如何にして 65
活き活きとした志願兵達は、闊達ある掛け声や無尽蔵を疑う体力、そして明日への期待に満ちている。しかし、ふとした瞬間に垣間見える現実の顔には、何も残ってなどなくただ己を欺いているだけである事をショートは何度も見つけてしまった。
穴の中に潜む気味の悪い虫を探しているようなものだ。
出発はいつだ。押し込められる予定のトラックの荷台付近にはこれからしばらくは薄暗い帆の中で顔を合わせるであろう兵士たちが落ち着きのない蟻のように車体の後ろで動き回っていた。カルアーは、人の気配の騒がしさにパーカーのフードの底に強く頭を押し付け出てこようとはしない。
やる事がある方が気が楽だろうに、ショートには何もやることが無い。声をかければもしかしたら、あれをやれこれをやれと身体を動かす理由は与えられるのだろうが、わざわざ知らない顔に声をかける事はしたくなかった。知っている顔なんて、片手でも余る。アンリとリーシャは、朝からあっちこっちに出没しまるで瞬間移動か、同じ顔が複数人居るようで気持ちが悪い。
そしてガーランドは、ショートが今し方人に対する煩わしさを覚えているのと似た、ぎこちない他人との距離をあけて、少し離れた位置、壁に寄りかかりぼんやりと人の動きで形が変わり続ける図形を見ているようだった。ショートと違って、ガーランドの元にはたくさんの目が視界を飛び回る羽虫となって向けられているのに、彼は目の渇きを防ぐ最低限の瞬きしかしない。時折、足元に伏せるユスティが鼻面を上げても応えはなく、その上に乗っかった姫さまが楽しそうに獣の頭の天辺の毛を引っ張り回せは半ばから割れた一対の羽は、ご機嫌に羽ばたく。
やる事もなく、かと言って人の群れに混じる気にもなれず、しかし一人で居ることには飽きてしまったショートは暇潰しにガーランドの元に近寄った。
「何してるの」
「何も」
何もしていないと言うガーランドを真似て、ユスティと姫さまを真ん中に、ショートも壁に寄りかかりかけて、カルアーに文句を言われてしまった。
「ごめんて、馴染みすぎて忘れてた」
フードから身を乗り出し肩に乗せられた小さな毛玉が二つ。爪は立てられなかったが、頭突きが顎に当たった。
「ごめんってば」
口元を人差し指で強めに擦ってやれば、嬉しそうに喉は鳴る。この、独特な震え声も聴き慣れて久しい。そういった、慣れてしまったことに今更、意識が向くと否応なしに深いものが漏れる。
「長いのか、短いのか。遠いのか近いのか、よくわかんない場所にきちゃったんだ」
それを聞いた姫さまが、キイキイ鳴く。
「姫、さま? も遠くによくわかんない場所にきちゃったね。隊長もそう」
キイキイ、相槌かそれとも何かしら意味があるのか。だが、ショートにはなんと言っているかはわからない。
「こんなに同じ場所に身を置くのは初めて、人の群れは、へんちくりんだと」
トラックの数を数えていた訳ではないだろう。人の数を数えていた訳でもないだろう。ガーランドの真っ直ぐに注がれた視線の先には何があるのか、ショートも目を向けた。
「姫、さまがそう言ってる?」
「そう」
トラックと人の途切れぬ流れと、喧騒と期待、それから欺きの中に時々浮かぶ明日のない素顔。そんなものしか見えなかった。
風が一つ二つユスティの毛を混ぜながら通り過ぎる。
「あんまりむしるな」
前屈みになった大きな身体。ユスティの頭の毛ばかりむしる細い手首を掴む分厚い手のひら。彼が動くたびに、筋肉が発する熱までも移動するせいで目を向けなくとも何となくどのように動いているのかわかる。
両手があいてしまった姫さまは、今度はショートの方に両手を広げた。
「なぁに?」
「カルアーをご所望だとさ」
肩に乗っていた細やかな体重が、空を飛ぶ。開かれた薄っぺらな胸に包まれた黒い毛の中に、花開くまであとわずかの頬が寄せられ耳を背中に押し当てる。背中の羽ばたきが、カルアーの心音に見えた。
「……よく、わかるね」
「なにが」
「ひめさま、の言ってること」
隣に並んで、初めてガーランドはショートを見下ろす。読み取ることのできない真顔は、少し痩せたよう。
「好きでわかる訳じゃない」
淡々とした四角い形で作られた様にも取れるガーランドの回答には、続きはない。終わりだけしか用意されていない。ショートも会話を広げて尽きぬ語らいを求めるたちではないせいで、ぶつ切りの沈黙が尾を揺らす。
「悪かったな」
動く生き物は姫さまだけのような場に、珍しく咲いた会話の花は、その時点でほぼ枯れていた。何を指して悪かったと言っているのか、しばらくガーランドとは全く別の方向へ顔を向けて考える。
「何が」
「頭かち割って、悪かったな」
瞠目も、頭が揺れガーランドに向いたことも、全てショートの意図ではない。気がつけばそう動いてしまっていた。見てしまった動かない横顔はショートを落ち着かなくさせ、仕方なく姫さまの胸元から溢れ垂れる黒い尻尾に安心を求めた。
「べつに……」
「許さなくていい。許されても困るんだよ。俺も、納得した上での謝罪じゃねーから」
「はぁ、だったら言わなきゃいいんじゃないの」
素気なさが広げた空間にショートはほっと肩を撫で下ろす。
「うるせぇな。命じられたんだよ、謝れってな。くそっ、ろくでもねぇやつだよ」
「アンリ?」
ふっと、漏れた一笑は岩を削る風化のように微か。
「お前、あいつを碌でもねぇって思ってんだな。……たしかに、碌でもねぇやつだけどさ」
落ち着くためか、それとも笑ってしまった己を恥じるためか、短息をきっかけに真顔に戻ったガーランドは、また目の前を眺め始める。
「お前のおとーさんだよ」
「隊長?」
姫さまの新緑は、ガーランドを横目に笑った。
もの言う表情であれど、秘密は暴かれる事なく表面の美しさは、漏れ出した秘密からなる妖しさに一層目を引く。周りの視線が一層集まった不快感に背筋が震える。
顎を僅か揺らしたガーランドの動きに合わせて、ユスティは吠えた。波打つ空気に熱帯夜の蒸し暑さ、触れた肌から汗が滲み出てきそうだ。
それ以上、ガーランドは相変わらず何もない空っぽの真顔を前へ向け続け、ユスティは気まぐれに毛を抜かれても舌で鼻頭を舐める以外口を開かなかった。
「なんで隊長、」
「時間だ」
保たれていた壁を背中で押し歩き出したガーランドの背中を姫さまを乗せたユスティが着いていく。
人の群れは自然と割れ姫さまが通る間、しん、とした沈黙が道となる。
ついて行ってはいけない気がした。沈黙の道を進んではならないと、得体の知れない危うさにショートは立ち尽くせば、空の高いところから見下ろされている被害妄想に取り憑かれる。空には何もない、まわりの目はユスティに乗った姫さまにほぼ向けられショートを気にしているものなんて一人もいない。なのに、そういった頭を押さえつける嫌な気持ちがあった。
姫さまの肩越しから覗いた黒い頭の中で、三つ目は自然光を反射し白く艶々と。離れれば離れるほど、その白さがわかった。それから、僅かに首だけで振り返った姫さまの白い頬は、女神の形に丸まっている。すぐに、前を向き直した女神は、ユスティの毛をむしる事はしない。
カルアーだけが、自意識過剰でなければショートが追いかけてくるのを待っていた。あとは、誰も振り返らず待つこともなく、大きな背中もふさふさの尻尾も、そして白いローブに覆われた細すぎる背中に沿う萎びた二対の羽と、一番上で肩幅よりも狭く広がっている一対の半ばから砕けた羽。精霊を喰らい以前よりも伸びたけれど、一部、一欠片分の穴は埋まらないまま。
追いかけると決心するには、背中への力が足りない。迷うショートの目の前で、沈黙の道となっていた兵士の一人が膝を折る。口を閉ざしたまま、組んだ両手を額に、女神へと祈り始めた。一人が始めれば、伝染していく祈り。
「伝染病、みたい」
誰も同調してくれない独り言は、燃焼不足で仕方なく歩き出す。カルアーの命を閉じ込めた三つ目を頼りに、付かず離れずの距離を保ち続けた。




