20
六曲一双の金屏風には、美しい花が咲いていた。
「花鳥風月。この屏風にそれらが描かれたとき、お客様がこちらに馴染んだ証拠となる。と言われてます」
「かちょうふうげつ…」
一夜開けて朱鳥は、雪兎と並んで屏風の前に立っていた。
「えぇ。貴女がこちらに来て初めて笑ったとき、花が咲いた」
「…それじゃあ、ちょう、は…」
「泣いたときでしょうか?」
「!」
泣くには、どうしたらいいだろうか、と朱鳥は真剣に考えた。
「あの!」
「はい、なんでしょう」
「な、何か辛いものはありますか? それとも、玉ねぎのみじん切りとかでも、良いでしょうか?」
涙が出るまで叩かれるのは最終手段にしてほしい、と、朱鳥が代替案を頑張って考える。
「…おい。からかうなよ。『大事なお客様』なんだろ」
悩む朱鳥を見かねたように言ったのは、昨夜、龍臣と呼ばれた青年だった。屏風の置かれた部屋の隅で胡座をかいている。
「えっ?」
「あぁ、すみません。つい」
「あの…?」
「花を咲かせる方法以外は、特に記録は残っていないんです。何をすれば次の絵柄が現れるのかは、誰も知りません」
「なっ…」
朱鳥は口をパクパクとさせた。言葉が何も出てこなかったのだ。
「怒りましたか?」
「泣くのは嘘ですか?」
「うーん。そうとも言い切れず…」
雪兎は困ったように言った。
「仮に手引き書があったとして、その通りに行動しても、本当にこちらに馴染んだことにはならないと思いませんか? 多分敢えて、何も書き残さなかったのだと推測されます」
あのとき心から笑ったからこそ、花が咲いたのでしょう。
そう言われて、朱鳥は素直に頷いた。
確かにあのときから、みんなの言葉が分かるようになったのだ。
「まぁ、泣くのは違うだろ」
龍臣の言葉に、雪兎が不思議そうに訊いた。
「何でそう思う?」
「だって、そいつはもう泣いてる。泣くのが鍵なら、もう現れてなけりゃおかしい」
「泣いた…?」
雪兎は朱鳥の顔を心配そうにのぞきこんだ。
「あの、どうして私が泣いたって…」
朱鳥は龍臣に聞いた。
龍臣の言う通り、昨夜、朱鳥は泣いた。
役立たずだから帰れと言われたと、勘違いしたときだ。
でもあのときお面をかけてたから、涙は見られてないはず…。
頬を伝って地面を濡らしたが、それもほんの数滴だ。あの暗い夜のなか、見えたとは思えない。
「…面の内側が濡れていた」
「!」
お面で隠したつもりが、証拠の品になったとは!
「も、申し訳ありません!」
急いで朱鳥は手をついて謝った。
こちらの人たちにとって、お面は大事なものだろう。
昨日は気が動転していたため、お面が何の素材で出来ていたのかまでは気にしていなかった。水に弱いものでなければいいが、紙製だったら…。
「…そんなに謝らなくてもいい」
「ですが、お面は大丈夫でしたか? 汚れたり壊れたりは…」
「大丈夫。あの面は丈夫なものだから、ちょっとのことでは傷はつきません。むしろ、貴女が泣いたことの方が問題だ」
雪兎が言った。
「誰に泣かされたのですか?」
「えっ?」
手を付き頭を下げた朱鳥の隣に座り、そっと朱鳥を座らせた。
「えっと…」
なんだか雲行きが怪しい。
「まぁ、状況から考えて一人しかいないけど」
視線の先にいる龍臣は気まずそうに顔を伏せた。
「あ、の。私が勝手に勘違いしただけなんです。だから…」
この方は、悪くない。
「うーん。罪状が一つ増えたね。まさか、自白するとは」
のんびりとした穏やかな口調で言ってはいるが、すぐ隣にいる朱鳥は気づいた。…雪兎の目は笑っていない。
「罪状って…」
そんな大袈裟な、と言えない理由があった。
部屋の隅に座っている、いや、座らされている龍臣は、なぜか罪人のように枷をはめられているのだ。
最初はそういうおしゃれなのかな、と思ったけど…。
どうやら違うようだ。
「龍臣は、救世主である貴女を逃がそうとした」
「…」
「…理不尽な災いに襲われ、今も苦しみに耐えている仲間たちやその家族にとっては許されざる裏切りだ」
静まり返った部屋に雪兎の声がする。
昨日まではあんなに宴会で騒がしかったのに、と、朱鳥はぼんやり思った。
「百歩譲って、それが神の意思ならば諦めもつく」
「!」
神。
それはこの場合、朱鳥のことだ。
雪兎は優しい目で微笑んだ。
「でも、今回は違う。雑な確認しかせずに、貴女を連れ出した。しかも、話をきくかぎり、貴女は勘違いしていて、あと少し僕の到着が遅れたら帰るつもりだったのでしょう?」
「…それは」
朱鳥は帰りたくはなかった。
それでも、あのとき、雪兎が言うように泣きながら橋を渡っただろう。
でも、ここで頷いたらこの人の立場が悪くなるだけ…。
嘘はつけないけど、肯定することもできず途方にくれる。
「…鹿乃子に言葉を習った。だから、通じてると思った」
「だから、言語の問題じゃないんだよ。それに実行するとき、普通は最終確認するもんじゃない?」
「…それは、…驚いて、忘れた」
「驚いた?」
あのときのことを思い出す。
朱鳥は、その前に来た子どもが置いていったお菓子を食べていた。
真夜中に呑気にお菓子を食べていたから驚いたのだ。
「! あの、私が」
「別に何だっていいだろ。俺が一人バカみたいに空回りしたってはなしだ」




