如何にして 51
あの家族はこれからどうするのだろう。
バリケード越しに話し合う両親の間で、子供は女神さまにふりふり終わらない手を振り続けている。いつ振り返っても振られている小さな手に、女神様が、そしてショートもなんと無く振り返して見えなくなるまで遠ざかった。
「まぁまぁ、顔が売れたか」
肩の力を抜いて一息、アンリは車の鍵についたホルダーに指を引っ掛け回した。
「お前の提案、最初は馬鹿かと思ったけど上手くやれば、」
車の鍵を弄んでいた指先は、未だ壊れたままの姫さまの羽を無遠慮に指し、指の根元にはホルダーが揺れ惑う。
「元通りになる。それであいつが出てこれるなら、いい提案だったよ」
今のところ順調であるアンリと反比例して、ショートは変な疼きを胸に覚えている。
こんなつもりでは無かった。でも、やめさせようともしない。だって、やめさせてしまえばエースがどうなってしまうのかショートにはわからないのだから。今の状態だって正しくどうなっているのかもわかっていない。ただ、姫様がアンリの「まだいるか?」と言う問いに、頷く事だけを信じている。
それと同時に、ショートはいつのまにか足元を眺めている事が増えた。今もそうだ、足先を見て時々ちょっかいをかけてくるカルアーの相手をするために顔を上げて、以前よりも伸びた羽を、見たくもないのに見てしまう。その上、伸びている事に安堵をしている。
「ち、」
「さて、今日はもう帰るぞ」
違うの一言が言えない。言えなかった否定を飲み込むと、痛みのない疼きに変わった。
基地に到着すると、アンリはすぐに新たに精霊石を残し死んだ人が居そうな場所を探して、情報を糧に地図の上に目を走らせ始め、その間はとても静かだった。
ガーランドとリーシャは、部屋の中を行ったり来たり。特に、ガーランドは忙しそうにしている。
姫さまは、人の事など後回しにベッドの上で長い時間、指の足りない利き手に口を当て、コソコソと鳴いている。誰と話しているのかはわからない。エースなのかもしれないし、アゼルなのかもしれない。
そんな部屋の中で、ただショートは窓際に座って部屋の中をまとめて見たり、外を見てみたりとしながら体育館に並んでいた死体やバリケードに阻まれた親子の事を考えていた。
あの遺体は今後どうなるのだろう。
あの親子は、二つに分けられてしまったけれど子供はどちらについていくのか。やはり、追いかけた父親の方だろうか。
いつまで、今の境界線は今の形をしているだろう。その間に、あの場所で遺体はどれだけ増えるのだろう。
はっきりとした答えがないままに、そのうち夕飯を持ってきたリーシャに呼ばれ窓際を離れた。
パンとスープと、魚を焼いたもの。最近は、手の込んだ料理が減ってきたが、味が濃く複雑なものよりこちらの方がショートは食べやすい。
呼ばれなくてもやってきた姫さまは席につくなり焼いた魚の尾っぽを指で摘んでショートの皿の上の魚に重ねた。勢いのついた魚の脇腹から欠片が飛び、スープの中に飛びこむ。指先を舐めながら、キイキイ鳴いて姫さまはパンに齧り付いた。
「や、こんなに食べれないから」
片頬を頬張ったパンで丸く膨らまし、視線を上明後日に。一体何が見えたと言うのか、声を上げ魚の身を指でほじくり出す。
「こら、遊んじゃダメよ」
前のめりに手を出したリーシャが、魚をぐちゃぐちゃに解体する指を止めようにも止まらず、大きな骨を引っ張り出し周りについた身を舐めとった。それをショートの肩で大人しくしていたカルアーに差し出せば欠伸ついでに黒い毛玉は骨をくわえて、場所をテーブルの上にうつすと齧り出す。お次に、細かく解しすぎた身を掴みショートの口の中に無理やり詰め込み始めた。
「ちょっと、まっ」
拒否をしてもことごとく力でねじ伏せられ、口の中はあっという間に白身で膨れてしまった。噛む暇すら与えてはくれない。許容量を超えて魚を押し込もうとする手から顔を逸らし、なんとか口の中のものを飲み込む。ちょうど目の前に、哀れみを顔に塗ったくったガーランドがティッシュの箱を渡してくれた。大きな体の小さな優しさをありがたく受け取り、ベタベタになった口元を拭った。
「もういいって」
未だに魚の身をこねくり回す手をとり、姫さま自身の口に持っていく。大きく口開いた口は魚の身をこぼしながら平らげた。
スープの中の大きなジャガイモ。食べかけのパン。皿の上にあるものどれもをショートに食べさせようとする。スープに浸したパンをスプーンの先でつつくアンリが、その様子を見ておかしそうにいった。
「なんだ、親子の真似事か? 昼間に居たもんなぁ」
「居たけど、あの人たちはただ一緒にいただけでこんな事をしてた覚えはないけど?」
骨を齧り終えたカルアーが、姫さまに強請ってボロボロの魚の身を食べさせてもらっている。アンリの言う通りなのだろう、真似事への興味本位で姫さまの表情らきらめいていた。
三人親子に、こんな情景はなかった。けれど、ショートにはよく覚えがある。エースの姿が、姫さまのそばにあるようだ。
食事を終えても魚の匂いがついた姫さまの手をカルアーはしつこく舐めとっていた。姫さまの皿の上にあるほとんどを食べたくせに、小さく黒い毛玉の身体はまだ物足りなさそうにガーランドの皿のから食べかけのパンを盗みショートの膝の上で気持ちよさそうに食べはじめた。
「食い意地はってるよなぁ」
怒りよりも呆れは勝ったのだろう、ガーランドはため息も肘をついて残った魚の身をほぐしだす。まん丸になった三つ目がそれを注意深く眺めていた。
姫さまは、手の匂いを嗅ぐとテーブルの下で大人しく伏せているユスティの頭に手を伸ばし擦り付け、また手を鼻に近づけ、ユスティに擦り付けを数度繰り返した。
「おい、可哀想だろ」
ユスティの頭から白い手を追い払う。追い払わられた手の持ち主は不機嫌な短い鳴き声を上げ鼻を明後日に、息巻いて顔を逸らし、すぐにショートの背後に飛び上がると、突然、首に腕を回す。なにが、そう驚くよりも早くショートの頭の天辺に柔らかい感触が押し付けられ、すぐに消えていった。
「親子の真似事だろうさ」
食べ残した魚の骨をアンリは見下ろしている。つまらなさそうな伏せ目は、今し方の出来事をこうだ、と決めつけて一人納得している。そのせいで生まれてしまった否と言い難い雰囲気を、ため息混じりにリーシャが追い払った。
「で、今日はどうだったの」
「一人だな」
「そっち、も、確かに気になるけど。街の様子よ」
ショートは気のない返事を返すアンリの声に紛れ、座り直すふりをして、できる限り忍び見たベッドの上に膝を丸めて寝転んだ姫さまの背中。耳を澄ますとキイキイ利き手とお喋りをしている。背中の羽は、呼吸ごとに動き割れた羽の下、動かずに萎えた羽は背中のラインにそう。
「ふん、見えない線のせいでバリケードだよ、バリケード。どうせすぐに無用の長物だ。また作り直すとしたら馬鹿の集まりだな。死人まで出してああだこうだ、どっちがどうのこうの、本当に歴史をひっくり返そうとどこを見ようと同じ事を同じようになぞってるだけ、すぐにあそこは死人の街になるだろうさ」
皿の上に新たな愚痴で作った料理をアンリは並べる。食べずとも、喉越しだけは悪くなくとも味は最悪だということはわかる。
それを誰かが食べねば会話は続かない。
「人が居なければ死人の街にもんらんだろう。出来れば、生きている人を救いたいものだがな」
わざわざ渋面を作ってまで食してくれたのはガーランドだ。だが、彼もまた提供出来る料理は味も形も悪いものばかり。
「得体の知れない神様は好き勝手に人を殺して回っている。境界線の外側のな。だが、内側でも人が人を殺しているって情報はちらほら入ってくるんだが、おいショート」
美味しくないものを無理やり皿の上に乗せられ渋々と顔をガーランドの首辺りに向けた。たくましい喉が喋るごとに動いていた。
「お前、確か変な仮面つけてたよな、あれなんだ」
「なんだって言われても、獣の仮面だよ。神様の下僕はあれをつけるんだって渡されたから」
アンリと似た配色の顰められた顔に責められている気がする。
「ふぅん、神様の下僕ね。確かにその通りだよ、境界線の内側で人を殺し回ってんのは、その仮面を被ったやつらだ。本当、お前んとこの国は、神って存在が好きだよな」
好きと言われると、首を傾げてしまう。だって、そんな事を考えた事など無かったのだから。
「好き、とかじゃないよ。多分、その方が楽だから、じゃないかと俺は、今なら思うよ」
神という存在の言うことを聞いておけば、ショートは何も考えなくて良かった。淡々と毎日が過ぎていくだけ。それが、良いか悪いかすらもその時は考えることはなく、いつ死んでしまうのかという事だけが微かに頭の中に時折よぎるだけ。そんなショートを人につなぎ留めて置いてくれたのは、エースと彼の部下のおじちゃんたちだ。今となって、そういった事が見えてきたことに、少しの負い目があった。
「かみさま、か……ねぇ、」
男か女かもわからない神様は、一体誰なのだろう。ショートがまだ、ヒニャに居た頃、彼の頭上に居た神なのか、それとも新たな神であるのか。
その神は一体、どこから来たのだろう。
嫌な悪寒が、瞬きの間に走り去った。まるで、気のせいと変わらぬ悪寒だ。
「なんだよ」
テーブルを一緒に囲む三人の視線が、ショートに集まっている。見られているから、では説明しがたい動悸は怯えていた。
「ううん、なんでもない」
目線は惑い、仕方なく自身の目の前にある皿の中に落すしかなく、白い皿に映った照明の照り返しの中に、悍ましいものが写り込みそうになって、目を擦る。ショートに興味を失った三人は、あれこれと愚痴では無いが、美味しくなさそうな話を食しはじめる。会話の内容が頭の上を滑っていく感覚。何か、良くない事がショートの頭の中で形を取り始めている。
やめてくれ、と念じても頭の中で誰かに操られたように思考は止まらない。
そうして、形が出来ていく。
得体の知れない神様は、どうやって生まれたのだろう。それは、エースは、いかにして、姫様と一緒になったのだろうと、問うているのと同じでは無いのか。
その予感に、目元を擦るふりをして、目を閉じた。




