如何にして 34
扉を開けた先に待っていたのは、静寂すらも嫌がる空気と視線。一方的に浴びせられた負の雨に、エースは表情を引き締める。一度、ぐうるり室内を目玉の動きだけで見渡し、アンリの後に続いて入る。見栄が死をこき下ろす空間はどこでも同じだ。内側の遠く、そして近く図りがたい距離でぎーぎー煩く反抗的な声に口元を微かな湾曲に歪める。そのせいか、アンリと似た色彩を纏ったがたいの良い男の片目が引き攣る。だから、あえてエースはその男を注視する。
「さて、お待たせいたしました。連れてまいりましたよ、私の女神を!」
自信のあらわれが声量となっているのだと言わんばかりに、弾力のある大きな声が静寂すらも嫌う空気を食わんとする。それを助けるでもなく、エースはこの流れがどのように動くのかを、耳と肌に受ける感触から探ろうとした。そんな事をしなくとも、おおよそマイナス位置からのスタートだとはわかってはいたが。
「随分と待たせたものだ」
「ええ、ええ。お疲れでしたのでね。本来であればもう少しお休みいただきたい所ではあったのですが、待ちきれない方々が急かすものですからわざわざこうしてお越しいただいたんです」
獣の集まり。そう思えば、見るものなど無くなってしまった。アンリと似た色彩から目を離し、かといって見るものもなく仕方なく窓にうつる夜と、反射した光。その中に生きる背中と、エース自身を見るともなしに見る。来たばかりではあるが、速く終わることを期待するが、獣が人を慮る事は無し。
「で、それはどれほどお前のいうことを聞く」
欠伸を堪えて、片足に体重を乗せぎーぎー喚く声を宥める。なかなか治まりそうには無い。どうしたものかと、首を傾げた。
「言うことを聞かせる! 会話は可能ですよ、馬鹿な話では無ければね!」
「では聞こうか。お前は我々に協力する気はあるのか」
アゼルにお守りを頼めたのなら、黒い三つ目の精霊を大層お気に召している姫さまはすぐに大人しくなるだろうが、アゼルは姫さまの我儘と奔放さが好きでは無いようだ。エースがお願いすれば、渋々嫌々面倒を見てくれるだろうが、黒い彼だってエースの身体の中にいるのだ、最近の出来事に疲れを覚えているのはわかっていた。エースだって疲れているし、姫さんだって疲れている。疲れているのになぜ、高圧的な視線に膝を折った素振りを見せてやらねばならないのか。今度は、堪えずに小さな欠伸をした。
「協力ってさぁ、お互いが支えあって成り立つもんだろ。そうやって、従僕を求める態度のお前らとは上手くいかない気がするんだよな」
生理的な涙が溜まって見えた潤んだ世界。美しさの欠片も無い、汚れた世界がエースは嫌いだ。沸点の低い怒りも、ひそめられている癖に、誰かの背後に隠れている癖に悪意と鋭さにかけては大きい冷罵も、ぎーぎーとなる喚きの燃料にしかならない。
静かにしてほしかった。
「始末してしまえばいい。それか、元は向こうでいいように使われていたんだろう? その身体でも使い道があるのならーー」
あれほど威勢よく喋っていた癖に、口を閉じて人を食いたそうな薄ら笑いを浮かべるアンリに溜息を一つくれてやる。今から始まる演目に心を躍らせている彼が何かをしてくれそうにはない。やはり、彼は従僕の意味をわかっては居ない。
「わかっちゃいねーな、あんたら」
エースは、神を想像した。彼の知る神を。
偉そうに腰に手を当てて、顎を引きあえて下から一人一人を、そしてエースの身体を入室した時から好色の目で見ていた男を視線で貫く。気分は悪かったが、微笑みを向けてやる。
「わかっちゃいねーよ。まったく、これだから現状に胡坐をかいているやつらは嫌いなんだ。ああ、だからと言って、無いものに縋っていらない犠牲を増やす馬鹿も嫌いだよ」
顔の横で指を鳴らせば好色の目に白い光が集まり赤く弾ける。一つの間は、空気を吸うために開けてやった時だ。絶叫が上がり切る前に、また指を弾いて男を黙らせた。
「そもそも、従僕を求めるのは俺の専売特許。だって女神様なんだ、おうおうお前らが従えよ」
血の香りにようやく室内は動き出す。それでもアンリは性格悪く、薄ら笑みを浮かべたまま針のむしろに追い立てられようとしている今を楽しんでいるようだった。
椅子の倒れる音や、直線的な罵声罵倒、それらは煩くエースの耳を煩わせるだけ。向けられた銃口と剣先、殺意を膨らませた憎悪は間髪入れずに放たれる。ひたむきな精霊の力を借りた殺意は純粋であれど、人が使ってしまえば汚れる。
「人に頭を垂れた雑魚が」
羽を広げるまでも無いが、わざと広げ光を室内に満たす。人の目を潰すこと、神を演じるエースはにはそんな事のために戸惑いも躊躇もない。太陽を溶かし直接室内に注ぎ込んだと言われてもおかしくはない高温の光に、両目を抑えて転げまわる数人の男どもの姿を視界に入れ、エースは神を真似て笑った。
「バケモンが!」
迫りくる、炎の切っ先。アンリと似た色彩の男が手にした炎の剣は真っすぐにエースの胸を狙い定める。熱気に頬の火傷の痕が痛んだ。
「ああ、お前か。傷ものにしやがって」
エースは、剣の切っ先を横目で睨む。ただ、それだけでよかった。
炎が太陽を燃やせるわけも無いのだ。切っ先から白い光に包まれた炎の刀身が溶けて落ちていく。粘着な音を立て床に広がった溶岩のようなものは、独りでに蠢き一塊になると赤い獣へと姿を変える。獅子と犬とを混ぜて作られたような、太い四肢をもった子牛よりも一回り大きな獣。舌をだし、辛そうに背骨を凹ませ荒い呼吸を繰り返すが、エースを上目に睨み諦め悪く唸った。
「食らいつけ!」
男の掛け声をわかっていたとばかりに、太い爪をむき出しにして飛び掛かってきた。炎の熱気が、エースの白い頬を焼く。興奮した声が、エースの中で煩く響いた。
「しょうがねぇなぁ」
牙を向く獣の大きな顔を、両手を広げ受け入れ、太い首に手を回した。太い前足も牙も、白い光に溶かされていく。皮が捲れ。赤々と燃える溶岩の肉が露出し、それでも人に下った獣は、主人のために諦める事はない。
「お前、離せよ!」
「抱きついてきたのはこいつで、そうさせたのは愚かなお前だろ?」
アンリと似た男が飛び掛かってくるよりもはやく、眼鏡の奥で予定外だと目を丸くするアンリを置いてけぼりに、獣の首に回した両腕に力を込めた。肉の弾力、骨の抵抗、それらの先に、なんともあっけない崩壊音。長引く事も出来ないその音は、外にまで飛び出していく。
「よし、と」
離した両手からこぼれ落ちた獣の身体は、床に伏し大きな口から見えた涎が牙の先から垂れて汚い床を舐める舌を濡らす。
「ユスティ!」
ガタイの良い見た目からは細い悲鳴を上げて、男が空っぽの器に縋りつこうと膝を床に擦りつけ、だが手は宙を彷徨っていた。
「そんな」
太い四肢の先に伸びた爪の先が崩れていく。淡い赤の光が獣の身体から零れ落ち、床にぶつかると弾けて消えていった。儚いからこそ、その淡い光が美しくエースは零れ落ちては消えていく様子を感嘆を吐息にかえて見つめた。
「ユース、ユスティ! 嘘だ」
零れる光を掬おうとする男の手のひら。だが、淡い赤は一切の証も残さずに消えていく。
「精霊の散り際ってのは綺麗だろう、なぁ? なに、驚いた顔してんだ。神に成れといったのはお前で、俺の知る神はこういうもんだ。なにより、忘れんなよ、お前は俺に従僕する代わりに、手に入れたんだろ?」
薄ら笑みを浮かべていたアンリの顔から血の気が失せ愕然と固まる。戦慄いた口元は、用を足さずにその代わりに力なく横に振られた首。今度は、エースの顔に薄ら笑いが張り付き、アンリや生き残った戦慄に震える大きな体に顔を見せてやった。
「なぁ? 従僕をするのはどちらかわかっただろう?」
ズボンの裾を踏む足裏の感触が気持ち悪く、羽を少し擡げエースは足を浮かした。強張ったアンリを捨て置き、獣に縋りたくとも縋れぬ哀れな男を上から見下ろす。
「さて、お前はどうする。俺に従僕するか、しないか。もし、するというのであれば、それは大方の所は治しやんぜ」
「こうしたのは、貴様だろう!」
「だって、神様だぜ。そら、歯向かえばそうなるのは当然だろう、馬鹿め。だが、神への礼儀を知らぬが故の身勝手には、一度だけ目を瞑ってやるが?」
宙で足を組み、項垂れた広い肩を見下ろす。震えるばかりで動かないそれをつま先で小突き、消えていく獣の鼻先も同じようにした。
「消えたら治せはしないが、いいのか?」
勢いよく上向いた顔はエースに満足感を与え、優しさを思い出させる。アンリと似た双眸の中、浮かぶ女神の微笑みはとても美しかった。
「ーー、こいつが、居なくなったら俺は誰にも認めてもらえない」
「だから?」
「お、願いします。助けてください」
「ひは」とエースが笑えば、彼だけに聞こえる喜びの声が重なる。宙に浮いたまま軽々しく獣の上に翳された右手。
女神は軽率に命を与えた。




