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村の東の果てには大きな川が流れていた。
向こう岸が見えない、大きな川だ。
時折、好奇心に負け川に入り向こう岸に渡ろうとする者がいたが、その者が川から出てくることはなかった。
だからこの地域に住まう人々は水を汲むことはしても、川には決して入らなかった。
そして、その川には一つの言い伝えがあった。
一川に朱色の橋が架かるとき、贄を…
ある日、忽然と朱色の橋が表れた。
「伝承は本当だったんだな」
「贄って…?」
「記録によれば、前回は五百年前。当主の娘が捧げられたらしい」
視線の先には現当主の娘、ツバメが蒼白な面持ちで立っていた。
「嫌よ! 私は嫌!! お父様、こんな話信じるの!?」
「…だが、確かに橋は架かった」
そう昨日まで、確かに橋は架かっていなかったのだ。あんな立派な橋、一晩で架けることなど不可能だ。
「記録って、そんなぼろぼろの紙切れに書かれていることなんて…!」
ツバメは当主の後ろに控えていた男が持っていた紙を見る。
確かに、虫食いだらけで、一見すると塵芥だ。
「落ち着きなさい。贄とはあるが、当主の娘と指定されているわけではない。…誰か、罪人を」
「ですが、あまり望ましくない者の場合、何か罰が下りはしませんか…?」
そう言ったのは長老で、周囲の者も皆頷いた。
「五百年前贄を捧げたあと橋は消え、代わりに変えがたき財宝がもたらされた、とあります。価値のあるものでなければならないのでは?」
こちら側で罪を犯した罪人を流刑するのでは、意味がないのかもしれない。
「高貴な者、もしくは若い者、と言うことか?」
「…おそらくは」
当主には三人の子供がいた。
次期当主の鷹人。
長女、翼女。
末の妹、くいな。
「そうだわ、あの娘がいるじゃない!」
翼女が言う。
「朱鳥よ! あの娘なら、半分は家の血が入っているわ!!」
皆が顔を見合わせた。
翼女と同い年の朱鳥は、現当主の姉の子供だ。
現当主の姉は、親に決められた相手との結婚式の当日、姿を消した。
そしてある年、幼い妹を連れ朱鳥が現れた。
手にしていたのは一通の手紙で、短く『私の娘をよろしく』とだけ書いてあった。
父親はどこの誰だか分からない。
家に泥を塗った娘の子。
しかし、子供には罪はない。
現当主は、姪としてその少女を家に住まわせていた。
「…当主の血族で、若い者…」
「確かに、朱鳥も基準を満たしているのか」
くいなはもちろんホタルもまだ幼く、鷹人は跡継ぎだ。
ならば、翼女か朱鳥のどちらかになる。
「…しかし、朱鳥よりも翼女の方が血が濃いのでは?」
「いや、血が濃いことが重要かは分からない」
「足りないのなら、足せば良い」
当主が呟いた。
「なんぞ?」
「朱鳥に宝飾品を持たせて、捧げるのは?」
「…まるで、嫁入りだな」
「あぁ。それだ」
誰もが、贄を捧げないという選択肢を述べなかった。
一夜にして橋を架けられる者たち。人ならざる者たちに逆らって、こちら側に来られては堪らないからだ。
こうして、私の嫁入りが決まった。