五
それから数日が経った。君は仕事で忙しかったのか、なかなか連絡がとれなかったね。今までにもメールだけしかしない日もたくさんあったから、特に気にしていなかったよ。
そのときの俺は風呂上がりで、君からのメールを待っていた。
けたたましく携帯が鳴った。だけど、これはメールではない。そして、君からの電話でもなかった。音で、すぐにわかることだ。
その電話の主は、三年前に亡くなった彼女の姉である、あかりさんからの電話だった。
一通りの挨拶を済まして、あかりさんは俺に訊くんだ。
「もうだいぶ前にお母さんから聞いたことだから、今更な話かもしれないけど、好きな人ができてたんでしょ? うまくいった?」
そのことでわざわざ連絡をくれたのかと思った。滅多に連絡は取らないけど、気にかけてくれていることが嬉しかったよ。
「はい、恋人になれました。もうすぐ半年です。今は、幸せだと言えます」
「……そっか、良かった。お相手も、君を好きになる人だから、きっと誠実な人よ。ともかく、ちゃんと前向きになってくれたみたいで、良かった。あの子も喜んでると思う」
電話の向こうで、ふっと優しい笑みがこぼれているようだった。
「あかりさんも、結婚が近いかもしれないと聞いていましたが」
「そうよ、婚約はしたの。まだ仕事が落ち着かなくて、もうしばらくかかるかな。式には呼ぶから、来て頂戴ね」
俺が喜んで、と応えると、彼女はありがとう、と言った。
「それからね」
どこか真剣な声で、あかりさんは新たな話を持ち出したんだ。
「今日電話したのはね、あなたには言っておかなくちゃならないと思ったから。お母さんたちはちょっと、動揺しちゃっててね。それで私が電話したんだけど」
そのときは検討もつかなかったよ。今になって、俺に言わなくちゃならないこととはなんだろうってさ。
しばらく間を空けてから、あかりさんは言ったんだ。
「あの子を撥ねた犯人が、見つかったわ。それも、死体で」
俺はもう呆然としたよ。今になって。三年以上も経ってから犯人は見つかったのだと言う。
あかりさんの話を聞き終えた後、俺はベッドに座り、その言葉を頭で繰り返した。
犯人は赤石といったらしい。彼は遺書をパソコンに残し、ワンルームの自宅で、ロフトのベッドにロープを結び、首を吊ったのだそうだ。
パソコンに表示されていた遺書には、こう書かれていた。
『三年間、隠し続けました。三年前の十二月五日、月が丘の歩道での事故は、私が引き起こしました。命を以て、償わせていただきます。』
彼の部屋からは、大量のモデルガンに埋もれて、覚醒剤も発見された。事故当時は知らないが、現在は暴力団の一員だったらしい。
俺は、このときの自分の心境をうまく説明できない。
犯人が見つかったことは喜ばしかった。けれど、償いをさせる前に、勝手なけじめをつけられたのだ。それで、ハイ、ヨカッタデスネ、なんて言える訳もない。
ごめんな、このとき、俺は君のことを考える余裕はなかった。愛した彼女と、愛する君。
比べることはしないけれど、今、大切なのは君だ。それは確かだ。だけど、犯人、赤石に対して思う感情は、また別にあった。
自分が死んだから終わり。罪滅ぼしは済みました。
「ふざけるな!」
俺は枕を投げ飛ばしていた。
償いになどなるものか。本当に謝罪をするなら、どうして家族に頭を下げに行かない。覚醒剤で、気が狂って死んだだけだと言われた方が納得できた。
でもさ、何かがおかしいと思ったんだ。暴力団に入るような男が、三年も前の事件を苦にして自殺などするだろうか?
妙に丁寧に書かれた遺書にも、違和感を感じたんだ。
それからまた一日が経った。
昨日の晩から、俺は宙を漂うような、自分の体が、自分のものではないような心地がしていた。
ふっと君のことがよぎった。今頃、どうしてるだろう。君と話がしたい。俺のこの状況を、君はどう受け取ってくれるだろうか。
携帯電話を手に取る。見てみると、一件の着信、そして一通のメールがあった。どちらも、君からのものだった。俺は我に返り、メールを開いた。
『会って、話したいことがあります。明日、午後十九時、桜丘公園で待っています。』
メールの日付は昨日の日時を示している。――十九時。もうあと一時間しかないじゃないか。自分の、呆然としていた時間の長さに驚いた。
急いで支度をして、俺は家を出た。
なんとか十九時には間に合って、君の姿を探す。君は年末に二人で座った椅子に、腰掛けていた。名前を呼ぶと、立ち上がり、こちらを振り向く。
まるで他人のように思えた。それほどに、君の表情はこれまでのものと違っていたんだ。
「来て、くれたのね」
「当たり前だろう? それよりも、話ってなんだよ。まさか、別れたいとか、そんなこと言わないでくれよ」
「ええ。あなたのこと、大好き。だから、他人に戻って、なんて言わない。けれど、さよならは、言わなきゃならないの」
意味がわからなかった。
なぜ、恋人のままで、さよならを言わなければならない? 形はどうあれ、もうそんなことはまっぴらだ。
「……私は、人を殺したわ」
「なっ……」
「大切な人の、大切な人を」
まだ、俺にはわからない。
「気付かなかった? 私は、事故を、この目で見ているの」
そう言われて、一つ思い当たった。俺が君の大切な人ならば、君が殺した人は、三年前の、俺の、大切な、彼女……。
「そう。私は、見ていたの。けれど、見殺しにした。そうしなきゃ、私も逮捕されていたから」
すっと、鈍色に光るものが取り出された。俺はもう、言葉を失くしていた。
「そして、シュウジ君が、それを知ることのできる、最後の一人。あなたを殺せば、私の罪を知る人はいなくなる」
君は、ふっと笑う。笑いながら、一筋の涙が頬を伝っていた。
「……あなたは、私の運命の人よ。それはもう、否定のしようがない。したくもない。けれどね。……これで、終わりなの」
必死の思いで、声を振り絞り、俺は叫んだ。
「待て、やめてくれ!」
けれど君は、銃を構えて――。
「ごめんね……じゃあね」
――わかってしまった。
俺の地元。事故を見たこと。命日に動揺した君。駅で見かけた君に似た人。赤石の部屋。そして遺書……。
三年前の事故に、目撃者はいなかった。君がただの目撃者なら、それで犯人がわかったかもしれない。けれど、そうじゃなかった。
つまり、君は、赤石の運転する車の、助手席にいたんだね。
だから、見殺しにしてしまった。そして、俺がその被害者の彼氏であったことも、命日と地元から判断した。
更にそれを確かめる為か、俺をつけて地元に戻った。
――赤石を殺し、遺書を書いたのも、君なのか。
そうだとしても……それでも。
……俺は、君と生きたかった。
これは夢か何かだろう? なぁ、そうなんだろう?
そうだ、明日からの予定を決めよう。しばらく休んで、また旅行に行こう。君が望むところに、二人でさ――。