35 王の残照
【帝都・アセスルファムにて】
議事堂では、幹部たちが鼻に特製フィルターを詰めたまま会議を続けていた。
「……第三師団長ルキウス・ヴァレンハイトの件だが……」
老官が震える声で報告書を読み上げる。
「彼の放った“美学”により、第三師団ドックは現在、防護服なしでは立ち入り禁止。物理的被害はゼロだが、運用できないとあれば壊滅に等しい。また、彼の部下は「黄色」「トゲトゲ」を見るだけで嘔吐する体質に……その他、家庭が崩壊した兵員、多数。軍の士気は最悪だ」
「なんたることだ……」
かつて帝国規律の象徴だった第3師団は、今や「恐怖」の象徴となった。彼らが通った後には草木も眠れぬ異臭が残り、各地の反抗分子の拠点も、「彼らが来るなら降伏する」と言い始める始末。
「人々は、嫌悪と畏怖を込めてこう呼んでいます。“最《《臭》》兵器軍団”……と」
「なんたることだっ……!」
【その頃のルキウスの私邸】
ルキウスの私邸は、いまや「禁足地」と化していた。
庭園に咲き誇っていたはずの自慢の薔薇は、あの日以来、そのあまりの衝撃に「美の定義を喪失」して枯れ果て、代わりにどこか淀んだ黄金色の霧がうっすらと邸宅を包み込んでいる。
そんな「沈黙の宮殿」のテラスで、一人の男が虚空を見つめていた。
「……閣下。そろそろ、その……ガスマスクを外されては? 帝国の最高医務官によれば、脳にこびりついた『王の記憶』は、時間が解決するとのことですが」
おずおずと差し出された紅茶(最高級のダージリン)を前に、ルキウス・ヴァレンハイトはゆっくりと、力なく首を振った。
「……いかん。まだだ。まだ、私のソウルが、あの高貴すぎる咆哮に震えている……。それに、このマスクを外せば、私は再びあの『黄金の真理』に溺れてしまうだろう」
実際には、ただ単に家の中がまだめちゃくちゃ臭いだけなのだが、彼はそれを「魂の震え」と言い換えることで、辛うじて自尊心の欠片を繋ぎ止めていた。
【その頃のアスパーム・中央広場】
古の眠りから覚めた「果実の王」の残滓は、数日経ってもアスパームに爪痕を残していた。
普段なら香ばしい焼けたパンの香りが漂っていたこの場所は、現在風が吹くたびに「王の怒り」が蘇り、街のあちこちで「うっ……」と呻き声が上がる始末である。
「マスター。大気中の有機成分濃度は減少しつつありますが、依然として建物壁面への吸着が激しいです。ルキウスの『美意識』と『不完全な純喫茶錬金術』のせいで、より強固になっている模様」
「最悪だ。美学だの何だの言っておきながら、結果的に化学兵器をブチ込んだのと変わんねーじゃねぇか……!」
「……通常の高圧洗浄では不十分です。ドリアンの成分が微細なひび割れにまで浸透してしまっています」
SoDAのバイオセンサーは、依然として計測不能を示す「ERROR: SMELL HELL」の文字を空中に投影している。
「わかってる! だからこれを使うんだろ!」
カイトが担ぎ出したのは、特注の「ナノバブル・高圧噴射キャノン」。背中のタンクには、SoDAが計算し尽くした配合の特殊洗浄液が詰まっている。
「いくぞ、SoDA! 全開だ!」
「了解しました。ナノバブル発生器、同調。10億分の1メートルの泡が、悪夢の分子を物理的に包囲・破壊します」
カイトが引き金を引くと、真っ白な、霧よりも細かいナノバブルの奔流がノズルより噴出された。泡は水面に浮上せず、物質の奥深くまで潜り込み、ドリアンの頑固な臭気分子を「美学ごと」粉砕。さらにマイナスに帯電した泡が、プラスの電荷を持つ汚れを磁石のように吸着し、根こそぎ引き剥がす!
「おお……! 消える、消えるぞ! しつこいニオイが、泡の中に消えていく!」
カイトが噴射する先々で、淀んでいた黄金色の空気(悪臭)が、真っ白な泡に飲み込まれ、浄化されていく。それはまさに、汚染された世界を救う聖戦のようだった。
「ナノバブル洗浄機の正常起動及び効果確認。ガイ様。そちらもよろしくお願いします」
「おおよ!お前ら、大掃除だ!」
「おおーす!」
「このままじゃ草木も枯れちまう!」
SoDAの連絡を受けたガイ達はパワードスーツで街とその周辺を洗浄し始める。その先陣を切ってリン(もちろん防護服着用済)がスナイパーのような鋭い眼光で指示を飛ばす。彼女の持つ探知機は、わずかな臭気分子も見逃さない。
「甘いわ! 排水溝の隙間! 0.5ミリの隙間にまだ『ルキウス』が潜んでる! そこへナノバブルを流し込んで!」
「いや、『ルキウス』=『ニオイ』ではないけどよ……まあいいか」
リンはもはや、清掃というよりは「敵の殲滅」に近いテンションで、小型のナノバブル・グレネードを次々と投げ込む。
「これで……どうだぁぁぁ! 物理的に消え失せなさい、この変態貴族の置き土産!」
シュゴォォォ! という音と共に、路地裏から白い煙(浄化された空気)が立ち昇る。
「リン様、注意してください! 銅像の隙間に溜まった大玉のドリアン・ペーストが、ナノバブルの洗浄力に抵抗しています。ルキウスの『粘り強い自尊心』が変質し、強力な撥水バリアを形成しています!」
「あのアホ……! こうなったら、フルパワーよ! SoDA、炭酸濃度を極限まで上げて! 」
「危険です。その圧力では、街の塗装まで剥げ落ちる可能性がありますが……」
「背に腹は代えられないわ! 塗装は塗り直せばいいけど、このニオイは一生のトラウマになるっ…!」
リンの絶叫と共に、超高圧のナノバブル・ソーダが炸裂した。目に見えないほどの極小の泡たちが、ルキウスの執念を包囲し、無数のミクロの爆発を起こして空の彼方へと霧散させていく……
数時間後。
アスパームの街は、これまでにないほどピカピカに輝いていた。
ナノバブルの力で毛穴……もとい、石畳の隅々まで洗浄された街は、もはや鏡のように空を映し出している。
「……ふぅ。……終わったな」
カイトは空になったタンクを放り出し、大の字に寝転んだ。鼻を突く「ルキウスの呪い」は消え去り、そこにはナノバブルが弾けた後の、微かなオゾンの香りが漂っている。
「マスター。……お疲れ様でした。街のクリーン指数は、歴史上最高値を記録。……ですが、リンさんの精神状態が依然として『警戒レベル』のままです」
「え」
横を見ると、リンが自分のナイフを執拗に磨き続けていた。
「……次あいつ来たら……絶対に、あいつの鼻先で伝説の『KUSAYA』と『Surströmming』を同時発破してやる……!」
「リン、落ち着け! それをやったらこっちの身も危ない!」
しかし、この惨劇は意外な方向へと動き出していた。
ルキウスの私邸の地下では、汚染除去を命じられた帝国兵の一人が、ガスマスク越しにボソリと呟いた。
「……なぁ。これ、最初は死ぬかと思ったけどよ……」
「……ああ。なんかこう……一回りして、クセになってこないか?」
「そうなんだよ。昨日、エナジーパテを食べたら、物足りなくて……」
ルキウスの放った『美しき王者の咆哮』。
それは、常人の味覚と嗅覚を破壊すると同時に、一部の者たちの脳に狂信的ともいえる「未知の扉」を開いてしまっていたのである。ある意味でそれは「味覚と感情の復活」とも言えた。
帝国内デ非論理的・非合理的ナ感情波ノ増大ヲ確認………
「マザー・コンピュター《《表層部》》」ヘノ強制アクセス確認………
『人類救済計画』ノ修正ニツイテ検討ヲ求ム………
元凶ノ人物オヨビ戦闘ログノ収集・分析開始………
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以上データヲ「アークコンピューター」へ随時送信……判断ヲ求ム………




