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追放された地方公務員の俺、辺境の村で「常識」を教えたら、いつの間にか救国の英雄と呼ばれて定時で帰れなくなりました

いくつか短編作品を投稿して反応のいいものを長編化しようと思っているので、

面白いと思ったらなにかしらリアクションしてもらえると嬉しいです

俺の望みは、ただ一つ。毎日きちんと定時で帰ることだ。贅沢は言わない。たまの休日に趣味の釣りでもしながら、平穏無事に生涯を終えたい。それなのに、どうして俺は今、領主の居城で居並ぶ貴族たちから、畏怖と期待の入り混じった視線を一身に浴びているのだろうか。


すべては、俺の持つ“地味すぎる能力”のせいだった。



俺、藤宮ふじみや けいの前世は、日本のとある市役所に勤める、ごく平凡な地方公務員だった。土木課に所属し、道路の補修計画を立てたり、河川の管理マニュアルを改訂したり、予算折衝に頭を悩ませたりする日々。そんな俺は、連日の残業と過労の果てにあっけなく命を落とし、気がつけば魔法と魔物が存在する異世界に転生していた。


貴族の三男のケイ・ヴァイフ・ジノミヤとして生を受けたはいいが、この世界で評価されるのは剣の才能か、魔力の有無。そのどちらも持ち合わせない俺は、一族の恥として「無能」の烙印を押された。そして成人するやいなや、厄介払いの如く、王都から遥か彼方の辺境、見捨てられた村「テュロス」の代官に任命されたのだ。事実上の追放である。


だが、俺はむしろ胸を撫で下ろしていた。

(辺境の村か…いいじゃないか。面倒な出世競争もない。ここで前世の知識を活かして、安定したスローライフを送ろう。目指せ、毎日定時退勤!)


そんな甘い期待を抱いてテュロス村に足を踏み入れた俺は、しかし、その場で固まることになった。


「うっ…!」


鼻を突くのは、腐敗した生ゴミと、そこかしこから漂う糞尿の悪臭。道はぬかるみ、家々は朽ちかけている。村人たちの顔には生気がなく、虚ろな目が俺を一瞥するだけですぐに逸らされた。まるで村全体が、緩やかに死に向かっているかのようだ。


俺の護衛として付けられた、生真面目そうな女騎士エリアーナ・フォン・ヴァイスが、侮蔑を隠そうともせずに言った。

「これがテュロス村の現状です、ケイ様。長年、原因不明の疫病に苦しめられておりまして。…まぁ、あなた様に何かが出来るとは思っておりませんが」


疫病。その言葉に、俺の公務員魂に火がついた。いや、火がついたというよりは、職業病が疼いた、という方が正しい。目の前の惨状は、俺が前世で学んだ「公衆衛生」の知識に照らし合わせれば、あまりにも致命的な問題を抱えていた。


「エリアーナさん。まずは村人を広場に集めてください。住民説明会を開きます」

「じゅうみん…せつめいかい…? いったい何を…祈祷でもなさるおつもりか?」

「いえ、もっと即効性のあることを」


俺の静かな声に、エリアーナは訝しげな顔をしたが、命令には素直に従った。


集まった村人たちの前で、俺は深呼吸を一つした。前世で何度も経験した、予算削減や公共事業に対する住民説明会の光景が蘇る。罵声や反対意見が飛び交う、あの胃の痛くなるような空間だ。それに比べれば、今の状況はまだマシかもしれない。


「テュロス村代官に着任した、藤宮 圭です。本日は皆さんに、疫病を克服するための三つのお願いがあって集まっていただきました」


俺は淡々と、しかし明瞭な声で語り始めた。


「一つ、ゴミは村の東の外れにある窪地にまとめて捨てること。当番制で毎日収集します」

「二つ、用を足すのは、これから指定する場所に掘る『共同トイレ』でのみとすること」

「三つ、井戸から汲んだ水は、必ず一度沸かしてから飲むこと」


村人たちがざわめく。

「馬鹿なことを! ゴミなんざどこに捨てようが同じだ!」

「神聖な井戸の水を煮るだと? 祟りがあるぞ!」


予想通りの反応だった。俺は冷静に続ける。

「皆さん、病は神の祟りではありません。その多くは、我々の目に見えないほど小さな“汚れ”が口に入ることで起こります。ゴミや汚物を一か所に集めて管理し、水を熱して汚れを殺す。ただそれだけで、皆さんの子供が死ぬ確率は劇的に下がるはずです」

「…そんなことで、本当に病がなくなると?」

「はい。断言します」


俺の揺るぎない態度に、村人たちは気圧されたように黙り込む。エリアーナが驚いたように俺の横顔を見ていた。彼女には俺が、絶対的な自信を持つ預言者のように見えたのかもしれない。


だが、俺の内心は全く違う。

(これは公衆衛生の基本中の基本。セオリー通りだ。前世じゃ、これに加えて上下水道の整備、ワクチンの接種、食品衛生法の徹底までやってたんだぞ。これくらいで驚かれても…)


俺は最後に、お決まりのセリフを口にした。

「え、これ常識ですよね?」


その一言が、決定打だったらしい。村人たちは顔を見合わせ、「常識…」「我々が知らなかっただけの、世界の理なのか…」と囁き始めた。こうして、半信半疑ながらも、俺の指導による村の衛生改善計画がスタートしたのである。


結果は、数週間で現れた。

あれほど猛威を振るっていた疫病の新たな患者がぱったりと出なくなり、村から病人の呻き声が消えたのだ。活気を取り戻した村人たちの俺を見る目は、もはや神を見るかのようだった。


「賢者様だ! ケイ様は我らを救ってくださった!」

「あの方は祈祷も魔法も使わず、『理』の力で厄災を祓われたのだ!」


俺はただ、前世のマニュアル通りにやっただけなのに。

エリアーナに至っては、俺の住民説明会を思い返しては一人で震えている。

「あの冷静な態度は、民の反発すら計算に入れた上での高等な心理掌握術…。そしてあの最後の『常識』という一言。あれは、自らの知識が神々の領域にあることを暗に示し、我々愚かな民を導くための、深遠なる慈悲の言葉だったのか…!」


違う。全然違う。ただの職業病だと言っているのに、彼女の瞳は潤み、熱狂的な信者のそれへと変わっていた。俺が望む平穏なスローライフは、この時点で早くも黄色信号が灯り始めていた。



疫病は去った。しかし、テュロス村の課題は山積みだった。次に俺が直面したのは、深刻な食糧不足だ。痩せた土地と非効率な農法では、村人たちが冬を越すのがやっと。これではジリ貧だ。


(これもなんとかしないと、安定した生活どころじゃないな…)


俺は村の畑を視察し、土の色や作物の育ち具合から、典型的な「連作障害」に陥っていることを見抜いた。これも前世、農業振興課との合同プロジェクトで得た知識だ。


解決策は明確。まずは土地を休ませ、栄養を回復させること。そして、水利の改善だ。

「そのためには、正確な測量と、効率的な水路の設計が必要だな…」


俺が測量のために村の職人を探していると、エリアーナが一人のがたいのいい男を連れてきた。

「ケイ様。この男はバルガス。村一番の腕を持つドワーフの石工ですが、ひどい頑固者でして…」


紹介されたバルガスは、俺を頭のてっぺんからつま先まで嘗め回すように見ると、ふんと鼻を鳴らした。

「なんだ、こんなひょろい若造が新しい代官様かい。アンタに石や土の何がわかるってんだ」


前世でも、こういう昔気質の職人さんとの折衝は何度も経験した。攻略法は一つ。口先ではなく、具体的な「図面」と「数字」で示すことだ。俺は数日かけて、村の地形を歩いて測量し、高低差を計算し、一本の用水路の設計図を羊皮紙に描き上げた。


それをバルガスの前に広げる。

「この傾斜なら、最小限の労力で畑全体に水を引けます。水門をここに設置すれば、水量調整も容易です」

「なっ…!?」


バルガスは図面を食い入るように見つめ、目を見開いた。彼の長年の経験が、この設計図の尋常ならざる合理性を告げていたのだろう。

「こんな線の引き方…ありえねぇ。まるで川が自ら、最も楽な道を教えているみてぇだ…」

「ええ、まぁ、流体力学の基礎ですから」

「りゅうたい…りきがく…?」


意味不明な単語に、バルガスの顔がますます険しくなる。俺は気にせず、村人たちを集めて第二回の住民説明会を開いた。


「皆さんの畑が年々痩せているのは、毎年同じ作物を植えているからです。そこで、来年からは畑を三つに分け、一つは麦、一つは豆、そしてもう一つは『クローバー』を植えて土地を休ませます。これを毎年ローテーションさせます」


三圃式農業さんぽしきのうぎょう。ヨーロッパの歴史を大きく変えた農法だ。もちろん、この世界にはまだ存在しない。

村人たちはまたもや「畑に草を生やすなんてもったいない!」と騒いだが、衛生改善で絶対的な信頼を得ていた俺の言葉に、最終的には従った。


さらに俺は、村で一番読み書きと計算が得意だった、没落商家の娘リリアをスカウトした。

「君には、村のすべての畑の収穫量を記録してもらいたい。いつ、どの畑で、何が、どれだけ穫れたか。それをすべて帳面に書き記すんだ」


俺は彼女に、前世で使っていた日報のフォーマットを簡略化したものを教えた。収入と支出を左右に分けて書くだけの、ごく簡単な複式簿記の原型だ。


リリアは聡明だった。すぐにその意図を理解し、目を輝かせた。

「すごい…これなら、どの畑が儲かって、どの作業が無駄だったか、一目でわかります!」


こうして、俺の指示のもと、テュロス村の農業改革は始まった。頑固者だったバルガスも、結局は俺の設計図の合理性に屈し、村人たちを率いて用水路の建設を始めていた。彼の態度は「ひょろい若造」から「ケイの旦那」に変わっていた。


そして秋。収穫の時期がやってきた。

結果は、圧倒的だった。

用水路のおかげで日照りの影響を受けず、適切に管理された畑からは、過去の数倍もの収穫物がもたらされたのだ。村の食糧庫は、史上初めて満杯になった。人々は歓喜の声を上げ、俺を称えた。


「賢者様は大地と対話する力をお持ちだ!」

「我々に豊穣をもたらしてくださった!」


バルガスは完成した用水路を眺めながら、畏敬の念を込めて呟いた。

「…旦那の図面は、神々の工法だ。俺たちドワーフが何代かかっても辿り着けねぇ領域に、あの人は当たり前のように立っている」


リリアは、完璧に整理された収支報告書を俺に提出しながら、うっとりとした目で見つめてくる。

「この帳簿の付け方…まるで未来の収穫量まで見通しているかのようですわ、ケイ様。あなた様は、時の流れすら読むことができるのですね」


違う、違う、そうじゃない。ただの統計と記録管理だ。PDCAサイクルを回してるだけなんだって。

俺は有り余る余剰作物を指さし、現実的な提案をした。

「これを売って、村の運営資金にしましょう。来年の事業計画が立てやすくなります」


俺の頭の中は、来年度予算の確保と、それによる業務の効率化、そして最終目的である「定時退勤」への道筋でいっぱいだった。だが、この小さな村に初めて生まれた「市場」が、領全体の経済を揺るがす引き金になることを、この時の俺はまだ知らなかった。



「テュロスの奇跡」。

いつしか、そんな言葉で俺の功績が噂されるようになり、ついに領主であるオルバン伯爵の耳にまで届いた。そして、俺とエリアーナ、そして護衛兼経理担当としてリリアを伴い、領都に出頭するよう命令が下ったのだ。


馬車に揺られながら、俺は重いため息をつく。

(あー、面倒なことになってきた。視察とか監査とか、前世でも嫌いだったのに…)


領主の居城は、テュロス村とは比較にならないほど壮大だったが、俺の目にはいくつかの欠陥が見えた。城壁のひび割れ、堀の水の淀み。そして何より、城のすぐそばを流れる大河の位置が気になった。典型的な氾濫原に都市を築いている。


謁見の間で対面したオルバン伯爵は、鷹のように鋭い目をした中年男性だった。彼は俺の実績を労いながらも、その本質を探るような視線を向けてくる。


「代官ケイよ。そなたの働き、聞き及んでおる。疫病を鎮め、痩せた土地を蘇らせたその手腕、見事というほかない。だが…」


伯爵は言葉を区切り、本題に入った。

「その力、いったい何なのだ? 神の啓示か、あるいは古の魔法か?」


居並ぶ貴族たちの視線が突き刺さる。俺はどう答えたものかと思案した。正直に「前世の知識です」と言っても通じるはずがない。

「…ただ、物事の理を観察し、それに従っているだけでございます」

俺がそう答えると、伯爵は鼻で笑った。


「理、か。よかろう。ならば、我が領都が長年抱えるこの大問題を、そなたの『理』で解決できるか試させてもらおう」


伯爵が突きつけてきた課題は、俺が道すがら懸念していた、まさにそのものだった。

「城のそばを流れるあの大河だ。数年に一度、必ず氾濫し、街に甚大な被害をもたらす。多くの魔導士や神官が祈祷を捧げ、治水工事も行ったが、すべて無駄だった。そなた、この未来の災厄を止める手立てはあるか?」


試されている。ここでしくじれば無能の烙印を押され、テュロス村での平穏な暮らしも危うくなるかもしれない。だが、このお題は、まさに俺の専門分野だった。前世、土木課で来る日も来る日も河川のデータと睨めっこしていたのだ。


俺は懐から羊皮紙とインクを取り出し、その場で床に広げた。

「伯爵閣下。失礼ながら、これまでの対策が失敗したのは、敵を知らなかったからです」

「敵、だと?」

「はい。水、という敵の性質と、この土地の弱点です」


俺は領都へ来る道中で観察した地形と、城から見えた川の湾曲、土地の高低差を記憶から呼び起こし、羊皮紙の上に地図を描き始めた。前世で嫌というほど作成した、「ハザードマップ」の原型だ。


「これまでの氾濫の記録と、この地形から判断するに、水が溢れるのは決まってこの川の湾曲部。そして浸水被害が集中するのは、こちらの標高が低い商業区です。おそらく、5年に一度の周期で、ここまで水が来ます」


俺は地図上の一帯をインクで塗りつぶした。貴族たちが息を呑むのがわかった。彼らにとって、それはただの地図ではなかった。未来に起こる災害の光景、そのものだったのだ。


俺は構わず続けた。

「対策は単純です。ここに、頑丈な堤防を築きます。しかし、それだけでは水の力を受け止めきれません。重要なのは、こちらの使われていない湿地帯に水を意図的に逃がすための『遊水地』を設けることです。水の力を殺ぎ、被害を最小限に食い止める。これが最も効率的で、安上がりな方法かと」


完璧なプレゼンだった。前世の部長決裁で何度も使ったロジックだ。俺は自信を持って締めくくった。

「この計画に沿って、マニュアル通りにやれば、誰でもできますよ」


その瞬間、謁見の間は水を打ったように静まりかえった。

やがて、一人の貴族が震える声で呟いた。

「み、未来を…水害が起こる場所と規模を、正確に言い当てた…」

「なんという事だ…これは地図などではない! 予言書だ!」


オルバン伯爵が、椅子から乗り出すようにして俺を見た。その目は驚愕と畏怖に染まっていた。

「ケイ…! そなた、やはり神の啓示を…!」

「いえ、ですから、これはただの統計と土木学の基礎でありまして…」


俺の否定は、もはや誰の耳にも届いていなかった。それは過剰な謙遜か、あるいは自らの規格外の能力を隠すための韜晦とうかいだと解釈されたらしい。エリアーナは背後で感涙にむせび、リリアは熱に浮かされたような顔で俺を見つめている。


オルバン伯爵は立ち上がり、厳かに宣言した。

「代官ケイ! そなたに、この治水事業の全権を委任する! 予算も人員も、好きに使うがよい!」


「はぁ…」

俺は気の抜けた返事しかできなかった。


こうして、俺は辺境の村の代官から、国家規模の一大プロジェクトの総責任者へと祭り上げられてしまった。俺のささやかな願いとは裏腹に、事態はいつも、俺の想像の斜め上に進んでいく。


(俺の望みは、ただ一つ。毎日きちんと定時で帰ることだ…)


遠くで鳴り響く、事業の開始を告げる鐘の音を聞きながら、俺は心の中で、もはや叶わぬであろう夢を、ただただ呟くのだった。

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