如何にして 48
キィ、と女神様が鳴いた。子供を見つめていた目を、身体ごとショートに向け、頼み込むには上からの圧力を持って。
何が言いたいのかは、想像の域。だとしても、間違ってはいないだろう。触れていたバリケードを足の裏でしっかりと蹴る。人が急拵えで作った壁は、簡単に人が通れる道を作った。
「おい!」
バリケードを作っていた男が、作品に対する愛着でもあるかのように手を伸ばし止めろとジェスチャーをするが、ショートは知らない顔をしてカルアーの耳を吸う。
バリケードにできた道の前、外側から女神様は嬉しそうに手招きをした。
怒鳴っていたもの達も、緊張感に顔をこわばらせていた人々も虚をつかれて口をつぐむ。男を見ていた子供だけが、素直に女神様のもたらした光を受け取りに走った。土嚢によじのぼる子供に手を差し伸べ、外側にあっさりと入ってしまった子供の頭を撫で、頷いて見せれば子供は満面の笑みを泣きそうに歪め男の元へと走っていった。
「おとうさん!」
顔を腫らした男も、両手を広げて駆け寄り向い入れる。子供の名前を、腫れた顔で何度も呟き、力強く抱きしめる光景。
「いいなぁ」
カルアーの暖かさとは違う、エースの存在感が欲しい。キィと、鳴いた女神様もこの時は姫さまに戻ってしまっていた。羨ましそうに親子を眺め、指の足りない利き腕に頬を寄せて抱き締める。まるで会話をしているかごとく、キィキィと何度か鳴いて口を閉ざした。
「境界線を境界線たらしめてるのは他でもない、お前らなんだ。境界線の外と内とを分けてるのは人でしかない、なぁんにも考えずに与えられるがままに幸も不幸も、不条理も何もかもを受け止めてなんになる。人を殺し血を啜るあれをなぜお前らは神と呼ぶ?」
人の耳を奪うようにアンリの大きな声が飛ぶ。何度も目にし、耳にした彼の人を惑わす唄。出番が来たと、女神様は、美しい微笑みを顔に作り一度背中の羽を動かし確かめ謳うアンリの元へと静かに歩み寄っていく。が、目はやはりいつまでもいつまでも親子を追いかけていたのだろう。花に誘われる蝶が一人。白いローブの足元を僅か波打たせ、父親に顔を押し付ける子供のそばに行き、止まった。羽が微風を作る様をショートは腕の温度を抱きながら見ていた。
人のたくさんの目は、なぜか蝶に惹きつけられてしまう事と同じで、女神様の未来を当ててやろうと強い気持ちを持って見ている。子供を先ほどまで押さえつけていた女は、大切なものがそこにあったのだと、手を腹の前で重ねて握りしめていた。
何も言わずに見下ろす美しいものは怖いだろう。アンリにはその怖さが気に入っているのか品の無い薄ら笑いを浮かべているから、見ていたくないショートは身体ごとそらした。
父親の両腕に浮き上がった筋肉の影。子供は顔を上げて不思議そうに瞬く。
わかりやすく肩を上下させた細い背中が前屈みに丸くなっても、細い線のまま。利き手では無い、五本指の揃った女神様の白い手のひらが、父親の腫れた頬を包む。
すぐに離れた手と、翻り見せた背中に、ぼぉっとした顔を向ける父親は、腫れも赤みもない頬を恐る恐る撫ぜると、子供の小さな手が、現実を確かめようと父親の顔を撫ぜ、緩んだ腕の囲いからまろび出ていく。
「まって」
すぐに追いついた女神の腰に抱きつくと、半ばまで壊れた羽の断面は子供の頭髪をかき回す。腰にぎゅうぎゅう顔を押し付けて、子供は何事かを一言、二言喋っているけれど、薄く細い身体に染み込んで周りにいた大人達には聞こえない。子供の声を肉から骨へ辿りきいた女神様は、ちょっと瞬きを多くして、子供の後頭部にそおっと五本指の手を当てる。緊張した指先は、髪を押して形の良い頭にそって丸くなった。
顔を上げた子供と目が合うと、すぐに赤く熟れた子供は翻って父親の元に逃げて行ってしまう。
女神様は、やはり瞬き多く首を傾げて止めていた足を動かしアンリの元へ歩き出した。
「ありがたきお慈悲でございますな、女神よ」
アンリは不遜と言う言葉や態度を知っているだろうか。偉そうに胸を張って威張って居るが、女神様は彼の態度に特に思う所はないのかぼんやりとバリケードを見ている。視線の近く似ではバリケードを作っていた男の背中が真っ直線に伸びて、顔は僅かに上向いていた。
「神とは、わざわざ人を区別するだろうか? そして、区別した上で、区別したものを殺すだろうか? 確かに血を啜る所業は神に等しいが、果たして本当に神のなすことか?」
人々の顔を見渡す。
考えて居るのだろうか、ここに居る人達は。そのことがショートの不安だ。
「神は、人を選ばない筈だ。なぜなら、人よりも上にいるのだから、選ぶ必要もない。関わる必要だって、ないはずだ。それでも、女神は我らに寄り添い、そして奇跡と癒しを与えてくれる」
そう言うとアンリはバリケードを見つめ続ける女神様の隣に並び、背中をそっと押す。弱すぎる力でも一歩前に、すぐに人に罪悪感を覚えさせるために薄らと困り顔の微笑みを作ると幾人かの人は、顔を俯かせる。
「……考えろ、人でありたいのであれば。さて、亡くなって方に祈りを捧げたいと女神様が申して居るのだが、もう埋めてしまったかな」
バリケードを作っていた男は、伸びた背中をさらに伸ばして、遺体を安置している場所へ案内すると申し出てくれた。少しの間をあけ、アンリは頷き女神様を促す。
それを少し離れた位置でショートは見ていた。固く白い壁に描いた絵を見ている気分でありながら、近づくことも触れることもできる事がどこか信じられなかった。




