ウニヴェロッサ・グリゼリウス 3
フェリクスの命を奪う企てを不調に終わらせ、剣闘士会に幕を引かせたウニヴェロッサは内陣の席に戻って、椅子に背を持たせた格好。不機嫌ここに極まれりと告げる顔相で聳える崖の上から水平線を睥睨するようにしている。憎悪した目ではない。至りきった無関心を物語る冷え冷えするような目線であった。口は真一文字に浅く切った跡に薄紅をさっと引いたようで、快とも不快とも窺えないが、好意を期待して接しようとした途端、凍て付くような反応しか示さぬだろうとはすぐにも察せられた。頬杖を付き、不作法にも組んだ足を突き出している。
あの赤ん坊を拾って十五年。十五年続けた努力と投資が遂に後戻りできない局面に入ったこの騎士叙任式を境に、替え玉が露見すればすべてが終わる。この日より前に発覚していたのなら、正統な血筋を引くノルベルンもおられるし、計画を中止すれば済む。今やフェリクスに付属する脅威はグリゼリウス家の命運を左右する。派手に名を売りすぎたウルフィラをさえ精一杯の温情で追放したのだ。あんな剣闘士奴隷一人を見逃してやるつもりはない。ところが、この重大な危機感と冷徹に矛盾して、殺意の策謀を妨害したウニヴェロッサの企みは悪くないと評価している。――小癪な、と。
ロッシュローの望みは、奴隷を王に仕立て、その後見人として絶世の権力を享受しようという現後の人々が推察するような権勢欲はない。既に彼は七度の贖い主、ミナッツ王国本土代官、ナルマー市参事、都市同盟の盟主を兼ねて、聖俗の権勢の頂き近くにいるのだ。十五年の宿願とはグリゼリウスの血筋の極点に達した者のみが考えうる――王たる者を活かさん、という彼とグリゼリウスの血族の矜持が為せる行き過ぎた夢である。その視座と不敵の性質がウニヴェロッサの行為を曲折して見せ、事次第に面すれば親にも刃向かう性根を確認して雀躍の心地であった。フェリクスを贖った裁判の日、上限と言いつけた金貨一枚を越えて競り落として以来、次なる反逆の機会をずっと待ったが、ここまでやるとは実に得難い。
――これというのは教えるに作為が通じず、特に駄目にしやすい活性化の眼目だが、よくぞやった。しかし、その絵図はどうだ。これで奴の助命叶ったりと安息しているならばまだ甘い。
グリゼリウス家が本気になれば奴隷の命一つぐらいいつでも奪れる。その事実が、フェリクスが助かれば危機は引き延ばされ、助からなければ万能者としての活性化が不十分という相克を楽しませる余裕の源だった。ウニヴェロッサの対手はこれほどに手強い。眼下にある後ろ姿が大きく映るのは、懐の中で安心して暴れられる偉大な父親だったからか。ロッシュローはその優位を窺い知れない深さまで腹蔵にしまいこんで何食わぬ顔でいる。その背に視線で穴を穿とうとも暴かれはしない。奴隷の目には何の意志も宿らないのだから。
「やめよ」
依然として続く不作法に顔さえ向けず勧告したのは隣に座っている実母。作法、形式にうるさいよう。ウニヴェロッサはただの反射で顔を向けたが、不遜な態度はそのまま。目は一物も見ていない。フレデンツァは髪をわずかに翻す行為で平静を努める。彼女とて今は忍の一文字しかない。産後に患ったのが命取りで、王妃ジョヴァンナとの確執と宮廷訌争に失敗し、終にはマキの山砦に幽閉されるなど、盛りに盛った命運は落ち目に入ってずっと浮き上がる気配もなかった。
寵愛を失ったのも王妃ジョヴァンナが唆したのだと、大王ルイジェセンを惑わせた美貌と才質を誇るフレデンツァは屈辱を糧にし、十年以上の歳月を経ても再起の機会を抱き込んでいる。耄碌した昨今ならいざ知れず、絶頂の頃のルイジェセンが他者の言を真に受けて浅はかな処置を取るはずがない。ノルベルンを広場で分娩したように、王の権威で照らされる王妃の務めを十分以上に自覚するジョヴァンナは、愛妾の意地と本気でやりあう愚を弁えている。ジェソンの始末、宮廷追放、そして後宮の閉鎖は、絶頂に達した王権を背景に権威化してきた血統によって王国の安泰と王位の継承を計ろうとする王家の必要である。
しかし、フレデンツァはそれを信じない。及ぶに足る頭脳を持ちながら考えもしない。憎悪に傾けつくした十年は、美貌も頭脳も劣る従順なだけの安女に王妃面された屈辱を肥大させ、そんな女にも誑かされた愛人ルイジェセンにまで及ぶようになった。元の感情も遡れず、制御不能の状態にまで頑なになった頃に姿を現したのが、真珠島全所で引く手数多の大評判の新色を扱う染物商人だった。名はロミオ・グリゼリウス。
取るに足らない話だった。女という生き物はいつでも何処でもいくつになっても自らをより美しく彩る装飾品への興味を捨てない。宮廷にも重要顧客を持つという評判を伝え聞いたマキの女主人フレデンツァが染物商ロミオ・グリゼリウスを召し出したという話は、まったく取るに足らない話だった。
王の寵愛と庶子ジェソンを喪ったフレデンツァの無力は、世間が彼女の存在を忘れたところに如実に出ている。誰より大王ルイジェセンにしてからが王務の多忙と念願の末子ノルベルンの厳重な養育にかかりきって、元愛妾への関心をなくしていた。如何なる目的で真珠島に長く居座るのか明らかでない怪しからぬロミオ・グリゼリウスがマキ領を出入りする日々が続いても、神経を逆立てるのは衛士隊の職域だ。ロミオとしても女殺しの評判は百も承知だから、大王の元愛妾の度々のお召し出しも藍染の気に入りではなくもしや、と噂されれば都合が悪い。
ウニヴェロッサをジェソンの状態に成らしむお墨付きはフレデンツァの協力があってこそ。その生存を打ち明けたのは遅いことではなかったが、未だ信頼関係も結ばれない早期に耳にすれば真も嘘も同様にきな臭い。先鋭化した機嫌で突いてきた。憎んでも聡く犀利なままだ。染物商の名声を越えて女浮名に欠かない経験豊富のロミオは、手強い、と感じた。
――ジェソンさまには天上より下界をお望み頂くといたしましても、馬骨の輩にジェソンさまという名分を与えられるのは、産みの母であり貴婦人であられる貴女さまを置いて他におりません。
賢女に俄か作りの虚言は禁物だ。横から裏手から籠絡してやろうと試みるだけで、賢女の類が自負する男が攻め慣れないおかしな迫力に気圧されて後手に回される。直截な話し振りでようやく五分か四分六。フレデンツァは鋭く正しく、ロミオの言外の言から伝わるグリゼリウス家の秘計を見抜いた。
――成り上がりの商人輩奴、卑欲の深いことよの。
――お考え違いですな。これは我が家の品質の問題。我がグリゼリウス家の望みは、王たる者をも活育できるという実績でございます。
――ふ。農奴ならぬ王奴かえ。
一連の交渉でフレデンツァが笑ったのはこの一回きりだった。農と王、質も量も異なる存在が、韻を踏んで奴隷で繋がって面白かったらしい。ロミオはたった一言の笑いで交渉が上手く運ぶと確信した。およそ賢女というものは、自分が力量を認めた者にしか笑顔や諸々の私的感情が起源の動作を見せない。そしてその力量とは自らも属す共同体に認定されうる健全の類であって爪弾きにされるような異能であることはまずない。本土代官という王国の顕官であり、“七度の贖い主”という教圏最高の栄誉を有するグリゼリウス家の謀を認める証と了解する材料は、この微笑一つで十分だった。
――そ奴は王になれるかえ?
愚鈍ではありません。漏れ伝わるノルベルンさまのご所業に比べ、民心を得るでしょう。という頓珍漢な事実が聞きたいのではあるまい。ロミオは言った。これがフレデンツァの弱味。
――父からは聖貴なる血を、母からは並々でない素養を受け継いでおいでです。その子以外の何者が王位を得られましょう。
見え透いた世辞だったが、母の元で十分に泣くことなく奪われ、誰もあろうに不具者の乳母の手で悲惨な死を遂げた亡き息子への弔辞。賢女とは優秀な男を求める母性が人一倍旺盛であるが故に賢いのだから不快とは思わない。そして、かつて誰一人として王の寵愛を失った元愛妾を慰めにマキまで来る者はいなかった。打算づくとはいえ、このロミオを除いては誰一人。
――評判通りよい品。ご苦労でした。代金は家令に受け取りなさい。
支払われたのは藍染の袱紗と赤珊瑚の首飾りの代価だけではなかった。
――これはご主人さまがもっと良い物を持ちなさいと下される。
渡されたのはエステ帝国製の絹布。家令はフレデンツァのお古と言った。とんでもないところでボロを出してくれる。当惑を押し殺して丁寧に受け取ったロミオは焦慮を隠しながら山砦を後にした。
――妄想狂いの馬鹿女奴が。布切れ一枚ならば感づかれないとでも思うのか。
馬上の人となったロミオは辛辣に思った。貴婦人の身に付け物を授かるのは騎士の誉れというが、グリゼリウス家はおめでたい寝物語に興味など示さない現実的で合理的な思考を好む商売人の一族だ。案外に早く陥落したフレデンツァに落胆があり、強い結びつきを求めた軽挙には軽蔑を抱いた。
幽閉といっても切り札ジェソンをもがれたフレデンツァのそれは形式ばかりで、マキ領、真珠島脱出はさほど難事ではなかった。かつての実験の地アティルムの丘と施設は、内乱で落命したベルデナン、アストン、ペトボル三王子の昇天を祈って聖公座に寄進されている。辺鄙な場にあるので女子修道院に改築され、王子たちを象ったと思われる木像が飾られてある。ところが赤子姿の四体目があるのである。実験で死んだ赤子らを代表したジェソンか、父ルイジェセンが四人の息子たちを並べたかったからとも言われている。発起人自身が明確にしていない事実は、あの黒々しい実験が “長い手”の異名の策謀家をしても負い目を感じさせずにいられなかったのだと察せられる。だから、フレデンツァがアティルムの丘に詣でたいと裁可願えば見通しは明るいし、実際に許された。その直前には私的財産を償却してい、遂にアティルムで尼僧になる心を決めたのだと思われたのだった。監視していた家令をやり込めたこの辺りの演技の巧みは、やはりさすがである。
やめよ、というのは、フレデンツァの立場なら、やめさせよ、という意味でもある。頬付、足組の不作法、母の言いつけにも従わない不遜な態度は晴れ舞台の主役には相応しくない。集った衆目に触れさせるのは、もっと神聖で豪勢で有無を言わせぬ力関係でなければならない。
「ジェソンさま、別館で儀式の準備が整いました。いよいよ式目もたけなわでございます。お出で下さい。その間、ご来賓の方々には野外にて真の戦士である騎士たちの騎馬試合をご覧いただけます。お伝えしていましたように、飛び入りも歓迎でござますぞ!」
本当に不機嫌ではないのでウニヴェロッサはゾルムの求め通りあっさり席を立つ。内陣の裏手の出入り口から外に出てすぐ馬柵が見える。あの辺りはすぐに見物人で埋め尽くされるだろう。
虚無の目はそのままにウニヴェロッサは別館に入った。ここは叙任式後にカーンが院長のアドゥース派修道院が移転する予定。都市ナルマーの膨張は留まるところを知らず、かつて市壁から大いに離れた場所に築かれた海辺の修道院をも飲み込もうとしていた。都市の発展が圧迫したのは封建諸侯だけでなく、俗人の生活圏に組み込まれて修道生活が脅かされ始めた聖界も同様だった。ミナッツ王国から発した社会構造の激変に対して、世俗領主は農奴制と刑場という特権の最終段階たる圧制で対したが、ルーリックで権勢を押さえられ遂には駆逐された聖界に横暴な手段は許されておらず、旧来の神聖さを尖鋭化させながら閉鎖してゆくしかなかった。
特にアドゥース派は聖公座との聖俗間の争いで優位に立ったミナッツ王権の前に萎縮してゆく最初の例だった。階層上、王よりも下位にある封建諸侯は忠誠契約によって微弱ながらも保護を授かるが、聖公を代理人として階層の外から、次元を違えて君臨する神の光は聖俗の何者も分け隔てなく照らしている。王権の樹立は、王と聖公の平面上の争いとは別の、太陽のような高所から立体の次元で介入する神と代わる形でなければ意義がない。かつて正統教義に対抗するために擁認したアドゥース派とて例外とはならなかった。修道院長カーンが院を市外に移そうとしたのは、俗界からの明確な分離を捧げて信仰の保証を得るという王との新たな形態の忠誠契約の始まりだった。
建物内は丁寧に切り取られた陶磁器の板が敷き詰められた廊下を薔薇の赤い花弁が百乱して、その香りといったら目に見えるようだった。
――く。世の臭みを覆うという薔薇。この道はそういう道という訳ですか。みせかけの香りの裏で蠢く汚臭の元と向き合えと。
隅まで余さず満たした香気を割いてウニヴェロッサは修室が続く廊下を進んでいく。広い集会室も薔薇で覆われている。不意に蹴って飛ばしてしまった小石の行く末を見届けるようにウニヴェロッサは足を止めた。本当はここに並んでいる椅子の一つに頑張って、泣いても喚いてもいいからこれより先には進みたくない気であった。
――他に往く道などないと。
しかし、どうあがいても後戻りはきかない。主人ロッシュロー・グリゼリウスは所有奴隷ウニヴェロッサに王になれという命令を下したのだ。
「どうなさいましたか」
後ろについていた男が急かす。数年前にできたナルマー大学の評判な俊英で、ウルフィラと入れ違いに対手役に抜擢された一人だったが、ウニヴェロッサは彼らと気脈を通じ合わせるために時を費やさなかった。構った代わりが女というなら、同じ年頃だし茶々を入れたり溜飲も下がる潤滑油にもなったろうが、所有物の剣闘士奴隷であったのだから、なかんずく摩擦が起こって、ウルフィラの頃とはだいぶ違って名義ばかりの役だった。誰も対手主と私的に話した覚えがない。ところがさっきの大騒ぎでフェリクスがすっかり贖い主を怒らせたと知って、その空白を埋める歓心を買おうと必死だ。何しろ対手はもうグリゼリウス家の三男坊ではなく、庶子とはいえ王子なのだ。
「匂いに酔うた――大事ない」
「は」
ほどなく歩き始めたウニヴェロッサは整理が出来てしまっていた。もうすっかり観念してしまっていた。こうするより他にないと痛念した様は、まったく奴隷の有様そのものである。あの容易にできる観念。奴隷と同じ素早い観念ができる一方で親にも逆らった二律相反する人格形成はグリゼリウス家をしても困難を極めた。
――鞭ではできぬ。
やり場のない反抗心を際限なく募らせて、どこかで爆発すれば、それはそれで頼もしくはあるが、ウニヴェロッサの気質はそうした類ではなかった。腐らせて覇気を奪ってなくしてしまう結果になるだろう。
――飴ではできぬ。
甘やかして育てて、何もかもが自分に都合良くて当然という状況判断も付かないろくでなしができあがる。奴隷の容易な観念とは無縁でいられ、親に背くぐらいは平然とやるだろうが、その手合いのやる事成す事は往々にして醜悪だ。
――鞭と飴では尚できぬ。
心地よい方を得ようとするばかりに心を砕く要領だけいい、まとまりすぎ、使命感に欠けた小人になるだろう。
ロッシュローが活かし上げようとしているのは万能者にして王たる者。常ならざる手法を採らねばならない。考え果てた末に択んだ方法は正に暴挙であった。グリゼリウス家の奴隷は顧客が望む能力を与えられると共にその能力で成り上がろうとする意志がある。しかし、王とは既に成り上がり切っている状態であるので、そうした意志は不要だった。ロッシュローは素体奴隷ウニヴェロッサに教養は与えても活性化は施さなかった。つまり何もしなかった。長兄ロドリーゴ、次兄ロミオがこの三男をほぼ無視したのも、親に倣ったものか言いつけであったらしい。家族のうち構ったといえるのは母アナールだけで、その構い方というのもあの酷烈な虐待であった。そんな境涯にいては、よっぽど生まれ持った性質が良くなければまともに育つわけがない。精神がいじけて成るものも成らない。幸か不幸か、まして良いか悪いかも判定できないが、アティルム実験を経たその素体の性質は非常に特殊だった。一生をふいにする土壇場から這い上がるきっかけになったのがウルフィラで、対手役のあの覇気は、その特殊な性質の構造に組み込まれて、まま姿を表すようになった。
ウニヴェロッサに覇気を植えつけようとしたロッシュローの絵図と勘定違いだったのは、エメレス遭難から生還してきっぱり人が変わったアナールだった。真珠島で生まれ育った貴婦人の傲慢で身勝手な性格が本土での鬱屈と不満足の日々に増長した一頃もあったが、エメレス巡礼のご利益でずんと肚が座って人物が練れたと評判だ。いつからとなく家の奴隷なり下男なりがしくじりをしたら、すっとんで謝る先は決まってこのアナールになって、彼女に取り成してもらえばロッシュローにもロドリーゴにも、
――仕方のないやつ奴。
の一言で済まさせてしまう。ただし際限知らずの仏顔じゃあない。エメレス辺で辛酸を舐め尽くして帰ったものだから、騙しや盗みをやったと知れたら一巻の終わりで、密かに働いた非道で銀十枚をも得ていた下男には、周りの空気を凝固させてしまうような憤怒を発して、ボロ布でぐるぐる巻きにして荒縄で縛り付けると邸の建つ丘から一晩中も吊るしてしまった。悪態ごろ巻き命乞い、どんなに喚かれても、友人上役の誰が願ってもそっぽを向いたまま。
こんな風に出来変わった慈母だから、ウニヴェロッサに重ねた仕打ちを悔いた以上に哀れんで、関係はまったく改まった。ただそのせいで心念深くに徹ったのは、人は変わるのだという一大事であった。その時、僅かに六つ。心底まで徹って固まり、持って世に相対するには幼すぎる歳なのに。加えて唯一無二の名<万能なる者>が助長して、明もあれば暗もある、右と思えば左、上かと思えばやはり上、しかし奥に手前にと千変万化する心象をあるがままに受入する術を会得した。フェリクスを助けようとしてウルフィラの覇気をああも器用に自心に乗せられたのもこの術に拠って立つ所で、その心中に多様な面を管理している。並前の者がうっかり垣間見てしまうと、うっと呻いて目を背け、人によっては抹殺の衝動さえ湧くような自己の側面裏面にしまい込みたい暗部さえも、<万能なる者>という名に呪縛されたこの若者は、奴隷特有の観念を駆使しながら躊躇なく引き出すことができた。こうした特性に気付いたロッシュローは矯正を試みず、逆にこれは使える、と思って放っておいた。
王の血というものは民衆からご利益を期待されている。恐るべき病を触れるだけで治す、勝運・幸運・豊作を約束するあからさまに民衆受けするものから、動植物と意思の疎通が叶うというような神秘的なものまで様々、無数にある。王の巡行先にこのご利益にあやかろうとする民衆が大勢集まったという記録を見れば、不可知の存在に頭を押さえられた王権を奮い立たせようとさせた脅威に察しがつく――この脅威と王権は手を結び、王の能力はその不可知の存在から恩寵によって顕与されたという王権神授説の一つに折衷された――必ずしも人々に益あるものでなくともいい。常人とは明らかに異なる特徴が僅かでもあればよい。あいつはどうも帳尻の違った奴だという針穴ほどの印象を、あることないことで広げてやればいい。ロッシュローはしっかり心得ていた。大多数の人間が一人物に抱く印象はより大きな印象と同化するという事を。
別館の浴場は建物全体の一角を占めるほど広かった。誤伝とはいえ肉体が魂を包む聖櫃であると説かれているから、教圏では誰もが身を清潔に保ちたがった。この教圏習俗とは無関係に生来の潔癖で知られたコルトセット公国の潔癖公セルは、日に分けて海水浴、淡水浴、蒸気浴、湯浴、香浴と五指に数える入浴をしていたと伝えられ、
――いずれはこの五つ全てを一日のうちにしたいものだ。
などと冗談めいて記している。農村の百姓では川の水で体を拭くぐらいがせいぜいで、悪い水のせいで伝染病が度々広がったから、公会堂と併設されたこの浴場は周辺住民にとってなかなか値打ちがある。
踏み入った浴場から鼻に残った薔薇の香りを消し払ってくれるような湯気が漂ってきた。ウニヴェロッサの目を奪ったのはそこに佇んでいたアナールだった。
「お前は外にいよ」
対手役に命ずると足取り急にしてアナールに向かって行った。もうほとんど抱きすがりたい気分であった。母子の間を塞いで立ち姿をうすぼんやりさせる湯気を払いのけて行きたかった。
「お母様。お母様、私はとんでもない役を仰せつかってしまいました」
伸ばせば抱きつけられる距離まで着いてとうとうウニヴェロッサは口を開けた。ずっと蚊帳の外に配されていたアナールも、既に一連の計画を告げられている。破産寸前のチコ家一族家門を丸ごとグリゼリウス家に救われた経緯があって、家長のすること家業のやることには横槍してこなかったし、グリゼリウス家が喉から手が出るほど欲しがった真珠島出張所も元を正せばアナールの持参金の姿形をした実家。真珠島貴族、名士との縁を取り持つなど陰に日向に尽くしてきたが、王権に盾突く不忠を座視できないは、王領を故郷とする者が王を尊崇する心情が占める。道理と理屈、詭弁に屁理屈も交え利益も説いて、最後の最後には結婚以来初めての涙をここで見せて泣き落とそうとするも、グリゼリウス家提供の地味豊かな農場で悠々自適に暮らす実父の手紙がこれこれとは言い示さないものの、忍耐を美徳一等とする教圏婦人の心がけを説いて釘を刺された。どうやらとうに抱き込まれていた。憤激を一心に抑え込んで順に徹しているが、化けの皮を剥がずとも言葉に目の色に足音にと、非道の下男を丘の上から吊るして成敗した日のような厳しい気が漏れ出ている。無為にしていれば深く瞑目嘆息するしかやり過ごせない難儀を知らぬ者はその様子を見てエメレスのご利益が切れたなどと陰口している。
「少しの間、お前、言う通りになさい。いますこしだけ耐えなさい」
大役に震えるウニヴェロッサを抱きしめるアナールは耳元で囁いた。
――従わなくていい、とは言ってくれないのですか。まったく正直になれればこうも放言したいが、形勢は明白で自然できそうもないから言えない。できるだけのこと、ぐっと母の身体にしがみ付くが精々で、随分こうしていた。
「でも形はどうあれ、お前をこんな舞台でお披露目できるのは誇りよ。うんと支度をして、せめて方々の目を惹いておやりなさい」
「――はい」
靄がかかったような声で返事したウニヴェロッサの手を引いたアナールは椅子にかけさせて髪を櫛で梳いてやる。茶の髪は、本土とも異教国とも違う生粋の真珠島民しか冠らない色合いで、血筋を明らかにする。虐待に耽っていた昔もこれだけは手を出さなかった茶髪を真珠島産の黄楊で作った櫛で丹念に梳く。筆で引いたような木目の一条櫛は華美とは無縁のうまい気品がある。
「お前の髪を梳いてやるのは初めてですね」
ウニヴェロッサは心地よくしてい、なにも言わない。
「騎士となるお前は無用の華美を身の内から離さなくてはいけません。髪を梳くにも象牙や鼈甲を用いて奢侈に流れてはいけません」
「はい」ウニヴェロッサ、これにはちゃんと答えた。
続いてアナールはウニヴェロッサを湯船まで引いた。衣服を解いて湯に身を沈める。浴槽にはカミツレ花が浮いている。発汗効能のある薬草で、ここで一汗も二汗もかかなければならない。なぜならば、
「騎士となるお前はこの湯船から出る頃には、泉から出てきた幼な子と同じぐらい罪に汚れていない状態でなければならないからです」
「はい」
頃良しとしたアナールは湯船から上がったウニヴェロッサを石鹸で洗ってやった。この儀式に使う道具の殆どを真珠島で揃えたが、石鹸ばっかりは本土と相場が決まっている。石鹸の原料のオリーブも小麦島で作られないではないが、あくまで食用としてだから、石鹸は本土が真珠島に輸出できる数少ない特産。品質もいい。
「騎士となるお前はこの石鹸のように魂とその聖櫃たる肉体を洗い清める礼儀と博愛を忘れてはなりません」
「はい」
水滴をすっかり拭ったら、穢れない身体を表すという真っ白い亜麻の長衣に身体を通す。ウニヴェロッサの手を取って連れて行った次の部屋には、昨今まだ珍しい寝台ができていた。
――騎士叙任の儀式に於いて寝床とはすなわち、天上での休息のことであります。騎士たる者はその休息を己の騎士道で勝ち取るために励まなければならないのですよ。
水分を失って廻りの悪い頭は、ここ十数日で教え込まれた儀式の象徴具と騎士道との関係を凸凹道を通るように思い起こさせるが、ウニヴェロッサがいっそう気にしたのは寝具で、ナルマーの邸で母が使っている物と、だからという訳もなく感じた。私言厳禁の儀式の中に尽くした心配り。アナールは私情を打ち明けられる唯一の味方なのだと心強く思った。
起き上るウニヴェロッサには牡蠣やケルメスで染め上げた紫の外套と茶の靴下が用意されるはずだが、なかなかアナールは今がその時と見計らわなかった。
「紫の外套はまさかの時には自らの血を流す用意をしておく騎士の務めを思い出させ、茶の靴下は、最後に横たわらなければならない大地を思い出させ、命あるうちに死への準備を知るためのものです。お母様、それを、その二つを私に下さい」
外套と靴下とを得たウニヴェロッサの腰は白い帯で結ばれた。
「この帯は純潔を意味し、腰周りに潜む欲望を抑えなければなりません」
「はい」
そして金の拍車つきの靴を履いた。拍車は騎士が拍車を当てた軍馬と同じくらい早く主の命令に従うべきであることを表しているという。
「痕礼はイシュー伯がして下さいます」
「はい」
「騎士の数多の使命の中でも特に覚えておきなさい。どのような偽りの判断にも同意することがあってはなりません。いかなる形であれ裏切りに組みしてはなりません。特に女性を崇め、力の限界まで女性を助ける用意をしておくのですよ」
儀式の最後に言い渡される三ヶ条は教圏の美徳のうちから司式が特に選ぶのだが、ウニヴェロッサはアナールに下された三ヶ条を耳ではなく額の真っ正面を鉄槌でがんと叩かれた感じに受け止めた。その衝撃のせいで儀式中の箴言が殆どひっくり返って、
――決してお父様の企みに乗ってはなりません。
という暗示に豹変し、上がっていたものが急に落下してきたように唐突に思い起こされた。
――お母様はロッシュローの企てに真っ向から反対していて、今日も、今日までのこともみんなご自分の側の引き寄せて利用しようとする工作に過ぎなかったのではないか。
そう感じたウニヴェロッサはたじろいで後退りした。膝の裏に寝台の縁が触ると身体はあっさり崩れて寝台の上に座る格好になった。「どうしました」と言うのを、ウニヴェロッサは「立ちくらみました」と俯きながら答えてかわした。
――では、今日までのお振る舞いも全て偽りだったのですか。エメレスからお帰りの時に抱いてくださり、日々微笑みかけてくださったことも、偽りでございますか。心の内では今もあの頃のように憎んでおいでなのですか。あの下男のように私を吊るしてやりたいとお思いですか。父役と母役で矛盾しあう要求を下して、なぜこのように酷い仕打ちをなさいますか。
もしもウルフィラと身体が代わっていれば、今この場で問い質していただろう。その結果、アナールはつい最近までロッシュローの計画を知らされていず、エメレスの遭難に遇って深く痛悟するところあって、かつて犯した虐待の前非を悔いていたことが話されて、母子仲が一層深まったかもしれない。王権の盾を突こうする裏切りを恨む強い気持ちを吐露すれば、ウニヴェロッサが歩ませるこの身柄の行方もまた違ったかもしれない。
しかし、幼年期に重ねた体験が余りに違いすぎた。遭難した母の無事を祈って教会に入り浸ったウニヴェロッサの探求心はウルフィラの市中話のような伝聞であったり、周囲の家庭教師や教導役から流し込まれたもので養われ、こうして作られた内向性知識過剰の人間は己の外から答えを求める能動的な思考には乏しいのであった。
折も悪かった。フレデンツァお出ましの前から、立て続けに波頭を浴びせられたでもしたように耳元で虚偽を繰り返され、自らもまたフェリクスを巡っては虚偽を扱ったウニヴェロッサは、なにが正しくてなにが正しくないのかを明察できない疑心暗鬼に陥っている。心中の状態は平静であっても、対手の言葉の裏の裏まで読もうとしている頭脳では、もしもアナールの事情を訊ねたとしても、その答えを素直に受け入れることはできなかったに違いない。
「もう、大丈夫。もう、平気です」
俯いて辛そうな貧血から顔を上げたウニヴェロッサの目は、あの石像のような、観念を極めた奴隷のそれになっていた。双眸というにはあまりに風情に欠けた屍の目。アナールはこの瞳が今でも嫌いだった。いつも数日すれば何かしらの目の色を取り戻したので、今回もそうだろうと耐えて合わせたこの目つきは、ほぼ常態のものとなり、十数日、数十日経ってもこのままで、必要に応じて臨機応変に発揮される意志と感情の素地となる。
大王ルイジェセンの落胤ジェソンは身近に鏡を置かせないことで有名だった。肖像も作らせなかったし、遺言にも厳命されていた。ただ法破りは何時何処にでもいるもので、芸術家ジョン・レスの素描画集に描かれたジェソン像図案にはどれも目が描き入れられていない。遺された数点の銅像もそうで、どれを見てもまるでのっぺらぼうだ。しかし、これらの不遜な像は敢えて目溢ししたのではないかと言われている。だとすると肖像を禁じた理由が浮いてくる。劣等感なら美化させようとする心理が働いて、残存する肖像もまだ少し多いだろうが、正体はそうした心理をも呑み込んだ鬱々した虚無だったのではないだろうか。
足元に散乱する香り放つ薔薇の花びらを、まるで小虫ででもあるかのように無造作に踏みつけ行く新たなる騎士はやがて別館を出た。もう太陽は天頂から下っている。馬柵の向こうで一合の仕合に敗れた騎士が落馬した。勝者はかつて蠢動著しかったルーリックを牽制するイシュー伯としてルイジェセンが雇ったドラテロル。副王ベルデナンの乱最大の激戦ロマック攻防戦ではアストン王子とも撃ち合った古強者。名目上ではウニヴェロッサが騎士見習いとして仕える相手でもある。もう高齢に差し掛かったはずだが、騎馬試合でも成り上がっただけに経験豊富だし、競技の裏も表も知悉した悪辣な場外戦もやるので、強いには強いがどこかお山の大将といった感じがする。ウニヴェロッサが観覧席に着いてもう二試合やったが、結局、彼が優勝した。さすがに無傷という訳にはいかなかった。兜と盾は吹っ飛ばされたし、歳のせいか馬から下りたらよろよろっとした。優勝者には賞金と新騎士に痕礼する栄誉が与えられる。勝者の剣で印を付ける痕礼は、実の傷を作って騎士の務めを刻み込むという、紫の外套を用意できない大多数の貧しい騎士の代替案だったが、近頃では富裕な貴族の間にも広まった。当然、貧乏の始末とは違う富裕層のそれには文化らしき特別の意味付けが見られ、勝者のご利益を得ようとする願掛け、無傷の騎士という恥じらいから逃れようとする意図、肉体の損傷を厭う一般教徒とは違って敢えて自身の聖櫃を神の盾としているのだという貴族階級の特権意識が明示されている。痕礼に使われる剣は装飾こそ派手だが、破傷風はじめ傷口からの感染症を防ぐために白刃は肉厚で実用で使うとしたら切るというよりは叩く道具。熱湯消毒に念を入れてい、左の二の腕を走った剣は痛みより熱さを感じさせた。そして儀式も最後の一言を迎える。聖職者が新叙任の騎士に問いかける。
「騎士となったお前の務めはなんであるか」模範解答は「神の館、神の僕、神の信仰を守る盾でございます」それが慣例だった。
力づくで御輿に上げ立てられたウニヴェロッサも、ロッシュローにもこんな騎士叙任式など見せ掛けに過ぎなかった。客たちももうそれに同意している。その証として慣例の問をしたナルマー司教スティールは、こう訊いていたではないか。
「お前の聖務はなんであるか」と。
この言葉は元来、聖界の最高指導者である聖公にしか用いられない。それはただの人間には窺い知れない神の代理としての務めに他ならない。神にして聖なるその聖公が王位叙任を公認した王に限って同様の字義を多少分与することはある。そうなると聖公座はノルベルンではなくジェソンを公認する方に傾いていると読み解ける。だから、ここで一言でも受けのいい返答をして心証を良くしておけば今後の事運びも盤石というもの。
「神のお望みであるならば、聖地エメレスへ詣でたい」
ウニヴェロッサはこう答えた。
――大変良くできました。
例の模範解答でも十分だったが、この奴隷を活かしたロッシュローを没念とさせたより良い答えだった。しかし、ウニヴェロッサの願いは俗世と人生に迷い詰めた人間が最後に拠り所とする神へ縋ろうとする窮心が表に出たものではなかったか。行きと帰りとで人を裏返したように変わった母アナールのように、引っ張り出されたどん詰まりから抜け出したい、変わりたいという願い。エメレスへ礼祈したいというウニヴェロッサ個人の願いだったのではないだろうか。自分一人の哀願、ただそれだけなのでは。
――惰弱ッ!
気の迷いを正気づかせるような波動が心中で巻き起こったのはその時だった。自らが自らを初めて叱咤した。難題を前に自らで自らを先んじて殺す奴隷の観念の限界を越えて悲嘆に沈んでいくと、最下で眠り続けていた息吹が四肢を吹き抜けていった。
――苦悩? そんな苦悩がなんだというのだ。その身に備えた万能の力は何のためだ。相対しろ。自らの由ぐらい自らで定めてみよ。
停止させられていた神経に血潮が戻って蘇生の予兆に戸惑うウニヴェロッサは、周囲のことなんて目にも入れていない。
――この方は。おお、この方はエメレスを取り戻そうと抱かれているのではないか!
一般には既に過去のものとなり下火になった教圏連合軍、聖地回復の熱は、聖職者には決して覚めない宿願。百年経っても唱えるだろう。神の平和! 聖地回復! その願いを容れるとも受け取れる大王ルイジェセンの落胤ジェソン。申し分ない血筋。教圏有数の有力貴族グリゼリウス家の養育を受けるジェソン。申し分ない後援。アナールがエメレスに遭難した頃、日々教会で祈り続けたジェソン。申し分ない信仰心。
胸の高鳴りを抑え切れないのは、この馬場に集った大多数である商人達も同じこと。彼らの多くが教圏外国家群との、事実上はエステ帝国との交易で一儲けも二儲けもしたし、下積み時代にそれを羨望していた者も数多い。真珠島によるドロス商圏の再構成が終わって経済変動に落ち着きを見た今、教圏商人は次なる起爆剤を欲している。聖地までの道が開けたなら、教圏外国家群を再び設置できるなら、帝国との交易が再開できるなら言うことない。
野天の騎馬試合場にいる人々の心臓の鼓動がまるで一つに同期したようだった。不気味な沈黙。第一次教圏連合軍結成の折、大の大人が揃いも揃って浮かされたように、神の御心のままにと三唱したわけを正しく体験していた。今日までは子供っぽい絵空事と信じてもなかったのに、一人でも魁すれば地鳴りするような歓声が後に続くはずだった。だが、その正体は信仰ではなく妄執と欲望だ。けだものの咆哮だ。人が心のうちに仕舞っておかなければならない狂気を孕んだ危険な原動力だ。信仰心が果たしたのは、心に打ち通した穴に道徳と良識を詰め込んで辛くも蓋をしただけで、今この場の静寂は正に神がかりの仕業であった。
咆哮か沈黙か。人間の性向が明らかになるかもしれないそこに早馬が来た。丸く転がるように駆け込んだ先のゾルムに耳打ち。ゾルムの顔が歪む。
「なにごと」ウニヴェロッサ、密かの計が図にあたったと見て、普段なら聞こうともしないのに興味を示した。
「ナルマーに走らせた荷車が襲われ、あの剣闘士奴が連れ去られたとのこと」
「フェリクスが。何者だ!」
「荷役の者の話に拠れば、泡奴らが。身代金を要求している様子です」
「……痴れ者奴らっ!」ドンと足音鳴らして踏み立ったウニヴェロッサの形相は本物だった。それは、かつて別の何者かの怒りの形相を奴隷観念の素地に上書きしたいつもの真似事ではあったが、蘇生しつつある本性が微量ながら含まれていた。
「馬! 馬を引け! 追うぞ。ギナ! 剣闘士隊を遣せ」
「し、しかし、ジェソンさま」ゾルムとギナは揃ってロッシュローを見やった。別段この二人の頭の回りが悪くなったわけではない。事態も不測だったが、こんな時のロッシュローの決断も計りきれない。ウニヴェロッサの出来を調べるために、随分意表をついたことも言われたものだ。
「何をしておる。ジェソンさまは馬を命じておられるぞ」
――ウニヴェロッサは泡を使ったか? それとも偶然か。どちらにせよこの出来映えを見極めねばなるまい。
ロッシュローは感極まってホッと口走りたかった。よもやここまでやるとは。ウニヴェロッサが描いたフェリクス助命の絵図が思っていた以上に大きかった事実に、活性責任者としても万感の至りであった。もしかしたら本当に万能化に成功したのかもしれない。
三十人近くの剣闘士を率いる馬上姿のウニヴェロッサに刺激されて客らが咆哮で見送った。途中まで一緒に駆け寄っている者もあった。ミナッツ王国本土の風向きは定まりつつある。ただフレデンツァだけは興奮しきった咆哮が汚穢にしか感じられないようだ。目を背け、耳もふさいでいる。対してエレアノールは冷静に一部始終を観察し、一つの予感を得た。
――ルイジェセン王が崩御されればミナッツは割れる。あの驕子では押し留められまい。お父様にお知らせしなければ。ドロス。ああ、麗しのドロスの復建は近いと。




