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如何にして 7

 ベッドの上でぼんやりと天井を見上げるショートの身体の上には、のしかかっても軽い新しい布の香りのする掛け布団と毛布。夜は寒くなるからと渡されたが、手足が凍り硬くなって痛み寝れない事はなかった。右の脇に丸くなって寝ているカルアーのおかげもあるだろう。

 月明かりだろうか部屋の中よりも夜の空は明るく窓から見える風景は浮き上がって部屋の中に侵食して来そうな勢いがあった。ベッドの中からでは星の数を数える事はできなかったが、ちら、ちらと高飛車な目つきの瞬きはよくわかる。出どころのわからないため息を何度、この温かな掛け布団に吹きかけただろうか。

 何も考えられなかった。ただ、身体のどこかが壊れてしまったように疲れていた。

 エースの事も、おじちゃん達の事も。これからのことも。それでも、きっと神が望むようにすれば上手くいくのだろう。

 神の望みは、血だ。であれば、力は使えずとも窓ガラスを割り得た破片で一人でも殺せばいい。

 しかし、そんな考えに首をたれ膝を折ってしまいそうになるとエースが耳元で囁く。

 生きろ、殺すな、と。

 いないくせに、いなくなってしまったくせに、置いてったくせに。声なき声を押し返そうとしても形なきものだ、ショートの耳の中に、その声は刻まれていた。

 目を閉じた。眠かった訳ではないが、少しこうして目の前を暗くしておかないと頭の中にさまざま浮かぶ想念の顔だったり考え事の地図だったりについていけずに疲れてしまう。疲労の息をふぅっ、とつけば頭の中はすぐに空っぽになって残るのは疲れだけ。瞼の裏に蛍光色に蠢く光達。それを眺めていると、そのまま脳みそを抉り出されてしまいそうな狂気じみた生々しさがあった。それはそれでいいか、とショートは目を閉じたまま蛍光色の奇妙なダンスを見ていた。その奥の方に、地味な色合いでしかも、まったく動かないものがある事に気がつく。一際目に止まる理由は、動かないためかそれとも、不思議と見た事のあるものだからか。近づく事も近づいてくる事もない瞼の裏の奥の奥にじっと目を凝らし、輪郭を視線でなぞりショートは目を開けた。

 闇の飛沫は、ぼそぼそと弾け天井を汚す。窓の外から入り込もうとしている、月明かりの景色。目の中にあった、頭がなく、首の断面に蝋燭のような火を灯したおじちゃん。

 何も無かった。ショートは、悲しみも怒りもない。当然、嬉しいもない。頭は燃えてしまった事を思い出しただけだった。

 アンリは、神を殺すと言った。神を殺せるのは人だけだとも。すると、彼は神にどうやって殺されてしまうのか、天井にある闇を視線でほじくりながらショートは考え、先ほど瞼の裏で見た頭のない死体は、アンリだったのかもしれないと思って目を閉じた。


 瞬きの延長線上にあった時の流れ。次に目を開けると、天井にあったはずの闇はしっかりとした固さと線を手に入れはじに追いやられてしまっていた。顔を枕の上で転がし窓を見ると、狂気的な勢いはない。陽射しは、何もかもを覆い隠してしまうものなのか、窓から見える景色は他人事が好きで、他人よりも己ばかりを優先する人の横顔と似ていたし、何となくではあるがやる気のない時のエースの横顔にも似ていた。

 温かい右脇を締めると、柔らかい。起きる気力も、二度寝をする気力もなかった。何も考えないと言うのは、案外に疲れるもので目を瞑ったり開いたりを繰り返して瞼の動く感触だけを追いかける。そのうちに、リーシャが扉の外から呼ぶので機械的にベッドから身体を起こし清潔な朝の匂いをかき回す。

 赤い果汁を飲んだ食堂は、昨日の閑散とした姿を脱ぎ捨て雑音の波がひいては寄せ、ひいては寄せ。一つ一つに意味はあってもより集まれば、会話も言葉も単なる音になる。窓際の壁と整列した椅子の間に一本通った狭い通路を通って端っこの終わりに連れていかれるとそこには腕を組んでむっすりと俯くガーランドが座っていた。食堂の中で、彼の周りだけは静けさの凪が揺れている。6人座れそうなテーブルを一人で占領している上に、周りにも意識的な距離感が開けられているのが一目で分かった。

 周りとガーランドを見比べ、平坦なショート自身の声が頭の中で言った。

 可哀想、嫌われてるんだ。

 抑揚のない声音のどこに憐れみと同情を見出せばいいのか自分自身の事でありながら、全くどこにもないどころか無関心、悪く言えば馬鹿にしているようにさえ聞こえる。リーシャは後ろを行こうとする通行人にお構いなしに椅子の足を鳴らして座った。。

「あんたも座って。あまりうろつかれても困るし」

 言われるがままに壁を背にしてリーシャの前、ではなくガーランドの前に座り景色の一つとして難しい顔も目も伏せているガーランドを眺める。相変わらず首が太く、血管も太そうだった。

「起きてデカいの! 朝食持ってきて」

 太い肩に置かれたリーシャの手。皮の厚そうな細い手は重たそうにガーランドを揺する。右に左に、前に後ろに。頭の重さに負けて背中から転げてしまいそうになった途端、見開いた青い空は無知のあどけなさを見せてショートの視界から消えていった。ガーランドが倒れたと言うよりかは、椅子がガーランドに押し潰された音に食堂の喧騒はスイッチを切られたように刹那止まる。距離を置いて座っていた者たちは、椅子に座ったまま仰向けに倒れているガーランドを横目でそおっと見ながら、喧騒を作る作業に戻った。

「びっくりしたな、おい」

 立ち上がったガーランドの手は背もたれにいつ亀裂が入ったのか定かではない椅子を無理やり立たせ何事もなかったように座り直そうとした。

「聞いてた? 朝食持ってきってって」

「お、おお。つか、こんな時間にこいつをここに連れてきてよかったのか?」

 指先の代わりに、目の中にショートを映しすぐにリーシャへと戻したガーランドの浮かべた陰影は親の悪事に耐えかねた正義の子供を彷彿とさせた。だが、親は自らの手の中にある小さき者の反抗心に不機嫌を見せ、心の余裕を手放さずに薄ら笑いでその場に冷たい空気を下ろした。

「大丈夫よ、誰も気づきやしない。しても、アンリの後ろ盾があるもの。それに、この子を生かさなきゃ――許してもらえないじゃない。たとえ、ヒニャの子供だとしてもね」

 語尾を噛んで、噛んで、噛み締めて。だが、リーシャは決して意味を飲み込もうとしたわけではないだろう。だったとしても、今のショートにとってだからどうと言う事もなかった。ただ、思うところがあるとするならばこの人は三十半ばなのか、とそれだけだ。

 すぐに人の話を聞きませんと、頬杖をつき足を組んでしまった藍色の頭を見下ろしガーランドは物言いたげに頬を嫌味ったらしくシワをよせ、だが拗ねた鼻息一つで片付ける。二人の様子を対面から俯瞰の心持ちで眺めたショートは口元の横にあるカルアーの耳を唇で食み食み、ぼぉっと身体の中に居座る得体の知れない疲れをどうにかできないものかと、全く違う事をゆっくりと回る頭で考えていた。

 会話もなくテーブルの上に、自ら身を差し出す四方からの会話達。そのうちのどれかに耳を澄まし聞き取る事はまず困難で、ただ上っ面の音の良さだけを聞いていた。そうしているうちに、ガーランドが戻って皿をぎゅうぎゅうに押し込めたお盆を二つ。再び背中を見せて踵を返し、そのうちにお盆両手に戻って背もたれの割れた椅子に座った。

「そんなもん食ってないで、こっち食え」

 指先で突けば皿がはみ出てしまいそうなほどに肩身狭く皿の乗っかったお盆を一枚押し付けられ、ショートは未だに口の中にあった柔らかい耳先を吐き出す。途端、肩から飛び降りた黒い四肢はお盆の横に前足を綺麗に揃えて座り、一声あげて焼いた肉に噛みついた。

「お前の分じゃねーよ、さっさと食わねーと黒ちゃんに取られんぞ」

「くろちゃん……」

 カルアーの耳はピクリとも動かない。大きな口を開けてフォークに刺し束ねられた野菜を食べようとしていたガーランドは、目前の視線に気が付き顎で肉を豪快に噛みちぎっているカルアーを指す。、

「黒いから黒ちゃんだろ」

 リーシャは呆れたと言いたげに憂鬱な目をお盆に落としてフォークを手に取るだけ。ショートも習ってフォークを手に取った。

 カルアーと半分こした肉は奥歯で噛んだらきちんと解け噛みあぐねる事はなかった。舌の上で肉と塩胡椒の味がしっかりと混ざる。食われた跡のない葉物は、千切られ小さくなったそこに命が確かに巡り口の中や喉に張り付く事はない。水で傘増しをしてない米、味が濃いスープ、甘い果物。皿の上のものどれも、ショートの舌には刺激が強く少し食べただけで胃は頭を抱えてしまう。フォークの先に突いた果実の汁を乗せて舐めれば、トレーの上ようやく半分を食べ切ることができた。その頃にはリーシャもガーランドもとっくに食べ終え温かい飲み物を飲みながらショートをそれぞれなんとも言えない顔で眺めて、面白くもない時間潰しをしているようだった。

「これもあげる」

 フォークに刺してカルアーの口に持って行ったのはスープの中に沈んでいた鶏肉だ。上下4本づつ、計八本の白い小さな牙で上手に食べたあとひらひら踊る舌は口の周りを舐め、前足を踏ん張り背骨を伸ばしてからショートの肩に戻ってくる。姿は見えなくとも顔を洗う舌で毛を解かす音が聞こえてきた。

「時間をかけて食った割にぜんっぜん腹に入ってねぇじゃねぇか」

 そう言われても、胃の中はぷっくり満足を通り越して身じろぎですら痛みがあった。喋るのは億劫でショートは手で胃の辺りを撫でる素振りを見せる。ガーランドはいまいち納得ができていない顔を物分かり良く縦に振って、残っていたフォークで突きましていない手付かずの果物を勝手に取っていく。

「だからそんなに貧相な身体なのよ」

 そう言うリーシャの前にある皿に残っているのは、掬いきれなかったソースだけ。あとは屑の一つも残っていない。

「味が濃くてすぐに胃が満足しちゃうんだよ」

「濃いかぁ? 毎日こんなだぞお前」

「毎日お腹いっぱいって、案外きついもんだ。それに、エース隊長達も、たいして沢山食べてた訳じゃ無いけど身体はおっきかったし」

 ふぅん、とわかってなさそうな相槌はガーランドなりの愛想なのか、聞きたいことがありそうな瞬きと同時に閉じたばかりの口を開こうとしたが、すぐに接着剤を塗りたくられた様に開かなくなった。その理由は、彼の隣にいたリーシャの明らかに不機嫌な雰囲気だ。何がきっかけであったのかはわからないが、平等に誰でも突き刺すであろう雰囲気は、しかし主にショートに向けられていた。

「アセリアはね、小さい頃からよく食べたしよく寝たし、大っきくなる下地はあったの」

 だからどうした。言いかけたものを満腹の胃に無理やり落とす。それから、ショートはカルアーの毛繕いの真似をして疲れるとわかっていても胸の中の未だ生々しく痛い部分をほじくろうとしたが、やはり痛くて表面にちょっと触れる事しかできない。それでも、エースや年上の仲間達はみんな筋肉の塊が骨にくっついているようだったし、身長も高い人が多くかったけれど、やはり食べる量は然程多くなかったのを覚えている。

 エースなんて特にそうだ。食事の時間が重なればいつだってショートの皿に味のほとんどしないじゃがいもをコロコロ転がしてきたし、ほとんどお湯のスープだって味見ほどに口をつけたらショートの前に置いたのだから。そんな日々が変わらずに続いたのに、ショートはいつまで経ってもエースの後ろにいると誰にも気が付かれることはなかった。

 そして、そんな日々のなか神に祈る事は無かった。なぜなら、神には従うものであったから。ならば、ショートが祈るのはエースだろうか。顔を上げ、目の前で居心地悪そうに広い肩を縮こまらせるガーランドを見て、多分そうだとショートはまたカルアーの耳を食んだ。不思議と香ばしい匂いがした。

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