如何にして 72
登っていく足音が遠くるほどに、高い場所から降ってくる。その音を浴びて、リーシャは夜空の眼を細め仮面の男を顎をひき、上目に鋭いばかりの眼光で射抜く。
「どいつもこいつもふざけてばっかり。アセメリアに、変なものを押しつけて勝手に空に浮かべて膝を折って、気色悪いったらないわ。本当に、そういう奴は根こそぎ消えてほしい」
手のひらを上に、太く長い針を一本。
「貴様らにはわからないだろう。神の存在が生かした命の多くを。膝を折るのは当たり前のことを、神など信じないくせに血を流すことを厭わないお前らこそ、消えて終えばいい」
男の握る血に濡れた剣先からは、どうして今もなお血が雫となって落ちていく。
「だからなによ。なんなのよ勝手に神でもなんでも祈ってればいいじゃない。なんでアセメリアを神にしたのか、それが何よりも許せない。人が生きた? 死んだ? だからなんなの、それがなに。勝手に生きて死ねばいい、他人の生死にアセリアを巻き込まないで。勝手に殺し合えばいい、勝手に血を満たして神に捧げればいい。知らないわよ、神なんてそんなもん。アセメリアさえ居れば、私はどこにいたって、何があってもされても、生きていけるの」
ふっ、と。もれた男の失笑。
「それを、神というのだ」
剣から滴った滴が揺れ、その中から響く呻き。滴が一つ、また一つと落ちるごとにその中からゆっくりと赤黒い顔が出てくる。
男の背後、台座の周りに散らばっていた死体が立ち上がった。
口を閉じ、一度上を見上げる。
遠く、遠く、針の光があっても見通せない暗闇。足音もまた遠く。ぼやけた光がちらりと見得た気がして、きっと壊れた羽だろうと決めつける。
アセメリアの羽が見えたそれだけでリーシャは嬉しい。
「馬鹿ね、アセメリアは一人、たった一人だけ。作って増やせる都合のいい生贄と一緒にしないで」
手のひらに浮かべた針は、飛んだ。
下から星の瞬きが、幾度か。だけれど、上ればのぼるほど階段は闇深くに続き、何も見えなくなっていく。女神の壊れた羽がぼんやりと放つ明るさは拠り所だった。
登っても尽きない階段に、不安は生まれる。本当に登る事は正しいのか、間違っているのではないかと足は止まりそうになる度に、息も荒く後から登るアンリに背中を押された。
「止まるな! 今、足を止めたら、二度とのぼれなくなる」
「運動不足だよ」
「うるせぇ! つべこべ言わずにのぼれ!」
しまいには足首を蹴られ登れと命じられた。自然、ショートの下唇は上に尖る。しかし、ギイギイ鳴く声と肩から短くも弾ける濁った唸り声は間違いなく後ろのアンリを責めるから、込み上げる熱は自らが熱持つ存在である事をすぐさま忘れた。
登れば登るほど、温度は下がっていく。絶え間なく動き続けた証左である服に張り付く汗は粘着な質を無くし、皺を作る服の中で肌と布とが離れて触れてを繰り返す。蠢く闇が足元から溢れてきそうだった。否、既に闇の中にいるのだけれど、吸い込んだ空気の中にはそれらしいものはない。そのせいで、いつまで経っても蠢く闇に追いかけられる。追いつかれてしまったならばどうなってしまうのか。
考えに取り憑かれた足は、動き続ける疲労と、登る痛みとが噛み合わない歯車のように、止まることを知らずにギグギク身体を通って聞こえる不穏な音を鳴らして階段を足裏で蹴飛ばし続けた。
そうしてたどり着いた闇の中を、ぼんやりと明るい塗料のついた刷毛で塗る女神の羽は、また、まあるい取手のない扉を浮かび上がらせる。手を伸ばしたショートを押し退けたアンリの手のひらは暗い中でなお手のひらの指先の白さで穴を穿つ。
扉が開き、目が眩んだ。
まあるい穴から暗闇を壊す白とその中に木の葉の影のように揺れるさまざまな色の光に、一時ショートの目の前は混ざらない色に染まる。目を無理やり開け、生理的な涙の中でゆらゆらぼやけるまあるい輪郭。その中を、女神は通り過ぎていく。
「まっ、て」
手を伸ばしても、誰も振り向いてはくれない。アンリも、目元を腕で拭い穴の中に自ら吸い込まれていく。残されたショートは、一度背後を振り返る。
光に近寄れない闇、なのかそれとも、闇に近寄れない光なのか。背後にはたっぷりとした水中の闇が立ち止まっている。
下をのぞきこんでも、何も見えない。
目尻から流れた涙はくすぐったく、手で拭ってもしばらく頬に描かれた道筋の感触は残ったまま。ショートは、まあるく切り取られた光の中に入った。




