如何にして 44
地面が揺れる。ショートは転ばないように壁にもたれかかり揺れが収まるのを待った。パーカーフードの中のカルアーは地面が揺れると、いつもいつも肩に前足を置き、耳をピンと立て辺りを警戒するようになった。
「なんか聞こえる?」
警戒するものがなんなのか、今の世界は誰だって知っていた。地面が揺れるたび、ショートだけではない、知らない誰か、大人も子供、男も女も関係なく皆不安を希望にして、いつだって打ちのめされるのだ。
揺れが収まるとすぐにカルアーの小さく、骨っぽい頭が頬にめり込むほど擦りつけられ、肩に乗った重みが無くなるやフードが首を閉める。この苦しさにも随分と慣れてしまった。もたれていた壁から離れ廊下を進み、階段を登ってすぐにある窓を覗く。曇りの空は、昔からの眺めと同じ。そこに薄らと引かれた線の光。
「落ちる」
光は大地に落ち、そのまま新たな境界線を引いた。
わかっていた事だ、期待なんてないのだ。そう思わなくては、胸が欠けてしまいそうだ。吸い込んだ空気はどこか砂っぽく喉に柔く細い爪を立て細かい咳が出る。いくらでも出そうな咳を喉に無理をさせ呑み込み、足早に会議室へと向かった。
会議室の中にいるのは、ほぼ見慣れた顔だけ。上に立って人をまとめる役割としては、どの顔も若々しい。
「境界線が変わった」
部屋に入るなり、ショートは窓の傍、空を眺めていたアンリに向けて言うと別の場所から声は帰る。
「ここ最近、毎日のように変わってる。どのように変化しているか見てみろよ。見たところでいいもんじゃ無いけどな」
最近になって顔をよく合わせるようになっても、ショートにはまったく名前の覚えられない男が、部屋の真ん中に一つだけ置かれた一人分のテーブルを顎で指す。
見たところで溜息しか出ないとはわかっていてもショートの足はテーブルの上に広げられた地図に引き寄せられ、狭い卓上を見下す。
「境界線は、段々と範囲を狭めていっている。この国も、そろそろだろうさ。どうだ、祖国と似た空気に触れられる気分は懐かしいだろ?」
「大変なだなって思う。多分、あんた達じゃ長くもたないんじゃ無いかな」
友好的であれとは言わない。だが、諍いの種を生むような物言いは後々面倒くさいのだからやめてほしい。正直、ショートはその男が好きではない。かといって、嫌悪を抱くような関心も無い。まだ何か言おうとする男を、フードから顔を出したカルアーが唸って追い払った。
頬と毛深い頭を擦り合わせながら、地図から視線だけを重たく持ち上げ周りを確認し、窓際のアンリの傍に寄る。疲れた顔と、思いつめた顔と、諦めた顔と、どれも日差しを忘れてしまった顔色ばかり。テーブルが一つだけで、棚もカーテンも椅子も無い虚栄の過ぎ去った部屋の中ではお似合いだ。
今や、内側として栄えていた面影は、崩れ始めている。毎日書き変わる境界線、現状ギリギリの場所にこの国はあるが、以前のような余裕はあったところで虚栄だろう。
「姫さまはどうしてる」
「リーシャが見てる。まだ、泣きながら寝てるよ」
気味の悪い侵入者が好き勝手に暴れた日から、時間が立つのは早かった。この軍をまとめる者たちが一様に殺されたことは、アリの巣に沸騰したお湯を注ぎこんだようなものだ。先行きに不安しか見えないと言うのに、ここの兵たちはあれも出来ない、これもできない、何をしていいのかもわからないと、命じられなければおどおどしているばかり。急遽、まとめ役と、指針を決めるために数人が上に立つよう求められ、毎日のように状況の確認をしているが、未だどこに向かうかすら暗闇の中。アンリがどうにか指針を決めようとしても、逃げ腰の者たちや、諦めてしまった者たちが邪魔をする。
その間、ずっと姫様は眠り続けている。たまに、寝言が聞こえてくるがキーキーとか細いそれを理解することは出来ない。ただ、ショートはそれを聞くたびにエースを探しているのだろう、とそんな想像をしている。ショートだって、エースに会いたいのだ。どうして、眠り続けているのかはわからない。足りなくなった指のせいなのかもしれないし、違う理由かもしれない。
どんな理由であれ、合えればいい。あって話をしたい、そうすればエースは「馬鹿の集まりだよな」と前後ろから引っ張られ動きのつかないここにいる者たちを、笑ってくれるはずだし大丈夫だと言って安心を与えてくれるはずだから。
「ねぇ、アンリ。これから、どうするの」
窓から空を眺めていたアンリの隣でショートも空を眺める。先ほど新たに描かれた境界線は消えていた。
「決まってるだろ。俺は最初から変わらない、境界線を作る神だとか言うよくわからんもんを殺すんだよ」
「でも、」
体格の良い、男か女かわからない気味の悪い姿はショートの意識関係なく勝手に頭の中に表れ笑う。
「お前の国のやつらはさ、何を信じて神を二体も作り出したんだろうな。しかも、手元に残ったのは人の血を欲しがる神ときたもんだ」
こうなってからだ、境界線の真ん中に居た、神の卵が孵った、というのがショートの居た国の主張であり、彼らはその神を認めた。本当の所はわからないが、血を望んでいる点においては一致しているし、境界線が書き変わり戦っても居ないのに境界線の外側となった者からは、それが事実であるという話も耳に入ってくるようになった。
「知らないよ。神様がなんなのかわからなくても良かったんだから」
ヒニャに居た頃は生きていただけ。深くを考える事もなく、奪われる事は当たり前で、それについて怒りを抱く真似をして、その実、そんなものだとどうでも良かった。先があるなど考えるほうが、おかしかったのだ。
「……ま、なんでもいいって点だとよ、こっちのも大差ないんだよな」
アンリの疲労の溜息は、窓にぶつかり部屋の中に霧散していく。それが見えるわけではないのだけれど、ショートは追いかけて窓に背を向けた。小難しい顔で思いつめて居る疲れた日差しを忘れてしまった顔に、抗う意思は無い。
アンリ一人を覗いて。
「境界線なんてもんがあるのがいけない。それはここにいる連中はわかってるって言いながら、なぁんも考えちゃ居ないんだ。あったま悪いよなぁ」
乾いた笑みは、今にも途切れてしまいそうだった。
しばらくの間、呼吸音すらもタブーとされる息苦しい室内は、時間だけが流れていく。そして、ノックもなしにガーランドが入ってきてようやく、渋々と口を動かし始める。
「どうだった」
感情に任せて扉を閉めたガーランドは、問いかけには口では答えずに足音荒くテーブルに近づき、地図にペンの先で丸を描いただけ。それ以上の新たな線が書き加えられる事はなかった。息の詰まった沈黙の中、カルアーの欠伸が大きく聞こえた。
「残念だが、うちの国も端っこはもうすでに境界の外に出た。今のところ、国民同士での争いは無いが、それも時間の問題だろう。先日、境界の外と内でわかれた別の国では内戦が起こったのは知っているな? 同じ国のやつらが殺し合いだ。その最中に、境界線が描き変わってみろ。今や境界線なんぞ関係なくの殺し合いだとよ」
最悪の事態は、容易に、この場にある頭の中に同じ光景を描かせた事だろう。そして、それに言葉を無くすのは、あまりにも簡単だった。
「なぁんにも変わんねーのにな、境界線の内と外、なにも」
眼鏡をずらし目頭を指圧するアンリの、しみじみと感じ入った呟きに、けれど馬鹿馬鹿しいかな、理解出来ているものは居なさそうに見える。
どうにもならないほどに深刻である事を求めている。ショートには室内にはそういった不条理を求める不健全さがあるように思えてならなかった。
「それで、向こうの神様はどうだ。相変わらず人を殺して血を啜っているか? ないだろうが大人しく神として信者に崇められる像としての役割を大人しく真っ当しているのか」
分かりきったことを、最近アンリはよく聞く。
「変わらずに人狩りを楽しんでるさ」
そして、彼から問いたくせに、帰ってきた応えに興味のない鼻で吹く返事をして口を閉じる。そうすると、大体誰も口を開かなくなり、会議は何も進まずに終わるのだ。
エースはどのように、人を集めて話し合いをしていたのかを一生懸命思い出す。大体、ショートは言われたことにうんうん頷く事しかしていなかったが、周りはどうだったろうか。うんうん、などと首を縦に動かしてばかりでは無かった事は覚えているが、内容はさっぱり残っていない。
「ねぇアンリ。こうした話し合いの時にさ、ただうんうんって頷くやつどう思う?」
「なぁんも聞いちゃいねぇ馬鹿だなって思ってる。大体、うんうんで済むなら話し合いなんざいらねーんだよ」
前歯と唇の間に、嫌な空気が溜まった。うんうんと頭を動かしていたショートを見て、エースも何も聞いちゃいねぇ馬鹿だなぁと考えていたかもしれない。そう思うと、言い訳が頭の中を埋め尽くす。だが、そんなもので満たしたとて意味はない事は、この場を見ている日々が続けばよくわかる。
「……俺、もう少し考えながら話を聞くね」
片眉を持ち上げ、アンリの顔を使った皮肉屋は片頬の肉を釣り上げた。
「そうしてくれ。足踏みだけしてる時間が長ければ長いほど、お前の大事なもんを踏みつけてるって事だからな」
では、この時、この場所で。それぞれの足は大切なものを踏み潰しているのだろう。アンリやガーランドの足元には何があるのだろう。そして、ショートの足元には何があるのか、俯いても見えはしない。
「ガーランドはもうすぐ目を覚ますとはいうけど、あいつなんでそんな事がわかるんだろうな。まぁ、マジで早く女神様の目が覚めてくれりゃ動きやすいんだが、待ってる時間は無いかもなぁ」
ぽっかりとしたアンリの呟きをは耳の中に入ると全く違う声になった。
姫さまの足も大切なものを踏みつけているのだろうか。
ショートは、沈黙の室内に飽きてカルアーの耳を舐めながら時間潰しのために答えのわからない事ばかりを考え続けた。




