如何にして 42
知り尽くした建物ではない。だがユスティの答えを見据えた脚についていけば迷うことはないだろう自信がエースにはあった。走っていると、心臓よりも指を無くした手の方が痛みを鼓動にかえて燃えている。それと、身体の中で止まない雨は、嵐になるになるには力無く、しとしととエースの中を濡らす。低い温度のそれに、身体の芯から震えた。
赤と白の毛並みを追いかけながら、無くした指から流れ出る血を無理やり止めようとして、やめた。羽が割れている今、ユスティに命を与え、さらには一部分を預けてしまった彼に出来ることは多くない。治せない事もないが、そんな事を頭に持ちながら、建物から外へ、同じような建物が並ぶ中、中央の一番大きいであろう建物の周りに押し寄せ、走り回る兵士たちの姿を見て痛みを食いしばる。ユスティは、迷う事なく渦中であろう大きな建物の人波を割って中に入っていった。エースも人目を浴びながらそれに続く。
入った瞬間、どうにも異質な雰囲気がある。表同様兵士たちが走り回り、怒鳴りしていると言うのに、眠りとも違う静けさがそこにある。その中へユスティは駆け込こみ階段を上がっていった。肌で感じる、静けさの真ん中。兵士たちは、なお一層多くなり最早指令なのか悲鳴なのか怒声なのかもわからないと言うのに、どうしてもそこは静かだった。
開けっぱなしの扉、その前に入室を躊躇する兵士たちの現実を疑う横顔。その肩と肩の間に身体をねじ込んで、中に入ろうとしたエースは、すんの間足を止め、無理矢理動かす。
部屋の中は、暖かかった。けれど、どんどん冷えていくのが頬でわかる。
部屋の中には、誰も居なかった。そう、誰も居ない。
静けさが部屋の至る所に座り込んだり、立ったりして、部屋の中にあるものを黙って見下ろしている。
赤くて、もったりと生臭い部屋には、死体しか無かった。
血に滑ってこけそうになりながら、ガーランドを探す。誰が誰だか判別できないものばかりで、見つけられるかすらもわからない。しかし、ユスティには分かったらしい。
壁際の下に、一抱えありそうなものをユスティは仕切りに舐めて、赤い下から固く強張った頬を覗かせる。
「それか」
必死に呼びかけても、ガーランドだったものは動かない。彼の手足はどこにいったのだろう。探しても、それらしいものは部屋中散乱している。アンリと似た金の髪も、酸化した赤に泥塗れのようだ。エースは、彼の前に膝をつき、両手で顔を持ち上げて見れば、やはりガーランドの顔をしている。薄く開いた双眸にはユスティは映らない。
未だ信じられないのだとユスティはしつこく、しつこくガーランドだったものに鼻面を寄せ頬を擦り付け、目元を舐めた。だが、どんなにやってもそれは死体に縋り付いているだけでしかない。
嫌な予感ほど現実になる理由はなんだろう。
つまるものを詰まらせたままエースは息をしばし止めて考えた。赤い毛並みが、ガーランドのなくなった足の間に身を丸め撫でてほしいのだと空っぽの彼を見上げている。撫でてほしいのだと、鼻を甘く鳴らし、しかし両手は彼の身体にはない。
ユスティの現実を否定する鼻にかかった鳴き声。そして、エースに縋る懇願の目は、祈る。
目を逸らし肉の塊になったガーランドを覗き込んで、舌を打った。
「お前わかってんのか。俺がお前に命をくれてやった時点で、お前は俺の僕だ。なのに、こいつを優先しろって?」
顎を床につけ、服従をあらわにするが祈りは止まない。苦々しいと毛を引き抜こうとしたが、伸ばした利き手には指が足りず、また舌で音を立てる。さらに鬱陶しいのは、扉の内と外で境界線でもあるのか入ってこない兵士たちの目だ。見慣れないエースと頸から生える羽に、一体どんな幻想を見ているのか。
だが、だからこそこの状況を上手く使おうと彼は考えた。身体の中では泣き止まないネリャガの嗚咽。
彼女に何かがあってもエースが居るなら、無理やりでも表に出て衝突や障害から逃げることも最悪、相手を殺して無かったことにもできる。しかし、今は当分無理だ。利き手を見下ろした。アゼルは、ネリャガの事を嫌いでも好きでもない。かと言って全くの無関心でもないが、助けてくれる事は無いだろう。
ガーランドの入れ物を睨む。
「それになぁ、こいつにはまだやってもらわなきゃいけないことがあるんだよ」
動かない口を引っ張り捻り、エースはガーランドの額に手をあてた。
手のひらの中に溢れた太陽の日差し。手足のない身体が、小刻みにはね、震える。
呼吸を努めて安定させながら、まずは右の肩から足りない骨を作る。肉をかき分けて血が飛ぶ。次に左腕、右足、左足。作った太い骨に、肉を与えようとしたが足りない。一度手を離し、荒れる息を飲み込んで、力強く脈打つ自らの心臓の音を聞きながら、エースは割れている羽の先端を一欠片、手折った。
「ったぁ」
いつからこんなに羽の感触に敏感になったのだろう。痛みに真っ白に溶けた頭を振って、ガーランドの胸に今し方手折った羽のかけらを突き刺し押し込む。
「さぁ、ここまでやってやってやたんだ。起きろ、そして俺に従僕しろ」
肉の中に押し込まれた羽の欠片は、エースの翳した手、言葉に応えて脈を打つ。早く遅くを繰り返した後に、一定のリズムに落ち着き、朝の日差しに光出す。それは肉を伝い、骨を伝いガーランドの全身を巡り包み、人として足りないパーツを造り上げはじめる。
眠るように落ち着いた光の後には、五体満足のがっしりとした大きな身体。
「よし、起きろ!」
俯いた後頭部を殴れば、咳き込んで血の塊を吐き出したガーランドが眠そうな顔を上げた。
「な、に」
背後の兵士騒めき。感嘆の吐息を混ぜた奇跡への声なき歓喜。
「おう、どうだ生き返ったか? お前にはまだ死なれちゃ困るんだよ」
未だ夢から覚めやらぬ頭を掴み、手足の出来と胸に埋めた欠けらの様子をしばらく眺め、大丈夫そうだと額を叩くと空っぽないい音。尻尾をぐるぐる回し喜び息を荒げたユスティの、獣っぽい吐息がむわっとその場に広がる。
「いいか、生き返っちまったお前は、俺に従僕を誓うんだよ。いいな、虐めたショートに先ずは謝れよ」
「はぁ、なにいっ、――」
口は変わらずであるのに、自重を支える事は出来ないエースはその場に落ちるように座り込んだ。回る尻尾に頬を叩かれて腹が立った。毛を脱いてやろうとしても手は上がらず、身体は横たわる。その時、指の足りない利き手を見て、毛をむしれない事を残念に思う。
「おい、お前」
「少し、休むだけだ。俺の大事なもんを文字通り命をかけて守れよ、デカブツ」
肩を揺するガーランドの手は暖かく、冷えた身体に気持ち良い。
「忘れんな、お前らは俺に一生、死んでもなお従僕すんだ、可哀想になぁ」
目を開けていられない。瞼に力が入らない。視界が光の尾っぽを描く瞼の裏を見る間も無く、エースの意識は深く深く、とっぷりと生暖かい水の底に沈み込むように、肌にむず痒さを覚えながら沈んでいった。
意識の端に、なきごえが聞こえた。




