表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
37/78

如何にして 37

 困惑の上目は可愛らしい。大きな図体をしているくせに、矮小で無力な視線は抗えずにただされるがままを震えながら甘受する他ない。その、弱々しさがエースの中に居るワガママな姫を喜ばせる。

「すっごい顔してんぞユスティ」

 雨の中、半ばから砕かれた羽を濡らしエースの身体を使って姫様はユスティで遊ぶ。サイズの合わぬ大きな上着一枚、はだけた衣服の下から除く白い肌から火傷や傷が消えるのはあっという間だった。滑らかな肌をなぞる雨滴の中に、肌が弾いた僅かな光が反射し身体の内側から弱く光っているようにも見えるし、泥汚れは美しいものを汚す背徳と幼児の無垢が混ざりに混ざりあって得体のしれない雰囲気にあてられアンリの背筋は震える。

 厚い雨雲の下、彼もしくは彼女は太陽の暖かさと眩しさでできているようだった。

 窓から頬杖をついて外を眺めていたアンリは、目の前で頭を抱えるガーランドの視線を声で引き付け、指を窓の外に突きつけた。

 獅子と犬とをあわせた獣は上から下まで泥にまみれているのに、ご機嫌に声を上げる女神様はユスティを押し倒し、上に乗っかったり掘った土をかけてみたりと幼児が喜ぶ土遊びに夢中。

「いくら言っても聞かないんだよ。エースとかいうやつも自分勝手だが、あれはそもそも会話がなりたたねぇ、お前どうにかしろよ」

「無理だな。エースが早く起きることを願え。それか、ショートに頼め」

「ガキはどこ行った」

「風呂の用意してる」

 納得のいかぬ溜息は、勢い強かった。

 上から振ってきた首輪を力に任せて振り払ってからアンリは様々、彼自身の求めるもののために尽力し続けた。時に疲れ果て、時にエースに叱咤激励とするには他人事でありながら暴力的に活を入れられ、姫様のお守りをしつつリーシャに文句を言われ、他方からの大きな小言を鼻で笑い、ショートの立場を確保しつつカルアーに避けられ、ガーランドに八つ当たりをする。

 未だ終着点にはたどり着けずとも、おおよその全体像は見え、さらにその足元も見えている。

 長かったものだと、ユスティを泥で固めている姫さまを見ながらしみじみと言葉に出来ない湿り気を吐息にした。

「もうすぐ本番だ」

「最近はヒニャも大人しいからな。ま、女神っていう手段が無くなってあいつらも手だてが無くなったんだろうさ。……このまま何もしなくてもいいんじゃないのか」

 とうとう顔すらも泥の中に埋もれたユスティは、単なる泥山と化した。それも、雨に濡れぬ室内からでも見て取れる程に、震える山だ。可哀そうとは思いつつも、姫様の楽しげな様子にアンリは共感できてしまう。

「まだいうか、脳みその足りないお兄様。俺の望みは境界線をなくすこと、ヒニャが大人しいだとか、どちらが勝ったとか、そういう結果を求めてるわけじゃないんだと何度言えば物覚えの悪い頭はおぼえてくれるのやら」

 窓を優しくノックし続ける生暖かな風と雨。分厚い雲の上に広がる晴天が恋しい。

「無理に突いて、なぁ、母様が危ない目に合う可能性だってあるだろ。バカバカ言われて流石に考えたさ、俺だって。考えて上で境界線をどうこうするのは良くないと思ったんだよ」

「なるほど。馬鹿が馬鹿なりに一人で考えたつもりなって得られたものは、やはり馬鹿な答え、か。面白くもなんともない結果で残念だ、お兄様」

「おいこら、アンリ!」

 振り下ろせない腕を振り上げて見せた所で、恐れるものは居ない。白々とした目で格好つけたがるガーランドに窓の外を見るよう促す。

「立派な泥山じゃあないか」

 華奢な泥に汚れてもなお白い手は、楽し気に飛び跳ね、大きな泥山を叩き固めていた。

「ユスティ!」

 可憐とはほど遠く、しかし甲高い悲鳴を上げて大きな体は窓から飛び出していった。


 お湯をかけてもかけても毛の隙間に入り込んだ砂粒はいくらでも落ちてくる。あらかた流し、シャンプーを直接かけて、手のひらで揉み込んでも泡立たない。一度、全体を流してもう一度。この繰り返しに終わりが来るのか、ガーランドにはわからなかった。ただ、良い匂いと熱気が鬱陶しい。

「お前何笑ってんだ! ユスティのこの顔を見ろよ、罪悪感はねーのか」

 悄然が赤い毛並みの中に居る。排水溝に流れる砂粒混じりのお湯を見つめる鼻先はなんとも哀れ。その様をお湯に浸かった姫さまは、キーキーご機嫌に歌い笑い手を伸ばしてユスティの折れた耳を鷲掴む。

「こら、引っ張るな! 痛いだろ」

 荒々しい動作の似合わぬ白くて華奢な手。大きな新緑の双眸とまあるい頬、細い首と浮き上がった鎖骨。そして、真っ平らな胸。

 淫靡はまるで無い。幼い子供を相手にしている感覚で、ユスティを弄り回したがる手を払う。途端、膨れっ面がバスタブの中に消え、お湯の飛沫はガーランドもユスティも等しく濡らす。

「お前さぁ!」

 キーキー笑う姫さまも頭からずぶ濡れだった。

 姫さまはしばらくの間、ようやく泡立ち始めたユスティの毛に満足し隅々洗うガーランドを見ていたが、前触れなく飽きたといったふうにバスタブから足を出そうとしてガーランドに押され盛大に飛沫を上げてお湯の中に落ちていく。

 赤い毛を丁寧に梳かす手はそのまま、ガーランドはお湯の中で恨めしげに目だけを出して泡を吐く頭を見下ろした。器用に畳まれた羽が怪しく明滅したのを横目に、ユスティの毛から掬い取った泡を姫さまの頭に擦り付ける。細い髪の間に、ザラザラと砂が流れ出てくる。

「お前も汚いんだよ、洗うんだよ! ったく、ほら頭ぐらい自分で洗えるだろ」

 バスタブのお湯を手で集めて頭の泡を流しもう一度、今度はシャンプーの原液を頭を掴むように塗りたくる。ユスティの手入れとおんなじだ。片手で掴めてしまいそうな小さな頭を、撫で混ぜまたお湯をかけてもう一度。

「やれって自分で」

 お湯の中に沈む両手を引っ張り上げ、シャンプーを垂らしてやると存外素直に頭を洗い始めた。

「よしよし、下手くそだけどいいだろう。砂が出てこなくなるまでよく洗えよ」

 そう言ってガーランドはユスティに戻った。

 姫さまはガーランドとユスティを興味に輝く新緑のスッポットライトを当て続け、同じように頭を泡だらけにして、楽しそうだった。


「服を着ろ!」

 ようやく砂から解放されても、ガーランドの気は休まらない。大人しく拭かれるのを待つユスティをの頭上、浮き上がった姫さまは無理やり被せられた大きな服を嫌だ嫌だと、ギーギー唸って突っぱねようとするが、大きな体に無理やり着せられてしまった。

「髪を乾かせ! おい、ガキでもリーシャでもいい、これの面倒をみろよ」

 今すぐにでも破り脱ぎ捨ててやろうと、虎視眈々とガーランドの隙を狙うが剥き出しの尻をひと叩きされ、姫さまは頬に沢山空気を溜めて大人しくなった。

「案外、お世話が上手ねぇあんた」

 広げたタオルを両手に、リーシャが姫さまを受け取る。重さの無い体は簡単に手渡され、ベッドの上に連れて行かれた。そこで優しく頭を拭かれ、ドライヤーをかけられ出来上がり。ようやく自由になっても腹に巻かれたベルトのせいで着せられた服は脱げないことに姫様はギーギー唸る。

「だぁめ。あなたの身体であってアセリアの身体でもあるんだから、あいつが困るようなことはしないでね」

 唸っても簡単にあしらわれ、食事の並ぶテーブルの前に連れて行かれる。椅子に座らされ隣から差し出されたパンを手に持ち姫さまは納得がいかないとパンを千切って投げようとした。だけど、ふわふわで甘い匂いが弾けて、すぐに食らいつく。舌の上でじんわり甘くて、少し塩っぱくて噛んでも噛んでも柔らかい。すぐに気に入った姫さまはパンを小さくちぎって、差し出してくれたショートの口にそれを詰め込んだ。

「俺のはあるから」

 一口詰め込んだだけで首を横に振られてしまう。唇をつまらないのだと突き出し、今度は身体を前のめりに目の前にいるアンリの口に大きな塊を押し付ける。

「ありがとう。そら、かわりにパンをやろう」

 アンリからもパンを差し出され、姫さまは嬉しくて笑った。そのまま飛び上がり、風呂場にいるユスティに貰ったパンを差し出す。

「大人しく食ってろって。すぐに行くから」

 追い払おうとするガーランドの背中を叩き、のしかかり、しつこく差し出していると獣の大きな口は、仕方ないと言うように一口で食べてしまった。それがまた、姫さまは嬉しかった。

「あーもう、ありがとよ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ