如何にして 50
遺体の確認も終われば、形だけの黙祷を捧げる。形だけ、と視線を下げてしまうのはショートの内心であり、アンリや女神様がどう思い、黙って目を伏せているのかはわからない。引き切るように顔を上げたアンリは、締め切った窓を開けに動き出す。ショートも、ひっついた上下の唇の感触に耐えがたい苦痛を覚えながら、反対側の窓を開けて回った。
その間、女神様は遺体の周りをゆっくりと歩き回る。ブルーシートの中を見ている風な目つきで、ゆっくりと。時折、首を傾げ掠れ、聞こえずらい鳴き声が聞こえた。
体育館から出ると、すぐそばではバリケードを作っていた男がコミカルに背筋を伸ばし三人を出迎えてくれた。
「ありがとうございます。これで少しは浮かばれるでしょうよ」
そう疲れた顔でそれでも満足げに言われてしまうと、ショートは女神さまの傍で視線を下げる事しか出来ない。だが、アンリは男と似た顔を作って、わかっているのだと頷いて見せる。
男は、女神様を信じ切った、既視感のある熱を目に灯していた。
また、来た道を戻る最中、いつだって何も変わらないはずであるのにショートは浅い呼吸が全く肺に入らず何度も何度も深く吸って吐き出すを繰り返す。そのうちに、頭の中がページを捩るようにおぼつかなくなると、決まって女神様の後ろ姿を眺めた。
「何を話してるの?」
抱えた利き手にコソコソと、しかし言語はまるで理解のできないキイキイの鳴き声。足を早め、斜うしろで問いかける。翻った新緑は、ショートをちらりとだけ見て口を閉ざす、が、すぐに開いて首を傾げる。その姿に、覚えた羞恥心。
まるで、女神さまのご機嫌伺いをしているようではないか。
もう顔なんて上げられずに、ショートは足元だけを見て歩く。時折、キイキイと話し声が聞こえた。
バリケードのあった場所には、先程いた人の姿はほとんど消え、残っているのは親子だけ。バリケードを挟んで女と男は顔を合わせず、間近にいるにも関わらず接点は子供だけ。その間で、おしゃべりを続ける子供は女神様を見つけると、真っ赤な頬をとろけさせしかし、反対に身体は強張り父親の脇腹に顔を押し付けて隠れたつもりなのだろう。しかし、星の瞬きそっくりの忍び見る目が、女神様を追いかける。
「熱烈だなぁ、あいつ」
苦笑したアンリは、わざわざ女神様の手を引いて子供の元に連れていった。
バリケードを挟んで両親がいる子供は、同じ外側の父親の背中に顔を押し付け直したが、すぐにわぁっと顔から声を上げて女神様の前に小走りにやってくる。赤い頬は愛らしく、まんまるの瞳は素直に女神様を求め両手を突き出す。理解のできない顔で女神様はアンリの横顔を伺いみた。
「抱っこ、だってさ」
くてんと傾げられた小さな頭。女神様は白いローブもお構いなしにその場に膝をつき子供を真似て手を広げて見せると幸せをたっぷり内包した塊は女神の胸に飛び込み真っ平らな胸に形が変わるほど頬を押し付ける。
目をまんまるに、女神様はアンリを見上げた。柔らかな布地を潰したような皺を寄せて笑う彼はただ頷くのみ。今度は離れた位置で立ち止まったショートを振り返った。
こうすればいい。そう伝えたくてショートは、両腕で囲いを作った。安らぎの囲いの中がどれだけ安心できるのか、ショートは良く知っている。自信は自然と表情に表れ、女神は姫さまに変わっておどおど不安気なぎこちない動作で子供の背中を両腕で囲う。
「んふふ」
子供の喉の奥でスキップをしている笑い声は、その場に沢山の微笑みを作る。胸に頬を当てたまま、見上げた子供の顔にはこんな場所であっても眩しい。
「すいません」
子供の父親が、頭に手を当てて子供の背中を反対の手で突くが、子供は気づかないふりをしていた。
「ほら、ご迷惑になるから」
いやいやと、子供は姫さまの首に短い両腕を回す。母親は何か言いたげに用心深く姫さまから距離をとって、けれどすぐに伸びそうな手は体の前で緩く握られていた。
「子供は可愛かろう?」
そう言ったのはアンリだ。彼に、子供を愛でる心があるとはどうにも信じ難い。ショートは嘘っぱちを見るように、アンリの後頭部を眺める。しかし、意外にも伸びた子供を慈しむ手は、思ったよりもずっと似合うし、慣れている。
「ほれ、抱き上げてやって祝福をくれてやれ」
どちらが上かわからないアンリの態度を喜んで受け入れたのは子供だけで、両親はそれぞれ方向は違うが怪訝な、信じがたいものを浮かべていた。それを気にしたのはショートだけ。女神様は、からみ酒の男のようにしつこいアンリの「ほれほれ」と言うコールに従い、子供を抱き上げるが持ち方は下手くそだ。落ちてしまいそうな子供は、自身の力で姫様にひっつきふすふす、熱のこもった息を鼻と口から繰り返す。触れる面積は大きくなり、近くなった顔と顔。
まぁ! と言わんばかりに目を瞬かせる姫さまは、子供の頭の天辺の臭いを嗅いで、重さを確かめているのか両腕の中で小さな身体を揺らした。とろとろ子供の顔が溶けていく。熟れてとろけて、皮膚と輪郭が今の彼には邪魔そうだ。ショートは、小さい頃にそう思った。ただ子供と違うのは、熱の根源だろう。
喜びにむちむちに肥えた頬が上向くと同時ーー。
「あ、こら!」
父親の静止は少しのタイミング遅かい。しっとり濡れた子供の口が姫さまの顔にぶつかって、だが受け止めたのは指の足りない利き手。口を尖らせ、頬を膨らませて見せた姫さまは首を横に振る。キョトンとした子供の額を、いつの間にかそこに居た黒い前足が肉球で押し退ける。
カルアーではない。姿は似ていても、ショートは見間違えることのない黒い毛並み。
「アゼル?」
エースが口にしていた名前は、たしかそんな名前だった筈だ。黒い尻尾は不機嫌そうに揺れ、子供の顔を姫さまの手から押し退ける。そっぽを向いた顔は、ふん、と鼻を鳴らした時にはもう居ない。
肉球の感触残る額に手を当て、呆然と目を見開いた子供は目の前の真っ平らで、細くて、もうエースの欠片すらどうやって見つけていいのかわからなくなってきている胸元にしがみつくと、突然大きな声で泣き出してしまった。しっかりと女神さまを掴んだ手は、細腕の皮まで引っ張っているかもしれない。
「こら! すいません」
慌てて小さな手を離そうとする父親が子供の身体を受け取ろうとしても、子供はわぁわぁ泣いてもっともっと必死にしがみつくばかり。困り顔は辺りに伝播し、けれどその中に一人だけ冷静な目元を綻ばせる母親はようやく握っていた手を緩め子供の側へ。
「……初めてだもんね?」
身体を捻って母親に両手を伸ばした子供は、慣れた胸元にしがみつく前にもう一度、女神さまを見つめ涙を増やした。
「ごめんなさい」
母親の柔らかな謝罪が向けられているのは誰だろう。眩しくもないのに、ショートの瞼が潰れそうになる。
「おとーさん」
ショートには子供の泣いた理由が、わかりそうでわからなかった。




