如何にして 29
「まぁ、大体お察しの通りなんだけどよ」
食事も終わり空腹も一息ついた頃、何かを手放した様にため息をついたエースは口を開いた。
落ち着いた、けれどどこか頼りない声音にショートの背骨に力が入る。エースの皿の上のものをほとんど食べてしまったカルアーは満足げに口の周りを薄い舌で舐めとり、机の上、皿と皿の間に無理やり寝転んで耳を立てて聞いている。
「俺の中に同居人がいる訳だ。これは、なにも人格が別れただとか俺の気が狂ったと言うことではなく、間違いなく居る。そいつらは、外から来た」
そう言ってエースは羽の生える首の後ろを手のひらで覆い撫でる。
黙って眺めていたショートは幼い頃にこけて泣いた時に慰めてもらった手つきと似ていると、そんな事を思い出す。
「知ってるとは思うが、うちは精霊石を直接埋め込む。これが俺たちにとっての争う手段だ。そして、リーシャならわかるよな? 俺とお前の生まれた村は、精霊との親和性が妙に高い」
無言でリーシャが頷くと、顔の横に一房垂れた藍色の髪はもったりと揺れる。
「最初からなんだ。はじめて埋められたときから少しづつ別の誰かがいる感覚はあった。徐々にはっきりして気がつけば居たんだよ、俺じゃないもんが。カルアー、お前はもう気がついてるだろ」
問いかけられた三つ目は、ニヤッとたわむ。そんなふうに光を反射して目を細め短く鳴いた。
「初めは、カルアーと同種だった。そいつは、確かに居たけど俺を尊重してくれた、というよりとても大切にしてくれている。そんなだから俺も受け入れ、尊重した」
テーブルの上を、エースの指は叩く。そこに瞬きの最中に目の錯覚が起こった様な唐突さと、最初からそこに居たような自然体でカルアーそっくりの黒い猫が一匹。すぐさま、身体を起こしたカルアーが横に並ぶと少しだけ小さい黒い毛玉。
「あ、ねこ」
この姿をショートは微かに記憶していた。エースの自室の扉の隙間から時々覗いた三つ目。忘れた頃に聞こえた鳴き声。覚えている、なぜなら遠くない日々のことだったのだから。
「ひは、猫じゃねーんだ。姿形は似てるけど、三つ目の猫はいねぇーだろ?」
片手を広げただけで、カルアーより小さな黒い毛玉はエースの元へ元気に跳ねて飛んでいく。広げた手のひらに顔を擦り付け、それだけでは足りないと身体を伸ばして肩に手を置いた。
「精霊だよ、アゼルってんだ。俺の首に埋められた黒い石だ」
自然と黒い毛玉、もといアゼルはエースの口に吸い寄せられ気持ちよさそうに、どう見ても猫の口をくっつけ尻尾を固く立てる。くすぐったそうに眉を八の字に、エースは黒いアゼルの背中を僅かだけ色の違う方の手でゆっくりと、時間をかけて上から下へと撫でてやれば立った尻尾が震え芯を無くして落ちた。甘い声はカルアーよりも低く、アゼルはグルグルと鳴った喉をエースの顔や首に擦り付ける。
「最初はアゼルだけだったんだ。同居は上手くやってたさ、こいつは俺を許してくれたし、俺もこいつが居てどれだけ日々助けられ慰められたことか」
細くなった指はアゼルの柔らかな口元の肉をマッサージし始める。薄い舌はすぐに指先にまとわりつき、しまいには赤子が乳を吸う様な音を立てて恍惚の表情を浮かべる。そんなアゼルをエースは大事そうに胸元に抱いた。
「それから、リーちゃんにこいつを預けた後にもう一人同居人が増えたんだよ」
新緑の平和を讃えた日差しはショートを映した。
カルアーの命の双眸は、エースとアゼルの様子を食い入る様に見つめてから、鼻を鳴らしてショートの元までやってくる。そして、真似て甘えた声を出しショートの膝の上でひっくり返って柔らかそうな腹を晒す。ショートは、指先で膝上の黒い腹の上をくるくるくすぐった末に、エースの手つきを真似て腹を撫でてやると、とろけた三つ目が、寝入る様に閉じた。
「そいつはアゼルとは違った。入ってきた日から居たんだ。怒って泣いて、恨んで、心配になる程ずぅっとギーギーわめいてて、あれは俺もアゼルも狂うかと思ったね。目を閉じてもギーギー、開けてもギーギー、そのうちに俺たちまで周りの人間どもが憎くなってくる。まぁ仕方ないよな。許し受け入れてくれたアゼルが変わっていただけで勝手にこんな小さな石ころにされて、誰とも知らない人間に埋め込まれて好き勝手使われるなんて。知ってるか精霊を石にする方法、捕まえて生きたまま圧縮するんだぜ、狂ってるよな。俺じゃない誰かだったら話は変わってたんだろうけど、姫さんは親和性ばかり高い俺の中に埋め込まれちまったわけよ」
周りからの質問も疑問も何もかもを撥ねつけるためか早口に捲し立てたエースだったが、すぐに人の言葉を忘れてしまったのか、それとも言葉なんて初めから知らなかったのか思案げに腕の中にある黒い背中に口元を埋めた。黒い尻尾の先は、そおっと彼方をぼんやりと注視する火傷跡の残る頬をなぞる。
「あんまりに哀れでな。家族ってもんがあるのかは知らんし仲間って意識があるのかもよくは知らねーけど、姫さんは一人を寂しいと知っていて、泣くんだ。キレ散らかして、恨みは深くて……でも、俺とアゼルが慰めれば縋るんだ、悲しいよな」
ぼんやりと見開いていく目の中、水に沈んだ新緑は水面を揺らす。なん度か、喉を大きく動かして飲み込む仕草を繰り返した。そのせいかたっぷりと揺蕩う水が大きな目の縁から溢れる事は無い。
耳の中に聞こえてくるエースの体験の記憶を、ショートはどう受け止めるべきなのか。リーシャを見本にしようとも、彼女もまた空っぽの皿の中へ圧縮した一点に強い力の様なものを目から放ち、微動だにしない。
「元々は縛られる事も無ければ、使われる事もなかった、精霊ってそう言うもんだろ? 何も知らないんだ姫さんは、無理やり足を広げられる意味も、のしかかった男が何をしたのかも。なぁんも知らないんだ、石ころにされて俺の首に埋まったばっかりに」
「でも、でもアセメリアでなかったらその、姫って精霊は意志すらも無視されてたんでしょう」
瞬いたかに見せて、エースは目を閉じたまま砂混じりの風を受ける様に目元を片手で塞ぎ、俯いた。そして唇を割って流す血は、言葉だ。
「俺が、哀れだと手を出さなければあいつは人を憎むだけでよかった。可哀想だと手を出したら孤独を知っていたんだ、そりゃ縋りたくもなるよな。何もしてやれないくせに半端に、そのせいで首輪なんぞつけられて……」
「た、いちょうのせいじゃ、ないじゃん。だって、無理やり石を埋められて、その、嫌な思い……したでしょ」
「だからって許される訳じゃない。傷つけられた子供をさらに痛ぶったのと同じことを俺はしたんだ。そのつもりは無かったとして、それは善意であれば許されることか?」
カルアーとは違う、鳴き声は遠慮がちに下から潜り込んでエースを覗き込む。手の隙間から見えたのは、アゼルの慰める口元だけ。
「手を差し伸べない事こそが、優しさだった」
火傷の跡を拭っても、消える事はない。消えるまでは時間がかかるだろう。もしかしたら消えずに、顔や身体に残り続けるかもしれない。息を吸ったのと同時に、気管の奥に何かを押しやってエースは顔を上げる。平和はいつものように、だが、とショートも息を吸って存在感だけはある形ないものを身体の奥に奥に押しやる。
平和は単にそれだけでは平和とはならないのだ。いつも、いつでもショートに向けられた笑みにはそうなるために消えない跡が積み重なっているのだ、と。今になって知ってしまった。




