如何にして 28
身体の表面と同じ温度。混じり合い溶けてしまいそうだ。それはさらさらと肌の上を滑り気持ちがいい。それとは全く別のふわさらの高い温度が腕の中でぷすぷす音を鳴らす。抱きしめているだけでいつまでも寝れてしまいそうだ。だが、寝過ぎた身体は暇を訴え、うつらうつら夢も見ない深いところで無心の安寧に転がろうとしていた意識を無理矢理、表面の明るい場所へと引っ張っていく。そして、見えない境界線を越えた途端、意識は現実の冷えた空気をおしやろうとするコッテリとした匂いにエースは興味を引かれた。
「……なんで何も着てないの、俺」
ベッドの上で腕の力だけで上体を持ち上げると胸元からこぼれた黒い毛玉。羽が邪魔でしっかり身体にそわせて胡座をかく。大きな欠伸は眠気を吐き出し、生理的に浮かんだ涙をそばに転がる黒い毛玉を手に取って顔を拭う。
「ぎーぎー言って脱いだのはあなた自身よ」
独り言は意に反して会話になった。手の中の毛玉は一人でに伸びて、黒い三つ目の猫に似た生き物に変わる。胡座をかいたエースの足の上に降りた途端、背中をぎゅうぎゅうしならせ伸びる。一緒になって伸びた尻尾が太ももに当たった。
「あー、あーね。服を着るって事も羞恥って概念も無いから、うちの姫さんは。と言うか、そもそも姿もねぇーんだ、そら裸が恥ずかしいなんて思うわけもないわな」
痒い肋骨を掻き、腕を伸ばして背筋の筋肉に隙間を作る。そのままベッドから降りようとしたが、飛んできた派手な柄の布が視界を遮った。
「とりあえず、それでいいからきなさい。色々と聞きたいことはあるけど、ねぇアセメリア。あんたんとこのお子様には今の姿はちょっとばかり刺激が強いわ」
手の中に力無く抱いた赤い布地に大きな花柄をぼんやりと見下ろしていたが、そんなことを言われてしまうと興味と疑問に顔を上げてしまう。
「あー、ね……」
どこを見ていいのか分からず、うろうろ下の方で視線を泳がせているショートの額に薄らと滲んだ汗が光ったのを見て、真っ赤なシャツに袖を通した。
「だっせぇな、この服。りーちゃんの趣味? 軍服とか無い?」
「まさか! 私だって心底ダサいって思うわよ。軍服を嫌がったのはあなたでしょ。背中の羽が当たると痛いのかめそめそ脱いだじゃないの覚えてないの?」
ボタンを止め、首から伸びた羽の一番上の一対を、気持ち伸ばしゆっくりと一度だけ羽ばたかせる。半ばから折れた断面が服に擦れる感触に、エースの片眉は得心とばかりに弧を描いて持ち上がる。
「なるほど、服に羽の割れたところが当たって痛いんだ。こりゃあ、感覚に慣れてない姫さまじゃ泣くなぁ」
緩いウエストは張りのある尻の上あたりで引っかかり、何とか落ちることは無い。余ったズボン裾を蹴り上げ、未だに落ち着かない目を回してしまいそうなショートの横にあった椅子に座る。
「羽が気になるなら仕方ないけど、下まで脱がなくてもよかったんじゃない? と言うか、あなたいつの間に羽なんか生やして、それに……」
机の上にたっぷりとした湯気を上げる料理を並べるリーシャの緩んだ口元は遠慮がちなため息混じりに言った。
「知らないって、俺じゃないんだよ。きーきー鳴く可愛いのは姫さん」
理解のできていない顔が二つエースに怪訝な目を向ける。全くの別人のくせにそっくりな顔をしていた。そうしていると、歳の離れた姉弟を見ているようでエースは楽しくなった。
「なに笑ってんのよ! 姫さんって誰よ、なによ、アセメリアのなんなのよ!」
「ひは、同居人。人間世間なんてなぁんも知らない無知で欲だけでしか動かないお馬鹿さんだけど、可愛いんだ。阿呆な犬みたいでさぁ」
「どこにいるのよ、そいつ」
テーブルの上にあったパンを手にとり、エースは一口サイズに千切って口に放り込み、よく噛むこともなくすぐに飲み込む。
「ショート、食えよ。お前見ないうちにちょっと大っきくなったか? ほら、肉もあるし俺の分も気にせず食っちまえよ」
「あ、いやそんなに食べられないんで。隊長も食べて……、いや、違うあの、」
そおっと、怖がりな犬が上目に伺うように、ショートは歯を擦り合わせそうなほど食いしばるリーシャを一瞥し両手を膝に身体を縮こまる。この後、やってくるかもしれない災害にただ狼狽え、けれどどちらもを宥めることはない。ショートもまたリーシャと同じだ、どうして、なにが、なぜ、さまざまな事を聞きたかったし、しりたかった。
「あー、お前も。ほら」
図々しくもエースの膝に陣取ったカルアーは、小さくちぎってもらったパンを美味そうに食べた。黒い毛玉だって、目の前にいるリーシャが見えていないわけではないだろうに。それとも、あえて見ていないふりをしているのか。
「アセメリア!」
「はいはい、聞こえてますよ」
五月蝿そうに肩をすくめ、胸を膨らませ萎ませる。
「大体わかってるだろ、会話の流れで。お前、察しが悪い訳でも馬鹿でもないだろ」
また、エースはゆっくりと胸を膨らませる。
ショートは怖がりな犬の目のまま上目に伺ったエースには、疲れが見えた。ショートにとって、既視感のある疲れた横顔。そして、一度だけ見たことのある知らない横顔だ。リーシャにショートを託したときに見せた、あの顔とそっくりだ。
その瞬間の事だ、ショートの肩は落ちる。空腹の腹がもっともっと空っぽになってしまって、そして足取りを間違えて心臓だけを落としてしまったのかドクドク帰る場所を無くして脈打っている。
当然の事だと今更ながらに気がついてしまった。否、エースの方がこの状況にまだついて行けてないはずなのだ。身体が変わって、本来扱われることのない扱われ方で様々好きに扱われ心も身体も傷つき、そして敵陣のど真ん中に置かれて、これからどうなるかもショートは聞いていない。そのせいでエースは、ただどうしようもないほどに疲れている。その事に気がついた途端、ショートはがっかりとしてしまった。
自分自身に。
「エース隊長」
「な、んだよ。いきなり、改まって」
ごめんなさい。は言えなかった。それは、ショートの心臓を戻すためだけの謝罪だ。
パンをしつこくエースに強請るカルアーはいつもと変わらない。その姿を真似るには沢山のなぜやどうしてを抱えたショートには、まだ難しい。どうしても気はそちらに向いてしまいそうになりいつも通りとはならないだろう。
「ゆっくりして。いいんだ、隊長が隣に居てくれるだけで今はいいや。沢山気になる事はあるけど、でも今はいい」
そうだろ、と。リーシャに目だけで求める。
彼女もまた、はっと傷ついた表情を浮かべ、すぐに俯き隠した。ショートの心臓はそこにあったのかもしれない。
「……いや、すまんな。どうって事ないとは言えても案外受け入れ難い事は万とあるもんだ。まだまだ俺も、気持ちは若いのかもねぇ」
望んでいた平和の微笑み。それは、雨の中の薄く差す日差しで、パンを頬張るカルアーに降り注ぐ。
「話すからこれを食う間、なんか腹を決めるってかさ整理させてくれ」
オレンジ色のスープに銀色のスプーンを浸すエースを見て、カルアーはピンク色の薄い舌を見せて催促をする。ショートもそして、口元から力を抜いたリーシャも静かに腹を満たした。




