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如何にして 41

 痛みに呻く声で、再び時間は走り出す。リーシャが逆の足で噛みついている顔を蹴っても、噛みついた頬の強張りが溶ける事はない。勢いよく身を起こしたユスティがよくわからないものの上にのしかかって項に噛みつく。首を落してしまいそうな容赦の無い気迫にも、無頓着にリーシャの足の肉を食いちぎり、咀嚼音の代わりか不気味な森に住まう鳥の喜びの声を上げて、それは血を、肉を腹に収めた。

「血、血よ! 血をよこせ、血をちょうだい」

 それは身震いでユスティをふるい落とし、とめどなくリーシャから流れる血を床の上に口をつけ啜る。振ってきた白い針を四つん這いで壁を這い避けても、視線はリーシャの傷口だけを一心に見つめていた。

 カルアーの尻尾がショートの頬を撫でて腕の中から飛び出していく。そこにいなさい、と言い聞かせるように、飛び出した黒い毛玉は牙を見せつけ唸った。よくわからないものが壁を逃げ回るとそのあとを追いかけて壁が壊れていく。逃げ道を塞ぐように、ユスティが飛び掛かり、それでも尚、地面に逃げようとすれば白い針が邪魔をする。

「もうやめて、もうやめてよ!」

 少女の怒声。大きな身体が天井に飛び移り、四つん這いで張り付く。姫さまの頭上まで俊敏に這うと、獲物ね狙い定め落下。月の光が降り注ぎ上向いて何か信じられない物を見て、恐る姫さまは、ただただそれを見ているだけ。

「っあ、え、ひっひめさ、ま!」

 なんと呼べばいいのかショートにはわからなかった。

 覆いかぶさる大きな身体に閉じ込められ、首に口元を血で汚した顔がよせられる、なんとも酷くゆっくりとした時間をショートは垣間見る。大きく開かれた口が、細い喉仏のない首に噛みついた、と思いきや、色違いの細い手はその身を犠牲に姫さまを守って口の中に自ら入っていった。骨に牙が食い込み、壊す音が、目から耳から聞こえる。

 痛みに歪んだその人をショートは、知っている。

「隊長!」

「きっしょく悪いな、同じ混ぜもんのくせしてよぉ!」

「離れろ!」

 アンリの尖った怒りが、まるで太陽の光を生んだとでも言うのか、室内に暖かな大きく柔らかい光が満たされた。すべてを塗りこめる光の中で目を開けてなどいられない。両目を瞑り、それでも瞼の裏を照らしすぎて奥の方に鈍痛を覚える光に恐れ、ショートは両腕で顔を覆い隠した。

 暖かさが肌を温め、そしてあっという間に肌はもの寂しさを覚える。瞼の裏に残光は残れど暗さを見てとり、ショートの目はゆっくりと目の前を求めて開いていく。

「リーシャ!」

 四つん這いの姿はどこにも無かった。血の臭いをより選ぶ意識は、血の流れの始まりを見つけ、本能的にショートをえづかせる。カルアーの慰める身体の柔らかさと香ばしい匂いが無ければ、悲鳴を吐瀉に混ぜて吐き出して居たかもしれない。

 壁に支えられようやく座るリーシャは、目を虚に首を伏せ細い呼吸ですら辛そうに大量の脂汗で顔を濡らす。駆け寄ったエースがそれを拭おうとしたが、拭うための指は足りずに、反対の手で拭ってやっていた。

「アンリ、リーシャを頼めるか。ユスティが落ち着かない、あのデカブツが気がかりだ」

「わ、かった。お前、手は」

 大粒の雨粒のように血を流すエースの色違いの利き手。ショートはカルアーを抱き締める事で、身を裂く衝動にどうにか耐える。それでも、喉の奥から迫り上がる湿り帯びた熱に喉を詰まらせ、ゆるゆると引き寄せられるようにエースの側に近寄った。だが、生々しく濃い血の匂いに、慄き震えた膝はすぐに立てなくなった。

「平気、ではねぇなぁ。……だから、頼むぞこいつらのことを」

「おい、」

「俺の大事なもんだ。お前に協力するんだそれぐらいは頼むぞ。ユスティ来い、お前の大事なもんを探しにいくぞ!」

 飛び出していった背中は、小さく細く。だけれど、ショートのよく知っている、顔を埋めて泣きたくなる背中のまま。そのせいか、喉が一つしゃっくりで跳ねる。

「意識はあるか、おい」

 虚な夜空は、声に反応するだけ。その中には、星も宇宙もない伽藍堂のようで、だが彼女は意地になって振り絞った眉間の皺。

「め、ちゃ…いた、い」

「だろうさ、骨が丸見えだ。上手くやらんと、あいつに怒られるな。お前も泣いてるんじゃないよ、戦場であいつのそばに居たんだろ、こんなのよくある光景じゃないか」

 噛みちぎられたリーシャの足首は、肉の断面はボロボロ。血は止まらず、白い糸のような物だとか、灰色のブヨブヨした細長い肉の何かだとか、思ったよりも白くない骨だとかそう言った食肉との違いが、ショートに感応する。それは薄い刃物となって襲いかかった。

 ショートは、首を横にたくさん振ってカルアーの背中に顔を押し付ける。

「し、知らない人だもん。死んでるのは、みんな知らないもん。隊長もおじちゃんもみんな、帰ってくるもん」

「帰ってこないやつだっていただろう」

 喉が変な音を立てた。空気を下手に飲み込み咳き込み、それと合わせるようにリーシャの強く噛んだうめき。それは、ショートの心臓を切りつける。

「みたことない」

「なんで」

「隊長とかみんな、帰ってこないんだって教えてくれるだけ、だから」

 舌打ちは、物欲しげで何が欲しいのか気になってショートはカルアーの背中から目をちょっと上げる。リーシャの傷口に手をかざすアンリの額に実をつけた大粒の汗が光りの球となって転がり落ちたのを見た。

「甘やかされてんなぁ、お前」

 かざされた手のひらは陽光を降らし、リーシャの足の傷は汚い音を立てて塞がっていく。

「だって、だってぇ何もないもん。帰ってこない時は、何も無いもん! 神さまの所に行ったんだって」

「神はいないだろう?」

「い、いない」

 それはもう、答えだ。本当は、ずっとずっと昔からわかっていた答えだ。

「り、りーしゃ、しんじゃやだぁ」

 空っぽの夜空に、小さな星が瞬く。痛みとはにかみと合わさった、大きな草原が彼女の中にあった。

「しなないわよ、ばかねぇ」

 止め方のわからない涙と声は、ショート頭の中にわんわん、わんわん反響した。

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