思い込んだのが失敗だった。リッツを借りてウルフィラも言っている。

――悪党にだってピンとキリがあるんだ。

 身を持ち崩す前にどこで何をやっていたのかをおいそれと聞かない作法の界隈に、どんな正体を潜めて伏せているのか。ローブだって、ははーんと目星をつけてはいても実を詳しく知らない男がたんといる。リオンがそうであるように化けの姿としても便利なのは游侠ゆうきょうの皮。

 ガレー家十人衆の一人にバグという男がいる。いや、実は十人衆の格でもないとも言われる。五千ダーフの借用書の裏面に名が載っているからには十人衆だ、その名が棒引きで消されているからそうじゃないと、侠客という白か黒かの身ながらどうもすっきりしない。ガレー家の世話になった頃には老侠ろうきょうといっていい具合であった。その歳になるまで旅烏たびがらすしているようじゃ大した奴じゃないな、とか見くびられる節には頓着しないものの、ふとした風を浴びると凄まじい眼光を放つ。バットらと同じのいわゆる首継ぎ組であったが、なぜかローブの態度は幾分か丁寧で、

――ローブの兄弟、バグの兄弟。

 とか呼び合っていたというけれども、これは流石に信じ難いところがある。というのも、ガレー家の縄張りでも飛び切りの難所、泡沫ほうまつ騎士群生地域のそこを任されるバベルが出るまで、しばらく潔癖公から星取を成し遂げる男が出ず、家中の勢いに淋しさが付きまといつつある中、バグが初めて挑戦しに行った。それまで、というか最後までセルから取り立てられた最高額はバットの百ダーフだったが、バグは荷車に引かせて四百ダーフも取り立てて戻ってきた。家中の皆、唖然呆然。ローブが腰を抜かすほどに驚いたという。すごい男だ、一世の大侠客だという評判が立ったが、堂々と持ち続けていい色の金ではないらしく、すぐに返されてしまった。スロアーガの演劇では、

――お前、どうやって四百ダーフも取れたねえ?

――へ、これといった才覚は持ち合いませんが、ただ将棋だけは人に優れておりますので。

――将棋をなあ。それに賭けて取った訳か?

――へえ。五番無制限で一本はとられましたが。

――将棋で賭けたに違ぇはねえんだな?

――へえ。

 ここでぱっとローブが跳ね起きて、

――馬鹿奴! 相手の星を当てにして博奕ばくちをするたあふてえ野郎だ! うぬぁその歳までこの道でなんの修行をしていやがる!

 といって殴りつける型場面がある。さて真実かというと演劇の演出を抜けば、やっぱり大体が真実だろう。そうすると戦中でもなければ常に懐具合の温まった潔癖公に、大所帯のガレー家が数年を悠悠楽楽に暮らしてゆける四百ダーフを債権ごと返して詫びたローブの侠気きょうきに比べ、バグの格は十人衆どころか下の部に属して越えない。芝居だけの話かと思いきやその将棋の強さなら確かで、メルタニアのシモンを対手取るセルとあろう戦巧者がけちょんけちょんにのされて、てんで敵わなかったと悔しがっている。実戦と将棋が違うかどうか、これが大違いできっと将棋が頭脳的だという。五十手限りの指し合いで労苦と被害を重ねながら、王を詰めても勝ちになるとは限らない。こんな実戦とはやっぱり比べようもない。

「悪いがやってくれるかえ」

「命のご恩ですから、やりますとも」

 ガレー家始まって以来の喧嘩の拍子取りを任されたバグは戦の方も達者だった。二百人から三十に分けられた組には猟師から身を崩した者ばかりを集めて狼か野犬を捕まえるように言って、ロイター川を西に越えさせた。一七〇の主力にはこもになるような真っ黒い布をかき集めた。

 愚かにもまさかり団は先手さえガレー家にやっていた。準備ができたらその合図としてどうぞそちらからお攻め下さい。喧嘩を売った分際でこんな戦法もある訳ないんだが、まるで報いか愚昧も即座に醒める鮮烈な夜襲だった。敵襲を報せる大声や悲鳴や断末魔ばかりで、黒いこもを被って闇夜と同化する寄せ手には勝ち鬨もなかった。バグがそう達していた。

――突いて確実に殺せ。だが叫ぶな。大声喚いて得物振り回してたんじゃ、喧嘩している身の挙句に自分は馬鹿ですと重ねて明かす無様なもんだ。

 バグの命令は簡潔にこの二つ。ごもっともですと賛同した夜襲組は誰もこれを破らなかった。喧嘩だって敵と己の力量を知らないままやってはいけない。この先手はガレー家の兵の質を見定めるため、バグも随伴して顛末を観測していた。

――この歳になってこんな兵を操って戦できるとはなあ。生きてりゃわからねえもんだなあ。

 何で見せてたか分からなかったバグの凄まじい眼光。戦の最中はずっと切り替わらないままだったので、

「爺さんいくさ人崩れかい」

「よく分かったねえ」

 身の素性がとうとう広まったが、どうやら下っ端のいくさ人という訳でもなかった。

 ガレー家が別段に夜襲を得意としたのではなく、游侠ゆうきょうの喧嘩とは夜というのが定法である。朝昼間、太陽がぴかぴか光っているのに、堅気かたぎさんが汗水を垂らして健気に働いていらっしゃるというのに、血を流し合う喧嘩など迷惑千万、法も秩序もあったものじゃない。争いを憂う神さんへの遠慮、堅気かたぎの方々への遠慮、騒擾そうじょうを治める権力への遠慮があって、いついつに喧嘩だと売ったら、買う方も妖魔や怨霊の時間とされる夜だと心得ていた。喧嘩に限らず、賭場の書き入れは四季がいつでも夜だから、自然と夜目が鍛えられてある。昼のようにとはいかないが、夜といえば目をつぶっているばかりの連中とは見晴らしがぐんと違う。それに、百姓が避難した後の村には何もかもが置き去りになって残っていた。きっと弁償するから、という一言で狡猾な百姓が呑み込んで、汗の結晶たる農作物と家族にも等しい家畜を置き去って行くなど、なまじっかな信頼でできることではない。収奪品が満載の各村落はまさかり団が占領し、分散した拠点になっていた。どこもガレー家の縄張りだ。どこの村も作りを知り尽くしている。森からの夜風が刃を呑んでいたかのような夜襲に、誰が対手とも本当の数さえ分からず突き殺されていった。村落を占拠する頭数だけは分からないので討ち漏らしたが、恐怖にすくみ切った生き残りがどう大げさに言い触らしてくれるかバグには楽しみで仕方がない。

――一声も発さず殺す。奇特な一人でなく全員が全員そうやって殺した。虎のように敏捷で獰猛、目の色は炎のように変わっていた。

 夜襲地点に近い拠点は次の晩からおちおち眠ってもいられない。風や家畜の仕業の物音にも怯えて、寝ず番を増やしても不安だった。

 ところが次の夜襲は前線からかなり内側に入った村がやられた。鮮やかな夜襲だったようだがまさかここまでくるまいと高をくくっていたら、やっぱりやられた。払暁の明かりを待って軽兵ばかりの強行軍で追撃したというのに、影さえも捉えられなかった。夜襲で追い立てた村を占領して中継地点にしてもないので、森や洞に秘密の野営地でも拵えているのではと、全ての拠点から一日の距離を虱潰しにさせて見たが、足跡も人糞もないというのに、毎夜連夜の襲撃が立て続いた。

――奴らは風にでも乗っかって来ているのであろうか。

 まさかり団は不思議がったが、なあにそんな魔法のようなもんじゃない。ガレー家の世間修行を潜り抜けたらどんな頓馬とんまでも韋駄天いだてんになれる評判は嘘じゃなかったという、苦労を物語る技である。世間修行というのはそれはそれは辛いもので、足が足らなくて順達の届いている目的地まで遥々もあるというのに、山や森のど真ん中で何を積んでも代えたい冬の陽が落ちたとしてもその辺で野宿ということはできない。よそ者がまるで見知らぬ土地でその夜の雨風の凌ぎ場までどれほどかもわからない心寂しさは人相に違反しているような大の男でも泣きたくなるほどだが、なにしろ掟だ。しかも順達はその日に着くと触れている。たとえ堅気かたぎ人の目には小さい事と見えようと、義理と男振りを競う游侠ゆうきょうに身を沈める者が、しかも宿と食の面倒を見てくれた方が交わしてくれた御約束を反故にするなんてのは、黒か白かの二色きりで灰色などないこの世界では生きていけないほどの汚名である。だから、それこそ死に物狂いで早足を会得する。いろいろと喧しいしきたりも多いその世界、折角の早足に物を言わせて順達を頭越しにするのも掟に背くので、自慢の足が錆付いた者もいたが夜襲に選りすぐられた健脚の持ち主は、胸に置いた籐籠とうかごがまるで引っ付けてでもいるように落っこちない勢いのままで歩けた。前ばかりか後でも横でも同じ芸ができた。

――人並の四日なら一日で行けやす。

 大袈裟でなくそんな自慢をできる奴がごろごろいた。ガレー家とまさかり団では距離感がまるで違った。まさかり団にとっての二日の距離がガレー家にとってすぐそこという程度なら、レストン川からガレー家本拠に突入する間のどこかで必ず夜襲に遭う勘定が立ってしまうし、後方攪乱もお手の物だろう。後ろも見ずに雲よ霞よと走って逃げるこんな連中に追いつくにはどうしても騎兵が要る。夜襲を凌いだ翌朝に騎兵でもって追撃をして相手の頭数を殺がなければこの戦は早々と詰んでしまう。

 まさかり団がメルタニアの騎兵傭兵団と契約する間にバグは対策を終えていた。一体全体、狼狩りだの野犬狩りだの企みはまるで分からないが、ともかく生け捕りで揃えてあった。難事を物語って二人が噛み殺されている。六人が戦闘不能の重傷。優勢に戦を進めた夜襲組も減って、二百人いた総数で戦闘可能の者が十五五名。対してまさかり団はその五倍近い損害をこうむっている。戦力差を考えれば奇跡的な数字ではあるが残らず手負っている。特にバットはたとえ非のない喧嘩であっても若い衆に殺しなんてさせたくないと力み勇んで度々突出するから片耳を落とされてしまっている。

「おい、耳をどうした」

 と聞くと、

「あれ、ねえや」

 何の気なく答えたというからふるっている。ローブ没後、折角残ったもう片方の耳を切り落として足を洗ったのは、今後一切ガレー家の跡目、行方に関わる話を耳に入れたくないという意思表示であった。

 騎兵の威力は凄まじく形勢は一挙にまさかり団に傾いた。突撃で無残に散らされたわけはなく、騎兵の登場までにレストン川から押し出せるあと少しのところまで追い詰めておきながら、夜襲を中止して再び誘い込みに入ったから。村々は再びまさかり団の拠点にされたが、百姓が置きっ放しだった食料は粗方が先の傭兵たちの胃袋に吸い込まれて、見込んでいた兵馬糧食の現地挑発ができなくなっていた。騎兵が消費する糧食は歩兵とは比較にならない。ただでさえ騎兵を有するコルトセットの傭兵団との契約が高くつきすぎて懐を痛めていた上にこの出費は、まさかり団が組んでいた軍資金に痛烈な一打を与えただろう。

 どうやら指揮権がまさかり団から騎兵傭兵団に移ったようで、バグの読みが大きく外れて戦らしくなってきた。乏しい糧秣りょうまつという脛傷を抱えた騎兵隊が歩兵も携えずに突出してくるなど、よほどの勇胆か愚挙としかいいようがない。バグの戦術はガレー家が通した一直線の道を地の利と思わせ、追跡戦を誘い、速足から突撃に移った馬の鼻ッ先に、生け捕った野犬、狼を解き放つ予定であった。狼を恐れない馬など殆んどいない。多くが落馬、後続の馬が衝突した混乱に乗じて止めを刺す。例によって一言もなく突き殺す。騎兵隊はその予定地点を大きく過ぎて、今やガレー家の喉元に刀を突き付けている等しい。

 遠慮しがちな対手とどうしてこれまでかみ合って、まともな戦をしようとする対手にどうしてこうも出し抜かれるのか。ガレー家にはガレー家で戦の仕方にどうも間の抜けた空気があった。バグが編んだ戦術の是非をいちいちローブに求めるためだった。元いくさ人のこの老侠ろうきょうは潔癖公を相手の星取の無残な失敗で己の侠気きょうきの小ささをきちんと戒めてはいたが、男の肚は一朝一夕には出来ない。まして老境をこれまでの肚で生きているのだからよっぽど無理だ。考え付いた作戦が外道かどうかちょっとよくわからない。兵の鑑のように見えたガレー家の若衆は合点すれば駒のように間違いなく動いてくれるが、合点がなければ決して動かなかった。

「夜襲に出て連中の馬を狩りとりますがどうでしょう」

 夜が明ければまさかり団は補給と歩兵の到着を待ってここに雪崩れ込んでくる。撃退できたとしても被害は今後の戦を継続できないほどにもなるかもしれない。大将のローブを討ち取られてオシマイになるかもしれない。得意の夜襲で最強の兵器を除いてしまうのが一番いいんだが、

「それぁいかん。男子が一魂を込めた刃で畜生を斬らせるなんてのぁ道に外れるよ」

 ローブの賛意は得られなかった。とすれば乾児こぶんの端っこまでおんなじ気持で一致している。騎馬は狙う手はまず封じられた。

「心得ました。夜襲はやってきます」

 ところが、騎兵傭兵団を統率する新手はかなりのやり手で、夜襲にしっかり備えてあった。ガレー家自慢の一直線の道をも裏目に転がした。

――おい、奴らを遊び人だとか馬鹿にしたら間違いなくやられるぞ。奴ら歴としたいくさ人だ。見ろ、この道を。レストン北のぐねぐねと曲がりくねって、石だの根っこだのが突き出ている道じゃあ、いくら連中だって四日を一日には縮められん。この道なら夜であっても楽に移動できる。

 松明たいまつのような照明装置も殆んど要らなかった。真夜中の山や森に入ってみると、道は周りの潅木かんぼく、茂みの緑や木の幹が僅かに月光りを照り返して判然とさせてくれる。地に空く底のないほどの穴にも見える暗黒こそ道のありかなのである。宙を歩いているような感覚を踏み締めて、歩兵と補給は騎兵隊と合流していた。以前の傭兵のような間抜けじゃない。そこら辺に松明を立てて昼のように明るくして、見回りは常に三人一組。笛まで持って見事に陣取っている。数棟の家を取り壊して得た建材で防御壁までも築かれている。

――やるなあ。この手並みの持主が誘い殺そうともせず穴熊じゃ、明日の一戦で激しくくるだろうなあ。馬を狙いたいが、やっぱり狙おう。

「夜襲はよそう。狼共をその辺に繋いで引き上げる」

――斬った張ったが戦じゃないのさ。

 その一晩中、傭兵団が占拠した村は四囲からの狼と野犬の吠え声に悩まされた。騎兵隊長は、声の中に猟師がやる声真似の含まれているのを察知し、計略と見抜いて落ち着くよう下達したが馬の耳には念仏だ。馬は怯えきってしまって決戦の明日に備えて休めもしない。バグの戦法は馬を対手の神経戦。落ち着かない嘶きを繰り返している。早くも数頭が下痢をしだして参っている。

――打って出るべきか。

 騎兵隊長は悩んだが、出たら敵の思う壺と確信している。吠え声を止めればそれを合図に村に侵入されて馬をやられるかもしれない。夜の森という圧倒的有利の対手と戦って損耗する兵力も許容できない。何しろ兵数がそもそも劣っているのだ。森の騎士団も懐具合はあんまり良くないな、と察してのこの穴熊。人を追い出し、馬を建物に入れて少しでも狼の気配から遠ざけようと試みたが、防御壁などの建材として取り壊したために収容し切れなかった。

――これを毎晩やられれば戦わず負けだ。契約期日も短い以上、明日しかない。馬のあの様子では馬列を十分に揃えた突撃は一度が限度であろう。そもそも全体にローブ・シ・ガレーの身代にと潔癖公の借用証を狙っている節があるからなあ。

 軍隊の主役は一定期間の契約を結んだ彼ら傭兵で、戦争期間はこの契約期間とほぼ同一である。戦況に多くある不安要素をまるで無視して、勝機も得ないままに無闇に全軍を突撃させようとするのは、膠着こうちゃくした戦局を打開しようとする手で契約満期の三日とか二日前が多い。この突撃命令に緻密な戦略や戦術が全く無縁であるのは、戦を主導する雇用主に縁がないからであった。教圏の王侯に戦の名手とか名将とか特筆に価する者が出ないのは、兵法や軍事の無知というより彼らが本来関わるべき軍制の問題が他の社会制度の形態に枠組まれて変化を要求できないからで、適時適地に叶った戦術ならその分野を職種稼業とする傭兵いくさ人は間違いのない采配を振るって効率のいい結果を求めている。いくさ人の誰かを抽出して尊称する習いはまだなかったし、契約ごとに対手を変える傭兵に戦略的思考など持ち得ようもない。また、ウニヴェロッサに従う泡騎士によって個室が邪悪と捉えられたように、心性通念上、個人という法人格が確立されていない世ではるかに数多く耳目にするのは仲裁の上手い和合人ばかりで、いくさ人という組合もないような狭い世界では名高くとも傭兵団の名の通りなんてのは世間的には二段も三段も落ちる。この騎兵隊長もそんな無名な上手の一人であった。

 夜が明けて、昼前になって、まさかり団はガレー家の本領にやってきた。

 ガレー家の兵力歩兵十五三。重軽傷者多数。肩から手首までの長さの刃は両刃ではなく片刃、峰が分厚いという特別な作りが各人一口り。普段着の薄い木綿地の衣服だけで盾もない。

 まさかり団側歩兵一一〇、騎兵二十。武装はまちまちで手ごろな剣、斧、槍、弓。防具は全員鎖帷子くさりかたびら着用。これはドロスの兵庫から借り受けた貴重品で、この担保で残った軍資金の全てと借財までさせられたが、刃物に圧倒的有利の防具。馬の足取りは神経戦の効果でずいぶん重く、はたらきは想定より大分下るだろうがいるだけでも大変な威圧になる。突撃槍を携えて三重横列した歩兵の後ろに控えている。後列は二十名、弓。中列は三十名、槍や斧などの長物。二重前列は六十名、剣、片手槍と盾。

 戦域はガレー家本拠。南北にこの期に及んでも塵一つ落ちていない大道が通り、北にレストン川の支流が横に流れて橋がかかってある。まさかり団はその奥にいる。

――帷子をあんなに揃えて持ってくるたぁな。こりゃ厳しい戦になる。

「突いたり斬ったりはなしだ。刃の峰、裏っかわで思いっきり打っ叩け。あとは話したように橋を挟んで――」

「あアッ!」

 若衆がひどい声で驚いた。剥いた眼の先に総大将ローブが敵陣に向かってぽつぽつ歩いている姿があった。その背中と足取りは、喧嘩なんぞはいつどこの話だ、俺は今からいつもの野良仕事に行くんだ、と言っているようであった。

「なんてことをっ!」

「いいよ。やってもらおう」

 浮つく若衆を仁王立ちに制止したのは、ガレー家中でもローブの心情に最も近いバット。

「オヤジだってああでもしないと堪らねえよ。すぐにも無駄と分かるんだ、走り寄れる用意だきゃしとけ」

 ガレー家とまさかり団の、一つきりのものを奪い合うわけでもなし。利害もなければ因縁も損得だってない無用なこの争いを、ローブは正当にも喧嘩喧嘩とちょっとした小競り合いのように言う。が、事の重大さなら誰よりも弁えている。しかし、やっぱり馬鹿の極みの喧嘩だ。

 昨夜、若い二人が破傷風はしょうふうで死んだ。顔面を蒼白に眼も口も真一文字に、全身を痙攣させてものすごい高熱を出し衰弱して死んでゆく。

――オヤっさん、すみません。

――オヤジさん、死ねます。これで満足して死ねます。

 破傷風はしょうふう菌にやられたら口を開けてもいられないんだが、二人は渾身を用いて中枢神経を取り戻しては二言三言話した。二人の手をがっちり掴んでいたローブは、

――よしっ、死んでこい。

 とか、

――そうだ。その死に姿が男の心がけだ。

 とか言って憂いもなく死なせたが、底力までも使い果たして二度と話さないようになってからはずっと無言で手を取っていた。ローブの身柄は重大で、万が一にも死なれては困る。本人はいつでも夜襲に行く気を満々とさせていたが、ナトンのバロンからの相談事や、フロック家からの手紙が自重を求めて参戦しようともできなかった。バットを除け者にして十人衆や主だった者が示し合わせた裏手回しだ。自分に何かあったら後のことはフロック家が按察使あんさつしを動かして、捕縛という形で保護して他の豪族や親方衆に引き取ってもらうよう頼んである。自分こそいつ死んでもいいような奴だと自認するローブであるが、今や辛抱とか我慢とかとは別の気持で動いている。

「団長さんはいるかえ?」

 刃を左手に地に線を描いて引きずって、とうとうローブは敵前列までやってきた。五千ダーフの身代にもなる敵の大将がたった一人でやってきた。囲んじまえばそれで勝ちだが。

「森の騎士団の団長さんはいるかえ?」

「い、いや」

 傭兵ごときがローブの本イキの侠気きょうきに当てられたらば、どうすることもできない。あれだけ遠慮していても、ゼルという巨人と真剣で戦い、泡騎士にさらわれ、海上を行って二度も三度も生き死にを掴んだり手零したフェリクスが生唾を飲むばかりで、ぐうの音も出せなかった貫禄である。まるで友達がちょっと話にでもきたようだというのに、熱風のようなものがローブの臍から押し寄せて、四重の横列を圧倒している。

「手数でございますが、ここで一番偉い人を出していただけませんかね」

「は、はい、はいっ」

 騎兵隊長は横列を割って出てきた。下馬しようとすると、

「どうぞ馬上のままで結構でございます」とこの期に及んでも遠慮をした。

「講和でしたら無駄な話ですが、降伏なら受け入れましょう」

「駄目ですかい」

「傭兵の身ながら、この戦の馬鹿馬鹿しさはかつて聞いてもないほどですから胸中はお察しします。しかし、これも傭兵の生き方なのです。それ以上話されては困る」

「これは、気の利かないことを言ってしまった。じゃあ」

「ええ、やるしかありません」

「じゃ、やろう」

 騎兵隊長に油断の覚えはなかったが、眼を覚ますや生涯の失敗を覚えた。対手は敵陣にたった一人ででもやる気だった。ローブは自陣に戻ろうとしなかった。気の利かない話をしてしまった、と恥じて伏せられていた顔が、やろうの一言で戻ったら、眼の色は炎のようであった。悔いる身になってみれば、あそこは男同士の一騎打ちで総ての片を付ける場面だったのでは、とも覚え返したが、当人にとってはそんな戦作法などもない喧嘩だった。左腕からぷらぷら下げていた刃が空気をぶんと唸らせて、騎兵隊長の右踝を砕いた。

「ぐうっ」

 いかにも経験豊富な傭兵隊長だけに痛みと共に槍を突いて反撃していた。それより早くローブの身体は馬体の下を潜り抜けて、左足を掴むと力任せに馬から引きずり落として抱え上げ、前列の歩兵へ投げ付けた。肥満と思われるばかりのローブの身体、本性の写しのように穏やかそうな脂肪の下には、意図せず殴った相手の命を奪ってしまうような恐るべき筋力がしまわれてい、敏捷さもこの手際がやれる通りであった。

「隊長! かかれっ、全員でかかって討ち取れ!」

 陣奥の馬上からそんな命令が飛んだが、もう既に一番乗りでバットが飛び込んできていた。後続も数百歩の距離を自慢の韋駄天いだてんで、本当に刹那というような間に猛然とやってくる。後衛配置の弓兵があまりの勢いに照準を定めきれず、狼狽えるばかりで弓を引く暇もなかった。

「馬鹿、馬鹿っ、おろさねえか大馬鹿奴ッ」

 陣形も作戦もへったくれもない乱戦の中で、ひとまず両総大将は後ろに下げられる。バットが一等前に立って寄せくる敵を捌いているのを盾に、ローブは神輿みこしのように担がれて退かされて行った。

 騎兵隊長が眼を覚ますと戦況はこっちに有利だ。鎖帷子くさりかたびらを何とかしようと斬ろうとするより、下の筋骨を砕こうと懸命の様子だが、やっぱり真昼の明かりに灯して戦って見ると武器の扱いははっきり言って拙い。顔面をまとも斬り付けられて片方の目を失おうと痛みなど感じないように一歩たりとも引かない姿は、斬り付けた側がかえって怖じ気いてしまう鬼のようだがそれでは勝てない。

「よし。多少の時宜は逸したが側面攻撃に移る」

 隊長の決行合図を受けて騎兵は突撃槍を落とした。その槍に持ち代えたのが後衛配置の弓兵で、後衛長が笛を吹くと、中衛の槍斧隊が横にずれ、その隙間を復元するように突撃槍を手にした後衛が滑り込んで、前方の火力を維持する。

――騎兵の突撃力を捨ててそう来るか。頭ひねったな。

 バグは感心した。川へ投石して合図。すると橋の下から二十人以上が、ざばあと土手から上がってきた。ローブから頂いたばかりの下着と肌着の他には狼の毛皮の頭巾を被った、到底戦支度とは思えぬ異様な姿である。

――川に首までつけて朝から隠れてたのか。なんて手だ。

 川からの伏兵は狼、野犬狩りをした猟師を主にした連中。

「奥に奴らが棄てた弓矢がある! そっちのが近いぞ!」

 今度はその伏兵が手にしていた刃を落とした。敵中衛の槍斧隊が左側面から叩こうと移動する鼻ッ先を辻風のような速さで駆け抜ける。しまった、と後衛長、棄てたばかりの弓矢を気にしたが、追いかけっこになっちゃガレー家には絶対敵わない。前方の火力が衰えれば突破の恐れもある。しかし、弓矢を奪われれば。

――拾った場から撃てば味方も射る。その間に中衛の側面攻撃は間に合う! 隊長の右側面も始まればこの戦は終わる。

「圧せ! 弓矢には構うな! 圧し切れッ!」

 だが、対手はガレー家であった。

「構うな! 俺ごと撃て! 俺ごと撃てえ!」

――あ、あの片耳、なんてこと言いやがんだ!

 戦が始まってからずっとあの片耳の働きぶりは際立っていた。一番乗りの切り込みからずっと先陣でしぶとく戦って、さっきも川に潜んでいた伏兵へのとっさの指示。鎖帷子くさりかたびらを着込んだ前列歩兵の腕を叩き折るなどしてもう四人ばかりも奴に倒された。その何倍も傷を負わせたのに、まだあんな志気があるのか。そして、これが真実のことだろうか、矢が真後ろから飛んできた。前面主力が大きく怯んで、重たい剣の激突をまともに受けて十人近くが一挙に脱落した。ガレー家側だってどてっ腹に流れ矢を食らって、ぐむぅと呻いているのに、すぐに刃を振り下ろしてくる。

「なんて連中だ、味方ごと射ているぞ。半分に割る、あの弓を黙らせる」どうせ右の踝を砕かれた今では馬も難しいが歩兵の役は立てられない。「二縦列にて突撃!」

「下馬! 側面攻撃急げ!」――だが間に合うか?

 戦況を整理しよう。ガレー家は敵の中央主力を前方から歩兵で、後方から弓矢で挟撃している。一方で、前面の敵と戦いつつ左側面から槍斧の長物による攻撃を受け、右側からも小剣を携えた騎兵が下馬して新手の歩兵となって接近中。弓を射って援護する伏兵にも十の騎兵の突撃が迫っている。

「吠えっ!」

 矢を撃っている猟師組が一斉に、昨夜したような狼の吠え真似をした。朝に屠殺とさつした狼の毛皮の頭巾を脱いで投げる。下から放られたり、水平に投げたら上手く風に乗って遠くまで行った。丸めて投げると地に跳ね返って点々と転がっていった。効果は乏しい。右列前から三頭目、左列四頭目が驚いて縦列から外れただけ。後続は態勢を崩して縦列距離を大きく空けたが突撃態勢を維持している。騎兵五つ、まともに来る。

「撃て、撃て!」

 一斉射で先頭の二騎は倒したが、もう一射する暇はない。離れていた三騎も鞭を入れて間隔を詰めている。六騎迫ってくる。六騎。

「ここが男の死に処だ! 縦列の間を抜けろ!」

 猟師組は散開して逃げようとしない。それどころか真っ向から突っ込んで行く。騎兵の手にあるのが突撃槍だったなら応撃は容易いというのに、悔しいかな歩兵となっての側面攻撃を予期していたために得物は剣。突撃の際の剣の使用は殆んど経験がない。馬から乗り出して身体の動く限りですれ違い様に斬ったが、感触のあったのは二人きり。残り四騎は馬で対手を跳ね飛ばしただけ。

「もう一撃やる」

「隊長、もう馬が駄目だ! さっきの衝突で完全に参っちまった」

 ブルルと息を吐いて馬は足を止めてしまった。何とか走れそうなのは隊長の乗っている一頭きり。そして狼の吠え真似に驚いて孤立していた生き残りの二騎も、たった今見ている前で射殺された。残った馬の行動不能を認めた後は矢の続く限り敵主力を背後から射る。突撃から逃げた先は射ても味方にはどうやら当たりそうにない角度だった。

「中衛も攻め切れてない。何なんだあのローブって奴は、ただの博奕ばくち打ちの游侠ゆうきょうじゃなかったのか」

 ローブは敵中衛が動いたと同時に、あの中衛に好き放題やられては壊滅するのだと、頭よりも身体がはっきり察して周囲の直衛を振り散らすと再び戦線に駆け戻って、乾児こぶんを鼓舞するように全体の生命線で戦って側面攻撃を支え続けた。身代金は相手が死んでは要求できない。正に五千ダーフの借用証はガレー家隆盛のお守りだった。

「あっ、南から十人以上来てるぞ、援兵がいたのか」

 ここまで煮詰まってから援兵を繰り出すわけはないが、これでもう戦は決まった。

「いいか、教えた通りにやれ。手に何も持たないように突くんだ」

「わかってる」

 ナトンに難を避けたはずのフェリクスと守人もりとのリオンが戻って来た。他に多数を連れているが、身なりが色々でまちまち。リオンの游侠ゆうきょう人姿の他、行商人、巡礼姿、乞食、学生なども見える。彼らは戦の指揮をしていたバグの傍を通り抜けた際、じっとその顔を見詰めた。

――ばれたな。

 バグは露見を悟ったが、逃げも隠れもしない。

 この援兵はいずれもメルタニア総督シモンが教圏に放った探り込み。一人一人が凄腕の持ち主であった。ただでも傭兵隊は重たい鎖帷子くさりかたびらを着込んで、背後から飛んでくる弓矢に脅かされる心圧によって既に息切れしている。渡り合えるのは下馬したばかりの右側面攻撃組だろうが、これはフェリクス得意の網に絡み取られて、すぐさま半数が戦闘不能に陥った。残兵も勝ち目を見出せなくなってほとんど戦意をなくしている。そしてシモンら援兵たちの洗練された業は敵の手から剣、槍を宙に弾き飛ばし、長槍を真ん中からへし折り、斧の柄は切り落とされた。こうした奇麗な戦の真っ最中、

「ぎぇえぅっ」

 空に穴をあけるような音と金属が弾け飛ぶような聞いたためしのない音と鎖帷子くさりかたびらを着ているならまず出ないような絶叫が辺りに響いた。誰の仕業かと思ってその方を向くと、フェリクスの三叉の槍が傭兵の腹をぶち貫いて背から出ているのであった。

――馬鹿な、なんて奴だ……帷子を体ごと貫きやがった。

 こんな真似は今いる探り込み連中でも恐らく誰もできない。

――ものになると思ったが、こいつこれほどだったのか。

 鎖帷子くさりかたびらとは脇の下などの僅かな箇所を除けば、刃物を一切通さない防具なのである。編み目を狙った突きには弱い。が、衝力が分散する三叉槍で帷子、綿詰め、皮、筋肉、脂肪、内蔵、骨とそれぞれに質感が大いに異なる人体を貫いたなら話がまるで違う。いくさ人の常識が崩れるあまりの出来事に戦場が凍った。集中が一斉にその巨躯の男に集まる。貫いた槍先の反しが鎖帷子くさりかたびらや筋骨に引っかかって抜けないので焦っているようにしか見えないが、その髪や眼の色、何より鎖帷子くさりかたびらをも貫く戦技能。

「ガ、ガス族だ! ガス族の男がいるぞ! か、帷子が貫かれた!」

「うるさいっ!」

 何があったのかフェリクス、身体を串刺しにされて血の泡を吹いて痙攣しながら絶命する傭兵の隣を悲鳴って蹴り上げた。

「あっ、け、蹴った? 今度は蹴ったぞ! ガス族だ、ガス族がいるぞおっ」

「違う! 俺はガス族じゃない! 漁師の息子なんだ! フェリクス・フローディックはリトバル・フローディックの! 漁師の子なんだ!」

 傭兵達は敗走を始めた。側面攻撃が不発に終わった時点で遅かれ早かれ結末は定まっていた。終盤に現れた援兵によって明らかな劣勢に陥っていたから、フェリクスの一撃がなくとも自然とそうなっていただろう。リオンらはこれを追ってついに撃滅したかったが、左腕に矢を二本刺さったままの満身創痍のバットに立ち塞がられて一喝を受けた。

「この上まだ馬鹿な殺し合いがしてえのか!」

 バットとリオンは睨み合った。既に游侠ゆうきょうの化けの皮を脱ぎ捨てて手馴れた剣を持つ今、男一人を恐れる理由など見当たらないはず。視線を切った自分の事で驚いた。

「リオンや、どうして戻ってきたね。探りさんだけならいいとしても、フェリクスさんを巻き込んであんな無惨な真似をさせるなんてのは、お前、罪が深くならねえかえ」

 ローブも歩み寄ってくる。この人には刃向かおうとする気も起こらない。

「その辺の事情はあとで聞こう。さあ、とりあえずみんな手当てだ。あああぁ、大勢死んだなあ。こんなに死んだかあ――」

 ガレー家の側は八三士が死んだ。

 抜けるに抜けられない泥沼は游侠ゆうきょうの道とよく言う。人を死なせた過去を悔いに悔いてこの道に迷い込み、生涯の日陰者として誰も及ばぬ謙譲で世間と向かい合い、鼻つまみ者の游侠ゆうきょう博徒ばくとの類を一人前の人間、一角の男に鍛え直して、とことんまで私を捧げて償いとするローブにさえも、両の手で顔を被ってこの道から脱したいと思い詰めた出来事が五度ある。一度は自分が名を売った死に詣で博奕ばくち堅気かたぎの日々を過ごしていたならまず知らないままに生涯を終えられたであろう人の欲の浅ましさの底を見た日。

 一度は探し探して遂に求めた家族から、既に亡き父が最後の最後までも人別を抜かずにいて、

――俺たちがどんな目に遭おうともお前は百姓の子だぞ。だから素直に自訴をして罪を償ったなら、家の百姓の稼業を継ぐのだぞ。決して他の道を行って現を抜かしてはいけない。土を耕せ。種を蒔け。雨を祈って暮らせ。

 という遺言を耳にした日。

 もう一度は生母臨終の場で、大の男でも転げ回るほど重たい胃の病でありながら痛みに苦しむよりも、何度も何度も父の遺言を繰り返し、游侠ゆうきょうの身に留まって脱け出せないローブの腑甲斐無さを、情けない情けないと涙させながら亡くして死に恥をかかせた日。

 もう一度が長らく子宝に恵まれなかったフロック家のハーコンがようやくローゼットという跡継ぎを得た祝いに呼びつけられて、世の苦しみも何も知らずにいるその安らかな寝顔と笑顔を見た日。

 そして最後が、野辺に横たわる八十人もの乾児こぶんたちの屍を目の当たりにした瞬間で、この日ほどに正業で額に汗を流して平穏に日々を暮らせる堅気かたぎの方々を羨ましく思ったことはないという。それでもやはりローブは生涯この道を思い切れなかった。

 游侠ゆうきょうの徒ときこりという賤民せんみん集団の争いとは言えない規模のこの戦から何とか逃げ散った傭兵達は、ガレー家に加勢したい気持があった先々の豪族やレストン北側の百姓達の落人狩りに遭ってほぼ全滅した。その首をどこに差し出してもきっと迷惑だから、密殺した後は焼いたか川に流したか土に埋めたか。いずれにしろ彼らの最期も哀れなものであった。

 まさかり団は軍資金の底が尽いたために継戦能力を失い、今後しばらくは手を出せないだろうが、バグはもう一手打って徹底した確実を得ようと考えている。とどめとして、レストン川にかかる橋を焼き落とす企てがあった。この橋を落とされればまさかり団はレストン川南へ攻め込む殆んど唯一の経路を絶たれる。木材が枯渇している北側からもう一本同じ橋を渡そうとする大事業は今回の戦以上の出費を強いて、所帯はとても持ちこたえられない。川の渡しに頼ろうとも渡し稼業をしているのは一人残らずガレー家とも懇意だし、渡り守に力ずくがご法度なのはどこの世も変わらない倣いである。戦はなし崩しに終息して二度と起こらないだろう。

「いかん。橋は堅気かたぎの方々の代えがたい宝だよ。そんな大事なものを世の中をつくばって生きていかなければならないあたしら如きの喧嘩事情で焼いてしまうなどはまるで駄目だよ」

 そうだろうな、とバグも承知した。だが、見るところガレー家の傷は深いのだ。傭兵や都市国家の市民兵と違って、ガレー家では五年十年かかってやっと半人前といわれる猛烈な躾にあって補充が極端に難しい。今度の対手はそこに着目できなかったから追い払えたが、

――ヨルムブレヒトやドラテロルあたりなら大喜びで狙い目としてくるだろう。

 そうした場合の対策をどうするかと考え込んで歩く道の先には、メルタニアの探り込み十人ばかりが立ち塞がっている。

「お探ししておりました、閣下」

「止めにしてくれ。今やこんな老人をどうする」

「今こそシモン様は閣下の采配を必要としているのです」

 このバグの素性はシモンの父でかつてのメルタニア司令官の下の参謀であった。戦友が下らない讒言ざんげんで先帝ウェルシャによって処刑されたのを聞いて出奔していた。欠陥を抱える教圏軍制を特に研究しており、対手の懐を苦しめる戦に長けて、ガレー家の戦振りを嗅いでいたシモンの探り込みたちにもすぐにぴーんときた。

「おい、シモンにゃガレー家は相当手強いと伝えろよ。賢明ならレストンの川を越える気はなかろうがな」

「は」

 ナトンでの出来事をローブに伝える席でも、

「バグのことは放っておいてやってくれねえか」と頼まれた。いくらローブの頼みでも役目というのがあるから約束しきれないが、胸にぐいぐいと刺さった。

 それはともかくナトンはナトンで思いがけない苦戦に見舞われたという。危険としていたグリゼリウス家の活性奴隷を買い直そうという働き掛けはきっぱり断られた。

――いくらガレー家親分さんのお話でもそれだけはできかねます。金の問題じゃございません。これがいないと家はもう商売が回らんのです。一日お預けするのだってお断りします。

 どこも同じような答えだった。そりゃそうだろう。百姓が農具を取り上げられるようなものだ。こうなったら多少窮屈になるが、フェリクスの身柄を隠れ家に移そうと思ったら、次の日に奴隷たちがやって来た。

「ジェソン殿下の言い伝えでございます。もうナルマーに戻ってよいとの仰せです」

 一応の仲介役として睨みを利かせていたバロンもほっと息をついた。なんとも急転した変わりようだ。向こうの事情が変わったんだろう。

「ただし、こちらで用意した人別に加わってもらう必要があります。正式な市民から郊外の農民までを用意しましたから、望みの人別をお選び下さい。他にブレンダン地方のガス族があなたに興味を持っておいでらしく、よろしければそちらでも」

 しかし、フェリクスの返答はやれやれと肩の荷を下ろそうとするバロンやリオン、奴隷たちがしていた予期の度をまるで外していた。

「お断りする」

 ローブを見倣ったように断固として言った。

「私は決闘に勝ち、神明に誓われてリトバルとユルヴァの子である。決して漁師フローディック家とは他の家の子息の者ではない」

「は、はあなるほど。それではこれを便宜べんぎ上のものとして、一旦はこの某家の子となって、養子としてフローディック家に戻るという手もあります」

「断る。俺は正真正銘、誰に遠慮する理由なくフローディック家のフェリクスである」

 交渉は決裂してしまった。フェリクスの頑迷な若さにリオンは呆れた。バロンは両腕を組んで腹を揺すって苦笑しているようにも見えたが、

「分かった」

 とだけ言うと、これまでよりも更に厳重な警備を敷いた。そこに散々探し回ったウルフィラをやっと教圏西部のヴァイサーン人入植地に張っていた網で見つけたという報せが届いた。居所さえ分かれば一も二もない。ガレー家自慢の足に言わせて送り届ける。しかし、ナトンは現在、避難民の取りさばきで手一杯になっている。

「あっしが行きましょう。守人もりとなら元より言いつかってます」

 リオンが請合った。他の探り込みたちも待ち合わせにしていたナトンに続々と集ってきていたので必要な頭数は揃っている。

「任せていいな」

「は。探り込みでも中から下は人並みの親切心がなければ勤まらぬものです。探り同様に勤めさせて頂きます」

「じゃあ任せた。ただローブの親父さんにはきちっと事情を明かして行けよ」

 そうしてガレー家の本領に立ち寄ったらあの戦騒ぎである。助太刀は迷ったが、メルタニアのシモンが教圏を南下するにおいて、ガレー家の存在は必須という見解は探り込みたちで一致していた。

「なるほどなあ。じゃあ、なんでフェリクスさんまで巻き込んだ」

「どうしても参加したいと聞かないのでした」

「ふーん。喧嘩見物したいとも言ってたねえ。ガス族ていうのは分からないねえ」ローブの溜め息など年に何度も見られるものではない。

「え」

「いやあ、いい。セルさんには船を頼んでおくから、あの人のことはきちっと頼むよ」

 フェリクスたちは夜明けまで怪我人の手当てや戦場の後片付けなどして、明朝になって出立した。各地の縄張りを預かる者たちも一緒で、彼らはお百姓さんたちがいつ戻ってきてもいいような支度を整えておかなければならない。三日後、レストン川にかかる橋の上で、ものすごい勢いで一心不乱に駆けて来る男がいる。あんな速さで息も切らさず走れるのはきっとガレー家の者に違いない。

「おおーい、止まれ。おお、その首布はヴォレヌスの親分バルトの衆か。俺はバベルの者でリオンというよ。おやじさんに言いつけられてコルトセットまで行くところだがどうした」

「お、おお、するとやっぱり喧嘩は終わったか」

「おう、勝った勝った」

「いや、それどころじゃねえよ、まずいことが起こったんだ」

「なによう。まさかり団ども懲りもせずまた来る気か」

「そうなるかもしれねえ。ヴォレヌスのフロック家の党首さんが、亡くなってしまったんだ」

「な、な、な、なんだと!」

 リオンら探り込みの顔色がさっと変わった。それほどの大事だ。

 同じ頃、南の泡沫ほうまつ騎士群生地域のバベルの所からも一人の男が、五日を一日に縮めようとする途轍もない速さで北上していた。同じく訃報を携えていた。

 ミナッツ国の王ルイジェセンが死んだのだ。

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