如何にして 58
逃げまどう人々の悲鳴を浴び、獣達は動き出した。迷いの無い爪牙が駆け抜ける。容赦を知らぬ獣は、戦う意志もなく震えて座り込む子供だろうと喰らう。老人も、男も女も等しく、好き嫌いなく喰らう。人の言葉を知らぬから、命乞いなどに耳も貸さない。
あったかもしれないスープの残り香は、雑食性故に鼻につく生臭さへと変貌した。太陽が見ていようが行われる一方的な死への誘い。死にきれなかったことが不運であると、倒れ伏してなおもがく背中を踏み越え獣の一匹はガーランドの前に立った。画面越しでもわかる、平坦な視線。隣で、恰幅良い男に馬乗りになった獣が喉に食らいつき血飛沫がとんでも、意にも返さない。
「やっぱりちがうぞ、アンリ」
境界線の内と外、いるのは同じ人だと思ったのに、呆気なく打ち砕かれたアンリの望む未来像。
紛れもなく、境界線の内と外では生きているものは違う。
「これだから、獣は嫌いなんだ!」
腰に吊るしてきたユスティを荒く抜いた。
光の針が、離れた位置からガーランドの左半身を染めた。
目の前で引き裂かれた風と重み、衝撃を無理やりユスティで押し返す。突然ふってわいた動物の仮面は、吹き飛ばされ空を背景に足音なく着地し、そのまま激しい跳躍で突っ込んでくる。肌を粟立たせる寒さは、精神的なものもあれど、温度の変化が一番大きい。
ユスティと鍔迫り合いをする獣の爪は、氷だ。鋭く、小さな塵の影すらも見当たらない透明な氷は、今にも輪郭を溶かし目の前から消えてしまいそうだ。目を凝らしてようやく歪んだ輪郭を捉えることができても、一旦距離を取られてしまうとすぐに見失ってしまった。
舌打ちに混じった焦燥。獣の群れは、止まらずに逃げる獲物を追いかけ大地に血を啜らせる。
建物の影から背後を気にして飛び出してきた子を抱いた母親と、獣がぶつかりそうになる。飢えた腹を抱えた獣が、透明な爪を振るった。無意識の悲鳴も追いつけない。地面に転がった二つに分かれた頭は、子供と母親どちらのものかもわからない。
「獣がぁ!」
激情を込めて、ユスティを地面に突き刺した。
深く突き刺さった刀身の周りから、地面を割って炎が芽を出す。時間の経過を亡きものに、急成長を遂げ花開いた炎の大輪が、辺りを巻き込んで爆ぜる。そこから新たな種子が放たれ、再び芽を出し咲いた花は獣を巻き込んで爆ぜた。
「あ?」
炎の花は、増え続ける。獣や人の死体を食らってさらに大きな花を咲かせはじめる。ガーランドの腹の底に嫌な震えが走った。慌てて剣を引き抜いても、獣に絡みついた炎の蔓は枯れゆかぬ。それどころか、ガーランドの手が無くなったと喜び四方、自由に伸びていく。
「ユスティ!」
手元に呼びかけた。だが、ガーランドが呼び起こした精霊はユスティと似て非なるもの。刀身が解け、見慣れた精霊が四つん這いの足を弛ませ、下り立つ。白い毛並みの中に混じったちらちらと揺れる炎の赤。赤く、青から白く色を変える炎の目玉は辺りを睥睨し、何が気に食わないのか牙を剥き出しに唸りを空に轟かせた。
太い前足が地面を踏み締めると、地面を割って火が湧き出る。後ろ足の爪が、地面を引っ掻くと湧き出た火は粘土の高い尾っぽを引いて飛び上がり空にいくつも瞬く。
「ユスティ?」
まるで気性荒い獣と遭遇してしまった気分だ。受け入れ難い荒々しさに掠れた声。けれど、ユスティは名が首を絞めると言わんばかりに頭から全身を奮って炎を飛ばす。それがきっかけだった。ガーランドの内側から熱が彩度の高い赤い輝きとなって漏れ出す。空気よりも重い光は、落ちるとしばし揺蕩い炎に変わる。
「まず、」
ガーランド自身、身のうちから溢れてしまった光に狼狽えた瞬間に、光は不規則な動きで地面を這いつくばって四散していく。
光は、飢えていた。
人に、飢えていた。
獣の足元に這い寄った光が踏み潰される。地面に染み込むように消えていった様は束の間、ガーランドに場違いにも悪夢からの目覚めと似た安堵を気だるさとして身体に教えた。ため息になれなかった呼吸の違和感に彼が少し身じろいた途端、光は音を立てて目を覚ました。
目を焼く光は短命。残ったのは、地面に蹲った光の粒と、焦げ臭い黒の塵。それがなんであるのか、わかっているのにガーランドは脳に何もわからないのだと言い聞かせる。止めていた息を飲んだと同時に、光の粒がまた拳大に膨らみ地面を這いずり始めた。
心臓が熱かった。全身に響くガーランドの命の鼓動は強い。光が這っていった方から、短命な光が辺りを染める。
「なんだ、これ」
ガーランドの身体から溢れる熱は未だ止まらない。這いずる光を増やし続け、手当たり次第に人を喰らう。獣も、子供も大人も何も関係ない。刹那、赤々と立ち上る火柱が沈静した後に残るのは臭いと黒い塵だけ。
逃げ惑う人の目に宿った、死への恐怖心が目についた。
何が起こっているのか、分からなかった。ただ、身体が絶えず熱いまま。けれど、身体の内側は凍えている。獣が、ガーランドめがけて指を弾くが、ユスティが身を振るった途端、空に瞬いていた赤い星が落ちる。
壊れても面影残る街並みが、潰えていく。炎に囚われた人の営みの名残。ユスティの獰猛な唸りが、走り出した。
「ユスティ! やめろ」
飛びかかった人の悲鳴をユスティは、牙で貫いた。抗おうとした人を前に二の足を踏んで、だがそれは単なるお遊び。果敢な気持ちを少しずつ削るように、爪を立てる。悲鳴が懇願に変わり、また悲鳴へと変わっていく。ユスティは、楽しそうに尻尾を一振り、また足元も軽く人に飛びかかる。
「やめろよ」
ユスティの尾っぽを引っ張る感覚を強く持つ。いつもなら捕まえられるはずの感覚が一向にない。その代わりに、引っ張られる強さがガーランドの心臓にあった。止めたい一心で足を踏み出そうとするが、途端、膝が折れそのまま座り込んでしまう。
引っ張られる心臓の辺りの服を手で握りしめ、俯く。そこで、ガーランドは服の隙間から光が漏れていることに気がつき恐る恐る服の中を覗き込む。
「なんだよこれ!」
心臓が肉体を突き抜け光っている。光の中で脈打つ影は小さな破片。
これが、女神の手によって生き返ったという事なのだと、いやでも自覚してしまった。否、そうでなくてはならなかった。
「あんた何やってんのよ!」
頬に打撲の跡があってもリーシャの勢いは衰えず、座り込むガーランドの頭を殴る。
「じ、自分じゃどうしようもねぇんだ」
前かがみになって胸元を隠す。大きく赤い脈動音を聞かれたくなかった。
「はぁ?!」
「おかしいんだよ! 俺の言うことを聞かねーんだよ!」
裏返るほどに叫んだのに、心臓はガーランドの事など全く無視して、ただ音を鳴らし続けた。




