毛虫の糸
ゴミ収集所を街灯が照らしている。何の音もしない、静かな良い夜。ギイ、蓋を開け集積庫にゴミ袋を突っ込む。いい気分だ。頭上には弦月が張り付いている。
街灯が照らすアスファルトの上に、蠢く、ケムシがいた。集積所に向かって突き進む。彼らはいつもこう。見当違いの方向へ進む。大き目の葉っぱを使って捕まえようとする、が、丸くなって上手くいかぬ。掴みどころがなくコロコロ転がっていく。何度目かでようやく捕獲し、草むらに放してやった。
帰り際、アパートの向かいの生け垣に目がいった。こっちの方が良かったかな。道端の雑草では食い出がないかもしれない。それでも鉄製の鉄かごよりはマシだろう。
朝。家を出る前にヒゲを剃る。昨日は剃らなかったので今日は剃らなければならない。殆どのヒトがマスクを着けなければならない社会というのは、不自由ではあるが、「髭を剃る」という事においては真に有益であった。毎日の習慣が二日に一辺で良くなったのである(三日目は気が引ける)。今ではもうマスクは半数ほどになった。が、業務上ではまだ大方が着用している。
鏡の前に立つ。どうしても髪に目がいく。短くしているのでそれほど目立たぬが、日に日に薄くなっているのが分かる。白いものも増える一方だ。同僚は白髪染めをしている。同じ年頃の黒々とした髪、それはそれで違和感があるのだった。十代とか二十代みたいな毛量で中高年の面相、というのも何かおかしい。結局は年相応という事だろう。
「おはよう!」、「おはようございます」出勤すると爽やかに上司が声をかけてきた。上司はマスクをしていない。のみならず、髪を茶色に染めている。就業規則で染髪は禁止されてはいない。あくまで「好ましくない髪色はしない」とされているだけである。それでも髪を染めているのは彼ぐらいだ。彼の業務上の能力は高く、性格も良く、管理者たちからも気に入られている。見た目のギャップもあるかもしれない。何だかズルイな。
一見すると誠実そうだが、その実ボサッとしてその日を漫然と過ごしている、万年平社員の自分とはかけ離れている、といえる。「適当に返事してるだけだろ」酒の席で同僚に言われた言葉が思い出される。「まあまあ」、「仲良くやろうよ」、人付き合いでも当たり障りのない事しか言わない。確かにその通りなのだった。
交差点の赤信号で停まる。広い交差点の中を、ちっぽけな一匹の毛虫が蠢く。絶望的だ。目の前を何台もの車が通り過ぎる。一台、二台、三台。それでも毛虫は蠢き続ける。ここでの捕獲は不可能だ。渡り切れるだろうか?信号が青になった。自分にできることは、何とか毛虫を踏み潰さないようにするだけだ。後は祈るしかない。
アパートに着き、車から降りる。車の前に緑色の液体が飛び散った跡がある。それと、敗れた風船のように縮んだ毛むくじゃらの死骸。これがアスファルトの上に躍り出た、毛虫たちの末路である。毛虫に性別はあるのだろうか。それがメスだとわかれば、ヒトはもっと何とかしてやるだろう。丸くなってコロコロ転がる様はなかなか愛らしい。
フロントガラスに緑の何かが張り付いていた。小さな小さなアオムシ。糸で張り付いているので、ユラユラして中々捕獲できない。針に糸を通すみたいに。ようやく捕獲し、向かいの家の生け垣に放してやった。あのアオムシが、固そうな生け垣の葉を食めるだろうか?仕方ないじゃないか。ここら辺にキャベツ畑があるわけがない・・・
部屋に戻って手を洗う。汗と油でベトベトの顔も洗う。
毛虫を助けるようになったのは「クモの糸」という説話を目にしてからである。地獄に落ちた悪党が、生前助けたクモの糸を辿って天国へ向かう、という内容だ。結果はどうあれ希望が湧いた。小さな生き物を助けるだけで地獄から這い上がるチャンスが貰える。実践しない手はない。
しかしだ、毛虫たちを草むらに放るたび思う。あの悪党がクモを助けたのは一度きりである。こう、何度も助けたところでチャンスを貰えるものだろうか。悪徳に塗れた生涯の中、唯一善行といえるもの、それが「一度きりのクモの救済」である。だからこそ希少価値があるのだし、その生涯においてますます輝きを増すように思える。「ひとつチャンスをやるか」天国から気まぐれにクモの糸が垂れてくるのもわかるというものだ。ズルイなあ。何度も、漫然と、毛虫を放ってやるだけでは何の価値も無いのではないだろうか。大体ケムシがどうやって天国へ連れていってくれるというのか、彼らは這いずり回るか転がる事しかできないではないか。助ける対象を間違えてしまったか。
洗った顔をタオルで拭う。髭は殆ど生えてない、まだツルツルだ。明日は剃らなくても大丈夫だろう。