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京都にての歴史物語

臭う死体

作者: 不動 啓人

 男は腰を抜かして尻を突き、そのまま後ずさりした。

 部屋にあったのは死体。しかも大柄な人間のものだ。死して、はや時が経つのか全体的に黒ずみ、ただでさえ大柄な体型が体内に溜まったガスで膨らみ、全体的に緩やかな曲線を描いていた。そして、そのガスが漏れ出しているのだろう、いわゆる死臭というやつが部屋に満ち満ちていて酷く臭い、耐え難さに男は強い吐き気を覚えた。

「いかがです?」

――いかがです?その言葉に男は耳を疑う。

 男は恐る恐る、死体の傍らに立つ声の主を見た。声の主――百済川成くだらかわなりは満面の笑みを浮かべ、満足気に男の様子を窺っていた。

――狂ってる!

 その笑顔に狂気を見た男は、その場に居たたまれなくなり床板を慌てふためいて何度も無暗に叩くも腰が思うように上がらぬままに、叫び声をあげて転げ落ちるように庭へと飛び出した。

 男は後悔していた。まさか、こんな事になるとは――と。


 始まりは、男のちょっとしたいたずら心だった。

 平安遷都の折より腕の良い匠として名を挙げていた男は、己の技術を結集させたとあるお堂を自分の屋敷に建てた。その出来に満足した男は、どうしても友人である川成に見せたくなり、自宅へと招いた。

 やってきた川成は、お堂の姿の良さを誉めてくれるが、男にとってはそれが目的ではない。

「中も見てやってくれないか」

 と、お堂に入るよう促した。

 お堂は一間四面ととても小さいものであったが、四面全ての戸が開いている不思議な造りとなっていた。

 川成は男に促されるまま、縁側に上がって南側の戸から入ろうとしたが、その途端に観音開きの戸がひとりでにパタンッ、と閉じた。驚いた様子の川成に、男は、

「すまん、すまん。別の戸から入ってくれないか」

 と告げて促した。

 渋々といった様子で、川成はお堂を左手に回り、今度は西側の戸から入ろうとするが、またしてもひとりでに戸が閉じた。すると、その瞬間に先ほど閉まった南側の戸がひとりでに今度は開いた。男は会心の笑みを浮かべた。

 実は、お堂には人が入ろうとした側の戸がひとりでに閉まる様にからくりが仕込まれていた。男はそれを実際に試し、人がどんな反応をするか見てみたくて真っ先に川成を呼んだのだった。

 川成は、今度は北側の戸から入ろうとしたが、またしても戸は自動的に閉まり、閉まっていた西側の戸がパタンッ、と開いた。

 男は自分の技術の確かさに満足すると共に、困惑しきった顔を見せた川成の表情が面白くて堪らず、大声を上げて腹を抱えて笑ってしまった。

 川成の表情がみるみる変わり、腹を立てているのがわかったが、腹を立てた川成の表情を見ると、これまたしてやったりと可笑しくて仕方なく、ついに川成が機嫌を損ねて帰る背中をも、笑い堪えられずに見送ってしまった。

 その後、さすがにやり過ぎたかと後悔もしたが、謝罪もせずに数日が過ぎた後、川成から自宅へと招く誘いが来た。川成のことだ、必ずこの間の意趣返しを考えているに違いないと思い、男はなかなか応じようとしなかったが、何度も丁寧な招待を受けると、長年の友誼もあり、いたずらが過ぎたという後悔もあり、ついに招待に応じて川成の屋敷を訪れた。

 川成は、まるでわだかまりがないかのように気さくに男を迎え、男は注意を怠らずも若干緊張を緩めもしたのだが、川成に招かれるがまま入った部屋の中には――死体があったのだ。


 庭でも、なお腰を抜かしていた男に、部屋から静かに顔を出した川成は、男の反応とは対照的な、涼やかな表情、涼やかな声音で、

「どうされました?」

 と尋ねた。その涼やかさが冷風を伴ったかのように男の背筋をぞくぞくさせるが、川成は重ねて、

「どうぞ、ご遠慮なくお入りください」

 と言うので、最早当初の警戒も曖昧なままに、今はただ川成へ対する恐れのみを抱きつつも、長年の友誼から抗えぬ誘いの言葉に乗って、恐る恐る部屋へと戻った。右手を翳して良く見るよう促す川成の言葉に嫌々従って、先ほどよりも余程近付き、鼻を摘み、斜に構えながら目をうっすらと開け、横目に死体を眺めるや――その死体は、障子に描かれた絵だった。途端、男は両手を床板に突いて真向かいに障子の絵を覗き込む。なんと巧緻な絵だろうか。絵だとわかってみると、不思議なことに部屋に満ちて酷く臭っていた筈の死臭も消え失せていた。

 男は、してやられたと思い、傍らに立つ川成を見上げた。

 すると川成は「俺の腕前はどうだ!」と言わんばかりに、眼を見開いて口元に笑みを浮かべていた。

 百済川成は左近衛府に出仕する官人ながらも、天才的な絵の描き手として知られ、朝廷に召されることも度々で、男との友誼も匠と絵描きという、互いの才能を認め合う故のものだった。

 男は――

「やられた」

 と、脱力し破顔した。

 これに川成も応じて、

「こちらこそ」

 と、見開いていた目を細めて柔和に微笑んだ。

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