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如何にして 57

 リーシャの言う通り、大きな鍋はすぐに底を見せた。人の列は、途切れどきを知らない。子供達も、スープをカップ一杯飲んだところで腹は膨れないだろう、羨ましそうに列から離れた場所で空気の中に残った美味しい匂いを探して顔を上げていた。

 すぐに切り刻まれた野菜と、細切れの肉が鍋の中に放り込まれる。軍服の体格いい男が両手で握った木ベラは大きい上に、額に汗を浮かべないと混ぜることすら一苦労。その鍋が三つ。休むことなく、オレンジ色のスープを作り続けた。

 パンがあればよかったのだが、作るための材料が足りない。境界線が変わってから、食糧はあからさまに手に入りにくくなった。まだ、ガーランド達の住まう基地がある街では食に困る程のことではないが、それもあっという間にひもじい腹が当たり前になるのだろう。アンリも、それを気にして他方へ食糧の調達に口利きをお願いしていたけれど、当たり前のことだが難しい様だ。

 どこの国も境界線の外に放り出され、どこもこれから先、食糧の生産は落ちるだろう。作れなくなってしまう所だって出てくるかもしれない。これは、ガーランドのネガティブな想像ではない。

 境界線とは、そう言うものなのだ。

 境界線の外では、人は人で無くなる。そして、神に言われるがままに人を殺す。ショートと浅い付き合いしかないが、そう言う所なのだとガーランドはわかった気になっていた。いざ、自分自身がその場所に追いやられると、不思議なものでガーランドは人でしかない。人ではないものが住まう場所と見ていた場所には、人しか居なかった。

「リーシャ、こっちはもう何もねぇぞ」

「こっちも終わり。今日はこれまでね。今、手伝ってる建物の補修が終われば一旦作業は終わりで帰ろうかしらね。ここにいてもいいけど、補充が何もできないし」

 穴が空いた建物の壁や屋根の周りで街の住人と軍服の男達が力を合わせてブルーシートや木材で穴を塞いでいるのが遠くの方に見えた。子供達もすばしこく動き回って手伝いをしているのだろう。

「とは言え、うちにも補充できるほどものが余ってる訳じゃないだろ」

「でも、まだ分けられる。無くなったらその時に考えればいいわ」

「楽観しすぎじゃないか? アンリがうっせーぞ」

 からになったバッターを潰し、リーシャは片手を振ってガーランドの想像を追い払った。

「ギーギー鳴いてもらえば大丈夫よ」

「都合よく鳴くかぁ? あいつ、何もわかっちゃいないだろ」

 精霊を喰らう事がわかってからと言うもの、アンリは女神様を引き連れてあちこち回っている。何をしているのかは聞かされてはいないが、言わないと言うことはどうせ碌でもないことに決まっているのだ。

「さぁ、どうかしら。アセメリアはうまくやっていたし」

 バッターの低い塔の天辺を揺らし、バランスを確認しているリーシャの後ろ姿。その首には、精霊石は無い。

「なぁ、アセメリア? ってどんなやつなんだよ」

 死んだものに命を与える神であり、ものすごく自分勝手で見てくれは良い得体の知れないやつ、というのがガーランドの持つ印象だった。それ以上のことは知らない。気がつけばそこに居たと言う感覚しかない。

 そこでふと、ガーランドは自身の矛盾にゾッと腹の中を抉られた。

 神はいない。それは、彼にとって当たり前の事実だと言うのに。

「アセメリアはね、居るだけですごいの」

「な、んだそりゃ」

 狼狽えるよりも先に、リーシャのうっとりと空の半ばを見上げる背中に引き戻される。

「うちの村で生まれる子供はね精霊と親和性が高いの、類に漏れずアセリアも私も」

「だから、歳の割に見た目がそれなんだろ」

 振り返った座った夜空色は諦めたように、気を取り直す。バッターの上に座ったリーシャは、とても四十近くには見えない。

「それってなによ、それって。確かに、こんなだけど、それはないでしょ。まぁ、いいわ。それでね、アセメリアは特に親和性が高かったの。ただ居るだけで、精霊は喜び時に人には多すぎる幸福をもたらしてくれたわ。だからって、アセリアは威張る事も自分を特別だと押し付けるわけでもなかった」

 多すぎる幸福というものが、ガーランドには上手く想像はできなかった。だが、なにかキラキラとしたものをまとわりつかせた今の羽を持ったアセメリアの姿を想像しようとしたのだけれど、どうしても、ユスティの毛をむしる中身の違う怒った姿しか想像できない。

「村にとってアセメリアは、そうね、神の子って事だったのかも。皮肉よね、今の私は神なんていない、そう言いつつあの頃のアセメリアから離れられないんだもん」

「嫌に客観的じゃねーか」

 リーシャは、「まぁね」と、言いたかったのだろうが肩をぎこちなく竦めるだけが彼女の精一杯の様だった。

「だってねぇ、わかっちゃったのよ。アセメリアが大切にしているものと、そこには私の居場所なんてないって事が。もともと無かったのかもしれないけど、幼い私はそんな事に気がつかなかったのねぇ」

 半端に口を開きかけ、ガーランドは考えて喉を動かす。

「お前も馬鹿だったな」

「はぁ? あんたと一緒にしないで。私は、それでもいいんだから。アセメリアが不自由なければ私はそれでいいの! だって私はね、アセメリアと同じなんだから、どうしたって隣に居るでしょ?」

「同じってなんだよ」

 熱を漂わせる怪しさ。リーシャの皮の中で蠢く、同じ、と彼女が言うもの。

「同じは、いっしょ、ってことよ。アセメリアが幸せなら、私も幸せ、ってこと」

 皮膚の下から垣間見えた恐怖を、ガーランドは見なかったことにした。

 片付けもほぼ終わり、満ち足りたには程遠いけれど、腹が少しでも満たされれば、満たされた分、人々の顔には安心感が浮かぶ。だが、これは長くは持たない。そして、ガーランドたちも長くは支援することはできない。

 ここだけではないのだ、不安を抱える場所は。そういった場所は減る事はなく、増え続けるばかり。神が地上に降りてくる限り、いつしか誰も居なくなるかもしれないと夢想の恐ろしさには現実の香りさえする。

「俺たちもいつまで持つか」

 減り続ける物資をどこかで調達したくとも、境界線の外に出されてしまった今、自給自足すらも難しい。農作物の育ちが悪くなりだしたのはガーランドの国だけではない、境界線の外ではそれが当たり前なのだ。すぐに何も育たなくなる事はわかっていた。

 それでも、何とかかき集めて神に弄ばれた街を支援しては居るが、その行いに何か自国の首を絞める以外の意味はあるのだろうか。ふと、気持ちに余分な空間が僅かでも開いてしまうと、そんな事を考えてしまう。何もしない方が、それはそれで人々のためになるのでは無いか。単に、ガーランドの国が行っている支援というのは、遠回しに人を痛めつけている事と変わりないのではないか。

 今は、まだ基地回りの街では日常を保っていられるけれど、それも季節よりも早く足りない街へと変わっていくだろう。そうなったとき、こうして支援をしているガーランド達、軍の人間に向けられるのは賞賛とは真逆のものだ。

 かといって、現状何もしなければ、人道に反すると正義は振り下ろされる。どこかで線引きをしなければいけないとわかっていても、結果として上層に席を置くこととなってしまったガーランド達にはその決断が出来ないでいた。

 こういった切るに切れない決断に迫られて、歳を食っただけの老害と馬鹿にしていた者どもの、ある意味割り切った決断が羨ましくなる。私腹を肥やすために生き生きと活動をしたいとは思わないが、かといって、何も決断出来ない事もまた何も守れないのだと痛感したところで決断できる人間は神に殺された。

 本当であればガーランドは決断のために、頭を悩ませ神経をすり減らす事は無いはずだったのに。

「生き返った、ねぇ」

 一度お前は死んだのだ、と言われても、ガーランドは上手く納得出来ない。なにせ、死んだ実感など無いのだから。目を覚ました瞬間、「あなたは生き返りました」と言われても寝ぼけた頭でどれだけ理解が出来るというのか。寝ぼけていなくとも、果たしてどれだけの人間がその意味を理解出来るのか。

 自らの死を認識出来ない人には、難しすぎる問題だ。

 行きよりも物理的に軽くなったトラックの尻を眺める。そのうちの一つにリーシャが大きな段ボールを積み込んで居るが、一人でも十分に持ち上げられる重さしかない。積み終われば、指示を出してまたせかせかと働き始める姿を、ガーランドは心ここにあらず、まったく違う事を考えながら動く絵として眺めているつもりになっていた。

「謝れ、か」

 惨劇の赤い部屋で目を覚ました時、アセメリアに命じられたのはショートへの謝罪だった。

「くそがよぉ」

 謝罪しろと言われても、出来るわけも無い。ショートのせいで人が死んだ。何より、アセメリアか、それとも女神とアンリが呼ぶ精霊が殺したのだ。謝罪などする理由も無い。

 鼻先で謝罪しろと見下ろす美しいだけが取り柄の傍若無人のうっすらとした姿を短息で吹き飛ばした。

 並んだトラックに次々にエンジンがかかる。積み荷も終わり、そろそろ帰路に付こうとまき散らされる排気ガスの臭いと音がガーランドを急かす。腰に携えたユスティを一撫でして、トラックに向かった。

 子供達の遊ぶ声が、遮る高さのある建物が無くなってしまった頭上に通り過ぎていった。

 途切れた遊ぶ声、そのあとにすぐに駆け抜けた悲鳴。

「あ?」

 足を止め振り返ったガーランドは、一匹の獣を見た。

 遊んでいたはずの数人の子供が倒れている。水の澄んだ匂いは刹那、あっという間もなく生臭さに浸食され、どれほど澄んでいたのかも、もう思い出せない。

 滴のように、ひたりと落ちた沈黙。人から呼吸を奪った、獣が奥の道からぞろぞろと姿を表す。形容し難い獣の顔の下は、ガーランドと変わらぬ人の姿。

「ヒニャーー」

 老人が正体を暴くが、それ故に、下半身はうつぶせに、上半身は空を仰ぐ羽目になった。見開いた目は、何もわからず数回瞬きを繰り返し、動かなくなった。

 その場を満たした悲鳴。だが、その中にはヒニャを見下す暴言もあるがすぐに消えていく。

 ガーランドは、その獣を知っていた。

 神に従僕せし獣を、知っていた。


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