ウルフィラ 6
ロッシュロー裏書の巡礼証に振舞われてまず楽旅といってよかった。ヨルムブレヒトを手こずらせた泡沫騎士群生地域でも世の裏街道で繋がっているリッツらの言伝が効いて、脅かすのは獣の気配ばかりだったが、いい塩梅に引っかかれたり、咬み付かれたり、傷を負うような深刻な事態にはならなかった。現実さえ上の空で生きている頑迷な廃貴族を飲み込んだせいできな臭さの漂い始めた地で、好意を寄せられたようには果たして思い至らないが、安全のお返しとして文字を教えてみた。これはたいした成果が上がらなかったと、ウニヴェロッサに送られた手紙に記されている。
ウルフィラが書き送る手紙はナルマーでの市中見聞話のところを変えたような物ばかりで、近況を尋ねたり、身体の具合を心配するような配慮が抜けていた。常套的人格が定まらない相手と付き合う数少ない方法は、潜在化している話題を掘り起こすしかなく、それが枯渇してしまえば否応もなく破談する。友誼に乏しく感じられる手紙が沢山残ったせいで、怪僧ウルフィラの正体はグリゼリウス家かジェソンの密偵であるという説がかなり長い間まで強かった。実際、フェリクスを巡った泡騎士らとの攻防戦で活用された泡沫騎士群生地域の内情は、配下の泡騎士からではなく、その手紙に拠っていた。それらを報告書と捉えようとしても、手紙は密偵に銘じられた事実に基づく現実的な観測を越えた個人の見立てと展望があまりにも強い。
――泡沫騎士群生地域のとある集団で、得がたくも教える側に立つ機会を得ました。簡単な文字と文法を教えてみましたが、こいつらの覚えの悪さはまあ驚くほどで、彼奴らは現在においてまるで思慮を欠いて、将来を予見する知恵もまるで持たない暴れ者です。そこで一つ私が思いついたのは、文字を持たない集団が共有しあう過去という記憶なのです。文字ないところの人々というのが概して記憶力がよいのは、サーニー帝国当時の南方蛮族が祭司ならずとも一人一人がその神話を完全に暗記しているという史書からきて興味を惹かせますが、泡たちは概してこの記憶力さえも乏しいのです。正しく獣同然の連中ですが、言い伝わる通り、万事を相身互いの事として互助の強さと親密は都市民の中では稀に見るものでした。一度この互助の輪から離れれば棄てられて戻れない厳格の気味もあります。彼奴らの中には彼奴らの中に通じる様々の慣習が出来上がりつつはありますが、どうやら過去の記憶から齎されたものではなく、彼奴らの生活の連続によって培われた掟に過ぎなく、そこに不動の前提というものがなくして出来上がった、用益によって如何なる解釈も可能の変動する用具のものです。過去を問われたなら、人はどう答えるでしょう。この泡沫騎士群生地域にて、世界の成り立ちから説こうとする者は一人といません。多くが自らから、父祖からの武勇の話を好み、過去なく、死の一歩手前まで神の恩寵と奇跡とを信じません。
泡沫騎士群生地域では理と合一する秘法をまるで得られないと見切ったウルフィラの発足は早かった。次のドロスまでの足取りは掴みきれないが、ガス族やテンカ族が割拠する教圏西方の諸部族地域に渡ったのはヴォレヌスの後というのが確説であるから、ロイター川とレストン川に挟まれた中原と称される教圏中部地方を歩き回っていたものだろう。
中原という地方を一言で表現するならば、何でも起こる、という土地柄だった。王国、多数の公国、聖俗の候国、そのまた伯国、新興都市が入り乱れ、ガレー家のような素性怪しい豪族が立派な有力者として独立の勢力としてうようよしている。教義名目上、最高封主は“諸王の王”に昇り付くものの、認容する者は皆無か主張すればいっそ兇状沙汰であった。教義を主導する聖公座さえその位階を長らく空位にしてあった。奇跡を見せたような戦果のルイジェセン二世にその座を遣ったのも、至高の栄誉と見せかけた灼熱玉を握らせて大火傷させてやろうとする魂胆であった。大王ルイジェセンがこんな子供騙しに引っかかるなら、更なる巨利を目当てにした仮の姿だろう。ルイジェセンが中原に示す関心はルーリック地方、あくまでミナッツ王としての施策に留まってい、遂にその地を制して後は、放任されたイシュー伯ドラテロルの武力のみが騒がせた。いずれにしても局地に限定された規模の小さいもので、中原全域を包む統一された人の意志は、その権限者のものもまるで見られず、教圏を形成する教義にしてさえ解釈は深い森に隔てられて様々であった。
ここでは時の流れさえも一律ではない。混沌から膠着の時代に移った近世近代を迎えて後も、点々と少なくない地方で領主に任命された世襲の森役人が残ってい、一八九一年に一四頭もの羊が群狼に喰い殺された記録がある。一八四五年に牛ほどにもある巨大な狼を狩った報告書には銀板写真が用いられている。市壁の内側で合意されている仕来りの下で、およそ数万人が暮らす大都市ナルマーの探検で培われたようなウルフィラにとって、森に途絶されて一日の距離であっても新たな慣習と旧い技術の不均衡を目の当たりにする中原の旅は、一日が数年にも感じられ、常に国を変えて歩くように新鮮だった。外来者を迎える側も同様で、生涯の習慣がまるっきり異なり、言葉も通じず、着ている服も珍奇に、肌と髪の色も違うとなれば、未知の海、万界の終端からの訪いとも慄かれよう。こうした不安と恐れの為に排斥の対象となりやすく、都市さえ一律に外国人と呼んで、宿は指定されてい、主人は宿泊中の外国人の名前、風貌、出身地の情報を市に提出する義務があった。およそまるで警戒されない外来者とは、その共同体で認知された者の所有物、すなわち奴隷ぐらいのものであった。ガレー家の世間修行とはこうした無意識の抵抗を対手としたもので、ロッシュロー裏書きの巡礼証がなければウルフィラとて苦戦は免れなかったかもしれない。
――いやこれは驚いた。正しく神は金なりだ。
泡沫騎士群生地域が小さすぎたわけではないが、あそこの人々は対策が違っていたのだったし、また程よい大きさがあの方法を取らせるのに具合がよいのであった。まるっきり希望がないのに不安と向き合える人間は多くない。だから人は集まる。とある芯、とある核に集う。泡沫騎士群生地域では面白くもああした代替物なしの連帯ができていた。宗派や宗教まで違う人々の集まる市壁の中では、様々な形態で感知される霊的な神に代わって物質的な金が必要とされ、発明された。そして教圏の背骨の中原は、宗派による若干の違いは些事の段階でとどまり、十分に和解されて、同じ神の子という相互認識を見事に成り立たせた。そこに属する人々の不安を麻痺させ、同類、同じ物であるという証明と合意に必要な象徴物、芯、核、それが中原では神の名であった。都市において金こそが都市民に宿命付けられた分離と孤立に抑制と接着をもたらしたように、軌を一にして認識する神の存在がお終いまで転びつかないよう破滅を遠ざけていた。中原において、神とは霊的な存在でありながら現実的で実際的で体温を感じさせるような象徴であった。つまりはここ中原において、どんな神を信じているかという問いは、都市で全財産をダーフ、ブージ、アウグスタリア、リーフのどの金で所有しているのかという問いと同義なのである。信用問題であり自衛手段でもある。
――こういう使い道もあるのか。
正に恩寵。偉大なる神の平和。神のまことの愛であろう。しかし、神が主体性を顕したという事実は<神教侍史>から読み出せない。神がおのずからこうなろうと思って中原に降臨したのではなかった。こうしてやろうと利用したのは人間で、こうあればよいと願ったのもまた人間。神の存在感を有する聖公座がそのようにしたのである。善行だと思われる。サーニー帝国の帝権喪われ、千々に乱れた世を整えようとした善意である。蛮性と略奪が入り乱れたあの頃、神以外のどんな力がそれを可能にしただろう。金に価値なく、また他者との連帯をも拒絶する人々の滅びをただ待つのでなければ、救済をしようというのであれば、他にどんな手段があっただろう。
中原のある村でウルフィラはばったりヨルムブレヒトと出会った。またどこかの戦助っ人を請合って、城を守ってきた帰りだという。ドロスに放ってしまった泡騎士がしでかした破壊と強奪の跡が、歳をとってきた今になって胸の深くまで響いてきて、最近は守側に着くことが多い。
「どうだ、今お前ここで、ナルマーでやったっていうあの啖呵を切れるか?」
「無茶いわないでよ。たたっ殺されちゃう」
「よしよし。旅の成果が出てあるな。それとも、やっぱりお前はよほど賢いかだな」
「それはどうか知りませんが、正に学び直している最中ですよ」
「そうかい、それはいいなあ。けどな、お前さえ望むならエメレスまで危険な旅路をやらせずに、ちゃんとした懺悔の場を拵えて帰郷を膳立てできるようだぞ」
「でも、わたしはまだ確かめたいことがあるので戻りません。ねえ、今ヴァイサーンに向かうとしたらどういう道のりがいいでしょう?」
「よせよせやめとけ。ナルマーで鰹の水揚げがあれだけ減ったからには、今の寒波は半端じゃないだろう。島にはもう死にに残った爺婆しか残っとらん。どうしてもというならどっかの入植地にしろ。少し遠いができればガイロプリットの西の方だ。あっちはまだ分別がある」
「そうですか。覚えておきます」
「っても、本当に安全たあいえんぞ? 俺の郷里のことでもあるし言ってみろ、答えられるかもしれねえ」
「いえ、こういうのは実際に調べなければならないのです」
「なるほどなあ。よし、効き目があるたあ思えんが、巡礼証を寄越せ、俺も裏書きしてやろう。もしかしたら知った奴が見止めるかもしれん」
「読めますかね」
「あ、いけね。こりゃ駄目だ」
ウルフィラとヨルムブレヒトは二人一緒になって笑った。いつまで生きていられるかわからない身だし、餞別をしようという話になって村の教会を訪れた。教会前の広場は騒々しい。どうにもこれから裁判のようだ。
――ヴォレヌスの聖公座もまたグリゼリウス家の奴隷がなければ立ち行かないと知ってはいましたが、どう立ち行かないのか。興味の埒外故に明らかにしてきませんでしたが、ヨルムブレヒトと出会った村で、その答えを儲けました。その被告の罪状は明らかでしたので、村人らは教会に授けられた秘法による裁きを懇請する澄心でありましたが、唯一つ、意外にも彼の者に裁かれるのを拒んだのです。被告だけではなく村人全員が拒みました。どうしてだろうと聞いて廻ってみますと、その裁判官が奴隷であったからなのです。奴隷が自由人を裁くというのに同意できない問題が生じました。私はそれからもこの中原で立ち寄る村落や都市において、奴隷が権力を行使するところは多く目にしました。まずこれは血統貴族の増長の抑止を目論む封主の官職貴族であって、農奴や支度係と違った高度技能を身に付けた奴隷たちと一目でわかります。これら殆んど全員がグリゼリウス家の手になる奴隷たちであります。聖公領の国々にあっても同様でした。彼らは教会の御法や土地の慣習などを完全に頭に叩き込んであり、公平か不公平かは別としても、その職責を果たす十分な能力を持ち合わせてあります。にも関わらず、奴隷が自由人を裁く同意は難しいようなのです。これはどうしたわけでしょう。村人の、支配される者達、“羽根を休める渡り鳥の如き者”の総意によって、権力が、聖公座の秘法が。この事態によって、神の御力も踏み入れない領域が人間によって形成されたと解せるでしょうか。この手紙が届くころ、命ある私は目的を変えてヴォレヌスではなくドロスにいるでしょう。中原の村で示された、神の力からも身を守ることのできる総意を、果たして共和を標榜する怪しげな国が使いこなしているのか、これを見てみたいと思ったからなのです。
ドロスから送られた手紙はこう続く。
――ナルマーにいた頃よりドロス人の口にする共和という怪しげな物の正体を掴めきれず、制度というよりもドロスという国の実在さえ疑っていました。彼らが言うには、市政の代表者を民衆が民衆の中から選び、市政の指針の大権が民衆にある状態を共和と呼ぶらしいのです。では、ドロスの成員には政治の専門教育と高度な訓練が施されているのかと思いきや、決してそうではありません。市民の多くは無学であり、ドロス市民権を得るには十五年間の納税が義務付けられてありますが、市民の了解を得る伝統税だけでも十五年で二〇~三〇ダーフもの大金を必要とし、様々な物品税といつ発議されるかわからない特別税を加えた額は、その倍額を越えるでしょう。納付できる市民の数はごく限られます。この数と実際に市政に参画している上流市民の数は恐らく一致するものと思われます。この点、ドロスは納税によって市民権を得た者に市政の指針があると言えるでしょう。しかし、ドロスに住む人々の答えは違います。彼らの誰に聞いても “ドロスの君主はわれわれ民衆である”と言うのです。くりかえしますが彼らは無学です。ならばナルマーのように組合に市政委員会での発言権というものが備わり、組合人として市政に間接干渉するのかと思いきや、ドロス市法によれば組合員は仕事以外での集結が禁止されてあり、巧みに振り分けられているようにも見える組合ごとに定められた休日に結集してもいけません。何故ならば休日とは外に出ず、神の為に祈らなければならない日と定めた教会に譲り渡された日であるからです。ドロスについてもう一つ伝え聞こえてきていた市政の教会からの独立性とは、あくまでもドロス総督と、総督を補佐する委員会という機関に聖職者が用いられないというだけで、都合さえよければ市政は喜んで教会との結託を選ぶように見えます。民衆と市政を更に引き離す特殊な番兵が存在します。無学であっても判断力の有無はまるで別の問題ですから、総督宮の通達に異議を発しようともするでしょう。ですが、民衆にそのような機会はないのです。教圏北部のシニウス語の発声は南部とは少し違ってシニュス、拒否をフスではなくフィスとしますが、民衆にはシニュスかフィスかを示す場しかありません。けれども果たして、新総督が総督宮から顔を出し、布告官が “総督は選出された。ただしあなた方が認めれば!”と民衆に向いて言ったのは、シニュスかフィスかで信任を求める声であったでしょうか。民衆に許された統治権はほぼなく、民衆が共和という語に抱く満足感には自負の重みのない虚ろなものです。それでも我慢の限度を越えた民衆の中にフィスの言葉で異議を唱えようとする者あれば、ある特殊な番兵によって鎮圧されるのです。
――これらの事実によってドロスは思われていたほどに愚かで不気味ではなく、非常に健全で平和な都市といえるでしょう。民衆は日々の仕事にあくせくと忙しすぎ、市壁の向こうの実際を思い浮かべもしません。総督宮に届く情報の一片も彼らは知りません。想像でしか許されず、また結果が容易に分かるためにたとえられるのですが、民衆にそういった情報の全てを開示したとして、どうなるのでしょう。かつて布告官が森の騎士団の発足を聞かせた時、手を打って賛成した者は、仲の好かった森林受益者との紛争をも望んだのでしょうか。紛争で家族を喪った遺族は反対に翻るかもしれません。エステ帝国との交易を望んでも、森林の伐採には反対したかもしれませんし、デロンギ島の問題を先送りにしたままの交易に反対していた者もいたでしょう。もちろん大したことではありません。民衆は政治において明らかに専門家でないと同様に、どこから見ても関係者でもありません。民衆は初めから発議を改善修正できず、与えられた解決策にシニュスかフィスで答えるしかなく、しかもこれは移ろいやすく強制力もなければ、後になって賛否を撤回しようとも無意義であり、シニュスであれフィスであれ現実的でないのなら鎮圧されるのです。曖昧な総意は明確な意志によって破られるのです。ドロスの総督は代々も、そして今のイル・ロッソ(どうやらこれは渾名でした)も市政の訓練を十分に積んであり、民衆の力などまるで当てにできたものではないと察しているようです。ですが、決して民衆が抱く共和の夢を摘み取られぬように守護しています。指導者だけでなく民衆の全身全霊を結集してでも守ろうとしています。程遠い状態の共和の実際に誰よりも接触し、想定されている共和とは無縁のままで策定をし、最上位であるはずの民衆に命令します。われわれが共和という正体を掴めないのは当然です。虚構だったのですから。
――しかしながら。これは本当に大きな “しかしながら”という例外なのですが、ドロスにとって共和とは切って離せないものなのです。もしもイル・ロッソが抱く共和というものの疑念を心底から口まで滑らせて、否定したとしましょう。総督宮に詰め掛けた民衆たちか、さもなくば委員会の何者かの手によってたちどころに殺されるでしょう。その為にイル・ロッソは言わないのですし、夢を醒まそうとはしないのです。命惜しさでもありません。総督も委員会の人々も彼らは本当に命を懸けて、市政に携わっています。現実を隠蔽し、共和の夢を見せ続けているのは悪意を持ってしているのではありません。これは善意といえる使命でしょう。ドロス上層部こそが共和の限界を悟っていながら、それを自らと民衆から隠してい、かえって共和の灯火を守っています。どこも変わりがありません。共和とは象徴なのです。ドロス市壁内で通じる掟であり慣習です。その共同体の成員を良くも悪くもひきつける強烈な求心力を持った象徴なのです。私も教わったように、常に政治というものは一つの決定のため、とある象徴と様々な関係者が持つ意見を結びつける技法といいます。その最も上位にあり、共同体の最高者――総督でも民衆でも――にも手を出しようのない最上象徴が、ドロスでは共和であるのです。委員会でどれだけ議論が紛糾しようとも、総督が、民衆がどんなに追い詰められても、暴力による屈服でもない限り手放さない、彼らの基盤。仮にドロスで市内内戦が起こるとしたら、名目であれ大義であれ赤派も白派もどちらもが共和の為といって武器を取り合うでしょう。神の為にと武器を取り合うのと、これは全くの同意です。金の為であってもそう大した違いはないでしょう。過去にドロスの共和というものが完璧に機能した状態があったかもしれません。その時まで共和は沢山の象徴の一つに過ぎなかったことでしょう。それが段々と力を得てゆき、いつの間にか誰の手にも負えない怪物となってしまった。最上象徴によって堅固に結われた共同体にあっては、その夢を醒まして現実を教えることは自己否定であるためにまずできないのです。共和の共同体の成員はこの現実を承知して、実際と当たる代表者を無際限に信頼しきらなければなりませんが、無学な民衆全員からそうした理解と信頼を引き出す手段などはありません。何故ならば民衆とは理性にも神性にも乏しい無能の集団だからです。共和に代わる新たなる象徴を見出し、育てたくとも、市壁の外からは神の名が、中からは共和に堅固に結われきった民衆が眼を光らせて許しません。ドロスが窮余の策として打ち出したのが、その特殊な番兵なのです。これは局地的、局時的な成果に終わるでしょうが、力ずくでなかろうと他のどのような手段を講じたとしても結果は同じでしょう。イル・ロッソやドロス上層部が戦慄し、覚ましえぬ夢の共和とは、水を沸騰したまま維持しようとさせる状態の共和であって、もはやこれを従順に使いこなせず、大袈裟な手間ばかりかかる上に、逆に共和の面目というものに使われてしまい、その表出はもうすぐそこに、ドロスとヴォレヌスの間で発生するような気がしてなりません。ドロスがこの態であれば、神の名をこそ最上象徴とするヴォレヌスもきっと似たようなものでしょう。私は当初の予定通りヴォレヌスに向かいます。そこで何が見えるか、私の眼には離れながらにして浮かぶようです。
ヴォレヌスから届いた手紙は短かった。
――本当にこれだけしかないのでしょうか。ヴォレヌスに見える景色はドロスから見たものとやはり何も変わりありません。そうそう、何かと批判される聖職者の婚姻について面白い事が分かりました。彼らは公的には独身の状態ですが、私的の状態にあって結婚していると言うのです。教会の祭壇上にあって妻帯したまま儀式する司祭はいません。わが子を抱いたまま説教する司教もまたいませんでした。僧服のまま自宅で過ごすことがないように。教会という神事信仰組合の備品を自宅に持ち帰る事が禁止されているかのように。省みると誰でもがやっているような行いですが、これはナルマーの祭りでやるような、逆様ではなく分割と言えるものでしょう。これは表の自分を公私の二つに分けるということであって、決して自らをナルマーの祭りのように裏返らせるという事ではありません。公私の別とは奴隷には許されていない自由人の特権なのです。どうか見間違えませんように。
ここに初めて気遣いらしきものが見られる。まったくの計算予測に過ぎないが、ウニヴェロッサの騎士叙任式は、ウルフィラがレストン川を越えた辺りで行われた。そこでの驚天動地の出来事がどこかでウルフィラの耳に入ったのは確かだろう。さほど親しくもない打算的友情の対手を気遣うようにしたのも、大王の庶子ジェソンという強烈な存在感をあの異様なる対手主はどうするだろうか、という心配からきていた。未だ神なき形態の信仰のよき原論状態であったウニヴェロッサが、ナルマーで、中原で、ドロス、ヴォレヌスで散々見せつけられた下らない象徴に縛られて崩壊されてほしくない。理の表層変化を常に続けていかなる象徴にも固定されないでいてもらいたい。ジェソンという猛烈な求心力を持つ新たな位格は、危惧しようとすればウニヴェロッサを通して得られた理というウルフィラの最上象徴も脅かそうともするものであった。もしもこの手紙が無用であり、ウニヴェロッサが独力で自分の万に一つの中にジェソンを取り込めれば幸いであるが、この手紙の安全装置が働いて、せめて公私という分割された状態ででも維持できればまだよし、と企んだのだ。馬鹿な奴かもしれないが、愚かではないのだからウルフィラもここで気付いたのである。
――わたしもまた象徴なるものに縛られているのか。
いかにもウルフィラにとってウニヴェロッサは大切な象徴であった。
これまで必ず次の行き先を書き添えていたのに、ヴォレヌスからの手紙には、次の目的地が書かれてなかった。その後のウルフィラの足跡はまったく分からない。あのガレー家でさえとうとう見つけ出せなかったほどだ。しかし、浮き彫りにはできる。ガレー家が中原において人間一人を探し当てられないことはない。つまりは中原にはいない。見るべきものは見た、と早合点するウルフィラでもなし。南に戻ろうなら手紙に書き添えるだろう。であれば、それはもう遂にロイター川を西に越えたということ。王の住処たる森に覆われた未開の教圏西部。教圏のはみ出し者、ガス族やテンカ族、クロスコス族といった強力な蛮族、ヴァイサーン人入植地などが跋扈する辺境。かつて人を死なせてしまったローブが身柄を隠したのもこのブレンダン地方の森だった。
ヴォレヌス聖公座の布教活動がシモンのメルタニアに阻まれて、攻勢をこの西側に強めるまで、隠修士たちが好んで住んだ隔絶無涯の森林地帯である。ヴォレヌスを出、見てきた物の否定を強く求めるウルフィラはここを横断し、西岸部のヴァイサーン入植地に向かうという随分な向こう見ずの無茶をやっている。ヨルムブレヒトの忠告を耳から頭に通していながらあえて無視した。道のりにしても最も安全な、コルトセットまで行って、グリゼリウス家縁の者と相談して海の道を取るべきだった。グリゼリウス家が仕入れている素体奴隷の調達元は、今やこの教圏西部からが最も多く、大半が世界人口の三割をも占めたとされるヴァイサーン人であった。この大勢力に圧され、長年の遺恨で団結できないガス族やテンカ族といった先住部族は戦士の質を遥かに上回りながら、やや劣勢にあった。彼らヴァイサーン人はウルフィラの手記を信用すれば、
――本来の性向は穏やかで手先器用で勤勉な人々である。エステ人が女性を尊ぶように彼らは血族の成員との絆を尊ぶ。もしもこの仲を断ったり侮辱すれば命がけでその恥をそそごうとする。一人で駄目なら二人、二人でも駄目なら三人、今日が駄目なら明日、明日も駄目なら明後日と、祖先と子孫の名誉と誠実に懸けて命がけの復讐を遂げようとする。この尊びはヴァイサーン人共通の象徴として家族を過保護にはしない。兄が弟を、親が子をその絆に従って屠るのもまた珍しくない。
ヴァイサーン群島の島々ごと、島の内部にいくつかの部族に分かれても、概論として的をはずしていない。こんな奴らが多く入植している教圏西部でもグリゼリウス家の名は響いている。悪名として響いている。実態を知らず、知ったとしても血族の一員を金で買って行った奴隷商人の頭目と見なしている。今日まで効果覿面の魔除のように、これまで散々援けて貰えた巡礼許可証のロッシュローの裏書この西の森では通用しないだろう。まず逆の効果が発揮されかねない。中原のとある村でヨルムブレヒトの裏書を遠慮して知らずして命をひとつ儲けていた。
ガレー家が、ロイター川上流の黒蟻会修道院にウルフィラの発足した形跡をやっと突き止めてからは、ここに足を漬けてさんざ探し回ったが中原とは勝手も地の利も違いすぎて、首尾を達しないうちに、まさかり団との抗争が始まってしまった。しかし、さすがはガレー家。ウルフィラの足跡を総括して次の目的地をきちんと予測していた。抜かりなくコルトセットから船出して西岸部の主なヴァイサーン人入植地に網を張っている。これになかなか絡まないのは、道草をしてある隠者の元にいたからだった。
「大したものだね」
「そうかなあ」
「お前さまは確かにクロスコス毒を負ったというのに、まるでひるまず、わたしのはさっき出して空っぽだからさっさと小便を飲ませてくれ、と言うんだからね」
「誰だって死にたくないでしょう」
「どうかな。死よりも来世を恐れる人々ばかりあるから」
「それはおかしなことを言うなあ」
「そうかね?」
「いえ、あなたが」
「わしが?」
「うん。まるで死後の安息を望む人々に疑惑を抱いているようだったから」
「大したものだね」
「そうかなあ」
隠者であればまず誰でもよかった。ある比較対象としてどうしても確認する必要があり、教圏西部を突っ切る大きな危険を冒して、隠修士を間近で観察していたのである。ところがこの隠者、胸中に一癖を持っていた。ウルフィラがクロスコス毒を服してしまったのは狩の準備をしている最中、誤って鏃で指を切ってしまったからだが、とにかく応急処置をして、留守寝をしていた。クロスコス毒の発症には大分あるので、洞穴の中を見渡していたら妙な冊子が目に付いたので開けて読んでみた。
――世ニハ才人・聖人ト呼バレル者達有。一方デコノ世ノ鬼ヤ悪魔トモ呼バレル者達モ有。全体コノ差ハ何デアルカ。万事ノ陰陽ニ照ラセバ前者ガ後者ニ後者ガ前者ニナリ、何者カノ思惑ニ依ツテソノ場ニ落着シタ者モ有。然レドモ同ジ人間デアリナガラコノヨウナ長大ナ振リ幅アルハ何ゾヤ。ソレヲ自由トイフカ否カハ小生ノ考エ及バザルトコロト言エドモ、古今ヲ貫ク天経・地史・人倫ニ照ラサバ大正ノ有所ハ瞭然デアル。然シナガラ人ノ営ミト言フ物ハ決シテ一個一因ニテ働カザルモノ也。ソノ大正ノ有所ヲバ更ニ伸張セシムルナラバ天モ其レヲ許サジ。即チ般々ニ交ワサレル正ト悪ナル物ハドチラカヲ好ンダリ、又憎ムベキモノニ非ズ。コノ二種ヲ要々ニ於イテ過タズ用イ得ルカ否カ、コレニ尽キル。近世、同種デアリナガラ舌口ヲ極メ排撃仕合、同遊デアリナガラ弓槍ヲ向ケ合イ、親子デアリナガラ相互イ喰ミ、カクノゴトク円満ヲ欠クトハ何故カ。小生ガ微力ヲ呈セントスルハ皆ソノ大正ヲ見極ム能力眠リ果テ、只、因循ト姑息、小サナ工夫ニ走リ、可惜ソノ才ヲ損耗スル結果、己ガ正ヲ好ミ悪ヲ憎ムヲ過ギ、正ヲ憎ミ悪ヲ好ム倒錯ニ陥リ、世益々乱ルル。コノ過激ト倒錯ニ陥ラズ、因循姑息ト小工夫ヲ用ヒズトモ、如何ナル機ニ臨モウトモ応ズ神ノ如キ才ヲ得ル為ノ学問ヲ基学ト名ス。
「基学とはなんです?」
「読まれたか。なに、若い頃に手慰みしたのを諦め悪く持ち歩いているだけのものよ」
「続きはどうしました。なぜ序文だけ留め置いたのです」
「頭の中にはこびり付いてあるのだが、そこで著す気をなくしてな」
「きっと無意義でしょうからねえ」
「まったくだ。あれは全く無意義な代物なのだよ。書いてみるまでの得意気が未だに耳赤になるほどの気恥ずかしさでな。今ではよき戒めよ」
「そうするとあなたはただの隠者じゃない」
「そうかなあ」
「隠者を志し、隠者として生きるような方が、ああいう大問題を退治しようとへぼであっても解決策を考えようなんて変でしょう」
「こ、こやつめ、へぼときたか。はははは」
「隠者の生活なんて、自分で自分の全てを充足させなくちゃいけない。なんでもかんでもです。暑さや寒さ、餓えや渇き、狩の仕方や野良仕事、小間道具まで作る万能振りです。だけど、あなたの役にしか立たない。何の象徴も形作らない。専門家には劣り、大概の人に代行させられるちんけな能力です。個人に関わる万能など所詮その程度なのでしょうね」
「正にそうだ。子は親になれぬ。“神の如き才”などと奢ったものだ。それに、悪しき事はやはり悪しき事なのだ。わしのどこかが違って基学というものが出来たとしても、お前さんがあちこちの土地で見てきたようにいずれはそれ自体が災いを呼び込もう」
それは自賛のし過ぎに思えた。繰り返される災いの芽を摘もうとして作ろうとしたのだから、深刻に考えても過ぎるということはなかったかもしれない。奇才が陥りやすい穴。きっと心配のしすぎで封じられてしまったのだ。
「本当にそうでしょうか」ウルフィラの考えはもちろん違った。
「なに」
「実はわたし、あの序文を結構気に入っているのです」
「ならば好きに使うがいい。あ奴のように」
「あら、あれを誰かに?」
「塩を交換に来たヴァイサーン人に見られてしまったのだ」
「その者は今?」
「北。連中の植民地で威張っておるよ」
「名は?」
「ベニベニ」
――教圏北部で流行の基学というのをご存知でしょうか。悪事であっても結果の正しさが上回れば赦されると主張しています。主唱者はスレイマンという隠者で、もしかすると、親切と篤信の名声の高さで聖公に迎えられたものの、すぐに隠修士に戻ってしまったあのスレイマンかもしれません。隠者には多い名前なので確信は持てませんが、本人だとすれば世の中にはともかく、やり方は知っているが実行できない者と、実行していながらやり方など教わったことのない者がいるようです。
あの隠者の姿こそウルフィラが全く望まぬ、万能性の悪しき末路であり、巨匠リャドが万能者活性を禁じた真面目である。ウニヴェロッサはあんな隠者のような影響力の小ささ、弱さとは無縁であるべきだった。より大きく、より強く、より深く、より厚く、より重く、太く、堅固で、より強靭で素晴らしくあらねばならない。そうでなくては理の原論状態として認めたウルフィラが承知しない。理との合一を望み帰依に直結する万能性を有する物理的象徴はあのような女々しさと惰弱な有様とは全くの無縁でなければならない。想うだけで身が熱情と恍惚で打ち震えてしまって留められない象徴の分身でなくてはいけない。
ウルフィラが差し出す手紙の中で胎動していた方向性はいよいよ確たる目標を会得した。これまでの波紋であったような衝撃は鋭く突き貫くように変わってその実現に突き進み始める。各地各都市の分析はほとんどなくなり、妖精王パイロンの講義で証明不能と結論したはずの、神と人とを合一させる秘法を解明しようとする論理を構築する試みが目立つようになる。かつて真理ではないという理由で信を置かなかった文字の力も躊躇いもなく利用された。勝手に信仰の原論状態と見出されたウニヴェロッサ本人の意志など一切考慮しない。これはウルフィラの信仰と生存を包括する象徴を懸けた熱烈な擁護であって、史上で言われるような偽王ジェソンの擁護者としてでもなかった。ウルフィラもまたウニヴェロッサを、伝え聞く風聞に乗って王に仕立てようと志しているのではない。それは内的性向と別の方向からの抗し得ない勢力がそうさせたのである。
――ヴァイサーン人の長ベニベニは正にその後者の典型で、もののやり方などは知らず、無茶苦茶なやり方で滅茶苦茶のままヴァイサーン人の王となりました。ありとあらゆる神聖さを自分の身に集めながら、敵を決して赦さず、手段を問わない凄まじい攻め方や見せしめを用いてことごとくを屈服させます。野蛮と言い切らなければ教わるところ数多いでしょう。
より大きく、より強く、より深く、より厚く、より重く、太く、堅固で、より強靭で素晴らしくあらねばならないと設定した理にそぐわない感情の働きを、卑怯、惰弱と思い詰めさせるように力強く補完したという通論は否めないにしても……。




