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如何にして 71

 塔のこじんまりとした入り口には、鍵はかかっていなかった。どこにでもあって、どこにでも繋がっていそうな既視感のある扉は、塔と同じ色。取手だけが若い木の枝を二本並べたような繊細な形と時を経た金色でできていた。

 触った途端に折れてしまいそうなそれを、アンリは手荒に握り下ろす。しかし、ショートの不安とは裏腹に折れることなく扉開いた。

 中は、なんとも言えない独特な空気でこもっている。長らく外の世界を知らないと思わしき匂いは、自然的でもないが人工的でもない。

 照明は思いの外はっきりと塔の内部を照らし、何もない空間はよく見えた。丸みを帯びた壁から生えた階段は上へと続いている。見上げると、高い位置に大きな神が居た。

 天井に描かれた大きな姿には、羽があった。三対の羽は、鳥とは違う。

「似てる……」

 辺りを見渡す姫さまの頸に埋まった精霊石から生えた羽は二対は萎れ、残った一対も折れてしまっているというのに、どんな理屈か地に足をつけることないよう細い身体を浮かせている。

 天井を見上げた姫さまは鳴いた。ギチギチギギギ、そんな今まで聞いたことのない鳴き声。

「どうしたの」

 リーシャの声と共に天井へと女神は浮いていく。

「追いかけるぞ」

 壁から生えた階段にアンリは身体を引っ張り上げるように足をかけた。

 円柱の建物の内部をぐるぐる壁にそって登っていく。見上げた天井付近で忙しなく辺りを見渡す女神様は、時々ショート達の元まで降りてくると「早くしろ」と、腕を引っ張る。

「これでも頑張って登ってるの。あなたは飛べるから早いけど、足しか無い私たちは堅実に階段を登るしか術はないのよ」

 登り続ける太腿を重たそうに持ち上げ、持ち上げ、変わらない景色に飽き飽きとしているせいでつっけんどんにリーシャが言うも、ギギギという鳴き声に思いやりは無い。

 腕を引っ張り、天井を指差し羽は落ち着きなく空気ををかき混ぜ風を造る。階段を登り始めてすぐショートのパーカーフードの中に滑り込んだカルアーの重みがそろそろ辛くなってきた。

 ようやく階段を登り終えると、天井には丸い切れ込みがあった。よく見なければわからない丸は神様の絵柄の端っこにある白色の丸の中。

 慎重にアンリの手は丸の中心を押す。が、動かない。では、とリーシャも押してみるも固く重いだけのようだ。ショートは思案する二人の後ろで考え、それなら、と手を伸ばす。

 手のひらを当て、左右に揺すってみると左に動きそうな遊びがあり、そのままスライドさせる。

「あら、横だったの。よくわかったわねぇ」

 心のこもっていない一言に、特に何かを思うでもなくショートは、開いた扉に顔を入れ中を伺った。広い空間だ。壁からはやはり階段が高くへ登っていくのが、ぼんやりとした暗がりの中、途中まで追いかける事はできたが、それ以上は暗闇のじわじわとした蠢きに隠され見ようとすればするほど目の奥が痛む。仕方なくもっと近い場所に目を向けなおすと、内部の中央と思わしき場所に古めかしい台座のようなものとその周りに黒い置物のようなものがいくつか転がっているだけ。

 壁に点々とついた、炎を閉じ込めたガラスの照明は風はなくとも揺らめき続け、室内を隠したがっているよう。

 扉から這い上がってショートは中に入った。

「誰だ」

 ふと、部屋の奥から照明の灯りがついてまわりその人物に色をつける。

 どこかで覚えのある顔。床に膝をついたままショートは、でっぷりとした腹を揺らし近づいてくる男を上から下、右から左、眺めまわすけれど思い出せない。

 軽石の素材だろうか、プツプツ穴の空いた動物の仮面からはみ出た両頬の肉。片手に握った短剣の精緻な意匠は暗闇の中ですら感嘆の吐息を生み出すのだろうが、ぬらぬらとした黒い液体が別の意味で目を引く。

「誰だ」

 再び同じ問いは繰り返される。

 口を開きかけ、だが、ショートは自らを示すものを一つも持たない事に気がついてしまった。

 ヒニャの国の獣か? 否、神はいない。

 境界線の外に生きるものか。 否、神はいない。

 では、己は誰だと言うのか?

「ルクシア」

 そうだ。父と母が名付け、エースが両親から受け継ぎ呼んで育てた。その名こそ、ショートの真実を表す名前だ。

「知らぬ名だ。ここは、お前のような者が来るべき場所ではない。神の、」

「神はいない」

 ゆっくりと仮面の中からつんと尖った圧が突き刺さる。

「何を馬鹿なことを。神は――」

「神は居ない! 居ないものを語るのは、頭の狂った奴だけだよ」

 沈黙の決別は、お互いの動きを束縛し、監視させる。少しでも動けば、ただでは済まないことだけが確かなこと。呼吸をゆっくりと繰り返すなか、フードからカルアーの鼻息がふんふん聞こえてきた。

 それから、ギイギイ、不機嫌な鳴き声は床に空いた丸い扉から顔を出す。

「おや、消えてしまった神が帰ってこられた」

 仮面の男は、剣を持っていない方の手を平坦な感情で飾り、手招いた。

「ささ、神よ。番様はあなたをずっと待っていましたよ」

 ショートの隣に浮かんだ細い身体は、指の足りなくなった利き手を胸に、さらに上を見上げる。

「悪いが、女神はもうこちらには戻らない」

 腹這いになりながら穴から出てきたアンリは、服を叩き埃を払い立ち上がり見せつけるように女神様の右肩を撫でる。

「なにせ、私の神なのだから」

 眼鏡の奥で溶ける愉悦。だが、仮面の男は剣を握りなおす素振りだけ。

「それは、困りますな。番様が、待っておられるのですよ」

「番?」

 壊れた羽が力無く閉じ、細く小さな身体はアンリの背中に隠れ仮面越しの視線から逃れると、すぐに新緑の双眸は暗がりの上を見上げる。

「ええ、その方のお相手様です。夫婦揃って我らを見守っていただかないと。そのために、何度も言い聞かせたのですから」

「ちょっと、あんたたちの想像にアセリアを巻き込まないで、あんたらだけでやってよ! 気持ち悪い、ほんと、気持ち悪いから」

 突然、バランスを崩したアンリの頭の位置が落ち、慌てて倒れないように前に出した片足を踏ん張る。

 それを手でのけ、丸い底の扉からショートとほぼ同じ丈の細い白針を手にしたリーシャが這い上がって針の鋭い先端でアンリの膝裏やふくらはぎの裏をしつこく小突き回した。

「いてぇな!」

「変な妄想をアセリアに押し付ける輩は、等しく細胞一つ一つに穴があくんだから」

 ズボンの乱れた裾から覗く足を隠したリーシャは、仮面の男を、そして天井を見上げる。

「まだ上があるのね」

 強請る子供のように、リーシャの手を引っ張り女神は上を望んでいた。

「ふうん?」

 引っ張られる力に抗うことなく、壁から生え階段に近づいたが途端、薄暗い部屋を満遍なく満たし染めた白い光。強烈に、瞼の裏すらも眩しい光に染められしばらくの間、瞬きする感覚はあっても開いているのか閉じているのかわからない。

「これより上に、人は入ってはならないのだ」

 瞼の上から眼球を押し込む鈍痛があるほどに拭っても白い光は拭いきれない。それでも閉じたがる瞼を無理やり開くと、染み付いた眩しさのせいでショートの目から涙は溢れる。

「獣だったらいいってか?」

 目が痛むのだろうか顰めつらのまま、しかしアンリは皮肉の花で顔を咲かせた。先ほどの光と似て、アンリの目の中によく残る花は仮面の男の癪によく触れるのか、握っていた剣をその場で大雑把に一振りさせると飛んだ黒の雫。

「獣? そうだとも、我々は確かに獣だとも、しかし神の御前で従順に膝を折り認められた神の獣だ。お前らのような本能に目暗になった卑しい獣とは違うのだよ!」

 フードの中の微動とカルアーの喉で鳴った嘲笑。まるでショート自身に向けられているような気がして火照りだした顔を馴染みある仮面から背ける。

「なぁにが、神の獣か! 自らを神の末端だとはなんと邪な口だ。間違っちゃあいけない、俺もあんたも同じもんだ」

 張った胸をはきはき動かしたアンリの自信はいったいどこから来るものであるのか。ま自らに間違いなど無いのだと、自信過剰の口の端に描かれた影は物語る。突きつけられた汚れた剣先を折るつもりか、アンリもまた腰にさしていた剣を慣れない動作を自信で隠し、仮面の男に突きつけた。

「信じられないのも無理は無いが、貴様らは神に捨てられたゴミ、なのだよ」

「おや、それを言うのであれば女神に捨てられたあんた等はそういうものか」

 プライドをへし折ってやりたい欲に踊らされる男達の醜い様から、そおっと身をそらしショートは壁に生えた階段に忍び寄る。半眼に話半分も聴いていなさそうなリーシャに女神の手を託され、柔らかく骨も細い手を恐々と握る。暖かいことにショートは驚いた。

 細い針がそうであるような足音は、階段を下りアンリの肩を後ろから殴った。

「張り合っていないで、上、行きなさいよ。あんた、あの獣を言い負かすためにここに来たわけ? 違うでしょう」

 顎に皺を寄せて引き結んだ顔を振り返らせ、後ろ髪を引かれつつもアンリは仮面の男に背を向けショートと女神が事のありさまを眺める階段へと歩き出す。

「卑しい獣は人語を理解できない。これは誠に酷なことをした、わからない事をわかれというのは、我らの高慢だったな」

 獣の仮面が高く掲げた剣が振り下ろされる間際、何もない空間から落ちる白い針。

「だまらっしゃい、気持ち悪い妄想者。理解出来ていない奴ほど、無知をひけらかすって気が付いたほうがいいわ」

 何もない空間をリーシャの指は弾く。薄暗さの隠した神の足元を詳らかにした針の白さは、空間の中央付近にあった古めかしい台座の傍に転がっていた黒い置物の持っていた色を思い出させた。

 それは、人だ。

 気が付いた途端、ショートは見える人すべてへ視線を稲妻の速度で走らせた。

 雑多な集まりの人に、唯一といっていい共通項は一つ。全員、血を流し死んでいる事だけ。仮面の有無すら共通項として上げる事は出来ない。

「生贄は、だって俺たちはそのために、たくさん我慢してきたじゃないか」

 神を否定してなお、未だに信じていた事があった。裏切られた衝撃はショートの喉と鎖骨の間、柔らかな肉に突き刺さる。

 握っていた女神の手は、いつの間にか握られていた。

 頬を撫でるざらざらと生暖かな感触に、ショートの視線が動く。ショートの肩に前足をついたカルアーの香ばしい匂いを、深く吸い込む。

「カルアーの気に入りは、そういう所なのだろう。であれば、なんでガーランドは嫌われたんだろうな。デカいからあれはダメだったんだろうか、まぁ、何だっていいが」

 背を押そうとしたアンリの手には力なく、数回押されてもショートの背中には感触という感触は無い。呼吸を繰り返しようやくだ。背に当てられた小刻みに触れる指先の弱さに気が付き、ショートの足は階段を登り出す。

「馬鹿なやつめ。神狂いが、まともなはず無いだろう。リーシャ! ありがたく先に行かせてもらう」

 羽虫を払う手つきを背後に送るだけで振り向く事はしない。リーシャのかき混ぜまた届くはずもない空気の感触は確かにショートを強く突き飛ばした。

 大股に階段を駆け上る。アンリも、女神も、ただ上を見て。


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