女将軍がゆく そうだ、鎖国しよう
まあ、、ヘイト作品ですよ。。。
夢とも言う。
政治に絶望して書いている、のですよ。。。
彼女がおらんのですよ、この国に。
まあ、対世界の覚悟はおありで?
その後の戦争はただ攪乱に目的を置いたものだ。
「怒り狂った米軍の後ろについて、中国軍の物資獲得してきて、それをウクライナに流す」
ロシアは東西で分裂しそうである。
戦争が始まる前にODAに格好をつけて、キルギスとモンゴルとネパールに「ウイグルとチベットの軍事支援して」とお金を渡して頼んでおいたが、台湾有事と同時にこの二つの自治区が独立を開始していたので武器が渡ったのだろう。
アメリカの協力の下、台湾も大陸に乗り出したが、「勢いよく領地増やしても、管理大変だよ」と日本から忠告が入り、台湾まわりの小さな島々と、大陸に出入りするための港と周囲の土地、だけぶんどり、真横に米軍が居座った状態にした。
米軍と日本防衛軍は内部にちょっと進んでいった。が、アメリカは占領するつもりで、日本はその後ろでひたすら中国軍の軍備を奪ってはウクライナ、ウイグル、チベット、たまに台湾に流してた。
ミサイルは首都から反らしたが被害が大きかったモンゴルもかなり怒っていて、ウイグルに協力支援しながら、中国を攻撃。
一年後にチベットは国家として独立。
日本はひょこっと駆けつけて、国境作成を手伝った。
ウイグルは憎悪に飲まれて突出していき、日本は「この辺で自治区ないし独立宣言して外にいった連中連れ戻したら?」と、助言したが受け入れられず、ウイグルから手を引いた。ウイグルに渡していた武器弾薬は、弾圧されていた別の民族に流した。
ウクライナとロシアの戦争は終了した。
国土をウクライナが守った形で。
ロシアはもう、北方領土やウクライナどころではなく、分裂したあと、東ロシアは中国を一部削り取ったものの、安定せず。
中国は動乱の中、国家主席を擁立し、日本と停戦を望んだ。
一番、停戦してくれそうなのが日本だった。
もう世界対中国のようになっていて、一つずつかたすしかない。
「賠償よこしてくれればこっちは手を引く」
と、南房総幕府が確約した。
産出されるウランの三ヶ月分。戦前五年間貿易していた金属やレアアース、燃料などの資源を半額で買い取るから、三ヶ月で用意。
国内の在日中国人や中国人の不法滞在者を返還するので受け取ること。
「土地などは?」
「いらない」
日本はぬるくなった戦争の合間に、自国の実体を調べて、純粋に日本に住む『国民』が六千万人を超えている程度になっていることに気が付いた。
「かつての半分なら、この国土内で自給自足できるだろう」
と、いうことで。
国内で手一杯で、外に出す余裕はないし、アジアに手を出して嫌な目に合わされるのはこりごりである。
ただこの話には、全世界が「は?」と、物言いをつけた。
単純な話、中国を日本が支配してくれたら、話は簡単だった。欧米も、アジア諸国も、なんとなくそんな感じだった。
中国ですら、もうこの世界対中国状態から抜けられるなら、日本に支配されるのも手、というか、もうそれを望んだ。
ロシアに囓られ、モンゴルが背後にいるウイグルはテロを繰り返すし、チベットは元の自治区以上の土地を削りとって国境壁(壁作りやすいところまで陣地整えただけですよ)を作って明確に独立し、台湾も国土を思ったよりはほんのりだが削り取ってきて、香港が『もういっそ、アメリカか台湾に支配されたい』とか言いだして、南西の自治区は半独立国家になっていった。
どこの国も助けてくれない上に、逃げ出す手段もなく、受け入れてくれる国もなくなっている。
「え、何を言ってる。賠償金を手に入れたら、五十年の国交断絶にするつもりだが」
だって、なんで戦争ふっかけられて、内部を毒々しく侵略してきた国のあと始末をしてやらなきゃならんのか。
というか、領土なんか広げなくていい。
本来の国土を取り戻した今、鎖国したい。
賠償金を手に入れ、国の中の中国籍者を全部中国本土に届けると、日本は本当に軍を引き上げた。
窓口の米軍港と台湾があるので、直接やりとりすることもなくなった。
韓国・北朝鮮とも国交断絶五十年の宣言が出された。
ずっと援助してきたのに、日本が攻められると知って、大使館を襲って略奪と殺人をした国があったので、そこも国交断絶五十年である。
あんまり交友国の数多くしたくないな、と将軍は思ったが。
ヴァチカン「即、不快、と宣言してあげたうちは切らないよねぇ」とか。
ブラジル「邦人、真っ先に保護してあげたんだからさ」
モンゴル・キルギス「かなり援護射撃したとおもうんだけれど」
オランダ・イギリス「長い付き合いだよね? 戦争中、邦人確保したし、生活費もそちらへの移動費も、こっちで持ってあげてるんだよ」
など。
鎖国の気配を感じ取った連中がこじ開けにきたので、二十カ国ぐらいは付き合いが残った。
平気で三百年鎖国した実績持ちの国である。国連を脱退し、断絶五十年という強い言葉をぶん回し始めたから、こりゃあやばいと思ったらしい。
まあとにかく勝った。
領土に野心や欲はあるようで、協力してくれた各会社から『資源だけー?』とじとっとした目を向けられたが、
「この人口で管理できないだろう。いずれまた毒されて、喰われるだけだ。そのとき、私はいないぞ、きっと」
と、言ったら、それもそうかと諦めた。
「それに、敵国だからと、殺したり犯したりする奴が必ず出てくる。それを民間レベルで行えば、四代までその残虐引きずるぞ。そんな残虐な猿みたいな国民にしたいと思わんだろう」
自動車メーカー等々大手の工場持ちが
「あっちの工場のうちの資材引き上げたかった」
と、泣くので、
「あの状態で残ってれば回収させる」
案の定、壊されたり、略奪されて残ってなかった。
賠償で手に入った資源(半額)をその金額で融通した。
自国の力で勝ったが、ここまでうまく行くとは思っていなかった。
東京に敵を引きつければ、中国の台頭がおもしろくないアメリカが、日本の攻撃のように見せかけて、沖縄基地か、空母からか、北京にミサイルを撃ち込んだだろう。
当初、『台湾有事はこちらは手を貸さない。おまえらでやれ』と言ったときに、ああと思ったのだ。
台湾と日本を見捨てて焼かせているさなかに、中国の主要都市を撃つ気だなと。
政府首脳陣を殺しきれなくても問題はない。
首都壊滅とは、それだけで国民の精神を砕くから。日本のように、東京がなくなっても、政治システムがさくさく構築されるまでになっている国は多くはない。
ロシアの死んだ大統領との間にも、ウクライナをあげるから、中国を圧してほしいという密約でもあったのだろう。
ロシアが東に軍を戻せば、台湾有事、なかったかもしれない。もっといえば、アメリカが関税戦争を仕掛けなければ、もつとあとになっただろう。
台湾をちらつかされることに、いらついたアメリカは、もう起爆させることにした、ということだ。
中国は自分でタイミングを決めたと思っているかもしれないが、誰の手の内だったのか。
まあなんであれ。
中国は脅威になりすぎた。
この戦争が第三次世界大戦の幕開け、と表記されるぐらいに。
誇っていい。
そして、ロシアが割れ、中国が刻まれていく今。
次は世界対アメリカ
となるのだろう。
大きくなり過ぎた国家、脅威は、共通の敵となる。アメリカは中国支配という誘惑にあらがえないだろうから、肥え太りゆくだろう。
鈍重に、方針がやすやす変えられない国家に。
さて。準鎖国である。
「国内で自給自足が成り立つように」
資源のない国、ニッポン。
国民の数も減った。
各国の偉い人たちみんなー、うちは脅威じゃないからねー。
と、世界中に言いたい。
「愚民たちよ。増えなくていい。現状維持ぐらいで問題ない。狭い国土に人口多くてもあれだからな。生めよ増やせよで、際限なく増えゆく連中、だいたいろくでもないの、知っただろう。ただ生みたいなら、産休と育休の合わせて六ヶ月、給料の半額を支給する制度を作ったから、安心して生め(今まで産休育休中は保険料は会社が支払ってくれたが、給金はなかった)。生みたくないと言っている奴に強要するな。生む生まないで敵対するな。独身の老後が心配なら、年金を二十五年払った実績があれば、寮を作るからそっちに行け。死ぬまで一応、面倒見よう。年金支給額減らすけれどもな。自給の目処が立ったら、私は引退して、再度、民主主義選挙やるよ」
ネットをつないで、今後の方針を告げると、国民が一斉に弾幕を画面に流した。
民主主義怖い
愚民なんで、ちゃんとした人選べない
乗っ取られかけてたの気づかなかった
あんなにたくさん、外患犯出ても、殿が就任しないと裁けなかったのに?
殿辞めないで
「そうは言っても、世襲にしないために、子のいない女の私が征夷大将軍になる、ということにしたんでな。戦争の後始末が終わったら民主主義に戻す予定だった」
日本は結局、民主主義っぽい独裁政権になっていく。
全国から、征夷大将軍候補を推薦ないし選挙。
47人を公約や抱負を掲げさせて、再度選挙し。
上位二名を、現役の将軍が養子縁組。三年掛けて、人となりを見て、後継とする。
公約以外の政策をするときには、天皇と国民に裁可を計る。二年間で公約の達成率が五十%より低ければ、退任して、もう一人が継ぐ。
ネットがあるので、民意を問いやすい。
国民が直接選ぶ総理大臣では?
という話もあるが。
約束したこと以外、やり始めないようにと見張る制度である。
何人もの議員の行いを見張るのは、難しいが、五十人以下の候補者をそれぞれの県民が吟味して送り出すので、少しましである。
南房総幕府は続行する。
とはいえ、初代の話である。
彼女はほとんどを瞬く間に構築してしまった。
週休1.5日制。つまり全土曜日は半休か、隔週で休みにするか、という。
国民に問うたところ「寝たい」という答えが多く。
「じゃ、土曜日は始業を一時間半遅らせ、そこから四時間働いて帰る、ということにしよう」
と、なった。在宅勤務も増えたので採決された。
学校の授業ももちろん、みっちりとなったが、希望者は週の半分は自宅学習できるようになったので、通学時間が減った。
給食問題が悩ましいが。
国力を弱体化させるための週休二日とゆとり教育だったので、解除するのは仕方ない。
産休と育休は女性は合わせて6ヶ月、男性は合わせて4ヶ月、半額の給料が出るようにしてある。
ただし。半額とは過去三年間の平均給与額で決めるので、何度も頻繁に産・育休に入ると、目減りする。
企業側がこの場合の人員の確保のために要請する制度として、定年退職(55歳以上)した人の短期(一年)短時間(4~6時間)雇用、というのを作った。
土地は大量に持っているため、幕府は年金生活者支援寮を作ったが、入れるのは60歳からなので、5年、といわず働ける。
フルで働くのはしんどいが、6時間ぐらいまでならねーと、年金貰いながら働くのである。
ちなみに年金寮は、単身者は六畳と押入と玄関とトイレ付きである。風呂は共同だが、これは深刻なしで「食事と風呂」に来ないことが28時間続くと、管理人が様子を見に来てくれる制度に直結している。あと認知症などで危険なので、コンロ等火気は各部屋にはない。ただ、電気ポットだけ、備え付けてある。
食事は一日三回、食堂で好きなときに鍵を差し込んで、並んでいる食事から食べたいものを食べる。年間で9回単位で食べない分返金があるが、食住光熱費保険税金込みで月々五万円、年金から引かれるので、そんなに戻ってこない。まとめて作っているとはいえ、三食千円ぐらいなので食事なので。
ついで、その料金に健康保険にも入っていて、医者が常駐しているが、保険制度安定のため、六十歳になると、年18回までしか保険が適用しないため(これも鍵で管理している)、趣味で病院に通うようなことはできなくなっている。
年金支給額が年額で八十万円そこそこの人にしてみれば、部屋は少し狭いが、年二十万程度の小遣いがあり、何か在れば貯金を崩していけばいいので、目処が立ちやすい。
それ以下の場合は生活保護になるが、保護が一〇年続くと国土防衛のために、一番近い最果ての小島に行くことになる。
国民の生存最低ラインの確保、である。
でも、たいてい、駅から少し離れた土地に家を持っていて、家禽を育てながら、近所の人と声をかけあって、自力で暮らす方を選ぶ。
駅から離れて不便では、という話はあるが、公務員は最初の四年のうち二年間、選択で教師になるか運転手になるか、というのをするので。極端な秘境にでも住まなければ、便数は少ないが、バスは通るんである。
この経験を生かして、公務員退職後、一〇年ぐらい地元のバスや電車の運転手をしたりもする。つぶしの効き方が多岐に渡る公務員。
そんなわけで、人は減っているのに、なんとかなっていた。
産出国が荒れているため、ガス・ガソリンなどの燃料が高額になったので、原子力発電施設にエネルギーは激振りになった。
すごく極端な話、ここ何十年もで政治的に「駄目」と言われたり「なくそう」とされたものは、復活させたり、「推進」していたものはやめたり停滞させていた。
ソーラーパネルは自然資源を壊しただけで、全然エコでもなく、電気代も安くなかったし。火力発電はその燃料が高騰している。
原子炉をヨーロッパは拒否り始めていたが、結果的にロシアの原子力発電所から電力を買ったりしている。国から追い出して、よそから買う。
だから、どどんっと東京湾に原子力発電所を置いた。
あとは、古くなった施設の安全な取り壊しと、その資材を再利用して、再度原子力発電施設を建てられるようにすること、に研究費をかけて。
専用の施設が出来上がる。危険な放射の雨量のコンクリートは砕いて、再度コンクリート用の砂に。鉄やガラス、樹脂も溶かしたり、再生したりする施設である。この施設が老朽化したら、また別の施設で分解して貰い、再度施設にするんである。
どうせ、放射能がんがん浴びる内部の壁や炉なのだから、放射能にがっつり汚染された材料で再度構築すれば良いだけ。
ということで、原子力発電所に全とっかえである。
水力発電も、火力発電も、風力発電も、なくなった。
太陽光発電は、電気自動車全盛になったので、その天井とか、商業ビル群の屋上に少し残った。
ついでに生活保護寮は日に二回の食事とトイレも共用、ついで風呂はなく一日一度のシャワー個室で、湯は十分しか出ない。部屋は四畳半と押入で、玄関も共用である。 将軍「年金寮と、生活保護寮が同じ条件なのはいろいろ思うところがあるからな」
農業・畜産業は半分が国営となり食料の供給は安定した。小麦25%、肉20%の輸入は海外のブランドものが多く、なくてもなんとでもなるものばかり。郵政も国営に戻った。人口の少ないところにも、郵便局が再度配置された。鉄道は四割が国有化した。主に赤字路線が。国が経営しないと、存続できない。
電気自動車は小型の縦長二名乗りが開発された。買い物に一人でいき、後ろにのせてもいい。後部座席はチャイルドシート二つのせられるようにと開発に注文したら、開発部が泣いた後、完全に接着されて取り外しできないチャイルドシートつけてきた。
男女省「あー、これは、リースかレンタルにしましょ。子供がこれ必要な時期、短いから。広報しときますねー」
ということで、この細長小型の電気自動車が日本中を走り回った。駅から離れたところに住む人間が増えたので、これはスクーターより受けが良かった。
ガソリンスタンドには充電施設が置かれるようになった。
戦後七年でそこまで整ったが、大陸はいまだに戦争状態だった。
国連から
「再加入して、負担金くれないかな」
という打診が台湾経由できたから、拒否した。金取るだけで、こちらのために何かしてくれたことない、と。
ヨーロッパはロシアの脅威がなくなると、中国人排斥から始まった移民追い出しが、ムスリムやクルド人、アフリカ系などの難民にもシフトしていった。
ロシアと中国の情勢が落ち着かないことから、燃料や資源の購入が難しくなったときに、こちらで無体を働いたという理由付けで、中近東やアフリカに戦争をしかけ始めた。
おそらくは、中国が今の状態にならずとも、資源の枯渇がおきたときに、似たような理由で攻撃されただろう。資源を安売りしすぎたのだ。無尽蔵にあると、思われて四方から食い荒らされることになっただろう。白人たちはアジア人を殺して奪う方が、心が痛まないから。
女将軍は引退を表明し、養女として二十歳の、顔がいびつな娘を選んだ。戦争開始直前の、小学校が襲われたとき顔の皮を剥がれた娘である。
「この子が将軍でいるかぎり、国の敵をやすやすとは入れないだろう。憎しみに燃えて、かの民族のように突出しすぎぬように、何かの折りは支え、押さえてやってくれ」
その後、乞われて三年ではなく五年、様子を見たあと、引退したが名誉職として殿呼びは残った。
退職金がかなり出たので、大きめの屋敷、というよりアパートを造り、年金暮らしになった抜き師たちを住まわせた。抜き師専用年金寮を私財で作ったと言える。自分に使った金があるのか、と周りは不思議がった。
彼女の夫は彼女が退職した後も、四年、養女のために公職を続投して支えてから、引退。
彼の妻は女性寮に行ってしまったようなものなので困ったが、彼が隣に小さな家を建ててると、移ってきた。
養女はほぼ養母の方針を受け継いでおり、新規の問題が起きたときには相談に来て、そして民意を確認した。
民意は常にばらばらで困らされたが。
夫に手を握られて、この希代の女傑が亡くなるときに、養女に対してか
「百年、鎖国を維持しなさい。そうすれば、エネルギーが、石油やガスは枯渇して、もはや世界から、こちらに来る脅威はなくなるだろう。核燃料を千年分確保して・・・子供達よ、どうか、かしこく、飢えず、どうかどうか」
祈るような言葉を口にして、息を引き取った。