10 琥珀色の目覚め
街を後にしたカイトとSoDAは、かつて「美食の街」と呼ばれ、今はシュガー帝国の最大級の配給プラントが鎮座する都市「アスパール」へと辿り着いていた。
空は厚い鉛色の雲に覆われ、巨大なパイプが街の血管のように張り巡らされている。人々は皆、虚ろな目で列に並び、帝国の支給する「黒濁水」を無機質なレトルトパックから啜っていた。
「……ひどいものですね。ここには『香り』がありません」
SoDAの翡翠色の髪が、微細な静電気で逆立つ。
彼女のセンサーは、街全体を覆う「感情の枯渇」を敏感に察知していた。
「ああ。喉を潤すためじゃなく、ただシステムを維持するために飲まされている。……よし、始めるか」
カイトはトランクケースを広げ、中から一本のスパイス瓶を取り出した。
「……今日の主役は、お前だ」
「おい、そこで何をしている!」
巡回中の帝国歩兵が銃を構える。
その様子を見た他の歩兵も集まってきた。
だが、カイトは動じない。
彼は手際よくグラスを取り出し、宙に掲げる。
「マドラー・エトワール、起動。お客様をもてなすぞ」
銀の螺旋が自動で魔法陣を構成し、空中にグラスを固定する。
氷とグラスが奏でる「カラン……」という涼やかな音が、静まり返った街に響き渡る。
その音は、まるで波紋のように人々の止まった心に波を立てた。
「純喫茶錬金術、錬成。『真実の琥珀・ジンジャーエール』!」
失われたはずのスパイスとシロップがカイトの錬金術によって空中で調合され、煌びやかな琥珀色の液体へと変わっていく。
「SoDA!」
「了解!……『大地の記憶』を記憶同調!同時に強炭酸封入開始します!」
SoDAが指先をかざすと、琥珀色の液体の中に、弾けるような、それでいてどこか大地を感じさせる力強い泡が宿る。それらが弾け、辺りには刺激的な香りが立ち込める。
「……な、なんだ、この匂いは……! 鼻が、痛いほどに熱い……!」
銃を構えていた兵士達の腕が震える。
周囲にいた市民たちも、一人、また一人と足を止め、その香りに顔を上げた。
「これが『刺激』だ。お前たちが忘れた、生きているという実感だよ」
「……毒か? これは毒なのか?」
「ああ、お前たちの『退屈な秩序』にとっては猛毒だろうな……受けろ『サンライト・ウェーブ』!」
人類が積み重ねてきた「味覚の記憶」が、黄金色の光となって街を包み込む。
直後、彼らの脳裏にフラッシュバックが起きる。
泥だらけになって走った放課後
夕立の後の土の匂い
夏祭りの夜に飲んだ喉を落ちる冷たさ
風邪をひいた時、母が作ってくれた生姜湯の温もり
そして喉を焼くような強烈な炭酸の快感──。
「……ああ……ああぁぁ!!」
「これが……感情……!」
「俺たちは……何を失っていたんだ……!」
兵士達は膝をついて嗚咽し、街の人々も夢から覚めたような感覚に包まれる。
ヘッドセットが次々と破壊され、目からは「効率化」で枯れ果てていたはずの涙が溢れ出していた。
その光景を、街の中央にそびえ立つ監視塔から見下ろす影があった。
「……見つけたぞ。バニラ博士の負の遺産、そして『錬金術』の継承者よ」
冷徹な声の主は、シュガー帝国直属の味覚抹消官、『サッカ・リン』。
彼の眼鏡には、SoDAの体から放出されるエモーショナル・エネルギーの数値が、異常な警告色として表示されていた。
「感情はバグだ。世界を汚す不純物は、私がすべて吸引濾過してやろう」
サッカ・リンが合図を送ると、上空から吸引ノズルを備えた飛行型ドローン群が、カイトたちの元へと急降下を開始した。
「マスター、敵襲です! 感情濃度、急激に低下中!」
SoDAが警告を発する。
街に広がりかけた「感情」を、帝国の機械が物理的に吸い取ろうとしているのだ。
「……歓迎会にしては騒がしいな。SoDA、油断するなよ!」
「はい、マスター!」
灰色のディストピアに、再び泡の弾ける音が宣戦布告のように鳴り響いた。




