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如何にして 77

「だーかーらー、俺はここじゃなくてさぁもっと静かな所でゆっくりしたいわけ」

 ショートに充てがわれた部屋のベッドを占領しているエースは喋っていなければ、寝ているように目を閉じていた。ここ最近、膝を抱え丸まって横になって休んでいる日が多い。

「ここだって別にいいだろ」

「ちょっとなぁ」

 食事をするテーブルには硬いパンが五つ乗っている。そのうちの一つをカルアーが掠め取ってエースの枕元で音を立てて食べ出したのはわざとだろう。溢れたパン屑に気がついたエースはため息を漏らしてカルアーから距離をとった。

「何でここでは、ちょっとなんだよ。今更どこだって同じだろ」

 パンの前に座ったアンリが、思い通りにならない歯痒さにイライラとして硬いパンを手に取る。指で押しても凹みもしないとわかると噛みついたがカルアーのようには行かなかったようだ。

「かった! 食えたもんじゃねーだろ」

「水に浸してふやかせば?」

 ベッドとテーブルの間、微妙な位置にショートは立っている。気だるそうなエースの様子が気にかかるが近寄りがたい。それはアンリも気がついて居るのだろう、口は出しても無理に近づこうとはしない。

 肩をゆらゆら、エースのそばに行こうか、いかまいかショートが悩んでいるとガーランドが扉を開けて顔を覗かせる。

「おい、言われたもんは用意できたけど」

「おー、ご苦労さん。ちょっとしたら出るからお前も必要なもん用意しとけよ」

 目を据わらせるくせに、太く広い肩をちょっとうちに丸めるだけで、彼は何も言わずにそおっと扉を閉めていった。

 ガーランドは、怪我一つ無い。神を殺したあの日から数ヶ月、アンリは未だに両手と片足が儘ならぬ時々があるのか、痛みを堪え苛立ちを落ち着けようと後頭部の髪をかき混ぜる様を見ることは多々あるし、リーシャは未だにベッドから起きた上がることはできないでいる。

 数ヶ月の時間が自然と流れ、当たり前として流れていったのにあまりにもその経過は希薄だった。ショートは、ふとした瞬間に神の最後の言葉を聞いたのは昨日のようにも、ずっと昔のことのようにも思う時がある。未だに、ついていけていない場所が彼の中にはある。だが、そんな彼を待っていてくれるほど世界とは、人とは優しいものではなかった。

「今行かなくてもいいじゃないか。境界線が亡くなったと言うのに今度は、国が線を引いて縛り付けようとしてるだろ。彷徨くのは賢く無いぞ」

「それでも、行くさ」

 硬いパンをボールに見立てて上に放り投げ、受け止めて、指先の動きはアンリと反りがあわなさそうだ。どうしたら前のように動くのかを考え、動かし続けるしかないのだろうとショートも足の横で同じように真似た指の動きを繰り返す。だが、何も掴むものはない。

「それだけじゃない、精霊が変わったのはお前も知ってるだろ」

「変わった訳じゃない。お前らと同じで、縛るものがなくなっただけさ。本来、精霊は何も無しに人に膝を折る者達ではない、今までが破格だったんだよ」

「契約をしていただろ」

 エースの背中に沿って折りたたまれていた羽が根元から萎れる。

「そう思ってんのは人だけだ、馬鹿」

 ベッドの上で寝返りを打って、エースは硬いパンをものともせずに齧るカルアーの横顔に手を当てる。

 口の周りのパン屑を舐めとった三つ目はうっとりと閉じる。鼻の頭に乗ったパン屑が色のコントラストでわかりやすい。

「なぁ、ショートを頼むぜ。お前にしか任せられない」

 意気揚々とした黒い口元のまんざらでもない得意げなしなり。みゃーともみぅーともつかない返事を聞いたエースの安堵にベッドのスプリングは軋む。

「どうしても静かな所がいいんだ。ここだとお前、俺をこき使うだろ? 約束したよなぁ、自由で不自由のない暮らし」

「三食昼寝つきだったろ」

「ふふん、それじゃあ足りないねぇ。俺は我儘な女神様だからなぁ」

 そう言って、ベッドの淵から素足を床に下ろしたエースの背後で美しい羽が三対広がる。それだけで、その場の空気が暖かくなる羽は、羽ばたくことなくエースを浮き上がらせ、汚れ一つ無いつま先がベッドを蹴った。

「おとー、さん」

「泣きそうな顔すんなって。帰ってくるよ、ただ子供を産まなきゃならないんだ。しかも双子だ、大変だろうなぁ」

 飛び上がった沈黙の後には素っ頓狂が相場と言うもの。喉を詰まらせたショートの代わりにアンリが裏返った音を出し、硬いパンを手から落とす。食べ物とは思えない落下音も意識の端にも引っかからない。

「はぁ?」

 再びアンリが不明瞭と不可解と、そういった何やら万物の不思議を目の当たりにした時に思わずしなる喉の音を吐く。だが、エースは今にも目を落としてしまいそうな二人の様子など横目にも入らず、足を浮かせて気だるそうに扉を開けようとしている。

 相変わらずパンを齧って居るカルアーに、縋る目を向けたものの、三つ目は細くなっただけでショートを助けてくれそうにはない。

「おっ、おと、え? まって隊長」

「なんだぁ?」

 ドアノブを手に振り返った、疲れた顔色はしかしそれであっても目の中を奪い、見つめあって居ると今し方の衝撃的な事柄は「まぁ、そういうものか」と流れていってしまいそうになった。

「産むって、お前が? 何を?」

 流されなかったのは偏に椅子の背に手を当て腰を上げたアンリが真っ向から立ちはだかろうとするせいだ。そのおかげでショートは、流されることなくその場に踏ん張り、何度となく「やはりおかしい」と自身に対して強気になることができた。

「俺が、子供を」

「誰の?」

「そりゃぁ……」

 上目を向いた新緑は、すぐにころんと転がりアンリを閉じ込め、口を閉ざして居るくせに漠然ともの言う目で語る。だが、語られた内容をショートは読み解けない。

「は? え、いや」

 だが、アンリは何かを読んだ。狼狽え泳ぐ目元に力の抜けた腰は今にも椅子に落ちてしまいそうだ。

 何度か、エースとアンリへ顔を行き来し、けれどショートに読み解けるものなど何一つ見当たらない。ひとりぼっちの蚊帳の外は、額を重たくした。

「くひっ」と聞こえた聞き慣れた悪戯っ子の勝利宣言。

「ばぁか、何狼狽えてんだよ。どっちの中身もお前には関係ない子だよ」

 なんとも置き場の見当たらぬ苦くも甘いものを食んだようにアンリはそっぽを向いて、しかしエースのことが気になっているのは全体的な雰囲気から丸わかりだ。

 底意地の悪い笑い声を残して部屋を出ていくエースの後をショートは追いかけた。扉を閉める間際に、黒い毛皮をまとった流体、もといカルアーが外に吐き出されそのままの勢いでショートの足を駆け上る。痛痒の爪は肩に落ち着く。

「くすぐったい」

 ふすふすと耳の中をくすぐる熱の高い息にショートは前髪を揺らした。

 先程の発言を聞いてしまったせいだろう、浮き上がって廊下を進むエースはぺったんこの腹を重そうにどことなく前屈みになっているように見える。早足で後ろに追いついたショートは、細い体の外の輪郭を一周、それから中身をつぶさに観察する。

 細いとしか言いようのない身体は、けっして侘しい訳ではない。廊下の広さを気にしてか控えめに開いている羽の中に刻み込まれた精緻なデザインは何を象っているのかまではわからない。ただ、細かい凹凸を指でなぞり、感触を知りたい欲求がむくむくと胸に育つ。手を伸ばそうとしたショートを叱ったのはカルアーの牙だ。

「痛いって」

 耳たぶを噛んだ三つ目は、軽蔑の色をうつしていた。そのせいで、とても悪いことをしてしまった罪悪感にショートの唇は尖るがすぐにエースの興味がほしくて子供っぽく動き出す。

「おとーさん、子供産むの?」

「産むなぁ。姫さんが欲しがったらアゼルまで欲しがりだしてなぁ」

 肩越しに振り返ったエースに気を良くし、ショートは早足で隣に並んだ。

「ふぅん……」

「だから、お前はお兄ちゃんになるんだ」

「おにい、ちゃん」

 その途端男だとか、産める産めないだとか、そう言った摂理などショートの中から消え去って、その代わりに新たに開きかけた花の蕾がいくつも現れる。今にでもぱっと開きそうな蕾は、全てエースの方向を向いていた。

「そ、お兄ちゃん。楽しみだろう?」

 平和を注がれてしまえば、蕾は花開かないわけにはいかず。そして、咲いて終えばもうショートは頷かないわけにはいかないところにきてしまっていた。

「う、ん」

「りーちゃんの様子見てから出るかぁ。デカいのも用意できてんだろ」

 やはり腹を重そうに前屈みになって飛んでいるエースは、ショートの記憶の中の彼とは全く違うのに受け入れてしまっている。その事に、刹那怖気のようなものを覚えたけれど、振り返って手招かれてしまうとどうでも良くなってしまう。

 考えたくても、考えられない。

 いかにして、エースは「こう」なってしまったのか。

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