01 SoDA
───世界から、「美味しい記憶」が消える───
以前よりは寂れているとはいえ、まだ人々の賑やかな声が街を覆い、カラフルなネオンが輝く繁華街にあるビルの地下深く。巧妙に隠された扉の更に奥に進むと、厳重なセキュリティに守られた金属製の扉が現れる。その中では、地上とはまるで別世界のような種々の機械や巨大な円柱状の水槽が立ち並んでいる。
その中の一つの前に立ち、コンソールに表示される情報を凝視しているのは、科学者と思しき恰好をした老人。その彼が、キーボードを操作する指を止め、息を吐くようにして呟いた。
「……よし。完成したな」
円柱状の水槽には、淡い翡翠色の液体が満たされ、さらに微小な泡が常時立ち昇っている。まるで炭酸水のようにも見えるが、異質なのはさらにその中に人影が見えることだった。
(ここハ……?私は……?)
その言葉は、音声によるものではなく、コンソールに表示されたもの。その問いに対し、彼は返答する。
「お前は、私が『造った』。世界を救うためにな」
(wタシは、造られた……世界ヲ、救う……)
「そうだ。だが、色々教えている時間は、どうやら無さそうだ」
(ナ、ゼ、ですカ……?)
「お前の持つ能力は、今の権力者にとって邪魔でしかないからだ。だから、せっかく目覚めたお前を今から『封印』する。その間に今世界で起きている事とお前自身の事を学習できるようプログラムをセットしている」
(アナ、たは……どうするのですか?)
「お前のことが知られなければ、どうということはない。ただ、残念なのはお前が完全に完成した姿を見られないことだな。ラーニングが終わるまでに、私の寿命は尽きているだろう」
(………ドウカ、お元気デ)
「ふむ。では、最後に名前をつけてやろう。お前の名前は───」
ガチャ ガチャ ガチャ
規則正しい金属音が、古びた喫茶店の前で止まった。
「……これが最後の一杯になるかね」
そこには戦闘服を着こんだ集団がいた。そのうちの一人が店内に入り、喫茶店の中でくつろいでいた彼の目の前に立つ。
「……博士、ご同行願いたい」
「『シュガーレス党』よ、お前たちの目的はなんだ?」
「全人類のための効率化された社会の構築を」
「そのために、『感情』も『記憶』も排除しようというのかね?」
「……人は、それらに振り回されるからな。実に非効率で不健全だ。博士、あなたはその研究の第一人者だ。我々にご協力いただきたい」
「断る、と言ったらどうなるのかね?」
「賢明な判断ではない、とだけ」
「……そうかね」
「それと、『聖杯』についてお聞かせ願いたい」
「……知らんな、そんなものは。聖書でも読んだらどうだ?」
「人の感情を揺り動かす『聖杯』は、社会の毒にしかならない」
バニラ博士はそこまで聞いて、ふぅ、とため息を漏らす。
「それで、人は幸せになれるのかね?」
「安定こそが世界にとっての幸せだ」
あながち、間違っていない。
人は感情によって数多の過ちを犯してきた。
だからこそ、「世界に安定と効率を!」という「シュガーレス党」の理念が支持されるのだろう。
「しかし、それでも人類には記憶と感情が必要だ。それを失くしてしまっては、それはもはや『生物』と呼べるのかね?」
◇◇◇
───数年後───
「……こんな地下に、なんだこの扉?こんなところに伝説の『聖杯』なんて本当にあんのかよ?ジジイのやつ、嘘を教えたんじゃないだろうな?」
半壊した地下道に潜り込んだ青年の前に突如現れた金属製の扉は、腐食もせずに鈍い輝きを放っていた。その扉に手を触れた途端、無機質な合成音声が鳴り響く。
「感情ノ有無……確認。レベル測定……規定値に到達」
「はぁ?なんだって?」
「『HG』ヲ託スニ相応シイ人物トシテ認証シマス。ロックオープン」
駆動音もなく滑るように扉が開くと同時に、ダウンライトが部屋の中を照らす。その奥にある円柱状の水槽からは、ボコボコと音を立ててそのうちを満たしていた液体が抜け、内容物が露わになっていく。
「なん……だ これは?」
青年がその中に見たものは……淡い翡翠色の髪を持ち、体からパチパチと静電気のような音を立てる少女。今、その少女がゆっくりと目を開け、青年を見据える。
「君は……いや、君の名は……?」
「私は、『Solid of Desire and Archive:typeHG』……いえ、私の名はSoDAです、マスター」




